心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

あたくしは、困った人。

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カウンセリングの日。
あたくしは先日のハローワークでの一件をお話する。
犯罪被害者であることを告白したあたくしに、ちょっと無神経な発言をした相談員。
いつもなら当然出現したであろう、自尊感情が傷つけられた際の激しい怒りが全く出てこなかったこと。
そのことに、とてもホッとしたんです…と。
 
うつやトラウマを抱えている人は、些細なことで激昂してしまうことがある。
 
怒りというのは瞬発性の高い化学反応だ。
感情に飲まれ、不必要に人を傷つけてしまえば、ますます自信をなくしてしまうだろう。
「本当の自分はこうじゃないんです」と言い訳をしたくなる。
 
そうして怒りはまず、自分を消耗させる。
 
怒りが沸き起こる時に消耗し、その怒りの制御を試みて消耗する。
その時、怒りへのアクセルとブレーキ、二つの力が拮抗して、他人から見たらあたかも静止しているように見えるかもしれない。
だけど、本当は焦げ付きそうに高速回転し、疲労している。
 
かつての自分は、そこから自力で抜け出そうとして、「アンガーマネジメント」の本とか読んだりしたのよ。
全く役に立たなかったけど(笑)。
 
 
 
「いつもの自分だったらどうしていたと思います?」
自分はカウンセラーの先生に問いかける。
そうして、まだ言ってない、自分のお恥ずかしい部分をカミングアウトする。
 
「後でクレームを入れちゃうんですよ。メールとか、手紙で」
先生は「ほう」という顔をする。
「わたしは傷付きましたとか、もっと真面目に聞いて欲しかったとか、ね」
 
以前のカウンセラーには、「期待はずれのカウンセリングでガッカリした」と書き連ねた手紙を送ったことがある。
犯罪被害者の為の電話相談を利用した際は、「40分も身の上話を聞いておいて結局“こちらでは何もできない”ってどういうことでしょう?」と抗議のメールを入れた。
以前のカウンセラーからは返事が来ることがなく、電話相談の方からは魂の抜けた非常に丁寧な謝罪メールが届いた。
 
自分は分かってる。
怒って抗議しても、決して自分が満足するようなものが返ってくることなんかないってことを。
それどころか、共感が得られないことに、余計に傷ついてしまうことも。
 
だけど、この怒りをやりすごすのは難しい。
この抗議は正当なものであり、あたくしは冷静だと自分に言い聞かせる。
手紙やメールの文面は、熟考した末であり決して怒り任せの軽率な行動ではないんだ、という雰囲気を出す。
 
でもその時、本当は自分の心はグツグツと煮えたぎっている。
 「助けられないのに、いかにも助けられるかのように言うな!」とか。
 「期待を持たせて人の心を弄ぶな!」とか。
最初は、書いただけで、もしかしたら気がすむのではないか? とも思う。
でも、何日か迷った挙句、結局、怒りの苦しみから少しでも開放されたくて、結局、行動に移してしまうのだ。
 
自分だって、カウンセラーや様々な相談窓口の担当者が全ての人を救済できるなんて思ってはいない。
だけど、頼らざるを得ない自分、過剰に期待してしまう自分。
 
我慢していては決して怒りは収まらないし、行動に移しても決して報われることはない。
いずれにしても苦痛を伴うジレンマに、少しでもマシな行動を選ぼうとグルグルと考える。
 
 
 
「わたし、クレイジーなんですよ」と、あたくしは言った。
「そんな風に思っちゃってるの?」
自分を粗末にした物言いをすると、先生は悲しそうな顔をする。
先生はこういう話は嫌だろう。だけど言わずにはいられない。
「だって、そうでしょう? わたしはおかしい。おかしいでしょう?」
 
こういう時、先生は、そうだとも、いや違うとも、何のフォローも入れない。
「わたしは困った人」「わたしはクレーマー」「わたしは狂犬みたいな奴」
自分という人間は救いようのない、本当にどうしようもない人なんです、と自嘲するあたくしを先生はずっと黙って見つめてる。
 
「だけどね…」と、あたくしは続ける。
「先生は、そんな自分に対して、とっても上手にやってくれたので、感謝です」
実は我々、とっても際どいところを歩いて来たんですよ、と自分は告白する。
あたくしは、先生に失望したり、先生を傷つけずに済んで、内心ホッとしてるんです。
もう、期待した反応が返ってこなくても、割と、大丈夫なんですよ?
 
「ずっと、自分が嫌でした。
 怒りに飲み込まれないのは、なんて安らかなんでしょう。
 普通の人は、何て安らかなんだろう、と思ったんです」
 
 
 
しかし、依然としてストーカー犯に対する怒りが強いこともお伝えする。
先生は「じゃあさ、その怒り、処理してみる?」と提案してきた。
 
「ん〜?」と考えている間に先生は付け足した。
「怒りの処理は疲れるから、元気な時にやった方がいいけど」
そうだろうね、あたくしはそこで躊躇した。
 
直視できないほどの怒りに向かう恐怖に、心の準備ができなかったのだ。
そうして、その後の自分はどうなるのだろう? とも思った。
 
「怒りを処理したらどうなるの? 怒りはなくなる?」
「なくならないよ? 怒りは洗練されて、エネルギーに変わって、あなたは元気になる」
 
「元気にかぁ…だったら、いいですねぇ…」
それは、ずっと待ち焦がれていたことだから、しみじみと出た本心だ。
だけど、そこには何だか曇りというか、淀みというか、どんよりとしたものが横たわっていた。
 
先生が言った。
「あなたが“自分は変わった” と思えたら、それは自分が努力したからなんですよ?」
 
いやいや、自分はまだ全然ダメ! 先生の力が必要!
そんなことを考えてたのだ。
自分で起き上がれるようになったら、そうしなきゃね。
まだ先生に抱き起こしてもらいたい気持ちが、子どもっぽくて恥ずかしい。
あたくしは“それ”を一生懸命に飲み込んだ。
 
 
 
※かつてあたくしが利用した犯罪被害者の為の相談窓口の件、
被害に遭った後、早い段階であればお手伝いできることも多いようです。
なので、今回の記事で「相談窓口、あてにならんな」とか思わずに、いざとなったら片っ端から思い切り頼ってみてください。
何にせよ、あたくしのように一人で長い間、悩まぬことが大切ですよ。