逆転移? 終わりませぬ!
こんにちは。1ヶ月以上のご無沙汰です。
コロナの影響で時間が出来たせいもあり、あれからの自分は、思い悩んでいるばかりの、ますますダメ人間になってます。
ついに心の師匠であるカウンセラーに辛い気持ちを打ち明けた。
「ダメです。どうしても彼が好き…」
好きなのは、自分が担当する、自分の子どもほどの年齢の男の子だ。
泣き言を言いながら、必死に言い訳する。
「気のせいなんです。
自分の歳もわきまえている。
それに彼はちっともあたくしの好みの顔ではない。
先生を好きになった時のように、幻だって知ってるんです」
なぜ、結構なカウンセリング料金を払い、自分とカウンセラーの大切な時間を使って、こんな下らない話をするのか、自分でも全く理解できない。
あはは、とあたくしは自嘲する。
彼を理解し助けようとする支援者としてのあたくしに、彼は誠実に接してくれている。
もちろんそれ以上でもそれ以外でもない。
もし、彼があたくしの気持ちを知ったなら、どれほどドン引きするだろう。
あたくしが、異性を見る目で彼を見ていると知ったなら、どれだけ不気味に思うだろう。
虐待だと思われるかもしれない。
「人を好きになるのに、年齢なんて関係ないよ?」
と、カウンセラーの先生は優しく言って、
「彼のどこが好きなのさ?」と聞いてくる。
ああ、最悪だ! 最悪に恥ずかしい!
「彼はですね、いつもあたくしが一番欲しい言葉をくれるのです。
もちろんそれは、彼があたくしを思って言ってくれる訳ではなく、誰にでもそうだと知ってるんですよ?」
でも、うかつにあたくしは甘い気持ちに酔いしれてしまう。
「彼の優しい気持ちが好きなんだね?
その気持ちの根底にあるのは、何なの?」
あたくしは、このプレイに耐えられず、正直逃げ出したい。
それは、もう何度も話した。
その根底は、底なしの寂しさだ。
あたくしは、寂しさに向き合えない。
ないことにしてしまいたい。
「彼に、申し訳なくて、申し訳なくて、
こればかりはするまいと思ってるんですけれど、
実はこの仕事を投げ出したいのです」
そんなのは、絶対に嫌!と思う気持ちと、情けなくも逃げ出したい気持ちが同居してる。
最近の彼は、自分の前では、正直に怒りや不満を口にするのだ。
それに、すでにあたくしが、自分の気持ちを100パーセント汲んでくれるような万能人間でないことを理解しているのだ。
「あなたの考え方と、僕の考え方は違います!」
彼が不満げに異を唱える時、自分は内心「ここまで成長したんだ!」と嬉しさに泣けそうになる。
「じゃあ、あなたの考えとやらを、分かりやすくお話しするんだなっ?
あたくしはあなたのイタコじゃないんだし!」
あたくしも負けじと挑発する。
彼は子供っぽく口を尖らせて怒ってるのだけれど、そんな時、嬉しくて寂しくて泣けそうになる。
もう、自分は、いらない、いらない、いらない。
春先から、彼とは何度も喧嘩したのだ。
彼自身は恥じているけれど、怒っている時の彼は、最高に素敵だ。
明るく笑ったり、何かをこらえて頑張っている時と同様、怒っている時の彼もキラキラ輝いている。
そんな風に負の感情を出せることは、彼の様々な心身の不調を改善させると、あたくしはずっと前から知っている。
そうして、そんな読み通り、彼はどんどん“耐えられる”ようになっている。
だって、自分がカウンセリングで辿った経緯と同じだもの。
あたくしはカウンセラーの先生にしてもらったことを、できるだけ彼にも与えたいと思ってきた。
先生は、あたくしの気持ちを一つも否定しなかったけど、
「無理、と思ったら、手放すのも大切なことだよ?」と救いの手を差しのべた。
それは彼とあたくし、双方にとって悪いことではないんだと。
「お仕事は続けて? 君に合ってるじゃない?」
師匠は慰めてくれる。
あたくしは、それでも、どうしても手放せないのだった。
彼があたくしの熱苦しさに耐えかねて「No」と言うまで無理だと思っているのだ。
早くどっか行ってもらいたいと思っているのだ。
自分からはどうにも踏ん切りがつかない。
そのダメさ加減が自己嫌悪を募らせるのだった。
カウンセラーに秘密を持つ。
あっと言う間の1ヶ月でした。
1ヶ月前までは、自分のことばかり考えていた。
「逆転移の彼」との別れが避けられないなら、その先、どうしよう? とか、
底なしの寂しさを紛らわせるために、あれしようこれしよう、とか。
ところが、世の中がこんな風になって、お別れどころか、「逆転移の彼」がメンタル的に参ってしまった。
こうなってみて、初めて分かったことなんだけど、どうやら自分の場合はこんな時、全般性不安障害的な不安はなりを潜め、変な底力が出てくるようだ。
誰かを守らなきゃ、と、自分から焦点が外れると、途端に冷静さが訪れた。
かくして、現在のあたくし、導眠剤が不要になり、細くなっていた食欲も戻り、心身の健やかさを取り戻しつつあるのね。
これは何なんだ?
実は、こんな場で打ち明けるのも変な話だけれども、カウンセラーに秘密ができたようだ。
自分は、今のこの気持ちを、カウンセラーに相談したくないのだ。
「できない」のではなく、「したくない」。
いつもの自分なら真っ先に先生に相談して、どうしたらいいか答えを聞き出そうとしていただろう。
今まで、これまた可笑しなことだと思うけれども、何でもカウンセラーの先生にはお話できると思っていた。
あたくしはこれまで、本当に開けっぴろげに話してきた。
実際に「いや、話さなくていい」っていうこともカミングアウトしてきた訳だし。
だけれども、今の気持ちは先生と話したくない。
なぜ彼がメンタルダウンしたら自分が元気になるのか…その気持ちに向き合いたくない。
先日、彼は、あたくしの目の前で初めて悲しみを表現したのだ。
笑いで誤魔化すことなく、怒りで武装することなく、身を投げ出して、打ちひしがれている様子を無防備にさらけ出した。
それは、彼が自分の殻を打ち破って、人や自分自身をこれまでより少しだけたくさん信じることができる様になった、成長の証だ。
そんな彼を初めて目の当たりにした時、自分は強く狼狽するとともに、妙な安心感を感じてしまったのだ。
ずっと、伴走し、見守ってきた彼。
その彼が、疑いもなく自分を信頼してくれてると分かった時、自分の中に広がった喜びには、誰かに言い訳しなくてはいけない気持ちが含まれている。
その気持ちに罪悪感を感じている。
恥ずかしさを感じているし、こんな話をしたら先生に「叱られる」と思っている。
実際に叱られるだろう。
「その気持ちを、楽しんでいるね?」と。
あたくしが全般性不安障害になったきっかけは、夫のメンタルダウンだった。
あの時、自分は、夫が死んでしまったらどうしよう…と不安になるあまり、病んでしまったのだ。
今、自分は、同じく大切な人の精神的な危機に接して、病むどころか、しっかりしなきゃ!と自らを奮い立たせることが出来ている。
あの、20年近く前の出来事と、ほぼ同じ境遇だろうに、この違いは何なのか?
先生に話したいのだけれども、きっと話せないのだ。
話したら、きっとあたくしは恥ずかしい思いをするに違いない。
こんな気持ち、持ってはいけないのだから。
そう、知っている。
問題なのは出来事ではなく、その出来事の捉え方だ。
20年前、自分は夫のメンタルダウンに、「自分はどうなってしまうのだろう?」と自分に対する不安を募らせたのだった。
今は、自分よりも、逆転移の彼のことが心配なのだ。
タイミングは最悪だけど、自分にとって自分よりも大切な存在が出来たのだ。
相談に乗ってもらった友人の中には、これを母性と呼ぶ人もいる。
でも、彼との関係を考えると、それはとても儚いものなので、あたくしは途方にくれている。
もっと確固とした関係だったら、どんなに良かっただろう。
なぜ、相談する側とされる側が、それ以外の関係を持ってはいけないのか…。
それは、双方の利益に反するからだ。
二重関係は、相談する側には混乱を生み、相談者される側としては冷静なる判断を阻害する要因となる。
いいことなんてないのだ。
彼を愛おしく思うのなら、彼を壊さぬ様、上手くやり過ごさなくてはいけない。
だけど、自分には「もう少しだけ」というイヤラシイ気持ちがある!
だから秘密にするのだ。
きっと、過去のお話
になるまで、ずっと。
「寂しさ」に向き合ってます。
ご無沙汰でございます。
やはり、昨年末より溜め込んだ疲労は、ジワジワとあたくしの神経を少しずつ削り取り、なす術もなく、あたくしは少しずつ弱っていった。
少し前から不眠を訴えて、一番軽い導眠剤を服薬していたのだけど、それでは間に合わなくなってしまった。
2時間おきに目覚めるようになり、早朝にも目覚めるようになった。
危機感や焦燥感を感じるようになったと訴えると、優しき主治医は、短時間用と中くらいの時間用の2種類の導眠剤を、「量は自分で調整しながら飲んで」と選んでくれた。
それは、あたくしにとって断薬するのが一番困難だったのが導眠剤と知っている主治医ならではの処方だと思う。
今、倒れるのは困る。
担当のあの子、「逆転移の彼」がいるから。
そんな風に、現在のあたくしにとって気になるのは、自分のことじゃないかったりする。
自分のことを後回しにしていたからこんな事態になったようにも思えるのだけれど、その思考回路はなかなか変えられない。
2年前の秋の終わり頃、あたくしのカウンセリングにおいて、今思ってもとても大切な局面が訪れた。
それは「自分の弱さを受け入れる」ことが出来た日のこと。
こんな書き方をすると、なんだか安らかで穏やかだけれど、実は決してそうではなく、ジリジリと事の本質から逃げ回るあたくしに業を煮やしたカウンセラーの先生は、あたくしの首根っこを“むんず”と押さえつけて、「あたくしは弱いです」そうして「あたくしは弱さを愛します」と言わせたのだ。
それは甘美で心地よく、開放感を伴う屈服で、あたくしはさめざめと泣き、安堵に包まれたのだった。
あれからの自分は、少し強くなれた。
なぜなら、事前に「自分は弱いです」と宣言できるようになったから。
自分の弱さへの恥ずかしさが軽減しただけで、その「自分の弱さを取り繕うこと」にメモリーを使わずに済む様になり、それからあたくしは、少しだけしなやかになれたように思う。
自分の弱さを受け入れられたことで、あれから何度、精神的な危機を乗り越えられたろう?
現在の克服すべきテーマは「寂しさ」だ。
この、そこはかとない「寂しさ」のために、これまで自分は取り返しのつかない大きな過ちを何度もしてきたし、今だって懲りもせずに格闘し、疲労と脱力感でクタクタに成り果てている。
不幸中の幸いは! 「逆転移の彼」が、あたくしのこの暑苦しい感情に巻き込まれることなく、しかも信頼関係を損なうことなく、絶妙な距離感を保ちながら成長してくれていることだ。
これは自分の技量ではなく、彼の天性のバランス感覚と器量の良いところによる、と思う。
今、あたくしの体裁を保っているのは、彼の聡明さによるものなのだ。
しかし、これは自分でも流石に「まずいな」と思っている。
何しろあたくしの仕事は、彼を人生の次のステージに立たせることなのだ。
本当に近々、あたくしと彼は別れを迎えるだろう。
これは運命である。
あたくしにはこの別れを乗り越えるタスクが待ち構えている。
今のあたくしにとって、彼の存在は本当に邪魔っけで、そして恐ろしい。
彼の成長にとっても、今や自分は足手まといに過ぎないだろう。
あたくしは今度こそ自分の「寂しさ」に対峙して克服したい。
2年前のいつかのように、爽やかな涙に濡れながら、今度は自分の底なしの「寂しさ」から卒業したい。
その時のあたくしは、「弱さ」を克服した時の様に、大泣きして、何か温かいものに包まれて、今の自分よりもっと自身の「寂しさ」とともに居れるようになるのだろうか?
ジタバタと悪あがきをしたりして、ドツボにハマらない人になれるのだろうか?
職場の移動からホッとする間もないうちに、上級職への研修の予定が入ったのだ。
これは、この先、自分がもっと未知の世界に行く予告であるので、正直オロオロしている。
今度は彼がどんなステージであろうとも、連れては行けないだろう。
もう、人さらいはできない(笑)。
あの一連の緊張感を振り返ると、もう二度とあんなことはするまい、と思うけれど。
「逆転移の彼」が、最近は、本当に自分に率直に気持ちを打ち明けてくれるようになった。
最初の、世間を疑いまくっている野良猫の様な荒んだ瞳はなりを潜め、穏やかで、少しはにかんだ表情で、時に真剣に、あたくしが聞きたかった真実を、その時、本当の彼はどんな気持ちだったのかを、彼はそっと話してくれる。
こんな風に自分の過去や現在の心境を飾ることなく言えるようになった彼は、きっとこの先も上手くやっていけると思う。
こうやって話す時間が、機会が、これまでの呪いの魔法を解いて、彼を自由にしてくれることを切に願う。
この先ずっと彼が、ふと引きずり込まれるような得も言えぬ恐怖に襲われ、夜更けに眠れなくなることがない様に。
あぁ、いや、問題は自分の「寂しさ」の件だ。
そういう訳で、現在の自分のミッションは「寂しさ」の克服だ。
また、カウンセラーの先生に泣かされるのかもしれないし、今度はもっと上手く乗り越えられるかもしれない。
でも、いずれにしても「逆転移の彼」との別れは、大きく関わってくるだろう。
近しい人は皆あたくしのこの先を心配してくれている。
「この先に訪れるであろう、あなたのロスの衝撃が心配よ?」
その通り! あたくしも不安でたまらない!
また絵でも描き始めようと思っている。
春からは、国家資格の勉強も本格化させようと思っている。
実は、寂しさのあまり、猫でも飼おうかとかも思っている。
これは本質的な解決にはならないのだろうけど、それくらい切羽詰っている。
一つ言えるのは、今もあたくしは七転八倒しながら、何とかやり過ごせていることだ。
ありがたや。
ありがとう、先生。
ありがとう、「逆転移の彼」。
そうして、ありがとう、この文章を読んでくださっているあなた。
その湖を愛するなら。
人というものは、その人が会う人の数だけ、違う顔を持っていると思う。
もちろん、一人の時の顔もあり、それはその人にしか分からない。
一人の時の顔なんて、その人が自分を客観視することができれば、の話だけれども。
あたくしは、今年、たくさんの愚かな失敗をしたが、恐らく最大の失敗を先日、した。
大好きな逆転移の彼に対して、交友関係に口を出してしまったのだ。
「その人とは距離を置いた方がいい」みたいな。
もちろん彼に相談され、「その人とは今後、どうしたらいいでしょう?」と聞かれたから言ったのだ。
「あくまでもあたくしの意見だよ?」と、念を押して、あたくしは言ってみた。
だけど大失敗だ!
だけど、一度、口から出たことは引っ込まない。
このことは、カウンセラーの先生にも告白した。
「言ってる内容自体は悪くはないんじゃないか?」と先生は言ってくれた。
あたくしは、彼に「できるだけ健全な心の人と付き合ってもらいたい」と言ったのだ。
その友人は、異性だったし、心も暮らしも荒んでいる。
あたくしは、そんな人が彼の心に寄りかかり、彼を蝕むのを過度に恐れた。
全般性不安障害だ(笑)
この文章を読んでいる人の中には心が病んでいる人もいるだろうから、今日の文章は、嫌な気分になるかもしれない。
ごめんなさい。
あたくし自身、2週に1回カウンセラーに話を聞いてもらわなければ心を保てない人間だし、自分だって健全な側の人だとは少しも思っていないのだけれど…。
その友人に対しては、どうしても、許せないことがあったのだ。
少しあたくしは怒りを出してしまったかもしれない。
失敗だな、と思ったのは、それからその友人とのやりとりについて、逆転移の彼がその後、自ら話すことがなくなったからだ。
質問すれば誠実に話してくれるのは分かっているのだけれど、自分は後悔の念でいっぱいで、もうそんなことは二度と言うまい、水を向けるまい、と思った。
彼がその困った友人と今も交友関係を続けているのを、あたくしは知っている。
それは、何もあたくしに嘘をついたり隠したりしているのではなく、恐らく、彼の交友関係に意見した時のあたくしが、思わず心を波立たせたのを見てしまったからだと思う。
それが、彼を思う気持ちからであったのはもちろんであるが、そこには実は嫉妬だって含まれていた。
その嫉妬心は、もちろんカウンセラーの先生に見抜かれてしまったし、繊細な彼だって気付いたろう。
そういう訳で、あたくしは何でも話せる人でありたかったのに、自分からその関係を壊してしまったのだ。
何にしても失格なのだ。
それなのに、彼との面談は表層的に陥ることなく、その交友関係だけを巧妙にマスキングして、不思議なことに、さらにも深まっている…ように思える。
面談で彼は、小学生の時の話をしてくれた。
小学生の時に、してみたかったけど、恥ずかしくてどうしてもできなかったこと、なんかの話をしてくれた。
そうして、自分も小学生の時の話をした。
あたくしも、こんなささいなことがどうにも恥ずかしくてできなかったよ、と。
それから、今なら大丈夫、あなた、出来るんだよ? と励ました。
心の奥底で、自分には彼をどうすることもできないことは理解している。
彼が新しいことを感じたり体験するのを止められないことは分かっている。
失敗するかもしれないと止めさせようとするのではなく、失敗しても変わらず温かく受け入れられる人になりたいのだ。
自分の言いなりにならない人は助けたくない、と言うつもりもない。
そんなことはあたくしの理想じゃないし、彼には求めていない。
自由で屈託のない、素直で律儀な彼が好きなのだから。
だけど、ただ苦しいのだ。
あたくしは、静かで清らかな水をたたえた「彼」という湖が大好きだ。
だから、その湖を愛するなら、形を変えようなんて思ってはいけない。
ただ、ほとりに佇んで、湖面のさざ波を見守っていたいのだ。
その湖の存在を愛おしく思いながら。
「もう、誰も愛せないんです!」とカウンセラーの先生の前で泣いたことがある。
「愛している時の気持ちが邪魔っけで、切り取りたい!」と訴えたこともある。
しかし、それに比べたら、今の気持ちは、辛いけれど、何と甘美なんだろう。
「悪いな、と言いながら、君はそれを甘美な気持ちとして味わっているね?」
と、先生はあたくしを諭した。
もっと、ちゃんと反省しなさいと。
皆さま、Merry Christmas !
今日、きっと彼は、あたくしが「距離を置いて欲しい」と言った人と会っている。
そこで彼は、あたくしの前で見せる顔とは別の顔をしているに違いない。
だけれども、あたくしの前の彼だって、本当の彼なのだ。
誰だって、他の誰かに取って代わることなんてできない。
自分は自分として、自分の役割を全うして、丁寧に向き合っていくしかないんだ。
初志貫徹しかないのだ。
※あまりに逆転移が苦しくて、ついにこの本に手を伸ばしてしまった。愛することはテクニックだとこの本は説く。だったらテクニシャンにならなきゃね、と妙齢の女性は強く思うのだったよ。
嫉妬と種明かし。
あたくし的には「怒り」よりも良くない感情は、「嫉妬」だと思っている。
怒りはまだいい。使い道のある感情だと思う。
しかし、「嫉妬」はどうなんだろう?
あれをまともな方向に向ける術を、あたくしは未だに知らない。
とはいえ、この年齢になると、嫉妬という感情を感じることすら稀になっていた。
嫉妬という気持ちは、そもそもは若々しい瑞々しい感情なのかもしれない。
誰かと自分を比べ、自分が持っていないものに悔しさを感じなければ、沸き起こらない感情だものね。
そういう意味では、誰かになりたいなんて思わなくなって、あたくしはあたくし、と思えるようになった昨今なのだ。
だがしかし、その感情はふとしたことで生々しく蘇った。
あたくしの、あの逆転移の対象の男の子が、他の職員に小さなプレゼントをしたことを知ったからだ。
その贈り物は、とある出来事のお礼で、それ自体は本当に微笑ましい出来事だ。
だけど自分は、愚かにも嫉妬してしまった。
それだけでなく、更にも愚かなことに、その嫉妬の気持ちを本人に伝えてしまったのだ。
「あたくしも君から何か欲しいよ♪ 久々に嫉妬という感情を味わっちゃった♪」と。
後ろの“♪”は、なるべく重くならないよう、冗談めかして言ったニュアンスを表している(笑)。
しかし、駄目だろう。
駄目でしょう?
駄目ですよね、先生?
「駄目ですね…。何で言っちゃうんですか?」
先生は本当にしょっぱい顔で、本当に情けなさそうな顔で、そう言った。
「嫉妬を感じた時、あなたは何をしました?」
「それは、いけない気持ちだと、消したいと、一生懸命思いました」
「でもさ、結局あなたは何もしてない。何もしないで、相手にぶつけたんですよね?」
その通り、言い訳もできない。
「…あの時は変なこと言ってゴメンね…って後から言うのも駄目ですよね?」
「それは駄目! 最悪だね! 完全になかったこととしてスルーしちゃって! そしてもう二度とそんなことを言ってはいけないよ?」
先生はあたくしの目の前で呆れ果てていた。
あたくしは戸惑い、自分がやってしまった事の大きさを薄っすらと思い知った。
「あなたがさ、いい支援をしたり、ちゃんと成長しているのは分かっているよ?」
先生は、そっと慰めてくれた。
「でも、嫉妬の気持ちは、脇に置いておけるようにならなきゃ、駄目だよ?」
そう、だって自分は、彼から無形のプレゼントをたくさん貰っている。
それは知っている。嫉妬するなんてお門違いだ。
しかも、あたくしは、前に通っていたところの職員とも知人とも、これかもずっと繋がってていいんだよ?
あなたが必要とするんなら、自ら求めてそうするんだよ?
と彼に指導しているのだ。
それなのに、とんだダブルバインドではござんせんか?
彼はあたくしの相談を受けるために、あの日から、わざわざ遠い所まで足を運んでくれているのだ。
それで十分じゃない?
それ以上の贈り物ってある?
ない。
そんなの分かってる。
それなのになぜ、形あるものまで欲しくなってしまうんだろう?
煩悩が深すぎる。
それが、ますます、ますます深くなってくような気がして怖い。
「分かるかな? あなたが、彼のどこに惹かれるのか…?」
そんなことは知らない。
それが分かったらこんな苦しい思いはしない。
「現実で、あなたが彼と友達になれないのは、分かっているでしょう?」
それは、本当は心の奥で理解してる。 親子ほどの年の差があって、どうして彼はあたくしを友達と認めてくれるだろう?
だいたい、こんな出会い方で、友達になれる訳がない!
「あなたの中の子どもが、彼の中の子どもと呼応して、仲良くなりたがっているだけなんだよ?」 それが先生の答えだ。
恋にも似た、何ヶ月にも渡った苦しみは、自分の中の子どもの仕業…。
「自分の中の子どもと仲良くなってあげなきゃ駄目だよ?」と、先生は言った。
それが、先生の出した答えであり、ご指導なのだ。
「欲しいものが手に入らない時は、自分の中の子どもの声に耳を傾けて、頭を撫でて “よしよし” してあげなきゃ?」と先生はアドバイスした。
あたくしは途方にくれた。
あたくしの中の子どもの暴走を止めなきゃならん。
しかし、あたくしは、その難しさもよく分かっている。
嫉妬にまつわる本を紐解いた。
そこには、ありのままの自分を愛しなさいと書いてあった。
ありのままで埋められない部分を他人で埋めようとした時に、嫉妬になるのだ。
嫉妬に圧倒されず、愛する人の自由を尊重しなさい、とある。
そりゃ、そうしたい。
そうしないと、自分と彼との信頼関係は崩壊するだろう。
そのために、あたくしは自分の中に「自分の子ども」をなだめる「寛容で保護的な親」を育てなきゃいけない。
これ、交流分析のエッセンスなんだけどさ、あぁ、難儀!
でも、やるしかない。
人生の課題山積…。
※交流分析は取っつきやすい、しかし奥深い、とあたくしは思う。簡単なテストから、自分の傾向を知ることができるのだけれど、翻訳の関係なのか、少しの文章のニュアンスの違いで、結果は大きく変わるのだ。だから、これはプロのお力を借りないとあまりアテにならないとは思う。が、しかし、この考え方はとても重要。 そしてそこから多くの自分の課題を知ることになると思う。ホントよ?
ひとさらい。
ある日、夫から「人間のクズ」と言われた。
「自分の奥さんつかまえて、“クズ”呼ばわりかよ?」
あたくしは瞬間的に煮え繰り返った。
その日の夕飯は台無しになった。
考えたこともなかったのだけど、
いや、実は薄々気が付いていたのだけれど、
今の職場には配置転換があったのだ。
要するに、少しお仕事がマシにできるようになると、
他所の仕事場に異動させられるのだ。
それがサービスの均一化に一番手っ取り早い。
だけど、あたくしはその命令に激しくゴネた。
実際に少し前からそうなのだけれども、
「今、自分はものすごく具合が悪い。
そんなことになったら、あたくしは壊れてしまうかも?」
と、脅してみたりした。
しかし、偉い人はそんな言葉には微動だにもしない。
壊れない程度にやってくれれば大丈夫だから(笑)とか言って。
いや、本当のこと言いますよ?
自分は現在の担当の子を放り出しては行けません。
もうちょっと、もうちょっとだけ、待っていただけません?
そうしたら、
「待てないが、そんなに気になるなら、連れて行けばいい」と偉い人は言う。
「全員ってワケにはいかないけどさ、いいよ?」
断りの口実で放った言葉に、思わぬ返答を受け、あたくしは激しく狼狽した。
夫があたくしを「人間のクズ」と言った理由はよく分かる。
あたくしは、自分の葛藤を、相談者にそのまま背負わせたからだ。
あたくしは、実際にあたくしの相談者の何人かに選択をさせたのだ。
「あなた一人が、忽然と消えればいいのに、なんでそんな残酷なことができる?」
夫はそう言った。
なんで? そんなの理由は明確だ。
最後まで、見届けたいから、それだけ。
「次の面談までに決めておいてくれない?
あたくしとの相談を続けたいなら、他所の場所に足を運んで欲しいの」
そのときのあたくしは、どんな顔をしていただんだろう?
冷静さを装っていたけれど、挑む様な顔をしていたかもしれない。
いや、自分は絶対にものすごく怖い顔をしていた!
すでに、食事が喉を通らなくなっていた。
これではいかん、と、カロリーメイトやゼリー飲料、ヨーグルトなどでしのいだ。
酒も…夜は「液体おにぎり」と称して、日本酒をちびりちびりと飲んだ。
どうしても、明け方の変な時間に目が覚めてしまう。
これはストレス時の一時的な反応だ、と自分に言い聞かせた。
彼らがあたくしを卒業して、他の担当に相談することになっても、きっと彼らは、新たに信頼関係を作り、何とかやっていけるんじゃないかと頭の隅では思っていた。
だけど、あたくしは単純に別れが辛いのだ。
とても耐えられそうにない。
この緊張が続いて、病の域に達したら、自分は全てを諦めよう。
そして、その判断が自分でできるよう、分別だけは最後まで手放すまい、と決心した。
かくして…、
ここで何度も登場した煩悩のタネ…彼だけが、自分との相談継続を希望した。
「あたくしを選んでくれたことを後悔させないよ」
と、あたくしは言ったが、これはそのまんま、愛の言葉ではないか?
ある職場の方は、あたくしと彼のこの繋がりを「共依存的」と評した。
そうに違いない。
彼があたくしを必要としてくれたように、今回、あたくしも改めて彼を必要としていることを強く感じたからだ。
でも、それはそんなに悪いことなんだろうか? あたくしには分からない。
親子や夫婦や恋人同士や友人間で、互いに必要とし合うことは、いくらでもある。
そういう関係じゃないから、否定的に捉えられるのだろう。
やっぱりあたくしは「人間のクズ」なのかもしれないし、少なくとも相談を受ける人として失格なのかもしれない。
あたくしは、ひとさらいだ。
秋が終わり、冬に移る頃、我々は新天地に向かう。
自分の煩悩の底知れなさを恐れながら、あたくしは彼が巣立つまで守りきろうと決意した。
美しい絵。
あまりにも仕事に入れ込みすぎて、ついに夫様のお叱りを受けてしまった。
「帰ってくるなり、仕事の話ばかり」と。
はい、その通り、ごめんなさい。
「聞いてあげたいけれど、もう冷静に聞けないよ」
夫様は本当に努力して、ギリギリまで共感をする努力をしてくれていたに違いない。
だけど、誰しも、目の前の自分を無視して、誰かにご執心な気持ちを喋りまくる人と接するのは嫌だろう。
あたくしの話っぷりは熱を帯びてて、嫉妬心を駆り立てるようなものだったかもしれない。
しかも、自分は無意識に意図的にやらかしていたんだと思う。 あたくしの愛が、いかに溢れんばかりに有り余っていて、どこでどう使っているか…みたいな。
カウンセリングを受けて、心の蓋が取り去られたら、自分の中から「誰かを愛したい」という気持ちが無限に湧き出てきたのだ。
自分がどんなにくたびれ果てようと、心の奥底にはその愛が脈々と流れていること、無限にあること、をカウンセラーの先生からあたしくしは教えていただいた。
それは、ちゃんと受け取ってくれる人に注ぎたい。
あたくしは夫様に言った。
「自分も大人だから人が嫌ということはしたくない。
だから、家ではもう仕事の話はしないよ」と。
でも、アルコールが入っていたのもあり、素直に謝ることができなかった。
「だけどね? わたしは子どもが欲しかった。
子どもがいたなら今の仕事はしていない。
あぁ、子どもがいたらこんな感情を味わえるんだろうな、
と、少しでも勘違いできる、今の仕事が好き」
それを聞くと、同じくアルコールが入っていた夫様は、泣きそうな顔で言った。
「ごめんなさい、本当にすまなかった、再婚したのは間違いだね」
それを、噛みしめるように何度も言った。
「知らん」
あたしは、そういう話の流れは大嫌いだから、サッサと遮ってしまう。
「過去のことは、もうどうでもいい、自分的には、この先をどうするかなの」
この、20年近くの想いを片付けるのに、あたくしがどれくらいカウンセラーに金銭を突っ込んでいると思う?
それだけでなく、占いや気功や、瞑想やその他、様々の自己啓発の類。
どんだけオロオロして涙を流したり、イライラと恨んだり、それらで自己嫌悪に陥ってきたか…。
そのエネルギーをもっと生産的なことに使えたなら、もっと遠くに行けたかもなあ、とも思う。
今の境遇を選んだのは、そして、今も甘んじているのは、あたくしの弱さからであり、誰のせいでもない。
それは、分かっているんだ。
もうそんなに夫様のことは恨んでない。
自分の弱さが恨めしいのだ。
「で、どんな話をわたしとしたいのよ?」
と、あたくは夫様に聞いてみた。
「美術館でモネやってるね…一緒に行こうか?…的な…」
その言葉で不覚にも、あたくしのハートは再び怒りでグラグラ煮え立ちそうになる。
思い切りの恨みつらみが罵声とともに喉までせり上がってくる。
でも、それはどうしようもない価値観の違いであり、20年かけてもどうしようもなかった二人の感覚の差なのだ。
モネを見るならパリに行きたいなあ~とあたくしは思う。
モネ美術館の睡蓮の絵がぐるりと飾ってあるお部屋の真ん中に立てば、まるで自分が池の真ん中に浮かんでいるような不思議な感覚になれる。
もうあたくしにとって、夫様と共有したい時間は余りないのか?
遅くに仕事から帰ってくるあたくしを、夫様は手料理で迎えてくれるのだ。
それだけでもなんとありがたいことだろう? でも、その温かな手料理にウンザリし、早く布団に潜り込みたい時があるのも真実なのだ。
そんなこと言ったら、罰当たりすぎて、ブッ飛ばされるだろうけれど(笑)。
ごめんなさい、夫様、あたくしは今、モネの睡蓮より美しい絵を見てるんです。
それは刻々と変化しながら、ますます美しくなる絵なんです。