心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

改めてEMDRはしないと決める。

f:id:spica-suzuhazu:20180107024643j:plain

かつて、あたくしの背中には大きなホクロがあって、身体測定の時などに、友達に「これなあに?」と見咎められるのが苦痛だった。
10代の後半になって、背中の開いた水着を着る際には絆創膏を貼ってそれを隠した。
20代になって、男の子と親密になることを考えた時、そのホクロを思い出すと憂鬱だった。
30代になるちょっと前、結婚まで考えていた、当時付き合っていた男性が何気に言った。
「おまえ、親に愛されてないんだなぁ。ちゃんとした親だったらさぁ、こんなの子供のうちに取ってるよ」
“こんなの”というのは背中のホクロのことである。
その時、あたくしは泣きながら抗議した。
「わたしは、親のおかげで、今まで飢えたこともないし、学校にも行くことができた。
 わたしは親に感謝している。あなたなんかに、わたしの親のことを言われたくない!」
 
でも「親に愛されていない」という言葉は正直こたえた。
自分も薄々そう思っているから、烈火のごとく怒ったのだ。図星なのだ。
 
その後、しばらく考えあぐねた挙句にあたくしは皮膚科に行き、医師の前でシャツをめくって背中のホクロを披露した。
医師は、資料にすると言って、一眼レフであたくしの背中を撮影し、「来週、取りましょう」と言った。
何だかんだ言われるものだと思っていたのに、あっけなくあたくしの背中のホクロは除去されることになった。
 
隣で別の患者の診察が行われているような、カーテンをサッと引いただけの場所に、不似合いな手術用のライトが据え付けられて、自分の背中に麻酔がかけられた。
切り取る際の痛みは全くなく、ボールペンでなぞっているような感覚だった。
医師は「う〜ん、切りにくいな…」とこぼしていた。
 
手術後、小さなガラス瓶の保存液の中に、自分のホクロが背中のお肉の一部と共に浮かんでいるのを見せてもらった。
カヌーに乗った黒豆みたいだった。
「ずっと、厄介者として扱われて、こうして捨てられちゃうなんて、ごめんねホクロ」と、すまない気持ちだった。
もっと、自分が強かったら、こんなことをしなくても済んだのかもしれない、と少し後悔の気持ちがあったのだと思う。
あたくしは、医師にその切り取ったホクロの瓶を「いただけませんか?」と言ったのだ。
 
医師は「これは生検したりなんだりで使うから、あげられない」と言った。
もう、自分から切り離されたそれは、自分のものではないのだなぁ、と思った。
その病院は移転してしまったのだけど、あれは、写真やカルテなんかと一緒にファイリングされて、今もどこかにあるのだろうか。
いやいや、もう処分されているに違いない。
健康保険が効いて手術費は約3000円、背中の傷跡は今まで忘れていたくらい。
 
 
 
年明け第1回目のカウンセリング。
途中まで、ずっと年末からお正月の話をしていたのだけど、何かの折に、カウンセラーの先生が、
「…だからEMDRはやらない方がいいと思う」と切り出した。
 
そうそう、昨年の10月に自分から「もうEMDRはやらなくていいです」って言ったくせに、その後、よく考えたら不安になり、「あの〜、希望したら、もう一度EMDRを検討していただけますか?」と聞いたのだった。
せっかくEMDRができる先生を探したんだし、一度、EMDRというものを体験してみたい、といった好奇心もなきにしもあらずで。
 
その時の答えは「あなたがやりたいのならかまわないけど、今のあなたは不安定だから、もう少し待ったほうがいい」とのことだった。
 
不安定というのはどういうことなんだろう? いつもカウンセリングで泣いてしまうからだろうか? それなら、なるべく泣かないようにしなきゃあね…くらいは考えていた。
 
でも、どうやらそうではなかったらしい。先生としての考えはずっと前に決まっていたのだろう。
 
EMDRやったら、あなたの大切なところも無くなっちゃう…」と先生はおっしゃった。
 
ああ、この書き方はきっと誤解を生むかな? EMDRに対して危険な印象を持たれる方があるかもしれない。
EMDRは万能ではないと思うけれど、きちんとした訓練と経験を積んだ施術者が行うのなら安全な治療法だとあたくし個人は思っている。
ここでの話は、あたくしの人格が変わるとかいう話ではないことだけはお断りしておこう。
そうして、これはあたくしの話なのだから、決して自身の治療の参考にはせず、EMDRをご検討の方は、主治医やあなたの臨床心理師さんとよく相談して欲しい。
 
先生は、あたくし自身がずっと厄介払いしてやろうと邪険にしてきた、あたくしの中の「繊細さ」を愛してくれてるのだ。
あたくしにとって不要なものを取ろうとした時に、あたくしのいい部分まで損なわれそうで、先生はそれを心配しているのだ。
…とあたくしは理解した。
 
じゃあ、ダメだな、とあたくしは諦めた。EMDRはナシ、永遠にナシ。
 
 
 
いろいろなことを想うと胸がシンシンと痛くて、「胸が痛いです」と言ってみた。
だけど、そういう時の先生は「ふうん、そう?」って感じなんだよね。
 
「胸にカタマリがあって、これがスポッと取れると思ってたんですよ」
EMDRをやってトラウマを取り除いたなら、そんな風に胸の痛みが消えると思っていたのだ。
 
「そのカタマリね、そんな風には取れないよ?」と先生は言った。
そういう時の先生は、滅茶“クール”だ。
 
でもそれは、最近では自分でも薄々理解しつつあったから、そんなに驚きはしなかった。
 
「先生、わたし、最初は、胸が痛くて家から出られなかったんですよ。
 でも今は、胸が痛くても、出歩けるんですよね。
 これ、大きな違いですよね?
 胸の痛みは、もうわたしの行動を制限しないのだから…」
 
今のあたくしから、何も切り取らなくても大丈夫ということだ。
何も変えなくても大丈夫だということだ。
 
安心しろ、安心しろ、とあたくしは自分に言い聞かせる。
だけどもさぁ、やっぱり不安で、バクバクしちゃうワケ。