心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

あの日、助けてくれなかった親。

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以前、あたくしがストーカー被害に遭った時の話は、「パニック症状を繰り返してしまうワケ。」 にある通りで、最近、やっと当時のことを思い出したりできるようになりました。
その方がトラウマ治療には良いのでしょうけど、一方で、できるだけ思い出したくないという気持ちもあります。
それだけ強い、不愉快な体験だったと思うのですが、その他にも理由があります。
 
親が助けてくれなかったんですね。
 
犯人の拘留期間が切れる前に、あたくしは住居を移す必要があったので、夜逃げのような引っ越しをする必要がありました。
 
迅速な引っ越しのために、恥を承知で不動産屋さんにも事情を話しました。まともに取り合ってくれるのだろうか?との不安があったのですが、当時の不動産屋さんがとても良い方で、すぐに事情を理解してくれ、とてもスムーズに賃貸契約を進めてくれました。
 
徹夜で荷物を作って、引っ越し当日は、当時の会社の仲間が手伝ってくれました。事件は会社が舞台だったので、みんな被害者みたいなものです。でも、まるで楽しいイベントをするみたいに、快く手伝ってくれたのです。
 
運びきれない荷物や、その後のゴミの処理などが残りました。
で、それを親にお願いすると。「協力したくない」と。
 
男関係で警察の厄介になる娘の手伝いはしたくなかったそうです。
 
いや、自分、ストーカーの被害者なんですけど…。
でも、親にしたら被害者とか関係ないんです。とにかく恥。恥ずかしいので関わりたくないと。
 
途方に暮れていると、当時の上司(被害者の一人)が父親にメールを打ってくれました。
「どんな娘さんでも、あなたのたった一人の娘さんではないでしょうか?」
そんな内容だったと思います。
 
そのメールで、父親は、残った部屋の荷物を片付けるのを手伝ってくれることになりました。
 
嬉しかったかって?
正直、「いや、手伝うんかい!(怒)」と思いました。
恥ずかしいなら、誰に説得されようが、手伝わなきゃいいじゃないか!
娘の上司からのメールで態度を変える親が、たまらなく嫌でしたね。
 
それから、なんだか親を見る目が変わってしまったのです。
 
あたくしの親は、どちらかというと仕事に熱中して、子どもに対しては放任だったかと思います。
 
しかしですね、イザという時は助けてくれるのだと思っていました。
 
イザという時が、どんな時かは想定してなかったんですけど…。
 
いや、犯罪被害に遭って、速やかに引っ越ししなきゃいけない時…とか、それに当てはまるんじゃないかと…? と思いました。
 
10年経って、当時のことは、実家ではタブーです。
両親は離れて暮らしていて、たまの盆や正月に帰れば、ご馳走を振舞ってくれますし、季節の折々には野菜や果物を送ってくれます。
「どうしてる?」とハガキや電話やメールをくれることもあるし、いい年をした娘にお小遣いをくれようとすることすらある。
 
でも、あの時、助けを求めて拒まれたことは忘れられません。
 
父のことばかり書きましたが、母はもっと強烈で…。
 
先日、母と電話で話していたら、こんな風に聞いてきたのです。
「で、何であんた、カウンセリングなんか通ってるの?」と。
事件の存在を忘れていたんですよ!(笑)
 
「10年前にストーカーに遭ったからです(怒)」
笑ってごまかしたりできませんでした…。
 
これだけだと、あたくしの母が非常に冷血な人のように感じられる方もいるかもしれません。が、ちょっと事情は違っていて、母は一種の特殊能力というか複雑なメンタルの持ち主なのです。他人のことも忘れていますが、我が家の経済状況が非常に困窮していた頃の記憶や、痴呆の祖母の介護に明け暮れていた頃の記憶など、自身の辛いこともスッカリ忘れています。幼少期の記憶もないそうです。←少し羨ましい。
 
まぁ、母は、あたくしの好物とかも知らないんですけど、そんなことはどうでもいいと思ってました。
でも、娘が犯罪被害に遭ったことは、たとえ何の感情も伴わなくても、憶えてて欲しかったです。
 
あたくしは子どもには縁がなくって、親の気持ちが全て分かる訳ではないと思うのですが、自分の子どもが他所の人に傷つけられたら、怒ったりとか…っていうか、ものすごく怒ったりしないのでしょうか? 自分なら、子どもに危害が加えられたら、軽く殺意さえ抱くかもしれないなぁ…と妄想したりします。
 
それとも、それは勝手な思い込みで、恥を感じたり、取るに足らないこととして忘れてしまうというのも、割とあり得ることなんでしょうか? 
 
テレビで、犯罪やパワハラやいじめに遭った被害者の親が、テレビで訴えているのを見ると、その事件は本当に悲惨なことで、それと自分とはとても比べものにならないと思っても、不覚にも「羨ましい…」と思ってしまいます。その辺の感覚が、あたくしは少しおかしくなっているにちがいありません。
 
あの時、親が助けてくれなかったことは寂しいことです。あの時の親の態度は、あの人達の一部分の表現に過ぎないと頭では分かっています。今も親に対して感謝している部分はそのまま、消えていないと思います。しかし、あれ以来、「自分は価値がない人間」「助けるに値しない人間」という考えが、以前より明確に浮かぶようになってしまいました。呪いですね。たった一つの出来事にも関わらず、何かが変わったのです。
 
いやいや、それは違うよ、と、呪いを解かなくてはいけません。
 
当時も今も、不自由で不安定な自分を理解して、無条件に受け入れてくれる友人・知人の存在があることも確かです。特に病が長期化してから、あたくしの周囲は優しい友人が増えました。ですから、そっちを向いて生きていくべきなんでしょう。早く元気になりたいです。
 
今回のは、ほとんど愚痴ですね。気分を害する人がいたらゴメンナサイ。
こんな文章を、最後まで読んでいただいた方へも深く感謝しています。
 
頑張ります。
またね♪
 
※この感情に関しては、2017年6月8日のカウンセリングにて扱い、少し楽になりました。