心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

先生、何故に世間話するのですか?(笑)

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現在のカウンセラーの先生との面接は、最初はほとんど自分が喋りっぱなしだったのだけれど、最近ではあたくしがカウンセリングの先生から話を聞く時間が増えた。不思議な話だけど。
随分前から、先生の語り…自己開示の多さにはビックリしていたのだけれど、最近は、本当に様々な話をする。
自己開示というと、何だか大仰だけど、その多くは、まあ何というか、世間話ですね(笑)。
 
それは大概、あたくしの話から派生した、何気ない脱線のようにして始まる。
そういうのが楽しい時もあれば、いやむしろこっちは喋りたいことではち切れそうで、話の流れがドンドン明後日の方向に行ってしまい、不覚にもイラッとしてしまったことがある。
で、ある時、「先生の話は置いておいてですね」と話を遮って、自分の不平不満の話に強引に戻して喋りまくったことがある。
 
この時間はあたくしはお金を払って設けた時間なのだから、当然、あたくしが喋くる時間なのよ、と思っていたとフシがある。
でも、今思えば、それはちょっと違うような気がする。
どんな形であれ、自己洞察を深める会話がなされれば、結果、それは良いカウンセリングの時間なのだ。
自分だって、先生には愚痴聞き以外のものをお求めしているのだ。
 
帰ってから、あの先生の超個人的な語りが、どこかひっかかる。とても気になる。
「あの話は何のためにしたのだろう?」まさか、先生が根っからのお喋り好きでカウンセリングの場であることを忘れて自分のことを喋りまくるハズはないのだ、
何か意図があるのだ、計算されている話なのだ、さあて何だろう…?と考えた。
もちろん、まさか先生があたくしの先生への興味を満たすために話しているとは思えない(笑)。
 
 
 
その次の週の面接で、あたくしはその際のことを正直に先生にお伝えした。
「あの、わたし、先週、先生の話を途中で遮っちゃったでしょう? あれが、後でナゼだか分からないけれど、気になって」
「あ、そう? それは良い傾向だね」と先生は非常に満足そうなお顔で、ニコリとする。
ほら、やっぱり、作戦なんだ。
それでもあたくしには、何が“良い傾向”なのかはちっとも分からない。
そうして、その日の面接は、前回あたくしが遮った先生のお話の続きから始まったのだ。
 
でもちょっと奇妙でしょ? そもそも先生の方はあたくしの話をよく遮ってくれる!(笑)
貴重な50分間を有益な時間にするための交通整理だ。
「そんな話、しなくていいよ」とか「そんなの考えてもしょうがないでしょう?」とか「それはさぁ、終わった過去の話だよ?」とか「そっから先は考えなくていいよ」とか「まだ、心の準備ができてないなら言わなくていいよ」とかね。
これらの言葉だけを取り上げたら、もし互いの信頼関係がなかったら、ちょっと冷たい言葉に感じることもございましょう?
でも、それらにも恐らく、ちゃんと意味があるのだ。
 
そうして、最近やっと…というか、ある日突然にフト気が付いた。
先生が何気なく繰り出す世間話は、もちろん嘘偽りのない先生のこれまでの経験や最近感じた率直な気持ちを話しているに違いない。
でもそれは、現在のあたくしが意識から追いやっている、遠い昔の記憶や、抑圧している気持ち、消え入りそうな希望にことごとくリンクしているのだ。
先生は、先生の個人的なお話という形を取った、あたくしの話をしているのだ!
そりゃ、後から気になりだすハズだよね。参りました。
 
 
 
それで、もうすでに、カウンセラーの先生とそのことを話したくてしょうがないのに、今回は、先生のスケジュールの関係で、一週間ほど余計に次のカウンセリングとの間隔が空いてしまったのだ。
日程を決める時には、少しくらい余分に間隔が空いても、最近は調子が良いので全く大丈夫だと思っていたのだ。
でも、それは気のせいで、正直全然ダメな感じ(笑)。
ずっと約2週間おきに面接を重ねてきて、すでに自分の中にリズムが定着しているのだ。
 
話したところで、先生は「そんなこと僕は少しも意図してない。あなたはいつも考えすぎなんだから!」と、笑うかもしれない。
先生には何を言っても一笑に付されてしまう。
あたくしが真剣に怒りながら喋っていても「真剣に怒っている感じが、生き生きとしてていい!」とか笑う。
こんなに笑うカウンセラーは想定外だったので、最初は正直、そのことにビックリしていた。
そうして、意図しない自分の言動で人に笑われることに慣れていなかったので、バカにされてるようで、いちいち防衛本能を発動していた。
 
先生が不意に笑い出しても、最近はやっとこさ驚きも防衛本能も出なくなった。
どうやらバカにはされていないようだ、とやっとあたくしは心の底から理解できたらしい。
 
目の前の人が微笑んでいて、自分も微笑み返していて、そこに温かい何かが広がるような感じ。
もちろん初めてではないのだけれど、随分と久しぶりに感じる、それはそれは懐かしい感覚だ。
 
もしかしたら、先生の他愛もない世間話は、その瞬間を生み出すためだけにしているのかもしれない。