心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

先生は、もう何も言わない。

f:id:spica-suzuhazu:20180729102151j:plain

疲れ切っている。
仕事のせいとかではなく、単なる夏バテかもしれない。
 
それで、カウンセリングに行き着いても、自分は憔悴仕切っていて、言葉もなくガックリとうなだれる。
「ゆっくりと、話そう?」とカウンセラーの先生が言う。
 
そうして、先だってのクレイマーの話をした。
 
それは、もつれた毛糸玉を吐き出す如く、ゲッゲッと何やら塊を伴った言葉だった。
 
その人がクレイマーだってことは、あたくし以外の人は、もう肌身に感じて知っていた。
そうして、自分だけが、頭でしか分かってなかった。
クレイマーは誰だって嫌だ。
 
自分以外の人はその人のことを「どこか他所に行かないかな?」と言っていた。
辞めてほしい、関わりたくない。
 
自分は、それを聞いていて、ずっと嫌だった。
だから、自分は普通に接したいな、とか思っていた。
だけど、自分がイザ、その人の標的になってしまうと、やはり綺麗事はなくなる。
あたくしも「他所に行かないかな?」と思ってしまったのだ。
 
その、複雑な気持ち。
敗北感。
自分のヤワな正義感やら倫理観やら、優等生ぶった偽善者的な部分や、力不足で未熟なところを認めなくてはいけない気持ちやら、ゴッチャになってとても複雑ですと、あたくしは一気に訴えたのだった。
 
先生は、う〜むと唸って、黙り込んだ。
 
え? 何もコメント無いですか? 先生?
 
先生のありがたいアドバイスを聞きたくて、あたくしはここに来ている。
何かにすがりつきたくて、ここに来ている。
 
「何て、言おうかな〜って…」
そうして、先生は塩っぱい顔をして見せた。
 
塩っぱい顔で誤魔化されても困る。
でも、自分も笑ってしまった。
 
あはは、先生でも難しいのですね?
 
人生ではしょうがないことがたくさんあるなぁ。
それでも、一緒に塩っぱく笑ってくる人の存在に、あたくしは感謝した。
 
先生は、もう何も言わない。
「僕もそうだったよ」とか「そういう時はこうすればいい」とか、気の利いたことは何も。
ただ、ジンワリと共感してくれるだけだ。
 
 
 
ただ、たくさん寝て、果物を食べろという(笑)。
そうして、今までの自分の仕事のやり方…一字一句聞き逃さないように集中し、言葉にならない部分までも予測しようと神経を働かせることを「辞めなさい」と言った。
自分をすり減らさないようなやり方でやりなさい、と。
 
理想は、猫のようにリラックスする。
そうして獲物を見つけたら、驚くような瞬発力を発揮できるくらい、緩みなさいと。
 
難しいな、言ってることが難しいんだよ。
 
とにかく、とにかく、あたくしはくたびれて、休日は寝たきりになってるし、リラックスには遠い。
せめて本だけでも読みたい。
でも、休日はもう目が何も見たくない、と言っている。
それどころか、耳も何も聞きたくないと言う。
 
でもね、自分には読みたい本がたくさんあるのですよ。
 
「何の本です?」
「何って…心理学ですよ』
「どんなジャンルの心理学ですか?」
「やだなぁ! 臨床心理士さんにそんな話できるわけないじゃないですか?」
 
そうしたら、それまでボヨヨ〜んとした風情で話を聞いていた先生の目つきが変わり、しきりに何なの何なの?と聞いてくる。
あ〜これだな。
猫のようにリラックスしていて、獲物見つけた時の顔。
 
「………」あたくしは、それを口ごもりながら小さな声でコッソリと教えた。
カウンセリングルームは二人きりだからコッソリも何もないんだけど!
言いたくないのよ、分かるでしょう?
まず、それを明かすことに、自分は不必要に恥ずかしさとか感じるでしょう?
だって、とってもプライベートなことだから。
それに先生は、それが自分の趣味じゃないとあからさまに不満気になるし(笑)!
 
でも、それは先生の趣味に叶ったようだ。
 
そりゃそうだろう。
それは、先生がやっていることだと思っているから、読んでいるのだもの。
先生のやっていることに名前があるのなら知りたいと思い、その本を読んでいるだ。
そういうことを知られるのが恥ずかしいから嫌なのだ。
 
 
 
「休みたいといっているのは、あなたの何処ですか?」
と、先生は尋ねた。
「本を読みたいと思うのは、頭ですよね?
 でも、身体は休みたいと言っているのですよね?
 身体の意見も聞いてあげてください」
 
その時の先生の言葉は、「そうしたらいいね」とかいうものではなく、「絶対にそうしなさい」という類のものだ。
 
あぁ、そうですよね?
 
こんな時でも、自分は頭の希望を優先させようとしてしまう。
以前、先生はあたくしのことを「頭が良いタイプ」と表現したけれど、それは決して褒め言葉ではないのだ。
頭と身体が違うことを言ったら、頭の言うことを優先して聞いてしまうタイプ、と言いたかったのだ。
 
「ああ、本が読みたいなぁ〜と思いながら、ゆっくり休みなさい」と先生は言った。
 
自分には、辿り着きたい場所があるけれど、もう無理かなあ〜とボンヤリ思った。
身体を労わりながらだったら、きっとタイムオーバーを迎えてしまう。
来世で…とかいうことになるのだろうか。
 
それとも、辿り着きたい場所がある、というだけで、それは素晴らしいことなのか?