心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

自分に優しい他人と、自分に厳しい自分と。

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ここのところいろいろあってその存在を忘れていた、胸痛と筋肉のこわばりが戻ってきました。
何かに集中しているときは、胸痛も筋肉のこわばりも全く感じないんだけどな。
少しでも、ゆっくりノンビリしようとすると、それは「待ってました」とばかりに戻ってきやがる。
 
その上、図書館から借りてきた分厚いトラウマ関係の本の、触りの部分を読んでいるうちに涙腺もゆるくなってきた。
その前の、自衛隊の特殊部隊に関する本の時は集中して読めたのになあ(笑)。
トラウマがあるからかどうか分からないけど、戦争中や各種遭難系のサバイバル本を割と読む。
自分の体験など到底及ばないような極限状態に陥った人の振る舞いに興味があるのだな。
どんな人がサバイバルできるのか、とても気になるのだろう。
 
それはさておき、
先日、20年振りに会った友人と、さらにその友人達と飲んだ。
この年になると、油断すると35年振りとか20年振りとかになっちゃうんだな。
怖くもあり、面白くもある。
 
飲み会は、年齢も境遇もバラバラのメンバーが好き勝手に喋る、とても楽しい宴でした。
そういう時、アルコールのせいではなく楽しさから、一瞬、人に対する恐怖心も病気も忘却の彼方。
彼女はなかなかのナンパ師で人脈が広いく、その日集まった人も、彼女以外は初対面の他人同士だった。
彼女は、そうして人間同士の化学反応を見るのが好きらしい。
 
その帰り際、たまたま帰り道に二人きりになった。
その時、彼女はポツリと、しかしキッパリと言った。
「あまり自分のこと、無職、無職、言わなくていいですよ」
「休めるんだったら、とことん休んだ方がいいんです」
 
もしかしたら、飲み会の間、あたくしは言葉の端々で自虐的な「無職アピール」をしていたらしい。
少しは嫌悪感を感じさせてしまったかもしれない。ごめんよ。
 
◯◯できてなくてスミマセン…←そういうの、あたくしだって好きではない。
そういう「世の中に申し訳ない感じ」に何の意味があるんだろう?
病気なんだから、しょうがないじゃん。
あたしくしだって自分の友達に対してならそう言うだろう。
 
彼女は今までのあたくしの経緯を知らない。現在の精神状態についても、会社を何度も辞めていることも。
知っているのは、あたくしが今、無職であることだけ。だけど、苦労人で聡明な彼女は何か感じたのだろう。
 
20年振りに会ったあたくしに、とっても自然で優しい言葉を投げかけてくれる、その透明な心に、とても慰められた。
目の前でハッキリと、意地悪な感じなど微塵もなく、率直に自分の感じたことを言ってくれる、彼女の誠実さに感謝した。
 
それに引き換え、自分はなんて自分に対して意地悪なのだろう!
20年振りに会った友人の前で、暗に自分を辱めようとする嫌なヤツ。
 
他人ですら自分を大切にしてくれてるんだから、自分も自分をもっと大切にするべきかな? なんて考えてしまうなんて間抜けだよね?
間抜けすぎる…と思いましたよ。反省。