笑っちゃうほど、変わらない。
みなさま、健やかにお暮らしですか?
あたくしもなんとか「こっち側」で暮らせてる。ありがたや。
この一年近くの間、困り果てて、夏の終わり頃、一度だけ愛する心の師匠、カウンセラーに再び会いにいった。
どんな気持ちになるのだろう? 正直言うと、自分は期待をしていた。会った途端に安堵からブワッと涙が出て、瞬時に浄化される…みたいなことを。
ところが、そんな面白いことはもちろん起きず、何だか、日頃の愚痴や最近観た映画の話といった上っ面をなでるような話が続き、予定の時間はあっという間にやってきた。
「ちゃんと出来てるよ。大丈夫だよ」先生は笑ってた。
だけど、あんなに心を揺り動かした存在が、もう自分の心に何の変化も起こさないことに、軽い失望を受けてあたくしは懐かしいお部屋を出た。
「また辛くなったら来なよ」と先生は言ってくれたけど、自分はそんな風には思えなかった。
あれだけ、「もう少しだけ居たい」と思った空間だったのになあ。
例え話としては変だけど、憧れの先輩に何年後かに再会したら「何で好きだったんだろう?」と奇妙な気持ちになる気持ちに似てる。学生時代に足繁く通った店に久々に行ってみたら、なんだか懐かしさより違和感の方が大きかった…そんな感じにも似てる。
いつか、先生が言ってた様に、やっぱり「自分の中に、安全な場所を作らなければならない」のだ。
自分の煩悩の種、あたくしにとっての愛情を引っ掛ける釘、逆転移の彼もゆっくりと遠ざかりながら、まだ視界の内にある。
彼が何を考えているのか分からないけど、まだ時折、あたくしに向かって変わらぬ笑顔を見せたりもする。
厄介な女の子とお近づきになる癖は相変わらずで、耳にすれば、ついあたくしは辛めの口出しをしてしまうから、自然、彼は次第にそうした話はしてくれなくなった。
大人になるって、そういうことだ。
変わらないワケないだろうに、うっかりあたくしは錯覚する。
まだ、イザとなったらあたくしを頼ってくれるんじゃないだろうか? とか、愚かな期待している。
そうして、彼の大切な時間に侵食している自分の存在に罪悪感も感じている。
最近、何かにつけ、また、心臓がシクシクするのだ。
理由なんて分からないし、あらゆるリラックス法が効かない。
眠れない日があり、時折、動悸が襲い、ウワーッと感情が溢れそうになる。
あたくしは、何にも変わっていない。全然、進歩していない。
というか、正直、少し退化している。
それでも、手を伸ばせば大切な人に手が届くこと、人の縁に恵まれていることに、感謝しながら暮らしている。
一応、年の初めに2023年の抱負を考えたりした。
今年こそ、怒ったり、あれこれ言わずに、出来るだけ黙って成り行きを見る。
その分、自分が本当にやりたい事に時間を割く。
怒らない自分なんて、自分じゃないみたいだけど、きっとできる。
時間がない。今年は、本当にやりたいことを優先させるんだ。