心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

過去の過ちについて語る。

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ストレス解消の為にバランスボールを買った。
これにあお向けに乗っかって、海老反りになるのがお気に入りのポーズ。
ああ今、すごくダラシのない格好で心ゆくまでダラダラしているなぁ〜と思えるとリラックスできてる感じがする。
 
そんなこんなで、またカウンセリングの日がやってきた。
「読みましたよ課題図書」とあたくしは言った。
前回、課題図書として提示されたのは「アサーション」の本。
 
以前に「アサーション」に関する本を手にした時、自分はそれを言葉のテクニックの指南書として読んだような気がする。
怒りを溜めずに、かつ相手を尊重しつつ、相手に自分の意思を伝える技術…それがアサーションの概要である。
しかし、ここには実は深い哲学的な前提があることを、自分は今回、改めて知った。
 
その哲学は、ちょっと端折るが、以下の三つの権利からなる。
1)誰からも尊重され、大切にされる権利。
2)誰もが自分の行動を決め、表現し、結果について責任を持つ権利。
3)誰でも過ちをし、それに責任を持つ権利。
 
前回に先生が、「基本的人権」と言っていたのはこのことだったのだ。
 
だけどあたくしには、この中に出てくる「責任を持つ権利」というのが怖い。
そのことを先生に伝えると、「はて、そんなこと書いてあったかな?」とトボけた。
「いえいえ、分かるんですよ、“責任を持つ権利”であって、それは“義務”ではないと言いたいこと」
 
だけど、失敗をした時に、どこまで責任を持ちたいと思うかどうかは…つまり権利を行使するとかしないとかは、その人の罪の意識に左右されることではないのか?
そこ、難しくないですか? と、あたくしは問うた。
 
 
 
仕事柄、人のヘヴィ〜な話を聞くことが増えて、今回はどうしても仕事抜きの話がしたくなった。
そうして、その為に、ずっと心に引っ掛かっていた、何十年も前の話を引っ張り出した。
つまりそれは、自分の過ちの話である。
 
学校を卒業後に就職した会社でのこと、一年目の秋頃、自分は同僚と恋に落ちた。
何よりも最悪なことは、彼が学生時代に結婚しており、すでに一児の父だったということだ。
それは、あってはならないことである訳で、二人は互いに必死で、堪えたり、気持ちを隠したり、チラチラと表現したり、互いの境遇に嫉妬したりしていたのだ。
でも、若いし未熟だし頭も悪いし、互いを求める気持ちはどうにも鎮火することはできなかった。
 
「僕は離婚するよ」と彼は宣言したが、そんな身勝手な離婚話がサクサク進むはずもないのは明らかだった。
そのうちに彼が勝手に別居暮らしを初めた時、あたくしは「いやいや、そんなこと自分は頼んでいない」と怒った。
だがしかし、その行動の一因は紛れもなくあたくしの存在そのものだ。
 
「これから、一緒に大阪に逃げよう!」
ある時、もう我慢できないとばかりに彼が言った。
そうしたらどうなるのか?
あたくしは、パチンコ屋の2階やひなびた旅館で住み込みで働く疲れた二人…そんな貧相な発想しかできなかった。
それにその頃、やっと段々と仕事をまかされるようになっていて、明日、職場に自分が現れなかったら仕事はどうなるのだろう? と気になった。
 
「無理だよ。逃げるのは嫌だよ。自分は、多くの人に祝福されるような結婚がしたいよ!」
あたくしがそう言うと、彼は「あぁ〜」と悲しそうな顔をした。
しばらくして彼は、周囲には「家業を継ぎます」と言って会社を辞め、別居したまま実家のある地方に移り住んだのだった。
 
その後の彼の消息は、聞くたびに辛い話ばかりだった。
うつで入院、失踪、難病、その後、病から片眼の視力を失った。
 
約15年振りのある日、彼から突然電話をもらった。
「不渡り出しそうなので、25万円貸してください」
当時、自分は離婚して一人暮らしをしていた。
自分にとっての25万円はもちろん大金だったけれど、あたくしは即OKした。
 
彼はすぐに社判を押した借用書を送ってくれた。
闘病しながら家業の立て直しもしなくてはならない彼の苦しみはいかばかりだろう?
できることなら、あたくしは彼を救いたかった。
 
だけれども以後、様子伺いで電話をすると、彼はどこか迷惑そうなのだ。
そうして何度目かの電話で彼は言った。
「あの、お金返すのもう少し待って…」
 
ああ、やっぱり人にお金なんか貸すもんじゃない! と瞬時に悟った。
あたくしの電話はいつしか、かつての恋人ではなく、借金取りの督促になっていたんだ!
良かれと思ったのに、やはり失敗してしまった。大失敗だ。
 
だから、咄嗟に言ってしまった。
「あ、お金、返さなくていい。ずっとお世話になってたから」
 
お世話になっていたという気持ちに嘘はない。
それに自分は、本当にその人のことが好きだったし、実は、その人が好きな時の自分も好きだった。
その人の前では、オドオドしたり変に気を回すことなく、自分の心を素直に言葉にし、行動することができた。
相手の気持ちを疑ったり、独占したいとか操作したいという気持ちすら持たずにいられた。
幻ではなく、そういう存在が世界のどこかにいることを実感できた自分は、これまでの人生で何度もそのことに励まされた。
 
だけれども、何だか、終わっちゃったな、と感じた。
実際にこれきり、なんとはなしに連絡は途絶え、縁は切れてしまったのだ。
 
 
 
今でもどうしたら良かったのか考えるのだ。
お金なんか貸さなきゃよかったのか?
それとも、取り敢えずは貸すとして、毎月少額でも返済してもらったら良かったのか?
 
ずっと、自分はその人に罪悪感を持っていて、何とかしたかったのだ。
自分の存在が長い時間をかけて、彼の人生を台無しにしたのだと思っている。
そして、それでも自分は、付かず離れず、ずっと繋がっていたかったのだ。
 
先生は時折目を閉じながら、あたくしの話を聞いていた。
「自分はどうすれば良かったと思います? この間違いに、どのようにしたら責任が取れますか?」
 
先生はそのことには答えないで、「若い頃の思い出は、時間とともに美化されるものだけれど、いつもまでもそこに浸ってちゃいけないな」と、言った。
 
そうして、「僕、そんな風に素直な自分になれる人に出会ったことがないから、羨ましい気持ちもあるよ」と付け加えた。
改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために

改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために

 

 アサーションに関する本を読むなら、まずこの一冊が手頃かと思われる。アサーティブな表現ができる子になれるかどうかはともかく、自分の思考の傾向は分かる。攻撃的・非主張的・アサーティブの3パターン分類なのだけど、自分は完全に“非主張的”だ!