心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

深い泉。

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人の心は深い泉のようなものだ。
今の仕事に就いてから、シミジミと思うようになった。

このイメージは恐らく、数年前に参加した瞑想合宿の、夜の講話に由来すると思う。
そこでは、人の心を泉に例えた話が確かにあった。

人の心には普段の言動からは全く伺えない部分がある。
仕事柄、相談者にアンケート等でちょっとした文章を書いてもらうことがあるのだけれど、そこで、普段は押し黙っている人の心に言葉が溢れて煌めいているのを感じることがある。
或いは、平素はやや騒がしく落ち着かない様子の人の中に、静かで優しい言葉がお行儀良く並んでいることを発見したことがある。

その時、いつもの濁りが澄み切って、その人の深い泉の底まで見渡せたような錯覚に陥ったりする。
あくまでも錯覚だ。
人の気持ちなんか、本当は見えやしないと、充分承知だ。

本当の心の泉は、とてもとても深くて、いくら覗いても底なんか見渡せたりしないだろう。

でも、その時の…覗き見出来たように感じた時、自分の心が震えるのがとても好きだ。
その驚きや感動を、すぐさま本人に伝えたくなって、居ても立っても居られなくなる。



面白いことに、逆にね、言葉は割と達者なんだけど、書いてみてよ?とお願いすると、一向に進まない人も、いるのね。

単語だけが、紙のど真ん中にポカンと浮かんでたりする。

何なのよ?
私は問いかける。
それは、彼にとって決していい加減に出した単語ではないをあたくしは知っている。
彼が何日も何日も必死に考えて、探して、ようやくひねり出した言葉なのだ。

その子の泉には、言葉より感情が満たされている。
言葉を獲得する以前の、混沌とした感情がヒラヒラと漂っている。

感情にピッタリの言葉が見つからない。
何か間違ったことを言ってしまわないか、上目遣いにこちらの表情を伺いながら、ソロリソロリと言葉を出す。

申し訳ないことに、あたくしは短気なので、思い当たる言葉を矢継ぎ早に繰り出す。
自分の言葉にピッタリな言葉が出てきたら「それ!」って言ってね?

「あーそれ! そんな感じ!」
憂鬱そうな顔で聞いていた相手がパッと顔を輝かせて、同意を示す。
あー良かった。あなたの心に対応する言葉が、ちゃあんと見つかった!
目の前のあなたは、自分の気持ちにピッタリな言葉に出会えて本当に嬉しそうだ。

「メモするから、もう一回言ってください!」

…だがしかし、小鳥並みの記憶力しか持たない私は、悲しいことに、その彼の心にピッタリの言葉を再現することが出来ないのだった。
うーん何だったっけ?

相手は、何で忘れるの? 何でもう一回言えないの?と、不満顔になる。ぶっちゃけ少し怒っている。
すまん、本当に思い出せない。
面接の時の自分は、右脳優位になって、左脳おまかせの言語は自動モードで繰り出せれていたりするのだよ(笑)。

気持ちに当てはまる言葉がこの世にあることは分かったよね? あとは自分で思い出すなり探し出すなりして?
そうやってあたくしは狡猾な大人的に誤魔化し笑いをして、相手を置き去りにしてみる。
自分で見つけられた時の方が、ずっと嬉しいじゃない?




ずっと黙ってる子がいて、「恥ずかしいの?」と聞いたら、「全然」と答えて、
「でも、こんな風に言葉が出ないなんて、変なんだろうな」と呟く。

言いたいことがないわけじゃなくて、感情がないわけじゃなくて、ただ、どうしたらいいか困って、苦笑いをしながら彼はそこにいる。

「全然変じゃないよ」とあたくしは言う。
「あなたのことを変だと言う人がいたとしても、それはそれを言った人の考えに過ぎないんだからね?」
その辺は、あたくしはもう必死なのだ。
この時の、自分の泣きたいくらいの必死さは何故なのだろう?
「そんな他人のことはどうでもいい。どうやったらあなたは楽になるの?
わたしに教えて下さい!」

どんな風な自分なら、あなたは自分に自信が持てる?
すでにあなたは深い泉を持っている。
あたくしはその泉に興味津々なんだ。
さぁ、差し支えのない程度に覗かせてくれない? と、あたくしは目の前の人にお願いをする。