きっと、彼はもうすぐ旅立つのだ。
こんにちは。ご無沙汰しておりました。
あたくしは、何も変わっておらず、逆転移しております。
いや、実は、ちょっとした事件があり、少し変わった。
彼が、泣いたのだ。
いつかオイオイ泣かせてやろうとは思っていたが、そんな風ではなく、あたくしは、彼を失望させ、悲しませて、泣かせてしまったのだ。
彼は「誰も、分かってくれない」と目の前で泣き崩れた。
あたくしは、これまで、彼のどんな些細な変化も捉えて、それに反応しようと思っていた。
彼も淡くそれを期待していたに違いない。
そんな存在がこの世のどこかにあることを。
あたくしもそうありたいと思っていた。
世界で一番、あなたのことを知っている、理解している自分。
だけどさ、自分は彼のことを全て分かってあげることなんかできない。
「分かってあげたい」という気持ちがあるだけだ。
そうして、分かってあげられないことに、あたくしも焦りやイラつきを感じていたんだな。
泣いたり怒ったりしながら彼は、あたくしが、どんなに自分勝手で気まぐれで辻褄の合わないことを言い出して押し付けてくる人間であるかを責め立てた。
そうだよ、友達なんか、無理だ。
友達として、彼に寄り添ったり、優しくしたり、時には甘えたりしたいけど、それは不可能だ、と悟ったわけ。
自分の仕事は、彼が世間から叱られる前に、駄目なことは駄目と言ったり、苦言を呈したり、何度も確認をしたり、疑ったり、尻を叩いたり、その他、他の人が言いにくいこと全部、彼から嫌がられ嫌われる、あらゆることをしなくてはいけないのだ。
その日だけでなく、彼とあたくしは、その後も顔を突き合わせては何日にも続けて、事あるごとに喧嘩した。
その時、彼は心からウンザリした顔をし、あたくしも怒りを出したり、オロオロしたりした。
いつだったか「喧嘩をしても仲直りすればいい。だから感情をぶつけてみなよ?」と、彼に言い放って挑発したことがあるけれども、心から怒りの感情を剥き出しにした彼の容赦ない言葉は、いつもの聡さはそのままに、鋭くて切れ味が良いのだった。
ゆえに、あたくしは、完膚なきまでに切り刻まれ、打ちのめされたのだった!
そうしてほとぼりが覚めてきた頃、彼も私も、言葉が過ぎたことを謝罪しあった。
でもさ、なかったことになんかなりやしないよね?
彼は、やっとあたくしが万能な人間じゃなくて、有能ですらなくて、凡人どころか、むしろ落ちこぼれで、少し病んでて…そんな生身の人間だと気付いたらしい。
そうして彼はやっと、自分のことは自分で決めよう、責任を持とう、と決心したみたいだ。
そう促すのが、あたくしの本来の仕事。
あたくしの夢は叶ったんだ。
だから、悲しむな自分、寂しく思うな自分、と言い聞かせるのだけど、出会った頃のオドオドとしてあたくしを頼り切ってくれていた彼を思い出しては、様々な場面を反芻してしまうのだった。
彼は、振り返らないし、思い出さないに違いない。
彼は真っ直ぐ前を見てるのだ。
明るくて、たくさんの出会いと可能性を秘めている未来を見ている。
自分は彼にとって、過去の人になりつつあるのだ。
彼の中であたくしは、ゆっくりと死ぬのだろう。
死ぬというより、どんどん薄れて、跡形もなく消えるのだな。
そうしてどんなに大切に抱きしめておこうとしても、あたくしの中の彼もまた、淡雪の様に失われるに違いない。
何年も経ったある秋の夜更けに、ふと「あれは何だったんだろう?」と思い出すかもしれない。
この様々な感情には何の意味もないかもしれない。
こんなのは、独りよがりな、自分勝手な想いなのだろうけど、こんな気持ちをもたらせてくれた彼に限りない感謝の気持ちをもって、残りの時間を味わいたい。
できるだけ、悲しんだり怒ったりせずに、自分のいいところだけ見せて、彼を送り出したいな。
難しいこっちゃだけど。