ひとさらい。
ある日、夫から「人間のクズ」と言われた。
「自分の奥さんつかまえて、“クズ”呼ばわりかよ?」
あたくしは瞬間的に煮え繰り返った。
その日の夕飯は台無しになった。
考えたこともなかったのだけど、
いや、実は薄々気が付いていたのだけれど、
今の職場には配置転換があったのだ。
要するに、少しお仕事がマシにできるようになると、
他所の仕事場に異動させられるのだ。
それがサービスの均一化に一番手っ取り早い。
だけど、あたくしはその命令に激しくゴネた。
実際に少し前からそうなのだけれども、
「今、自分はものすごく具合が悪い。
そんなことになったら、あたくしは壊れてしまうかも?」
と、脅してみたりした。
しかし、偉い人はそんな言葉には微動だにもしない。
壊れない程度にやってくれれば大丈夫だから(笑)とか言って。
いや、本当のこと言いますよ?
自分は現在の担当の子を放り出しては行けません。
もうちょっと、もうちょっとだけ、待っていただけません?
そうしたら、
「待てないが、そんなに気になるなら、連れて行けばいい」と偉い人は言う。
「全員ってワケにはいかないけどさ、いいよ?」
断りの口実で放った言葉に、思わぬ返答を受け、あたくしは激しく狼狽した。
夫があたくしを「人間のクズ」と言った理由はよく分かる。
あたくしは、自分の葛藤を、相談者にそのまま背負わせたからだ。
あたくしは、実際にあたくしの相談者の何人かに選択をさせたのだ。
「あなた一人が、忽然と消えればいいのに、なんでそんな残酷なことができる?」
夫はそう言った。
なんで? そんなの理由は明確だ。
最後まで、見届けたいから、それだけ。
「次の面談までに決めておいてくれない?
あたくしとの相談を続けたいなら、他所の場所に足を運んで欲しいの」
そのときのあたくしは、どんな顔をしていただんだろう?
冷静さを装っていたけれど、挑む様な顔をしていたかもしれない。
いや、自分は絶対にものすごく怖い顔をしていた!
すでに、食事が喉を通らなくなっていた。
これではいかん、と、カロリーメイトやゼリー飲料、ヨーグルトなどでしのいだ。
酒も…夜は「液体おにぎり」と称して、日本酒をちびりちびりと飲んだ。
どうしても、明け方の変な時間に目が覚めてしまう。
これはストレス時の一時的な反応だ、と自分に言い聞かせた。
彼らがあたくしを卒業して、他の担当に相談することになっても、きっと彼らは、新たに信頼関係を作り、何とかやっていけるんじゃないかと頭の隅では思っていた。
だけど、あたくしは単純に別れが辛いのだ。
とても耐えられそうにない。
この緊張が続いて、病の域に達したら、自分は全てを諦めよう。
そして、その判断が自分でできるよう、分別だけは最後まで手放すまい、と決心した。
かくして…、
ここで何度も登場した煩悩のタネ…彼だけが、自分との相談継続を希望した。
「あたくしを選んでくれたことを後悔させないよ」
と、あたくしは言ったが、これはそのまんま、愛の言葉ではないか?
ある職場の方は、あたくしと彼のこの繋がりを「共依存的」と評した。
そうに違いない。
彼があたくしを必要としてくれたように、今回、あたくしも改めて彼を必要としていることを強く感じたからだ。
でも、それはそんなに悪いことなんだろうか? あたくしには分からない。
親子や夫婦や恋人同士や友人間で、互いに必要とし合うことは、いくらでもある。
そういう関係じゃないから、否定的に捉えられるのだろう。
やっぱりあたくしは「人間のクズ」なのかもしれないし、少なくとも相談を受ける人として失格なのかもしれない。
あたくしは、ひとさらいだ。
秋が終わり、冬に移る頃、我々は新天地に向かう。
自分の煩悩の底知れなさを恐れながら、あたくしは彼が巣立つまで守りきろうと決意した。