その気持ちの名は「支配」。
その日のあたくしの気持ちは重かった。
少し前からなのだけれども、時々カウンセリングに行きたくない気持ちが沸き起こっていることを自覚していた。
あんなに好きだった先生に、言えない気持ちが膨らんでいることに戸惑っていた。
しかし、やはりその日もカウンセリングに足を運び、話題の中心は、あたくしの逆転移についてになった。
なぜ、他でもない彼に深く感情移入してしまうのか分からない。それがどうしてなのか自分は知りたい。そうして、彼の一挙一動を見守りたい気持ちを、もっと巧妙に制御したい。
話しているうちに、その日は久々に泣けてきた。
「彼はどちらかというと恵まれた家庭の子で、自分がいなくとも、他の誰かの助けが得られる子だということは分かっている。自分の担当している子の中には、天涯孤独な方や貧困家庭の子、親からネグレクトを受けて育った子もいる。だけど、そういう子らではなく、最も気になるのはなぜか彼なのだ。誰よりも、彼を大切に思っているのは自分だと思いたいのだ。これは一体何?」
その日の先生の顔は渋かった。この話題をする時、時折見せる嫌悪感を、今日は全面に出していた。先生は、あたくしの告白に、嫌な気持ちになっているようだった。
「君の話から感じるのはね…」と先生は口火を切った。
「支配だよ」
その言葉に、あたくしは驚き「えっ…」と口ごもったけど、涙は引っ込み、すぐに顔は凍りつき、みるみるとお腹に黒雲が広がるのを感じた。
それは、その指摘に図星な部分があるからなのだろう。そして、そんな意地悪な先生に自分は腹を立てたのかもしれない。
そんなタイミングでカウンセリングの終了時間が来た。厳密に言うと、一瞬のようであったがその時間は濃密で、予定時間を少し過ぎていた。
お財布からカウンセリング代を出すときのヨソヨソしい所作で、自分の怒りの深さが分かった。
あたくしはカウンセリングの帰り際も、いつも名残惜しそうにするのだけれども、「ほんじゃ」という感じでそっけなく退出した。
一晩経っても自分のモヤモヤは消えなかった。それどころか、「もう、カウンセリング行きたくないな」と思ってしまった。どうしたことだろう、何年も月に2回通い続けてたことを、こんなにスッパリと止めたくなってしまうなんて! 今までだって、手痛い指摘を受けて、何度も泣いたではないか? そうしてその涙はいつも心地よかったのに。
今は辛くて辛くてしょうがなかった。
あたくしは先生に「カウンセリングを一回休みたい」と連絡した。
まさかこんなことで終わってしまうのか? どうするんだ自分? と思いながら。
逆転移の彼に対する愛情の気持ちを「支配」と言われたなら、自分はもう人を愛する資格がないように思えた。
自分はもちろん自由な彼を愛しているし、自分も自由でありたいと思っている。
でも、自分が感じるまま思うままに振る舞った結果、「支配」することになるのなら、自分はこの先、どの様に自分と折り合いを付ければよいのだろう? 人前で自然に振る舞えるのだろうか?
職場の先輩に、このカウンセリングのくだりを交えながら逆転移の件を相談した。
先輩は、ゆっくりと「そうかな? あなたが支配したのかな?」と問いかけるようにつぶやいた。
そうして、「そうではなくて、あなたが彼に支配されたいのではないかな?」と言った。
なるほど、それは「彼にずっと頼られていたい」という欲だ。
それなら何となくしっくりするような気がする。
いつかは手放さなくてはいけない相手に対し、どこか、いつまでも頼られたいと思っているのだ。この先、彼に何か困ったことがあった時、助けを求められる人になりたいのだ。
逆転移は不思議だ。
先生は「共依存は、支配したい人と、支配されたい人が噛み合った時に起きるのだよ?」とおっしゃた。
だけど、職場の先輩が言う様に、あたくしと彼との主従関係は確かに彼が支配する側なのだ。あたくしではない。
彼はあたくしに助けを求め、容赦してくれる様に懇願し、とびきりの笑顔で甘えてくる。
事実はどうなのか分からない。あたくしがそんな風に望んでいるからそう感じるかもしれないけど。そうして、あたくしが彼に支配されるとしたら、それはあたくしの望むところなのだ。
共依存の本を買い込んだ。
カウンセリングは卒業なのかもしれないと思った。
もしかしたら、底なしの悩みを抱えながらでも周囲の人に助けられたなら、カウンセリングなしでもう少し先に行けるのでは?と考えた。
そんな、梅雨明け前の出来事のお話…。