心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

Nちゃんのこと。

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とても昔のこと、あたくしが 26歳の時に、当時勤めていた会社が、これはヤバイ、十中八九潰れるというので、希望退職者を募集した。
希望退職者を募るのは2回目で、次回は指名解雇にする、とのことだった。
 
「辞めちゃおうか?」と会社の先輩のNちゃんが言った。
Nちゃんは帰国子女で彩色兼備な秘書課のやり手なのだけど、ちょっと頭のネジが外れてるような、風変わりなところがあった。
そのネジの外れ加減が、あたくしとマッチしたのだろう。
3つ歳上のお姉さん、とても可愛がっていただいた。
 
今辞めたら、会社は退職金に50万円上乗せしてくれるという。
「そのお金でさあ、どっか行っちゃおうよ?」
まったく悪い先輩である。
でも、あたくし、それに乗っちゃったんだな。
「一生に一度でいい、一週間くらい…パリに行きたい」
と、あたくしが言うと、Nちゃんは、
「デッカク行こうよ、1ヶ月行っちゃうおうよ、ね?」と行ったのだ。
 
 
 
若いって素晴らしいし、恐ろしい。
当時、誰か止める人はいなかったのだろうか?(笑)
とにかく行っちゃったんだな、パリに。
スーツケースに、お湯で温めるご飯と味噌と梅干しを詰め込めるだけ詰めて、滞在中の食料の足しにした。
市内の何大学だったか忘れたけど、学生街近くの1泊2名で2000円くらいの宿に長期滞在した。
そうして、おそらくパリの美術館はほとんど行ったのではあるまいか?
 
自分は鈍臭いし海外の自由旅行なんて初めてだったので、前をサッサと歩く彼女とはぐれまいと必死だった。
彼女にとっては超足手まといだったことだろう。
だけど彼女は道中、頼もしい姐御を貫いてくれた。
 
それでも旅の緊張感と疲れからくるイライラから、最後の方は一触即発だった、
無事に成田に帰って来たときには、ホッとしたとともに、正直かなり険悪な雰囲気が漂っていた。
しかし、彼女は空港の帰り際、ニッコリ笑ってこう言った。
「楽しかった、また行きましょう」
ああ、彼女は大人だな、とあたくしは人格の違いというものを思い知った。
 
自分は子供だったらから、まだ怒っていた。
でも、時間が経ったら、またこの人と行きたくなるに違いない。
それは分かっていた。
長く寝食を、苦楽を共にする旅は、誰とだってできるもんじゃないよね。
 
 
 
残念ながら、彼女ともう一度旅行に行く夢は叶わなかった。
帰国して数ヶ月後、彼女は肝炎にかかってしまったのだ。
原因は今でも分からない。
それはどんどん悪化して、彼女はとても頑張ったのだけど、その年の秋に亡くなってしまった。
 
「なぜ、うちの娘だけが亡くなったんでしょう?」
と、彼女の母親はあたくしに問う。
それは、難しい質問だ。それに答えはあるのだろうか?
 
やりばのない怒りを、彼女の母親は、やんわりと私に向けてくる。
どう考えても、旅行と病気は関係ないし、自分だって友人を失って悲しいのに。
 
2〜3年経った頃か、共通の友人から「彼女のお墓まいりに行きたいから」と言われて、気が進まないままご実家に電話したことがある。
「あの子はね、まだウチにいるんですよ。だって、かわいそうでしょう?
 ああ、あなたは、新しい職場で働けて、いいわね。
 新しいお仕事、楽しい?」
電話口の向こうの人は泣いていた。
いたたまれず、電話を切って、それ以来連絡は取っていない。
 
 
 
あまりに遠い話なので、なんだかこの話自体がフィクションみたいだ。
共通の友人とも縁が切れてしまったので、あたくしがこれは空想上のお話、と言い切ったら、なんだか本当に作り話になってしまいそうだ。
 
人間の脳は、感情が動けば、それが現実によるものだとか、フィクションによるものだとか区別できないで、要するに全てリアルなもののとして処理するらしい。
当時はSNSスマホもデジカメさえもなかったから、彼女の笑顔が数枚の写真に残るばかりなんだな。
 
それでも、旅先の夜に話してくれた、彼女の個人的な想いとか、子供の頃の思い出とか、そんなのは一つひとつ彼女だけのオリジナルなエピソードであって、もう随分薄れてきちゃってるけど、それはまだ、自分の中に残ってる。
彼女の中のグツグツとした熱いものや 、そのエネルギーを持て余してイラついていたことなどは、確かにこの世に存在していたものなんだ。
 
正直、自分もよく分からない。
なぜ、自分がここにいて、彼女はここにいないのか。
なぜ、楽しいことの先に、とてつもない喪失が待っているのか。
 
考えてもどうしようもないことを、考えないで、とカウンセラーの先生は言う。
ただこうやって…と、両の手でその気持ちをそっと包み込むようにする。
あたくしは出来の悪い生徒なので、それがなかなか難しい。
 
心が辛い時は辛いし、痛い時は痛い。
 
いつも心を占めている訳でなく、ある時、フッと思い出すのだ。
それは懐かしくて愛おしいのだけど、辛くて痛いのだ。