心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

美しい絵。

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あまりにも仕事に入れ込みすぎて、ついに夫様のお叱りを受けてしまった。
「帰ってくるなり、仕事の話ばかり」と。
はい、その通り、ごめんなさい。
「聞いてあげたいけれど、もう冷静に聞けないよ」

夫様は本当に努力して、ギリギリまで共感をする努力をしてくれていたに違いない。
だけど、誰しも、目の前の自分を無視して、誰かにご執心な気持ちを喋りまくる人と接するのは嫌だろう。
あたくしの話っぷりは熱を帯びてて、嫉妬心を駆り立てるようなものだったかもしれない。
しかも、自分は無意識に意図的にやらかしていたんだと思う。 あたくしの愛が、いかに溢れんばかりに有り余っていて、どこでどう使っているか…みたいな。

カウンセリングを受けて、心の蓋が取り去られたら、自分の中から「誰かを愛したい」という気持ちが無限に湧き出てきたのだ。
自分がどんなにくたびれ果てようと、心の奥底にはその愛が脈々と流れていること、無限にあること、をカウンセラーの先生からあたしくしは教えていただいた。
それは、ちゃんと受け取ってくれる人に注ぎたい。



あたくしは夫様に言った。
「自分も大人だから人が嫌ということはしたくない。
 だから、家ではもう仕事の話はしないよ」と。

でも、アルコールが入っていたのもあり、素直に謝ることができなかった。
「だけどね? わたしは子どもが欲しかった。
 子どもがいたなら今の仕事はしていない。
 あぁ、子どもがいたらこんな感情を味わえるんだろうな、
 と、少しでも勘違いできる、今の仕事が好き」

それを聞くと、同じくアルコールが入っていた夫様は、泣きそうな顔で言った。
「ごめんなさい、本当にすまなかった、再婚したのは間違いだね」
それを、噛みしめるように何度も言った。

「知らん」
あたしは、そういう話の流れは大嫌いだから、サッサと遮ってしまう。
「過去のことは、もうどうでもいい、自分的には、この先をどうするかなの」
この、20年近くの想いを片付けるのに、あたくしがどれくらいカウンセラーに金銭を突っ込んでいると思う?
それだけでなく、占いや気功や、瞑想やその他、様々の自己啓発の類。
どんだけオロオロして涙を流したり、イライラと恨んだり、それらで自己嫌悪に陥ってきたか…。

そのエネルギーをもっと生産的なことに使えたなら、もっと遠くに行けたかもなあ、とも思う。

今の境遇を選んだのは、そして、今も甘んじているのは、あたくしの弱さからであり、誰のせいでもない。
それは、分かっているんだ。
もうそんなに夫様のことは恨んでない。
自分の弱さが恨めしいのだ。



「で、どんな話をわたしとしたいのよ?」
と、あたくは夫様に聞いてみた。
「美術館でモネやってるね…一緒に行こうか?…的な…」

その言葉で不覚にも、あたくしのハートは再び怒りでグラグラ煮え立ちそうになる。
思い切りの恨みつらみが罵声とともに喉までせり上がってくる。
でも、それはどうしようもない価値観の違いであり、20年かけてもどうしようもなかった二人の感覚の差なのだ。

モネを見るならパリに行きたいなあ~とあたくしは思う。
モネ美術館の睡蓮の絵がぐるりと飾ってあるお部屋の真ん中に立てば、まるで自分が池の真ん中に浮かんでいるような不思議な感覚になれる。

もうあたくしにとって、夫様と共有したい時間は余りないのか?

遅くに仕事から帰ってくるあたくしを、夫様は手料理で迎えてくれるのだ。
それだけでもなんとありがたいことだろう? でも、その温かな手料理にウンザリし、早く布団に潜り込みたい時があるのも真実なのだ。
そんなこと言ったら、罰当たりすぎて、ブッ飛ばされるだろうけれど(笑)。

ごめんなさい、夫様、あたくしは今、モネの睡蓮より美しい絵を見てるんです。
それは刻々と変化しながら、ますます美しくなる絵なんです。