嫉妬と種明かし。
あたくし的には「怒り」よりも良くない感情は、「嫉妬」だと思っている。
怒りはまだいい。使い道のある感情だと思う。
しかし、「嫉妬」はどうなんだろう?
あれをまともな方向に向ける術を、あたくしは未だに知らない。
とはいえ、この年齢になると、嫉妬という感情を感じることすら稀になっていた。
嫉妬という気持ちは、そもそもは若々しい瑞々しい感情なのかもしれない。
誰かと自分を比べ、自分が持っていないものに悔しさを感じなければ、沸き起こらない感情だものね。
そういう意味では、誰かになりたいなんて思わなくなって、あたくしはあたくし、と思えるようになった昨今なのだ。
だがしかし、その感情はふとしたことで生々しく蘇った。
あたくしの、あの逆転移の対象の男の子が、他の職員に小さなプレゼントをしたことを知ったからだ。
その贈り物は、とある出来事のお礼で、それ自体は本当に微笑ましい出来事だ。
だけど自分は、愚かにも嫉妬してしまった。
それだけでなく、更にも愚かなことに、その嫉妬の気持ちを本人に伝えてしまったのだ。
「あたくしも君から何か欲しいよ♪ 久々に嫉妬という感情を味わっちゃった♪」と。
後ろの“♪”は、なるべく重くならないよう、冗談めかして言ったニュアンスを表している(笑)。
しかし、駄目だろう。
駄目でしょう?
駄目ですよね、先生?
「駄目ですね…。何で言っちゃうんですか?」
先生は本当にしょっぱい顔で、本当に情けなさそうな顔で、そう言った。
「嫉妬を感じた時、あなたは何をしました?」
「それは、いけない気持ちだと、消したいと、一生懸命思いました」
「でもさ、結局あなたは何もしてない。何もしないで、相手にぶつけたんですよね?」
その通り、言い訳もできない。
「…あの時は変なこと言ってゴメンね…って後から言うのも駄目ですよね?」
「それは駄目! 最悪だね! 完全になかったこととしてスルーしちゃって! そしてもう二度とそんなことを言ってはいけないよ?」
先生はあたくしの目の前で呆れ果てていた。
あたくしは戸惑い、自分がやってしまった事の大きさを薄っすらと思い知った。
「あなたがさ、いい支援をしたり、ちゃんと成長しているのは分かっているよ?」
先生は、そっと慰めてくれた。
「でも、嫉妬の気持ちは、脇に置いておけるようにならなきゃ、駄目だよ?」
そう、だって自分は、彼から無形のプレゼントをたくさん貰っている。
それは知っている。嫉妬するなんてお門違いだ。
しかも、あたくしは、前に通っていたところの職員とも知人とも、これかもずっと繋がってていいんだよ?
あなたが必要とするんなら、自ら求めてそうするんだよ?
と彼に指導しているのだ。
それなのに、とんだダブルバインドではござんせんか?
彼はあたくしの相談を受けるために、あの日から、わざわざ遠い所まで足を運んでくれているのだ。
それで十分じゃない?
それ以上の贈り物ってある?
ない。
そんなの分かってる。
それなのになぜ、形あるものまで欲しくなってしまうんだろう?
煩悩が深すぎる。
それが、ますます、ますます深くなってくような気がして怖い。
「分かるかな? あなたが、彼のどこに惹かれるのか…?」
そんなことは知らない。
それが分かったらこんな苦しい思いはしない。
「現実で、あなたが彼と友達になれないのは、分かっているでしょう?」
それは、本当は心の奥で理解してる。 親子ほどの年の差があって、どうして彼はあたくしを友達と認めてくれるだろう?
だいたい、こんな出会い方で、友達になれる訳がない!
「あなたの中の子どもが、彼の中の子どもと呼応して、仲良くなりたがっているだけなんだよ?」 それが先生の答えだ。
恋にも似た、何ヶ月にも渡った苦しみは、自分の中の子どもの仕業…。
「自分の中の子どもと仲良くなってあげなきゃ駄目だよ?」と、先生は言った。
それが、先生の出した答えであり、ご指導なのだ。
「欲しいものが手に入らない時は、自分の中の子どもの声に耳を傾けて、頭を撫でて “よしよし” してあげなきゃ?」と先生はアドバイスした。
あたくしは途方にくれた。
あたくしの中の子どもの暴走を止めなきゃならん。
しかし、あたくしは、その難しさもよく分かっている。
嫉妬にまつわる本を紐解いた。
そこには、ありのままの自分を愛しなさいと書いてあった。
ありのままで埋められない部分を他人で埋めようとした時に、嫉妬になるのだ。
嫉妬に圧倒されず、愛する人の自由を尊重しなさい、とある。
そりゃ、そうしたい。
そうしないと、自分と彼との信頼関係は崩壊するだろう。
そのために、あたくしは自分の中に「自分の子ども」をなだめる「寛容で保護的な親」を育てなきゃいけない。
これ、交流分析のエッセンスなんだけどさ、あぁ、難儀!
でも、やるしかない。
人生の課題山積…。
※交流分析は取っつきやすい、しかし奥深い、とあたくしは思う。簡単なテストから、自分の傾向を知ることができるのだけれど、翻訳の関係なのか、少しの文章のニュアンスの違いで、結果は大きく変わるのだ。だから、これはプロのお力を借りないとあまりアテにならないとは思う。が、しかし、この考え方はとても重要。 そしてそこから多くの自分の課題を知ることになると思う。ホントよ?