心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

自分を愛してるかい?

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先日、個人的にちょっとショックな出来事があった。
 
その日は、月末に発生する大量の事務仕事を片付けなくてはと、スタッフ一同てんてこ舞いの日。
そこに、「あのぅ…」と一人の通所者が、あたくしの前に座っているスタッフに近づいていった…
…のだが、そこで、
「あ、○○さんは忙しそうだから、葉月さんに聞こうっと♪」と呟き、こっちに進路変更したのだった。
 
ーあたくしだって、忙しいよ‼︎ー
しかし、これは心の中の叫びであって、あたくしは笑顔でその方に対応させていただいた。
 
平素、ここに来ている方々には、どんなにスタッフが忙しそうであっても、声を掛けるように促している。
「質問が出来ない」「質問するタイミングが分からない」という人が多いので、質問すること、その際に伝わりやすい言葉選びをするのも、この場で行う練習の一つなのだ。
そういう訳でもあるし、個人的にはそういった対応は全然苦にはならない。
 
ならないのだが…ショックだったのは、同僚の○○さんには出ていた
“忙しいから話しかけるな”オーラが、自分からは全く出ていなかったことだ。
 
そのようなオーラはどのようにしたら出せるようになるのか?
そして可能であれば、自分でそのオーラのON・OFFが出来るようになりたい!(笑)
 
                                                   
 
前回のあたくしは、カウンセリングで「愛情に飢えている自分」「愛する対象を求めている自分」そうして「誰かに愛されたい自分」そんな煩悩まみれの心についての話をした。
今回のカウンセリングは、何となくその話の続きへと緩やかに流れていった。
 
現在の先生のカウンセリングを受けるまで、自分の中の「人を愛する気持ち」や「人の愛情を求める気持ち」は枯渇してしまっていたと思い込んでいた。
今の先生が「何らかの技術」(それが何なのか今も分からない!)を使って気付かせてくれるまで、あたくしは、自分の中に無限の愛情があることを忘れていたのだ。
 
だけれども今、あたくしはその大切な気持ちを持て余している。
 
そう告白すると、「あなた、自分のこと愛してる?」とカウンセラーの先生が問うてきた。
う〜ん…不覚にも自分にとってそれは、これまで意識したこともない質問だった。
 
「愛してないっていうと、先生怒りますよね?」
恐る恐る聞くと、
「そうだね、怒るね」
先生は、本当にちょっと怖い顔…子供を叱り付ける時の「メッ!」という表情をして見せた。
 
「じゃあさ、質問を変えよう。あなたはどんな時に癒されるの?」
「人の温もりを感じた時かなぁ?…ハグとか、手をつなぐとか…」
「いやいや、そういうんじゃなくってさ」と、先生はあたくしの言葉を遮り、質問を変えた。
 
「自分で自分を癒す時は何をするの?」
え、え〜?
残念ながらあたくしは、この問いにもまともな返事ができなかった。
 
「すみません、分かりません」「難しいです」「考えたこともありません」
自分の口から出てくるのは、そんな言葉ばかり(笑)。
終いにあたくしは沈黙してしまった…。
 
「人によっては、お風呂にゆっくり入っている時、とか言うけど?」
先生が助け舟を出す。
「いえ、自分の場合、お風呂はまるで“洗車”みたいなもんで、癒しなんかじゃないんです」
恥ずかしい話だが本当だ。
自分は、人に嫌われない為に身繕いしているのだ。
それは自分への愛情ではない。
 
自分を遊ばせていると思う瞬間はある。
お風呂で自分の体に浮力を感じるのを楽しんだり、バランスボールに乗って身体を揺らす時、ボルダリングで壁にへばりついている時…そんな風に自分の身体をおもちゃにして遊んでいる時は、たくさん思い出せる。
 
でも、自分に対して愛情を注いだり、癒したりする行為が具体的に思い浮かばない。
「美味しいものを食べている時かなぁ?」
やっと、ひねり出す。
「そうだね、それもその“一つ”だよね」
先生は、もっと考えろ、もっと考えろと、ニコニコしながら無言のオーラを発して来た。
 
 
 
今までに思いもしなかった自分の欠点を見つけることは、時には辛いことだけど、それは良いことだと思う。
そうして、少しずつ洗練させていくのは、素敵なことだと思う。
その為に、カウンセリングに通っているんだもの。
 
“忙しいから話しかけるな”オーラが出なかったその日、いろんな人の質問や頼みごとを聞き、電話を取っている内に1日は過ぎ、結局のところかなりの残業になってしまった。
帰ると、深夜のNHKでは延々と森の小動物を映していた。
働きすぎて脳みそが痺れているのを感じながら、あたくしはその画像に釘付けになった。

遊び、食べて、休み、毛づくろいをし、寄り添いあって温め合う…そんな彼らの仕草を見ていると、人間とはなんと本能とか自然から離れてしまった生き物なんだろう…。

あたくしは、まだ、自分自身を愛する事すら出来ないのだ。
 
「“忙しいから話しかけるな”オーラってのはさぁ、自分を愛せるようになったら、自然に出るもんなんだよね」
と、先生はカウンセリングの最後におっしゃった。
なるほど、そういう訳ね。
 
ミッションは続くのであった。

合谷(ごうこく)。

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日々の仕事には相談業務が含まれる。
仕事全体の一部にすぎないのだけど、カウンセリングを少しでも学んだあたくしにとっては特に大事にしたい時間だ。


あたくしは、そんな“神聖な時間”に、やってはいけないことをしてしまったのだ。

それは、触れるという行為。

もちろん、あたくしは最初に「触れてもいいですか?」と断った。
そうして、相手も快く了解した。
だから、表向きは何の問題もないようにも思える。

だがしかし、それは自分の気持ちを誤魔化しているのであり、その証拠に、後から思い返す毎に、罪悪感と羞恥心がもたげてきた。

失格だわ…。とつくづく感じた。


 
あたくしはその経緯を説明する。

「相手がですね、しきりと身体がダルい、身体が凝る、と訴えたのです。
 それでね、手の平に合谷と言うツボがあるんですよ」

「はいはい、知ってます」とカウンセラーの先生は相槌を打つ。

「それでね、疲れたら、自分でココを押すといいよ、って押したの。
 もっ、もちろん、事前に“手にちょっと触るけどいい?”って言ったのですよ?」

あたくしのドモり具合を見て、先生は冷静に言った。
「触んなくてもツボの位置なんて教えられませんか?
 指で指し示すだけでよくないですか?」

「そうです!」
だから、こうしてカウンセリングルームで懺悔している訳です。
「なぜ? なぜ指し示すだけで良いのに触れたんですか?」
今日の先生は静かで穏やかであるが、裁判官だ。

「理由なんて、簡単ですよ。
 触れたかったからですよ」

ここから今日のカウンセリングはさらに核心に触れる。
 
相談という仕事であれば、たまには好きになれない人もいるだろうに、
今の自分にはそんな方は一人もいなくて、
自分が相談を担当させていただいているその方達、一人一人が
あたくしはみ〜んな大好きなのだった。
それで、時折…いや、しばしば無償にハグしたくなってしまうのだった。
 
「も、もちろん、ハグなんかしませんよ。
 そんな気持ちが常軌を逸してることも重々理解してるんです」

先生の目は、そんなあたくしを冷静に見つめてる。
「ハグして、どうなりたいの?」
「安心ですかね?」
「相手を安心させる?」
「それが…違いますね…自分ですね…自分が安心したいんです」

ユックリとした口調で先生は問いかける。
「ハグしたとして、あなたは安心するんですか?」

う〜ん…
あたくしは自信なさげに答える。
「…なると思います…」

「ならないでしょっ⁈」

ピシリと怖い顔で先生は即座に返す。
そうそう、今日のあたくしは怒られに来たの。
「そうですね…、ならないですねぇ…」
 


あたくしは「そんな自分の気持ちが邪魔なんです」と告白した。

もっと冷静に対処したいのです!
どんなことを聞いても、動揺しないタフな心を持ちたい。
だけど、今の自分は、いちいち相手の告白に心が震えるんです。
そんな自分の気持ちが辛くて…邪魔で…。

「人の話聞いて何にも感じないなんて、そんなのさぁ、無理だよ?」
と先生は呆れ顔をする。

だけれども、そんな風に自分の気持ちに振り回されて、
相手を真っ直ぐに見れない自分がイヤなんです!
家に帰ってからも、なぜそんな風に感じたのだろうか?とか、
自分の気持ちばかり反芻しちゃうんです

「それでいいんだよ?」
満足そうな笑みでニコリと、先生は言った。
「自分の気持ちをちゃんと見つめなさい。
 自分の感じることから目を背けちゃ駄目だよ。
 その気持ちはとても大切なものなんだから」

あたくしには、誰かの特別な人になりたい、という深い煩悩がある。
その煩悩が、目の前で告白してくれる相談者に対する愛おしい気持ちを掻き立てる。
だけどそれは、あたくしの心に現れた幻で、本当の愛じゃないんだ。
 
そう、先生は多分、あたくしに起きた「逆転移」を自覚しろと言っているのだ。


 

その人の手に触れた時の、柔らかさとほのかに湿った温もりに、あたしくしはうろえたのだ。
そうして、随分と人の手に触れたことなどなかったと自覚したのだった。


あたくしの心は愛情に飢えている…そんな自分をちゃんと理解していないと、そのうちきっと大きな間違いをする。

あたくしは、もっともっと自分を知らなくてはいけない…。

合谷というツボは、手の平のツボ。
親指の付け根の少し上辺りにあり、もう片方の親指でギュッと押すと、痛みと共に心地よさが広がる。

先生の言葉は、あたくしの心のツボをキュッと押して、我を忘れかけた自分を正気付かせてくれたのだった。

“カサンドラ症候群”という言葉がある。

f:id:spica-suzuhazu:20181008224742j:plain「先生、私はカサンドラ症候群でしょうか?」
と、あたくしはカウンセラーに問うた。
 
その日の朝まで、カサンドラ症候群なんて言葉は知らなかった。
ネットで偶然知った言葉を言ってみたかっただけなのだ。
なぜなら、その言葉は妙に心に引っかかったから。
 
カサンドラ症候群というのは、アスペルガー症候群のパートナーが陥る精神状態を指す言葉だそうだ。
カサンドラというのはギリシア神話に登場する王女の名前である。
アスペルガー症候群は女性よりは男性に多いそうなので、カサンドラ症候群は主に女性に見られる現象…ということになる。
 
自己評価の低下、パニック障害抑うつ、無気力…などが精神状態の特徴として挙げられる。
なるほど、自分に当てはまると感じたから気になるのね。
アスパルガー症候群の人をパートナー持つと、相手から思ったような情緒的反応が得られないことから、次第に自信を無くし、深く傷ついてしまうのだそうだ。
それは、親に虐待され続けて育った子供にも共通する傾向があるのだとか。
 
カサンドラ症候群のことを「現在進行形のトラウマ体験」と表現するのも目にした。
 
カサンドラ症候群の自助会がいくつもあることをあたくしは知った。
とどのつまり、アスペルガー症候群のパートナーである女性の集まりだ。
そういう人がいっぱいいるということだ。
それは珍しいことではなく、ある程度は普遍的だということだ。
 
現在のカウンセラーではなく、かつてお世話になったカウンセラーの方に夫の愚痴を垂れていた時に「あなたの旦那さんは発達障害ではないか?」と言われたことがある。
その時の自分は、その言葉はカウンセラーがあたくしを気遣って掛けてくれた言葉なのだと理解しながらも、「私の夫に会ったこともないのに、そんな無責任なこと!」と内心憤慨したのであった。
 
 
 
夫の予後は思わしくなく、時々ニトロを舐めている。
そうしていながら、夫はフレンチや焼肉に想いを馳せ、酒を飲む。
タバコとスナック菓子はキッパリやめてくれたのは「すごいな」と思うし感謝もしているが、その程度で辻褄が合うとも思えない。
 
夫の病気は、脂も塩分もアルコールも全部ダメなんだ。
 
あたくしは家のご飯にもち麦を混ぜ込んで炊くようにした。
野菜を多めにし、ハムやウィンナーを所望した時は茹でたササミをワサビ醤油で食すように促した。
でもこれも焼け石に水だろうなぁ。
「不味いものを食って長生きするくらいなら、死んだほうがマシ」と夫は宣言した。
 
そこにはあたくしは存在しないかのようだ。
夫には、傍らのあたくしの為に摂生し、長生きしようとかいう発想は微塵もないんだ。
残りの人生で楽しいことをやり尽くそうと、海外グルメ旅行の計画なんかを立てている。
 
「それでね、わたしは自分なりに頑張ってみようかとは思っているんですけど、夫にもしものことがあっても自分を責めるのだけは止めようと思ってるんです」とあたくしは先生に宣言した。
最後に「今度は」と付け加えて。
 
夫が鬱になった時、周囲も自分も「なぜ、あなたが側にいながら」とあたくしを責めたのだ。
自分以外の行動を変えようなんて“おこがましい”ことであるのに、できないことをしようと四苦八苦してパニックに陥ったのだ。
 
「先生、もう絶対に自分を責めませんよ?」
あたくしは、そう宣言したのだ。
 
 
それで、冒頭のカサンドラ症候群の質問をしたのだ。
 
「実は最初はさ、そうかな?と思ってたんだよ」
 
ふ〜ん。
今朝あたくしが初めて聞いた言葉を、カウンセラーの先生は1年以上も前に思い浮かべていたことを不思議に思った。
「で、今はどう思います?」
 
あたくしは正直、夫がアスペルガー症候群なのかどうなのか、全く興味がない。
恐らくは、当てはまらないと考えているし、仮にそうだとしても「あたくしは実は“カサンドラ症候群”だったのだ!」と、このブログを盛り上げるつもりはない(笑)。
 
カサンドラ症候群を考える時に大切なのは、アスペルガー症候群というものを理解して、互いに心理的負担の少ないコミュニケーション方法を模索し、健やかな人間関係を構築するにはどうしたらいいのか? という視点だそうだ。
どうやったら、全くの感覚の異なる二人のコミュニケーションが上手くいくのか? という相互理解のプロセスだ。
 
それ自体は、どちらかが「なんちゃら症候群」とかでなくても、夫婦間における永遠のテーマだと思う。
 
だから、今のあたくしの興味は、現在、先生があたくしをどのように思っているのか、だったりする。
最初はあたくしのことカサンドラ症候群だと見立てたとして、現在はどう思われるのよ?
 
先生はその問いにはYesともNoとも言わず。
 
「心配だね、あなたの旦那さん」
 と、あたくしの不安に寄り添ってくれたのだった。

うらみつらみの薄れる頃。

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ちょっと前、夫が入院したのだ。
しきりに「調子悪い」と言う夫にウンザリしていたあたくしは、怒りを込めて強く検査を勧めたのだった。
病院に行った結果は、即日検査入院。

「だから今日は泊まりになるからさ」
その報告を電話で聞きながらあたくしを思ったことは、こともあろうに「今日の夕飯は一人だから、適当飯にしよう…」だった。
会社の試用期間終了直前で日々の緊張はMAXだったし、仕事に追われていたのだろう。

だけど、残業を終えて一人暗い自宅に帰った時、自分は何てバカなんだろうと思った。
明日の夫の検査は、状況次第ではそのまま手術になるのだ。
夫は「付き添いとかいらないから、普通にお仕事行ってね」と言ってたけど、冷静に考えるとそれはありえないと思った。

自分は疲れていて判断が鈍くなっている…と自分は反省した。
翌朝、会社に電話一本入れて、急遽仕事を代わってもらい、検査に立ち会った。
とはいえ、自分はただ廊下のベンチに座って待つだけで、何もすることはないのだ。

検査は45分程度とのことだったが、いつまで経っても出てこない。
ああ、手術に突入だな、とボンヤリ思った。
カテーテルを使った施術だから、検査と手術の境界は曖昧に思える。
しかし、こういう時、ドラマなら医師か看護婦が出てきて家族に状況を教えてくれるものなのだが…と思いながら、悶々としながら手術室の前で待つ。

夫の検査&手術は3時間半も要したのだ。
彼は、意識こそハッキリしていたけれど、顔は真っ青で心臓カテーテルを挿入していた片腕の周辺は血まみれだった。

 

 

手術は「不成功」、と医師が見せてくれた書類に書いてあった(これ、ある意味、凄くないか?)。
ま〜いろいろやったけど、ダメだったのよ、お薬で様子みましょうということなのだ。
この言いにくいことを、互いにしょっぱい顔にならないよう、医師は感情をできるだけ込めないよう、微笑みさえ浮かべて伝えている。

それから夫は少しだけ変わった。
物事には限りがあると悟ったようだ。
彼は、薬の副作用で、すぐに青タンだらけになる自分の身体を、今までになく愛おしむ。

そして自分も悟ったのだ。
どんなに深い執着もいつか終わりが来るんだなぁ、と。

あれだけツラツラと夫への不満や恨み心をこのブログにまで書き連ねてきたのに、自分はもう「それは、もう、どうでもいいや」とか思ってしまっている。
それは、自分にとっては楽になることなのだけど、そこには寂しさが付きまとう。
こだわりを捨てたら、それはもう自分ではなくなると思っていたのに、相変わらず自分は自分でしかありえないし(笑)。

それに気が付いた時の、拍子抜けしたような、虚しいような、気持ち。

 

 

これらのことを話す、カウンセリングルームの儚さも、何もかもが夢の様でもある。
お金払ってるから、先生はあたくしの話を聞いてくれて当然! とか思っていたけど、今はなんだか違うような気がする。
何しろ、トラウマ治療から始まった自身のカウンセリングは、今は随分と変貌してしまった。

もう、カウンセラーに対して狂おしいほどの恋心は抱いていないし、お父さんやお母さんの代わりでもない。
架空の兄や理想の上司でもない。

先生は、あたくしに問いかけた。
「人のことばかりでなく、ちゃんと自分のことを考えられている?」
「自分のことを大切にできている?」

先生は「自分のやりたいことを忘れちゃダメだよ」と言う。
自分を癒す時間や、自分の夢、それからそれを実現させるための時間を、先生は大切にして欲しいと言うけれど、今のあたくしには難しい。
自分以外の、夫や仕事に関わる人々のことで頭がいっぱいいっぱいで、毎日全速力なのに全然間に合ってなくて、ちょっと諦めモードなんだよ。

ふと、思い付いたように、先生は、自身のこの夏休みの思い出を語ってくれた。
イルカがどのようにして疲れずに泳ぎ続けられるのか…そんな先生のおしゃべりをボンヤリと聞きながら、あたくしはリュック・ベッソンの映画、『グラン・ブルー』を懐かしく思い出していた。

「僕が手伝えることがあったら、何だってするから、夢を諦めないで」

先生が、あたくしのことで手伝えることは限られているんだけどさ、その気持ちは嬉しいよね?

誰も彼も、自分に繋がる全員に、あたくしは言いたい。
そのままでいいから、どうかずっと側にいて。

 

※愛と執着と狂気を扱った映画だと思うのだけれど、音楽と映像が美しくて、何故だか癒される不思議な映画。20代の頃、一時は毎晩このサントラを聴いて就寝してました。VHSビデオ版は持っていたけれど、引越しの際に処分してしまった。DVDでまた観たくなりました…。

 

過去の過ちについて語る。

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ストレス解消の為にバランスボールを買った。
これにあお向けに乗っかって、海老反りになるのがお気に入りのポーズ。
ああ今、すごくダラシのない格好で心ゆくまでダラダラしているなぁ〜と思えるとリラックスできてる感じがする。
 
そんなこんなで、またカウンセリングの日がやってきた。
「読みましたよ課題図書」とあたくしは言った。
前回、課題図書として提示されたのは「アサーション」の本。
 
以前に「アサーション」に関する本を手にした時、自分はそれを言葉のテクニックの指南書として読んだような気がする。
怒りを溜めずに、かつ相手を尊重しつつ、相手に自分の意思を伝える技術…それがアサーションの概要である。
しかし、ここには実は深い哲学的な前提があることを、自分は今回、改めて知った。
 
その哲学は、ちょっと端折るが、以下の三つの権利からなる。
1)誰からも尊重され、大切にされる権利。
2)誰もが自分の行動を決め、表現し、結果について責任を持つ権利。
3)誰でも過ちをし、それに責任を持つ権利。
 
前回に先生が、「基本的人権」と言っていたのはこのことだったのだ。
 
だけどあたくしには、この中に出てくる「責任を持つ権利」というのが怖い。
そのことを先生に伝えると、「はて、そんなこと書いてあったかな?」とトボけた。
「いえいえ、分かるんですよ、“責任を持つ権利”であって、それは“義務”ではないと言いたいこと」
 
だけど、失敗をした時に、どこまで責任を持ちたいと思うかどうかは…つまり権利を行使するとかしないとかは、その人の罪の意識に左右されることではないのか?
そこ、難しくないですか? と、あたくしは問うた。
 
 
 
仕事柄、人のヘヴィ〜な話を聞くことが増えて、今回はどうしても仕事抜きの話がしたくなった。
そうして、その為に、ずっと心に引っ掛かっていた、何十年も前の話を引っ張り出した。
つまりそれは、自分の過ちの話である。
 
学校を卒業後に就職した会社でのこと、一年目の秋頃、自分は同僚と恋に落ちた。
何よりも最悪なことは、彼が学生時代に結婚しており、すでに一児の父だったということだ。
それは、あってはならないことである訳で、二人は互いに必死で、堪えたり、気持ちを隠したり、チラチラと表現したり、互いの境遇に嫉妬したりしていたのだ。
でも、若いし未熟だし頭も悪いし、互いを求める気持ちはどうにも鎮火することはできなかった。
 
「僕は離婚するよ」と彼は宣言したが、そんな身勝手な離婚話がサクサク進むはずもないのは明らかだった。
そのうちに彼が勝手に別居暮らしを初めた時、あたくしは「いやいや、そんなこと自分は頼んでいない」と怒った。
だがしかし、その行動の一因は紛れもなくあたくしの存在そのものだ。
 
「これから、一緒に大阪に逃げよう!」
ある時、もう我慢できないとばかりに彼が言った。
そうしたらどうなるのか?
あたくしは、パチンコ屋の2階やひなびた旅館で住み込みで働く疲れた二人…そんな貧相な発想しかできなかった。
それにその頃、やっと段々と仕事をまかされるようになっていて、明日、職場に自分が現れなかったら仕事はどうなるのだろう? と気になった。
 
「無理だよ。逃げるのは嫌だよ。自分は、多くの人に祝福されるような結婚がしたいよ!」
あたくしがそう言うと、彼は「あぁ〜」と悲しそうな顔をした。
しばらくして彼は、周囲には「家業を継ぎます」と言って会社を辞め、別居したまま実家のある地方に移り住んだのだった。
 
その後の彼の消息は、聞くたびに辛い話ばかりだった。
うつで入院、失踪、難病、その後、病から片眼の視力を失った。
 
約15年振りのある日、彼から突然電話をもらった。
「不渡り出しそうなので、25万円貸してください」
当時、自分は離婚して一人暮らしをしていた。
自分にとっての25万円はもちろん大金だったけれど、あたくしは即OKした。
 
彼はすぐに社判を押した借用書を送ってくれた。
闘病しながら家業の立て直しもしなくてはならない彼の苦しみはいかばかりだろう?
できることなら、あたくしは彼を救いたかった。
 
だけれども以後、様子伺いで電話をすると、彼はどこか迷惑そうなのだ。
そうして何度目かの電話で彼は言った。
「あの、お金返すのもう少し待って…」
 
ああ、やっぱり人にお金なんか貸すもんじゃない! と瞬時に悟った。
あたくしの電話はいつしか、かつての恋人ではなく、借金取りの督促になっていたんだ!
良かれと思ったのに、やはり失敗してしまった。大失敗だ。
 
だから、咄嗟に言ってしまった。
「あ、お金、返さなくていい。ずっとお世話になってたから」
 
お世話になっていたという気持ちに嘘はない。
それに自分は、本当にその人のことが好きだったし、実は、その人が好きな時の自分も好きだった。
その人の前では、オドオドしたり変に気を回すことなく、自分の心を素直に言葉にし、行動することができた。
相手の気持ちを疑ったり、独占したいとか操作したいという気持ちすら持たずにいられた。
幻ではなく、そういう存在が世界のどこかにいることを実感できた自分は、これまでの人生で何度もそのことに励まされた。
 
だけれども、何だか、終わっちゃったな、と感じた。
実際にこれきり、なんとはなしに連絡は途絶え、縁は切れてしまったのだ。
 
 
 
今でもどうしたら良かったのか考えるのだ。
お金なんか貸さなきゃよかったのか?
それとも、取り敢えずは貸すとして、毎月少額でも返済してもらったら良かったのか?
 
ずっと、自分はその人に罪悪感を持っていて、何とかしたかったのだ。
自分の存在が長い時間をかけて、彼の人生を台無しにしたのだと思っている。
そして、それでも自分は、付かず離れず、ずっと繋がっていたかったのだ。
 
先生は時折目を閉じながら、あたくしの話を聞いていた。
「自分はどうすれば良かったと思います? この間違いに、どのようにしたら責任が取れますか?」
 
先生はそのことには答えないで、「若い頃の思い出は、時間とともに美化されるものだけれど、いつもまでもそこに浸ってちゃいけないな」と、言った。
 
そうして、「僕、そんな風に素直な自分になれる人に出会ったことがないから、羨ましい気持ちもあるよ」と付け加えた。
改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために

改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために

 

 アサーションに関する本を読むなら、まずこの一冊が手頃かと思われる。アサーティブな表現ができる子になれるかどうかはともかく、自分の思考の傾向は分かる。攻撃的・非主張的・アサーティブの3パターン分類なのだけど、自分は完全に“非主張的”だ!

真っ白になる。

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失敗して怒られて、頭の中が真っ白になってしまったのだ。
 
現在の職場では研修期間中の新人には教育係の方がついて指導をしてくれることになっている。
それはありがたいことなのだが、奇しくも、ぶっちゃけ「この人だけからは教わりたくたいなぁ」というような方があたくしの教育係になってしまった(笑)。
 
その方は客観的にはとても有能な方だと思う。
昨日来たような自分から見ても、仕事は正確で早く、とても精力的だ。
 
だけれども…どんなところが嫌だったのかというと…言っちゃうよ?…まず、指導が否定の言葉から入るのが嫌だった。
「分かってない」「違う」「駄目」
 
それに、新人というものは、経験を積んだなら決してやらかさないような突飛な失敗をしてしまうものだと思うのだけど、その教育係はいつも同じボリュームで怒るのだった。
自分としては、事の大きさでボリュームを変えて欲しいと思うのだけど、その人にとってはどんなことでも重大なミスらしい。
 
その人が意地悪な気持ちから言っているのではなく、真剣に教えたい気持ちからヒートアップしているのは理解していた。
だからこの数ヶ月、メモを取りつつ必死で追いかけていたが、覚えの悪い自分に次第にイラつき呆れているのが、こちら側にも手に取るように伝わってきた。
 
そんな日々の、トドメのような出来事だった。
 
これは本当に自分のせいなのか? 自分だけが悪いのか?
というのも、今回の件は自分の判断で勝手にやったのではなく、他の先輩社員に指示を仰いでやった結果だ。
だから、その日ばかりは黙っていられなかった。
 
ところが教育係は、あんた“だけ”が悪い、一を聞いて十を知れ、とばかりに畳み掛けてきた。
要はあたくしの察しが悪いということなのだ。
自分の弁解は火に油を注いでしまったようで、今回のミスがそのまま大事になったら最悪こんな結果に…という話に発展した。
 
失敗なんか誰もやりたくてやっている訳じゃない。
地雷を踏んでから「そこ地雷が埋まってるよ」と言うのなんて簡単だ。
地雷を踏まない方法を教えてくれるのが、教育というものではないのか(笑)?
そうしてこの研修期間、自分の仕事への前向きな気持ちは少しずつ萎み、不安感や自信のなさはどんどん膨らんでいったのだ。
 
 
 
「まあまあ〜、大事に至らなかったのだから、次から気をつけるってことでいいじゃないですか?」
と、見かねた他の社員が間に割って入ってくれた。
 
しかし、興奮した教育係はその方の言葉を遮ってまで怒り続けた。
そうして怒り終えると、その教育係はまるで憑き物が取れたように平素の状態に戻り、自分を置き去りにして、仕事を続けた。
 
実はその時まで、自分が客観的にどうなってしまっていたかの自覚がなかった。
「あの時、葉月さんの顔色がみるみる変わったことに相手が気付いてなかったみたいだから、声掛けたんだよ」
と、助け舟を出してくれた社員が教えてくれた。
 
そうか、自分はそんな風になっちゃってたんだ。
大丈夫なのか? 自分、このままここにいて大丈夫なのだろうか?
今回はともかく、こんなに我を忘れている自分が、今後、本当に大変な間違いをやらかしたりしないのか?
 
 
 
カウンセリングで、あたくしはその不安をカウンセラーの先生にぶつけた。
「あの、また、再発しそうなんです…けど…」
「え、何がですか〜?」先生はすっとぼけてそう聞き返す。
 
「何って…“全般性不安障害”が! ですよ」
「あはは!」よりによって先生は笑う。
 
先生はしつこい。「“全般性不安障害”って何ですか〜?」と再び問う。
先生は臨床心理士だから、“全般性不安障害”を知らないハズはないじゃない?
あたくしは意図を計りかね、「んとに(怒)」と思いながら、
「失敗するんじゃないかと不安になって、一歩も動けなくなりそうです!」と訴えた。
そうして、かくかくしかじか…とあたくしは事の顛末を話したのだ。
 
いつしか、久々にあたくしは己の弱さをさらけ出し、先生の前で泣いていた。
 
先生は話を聞き終えるとあたくしに優しく笑いかけた。
「助けてくれる人がいて、良かったね」
 
「…はい、自分もそう思いました」
そう、割って入ってくれた人が現れたのは、新しいパターン。
これがなかったら、次の日の朝にも自分は突如、布団から起き上がれなくなっていたかもしれない。
それは、自分の最も恐れる事態だった。
 
でも、そうはならず、自分はその助けてくれた人のアドバイスに従って、後日、ちょっと上の方に助けを求めてみたのだ。
朝、突然布団から出られなくなる恐怖を再現するくらいなら、もう何でもやってやれ、という半ばヤケクソな気分で。
あたくしが助けを求めたその方は、自分からしたらだいぶん偉い人なのだけれど、その日のうちに時間を作ってくれたのだった。
 
だから、自分はほんの僅かだけれども進歩できているのだと思う。
助けを求められる人になっていると思う。
先生も、その行動ができて、そうして受け入れてもらったことに、再度「良かったね」と言った。
 
「それでも何といいますか、ソワソワ感というか焦燥感が止まらないといいますか…」
心の中で、ブルブル震えている存在があるのだ。
それは、自分がいくらなだめても聞き入れず、縮こまって震え続ける。
 
ここのところのカウンセリングは、先生はただひたすら聞き役に徹してくれていたのだけれど、今日はミッションがたくさん出た。
ミッションというより、これまでのおさらいだな。
 
1)自分の中の恐怖心を無理に押さえ込もうとしない
    ←今はそうなんだな、と認めてあげる
 
2)人からの親切に対してもらい上手になる
    ←シンプルに感謝をし、変にお返しをしようと焦らない
 
3)人の怒りと真の自分の間にはクッションがあって、いかなる時も真の自分は直撃を食らって損なわれたりしないと理解する。
 
う〜ん、確かにどれもかつて教えてもらったことなのだけど、難しいな!
 
今回は、最後に課題図書まで出た(笑)。
「人には間違える権利があるんだよ? それは基本的人権なんだから!」
それが、真っ白になってしまった自分に対する先生の教えなのだ。
ありがたや、ありがたや。

先生は、もう何も言わない。

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疲れ切っている。
仕事のせいとかではなく、単なる夏バテかもしれない。
 
それで、カウンセリングに行き着いても、自分は憔悴仕切っていて、言葉もなくガックリとうなだれる。
「ゆっくりと、話そう?」とカウンセラーの先生が言う。
 
そうして、先だってのクレイマーの話をした。
 
それは、もつれた毛糸玉を吐き出す如く、ゲッゲッと何やら塊を伴った言葉だった。
 
その人がクレイマーだってことは、あたくし以外の人は、もう肌身に感じて知っていた。
そうして、自分だけが、頭でしか分かってなかった。
クレイマーは誰だって嫌だ。
 
自分以外の人はその人のことを「どこか他所に行かないかな?」と言っていた。
辞めてほしい、関わりたくない。
 
自分は、それを聞いていて、ずっと嫌だった。
だから、自分は普通に接したいな、とか思っていた。
だけど、自分がイザ、その人の標的になってしまうと、やはり綺麗事はなくなる。
あたくしも「他所に行かないかな?」と思ってしまったのだ。
 
その、複雑な気持ち。
敗北感。
自分のヤワな正義感やら倫理観やら、優等生ぶった偽善者的な部分や、力不足で未熟なところを認めなくてはいけない気持ちやら、ゴッチャになってとても複雑ですと、あたくしは一気に訴えたのだった。
 
先生は、う〜むと唸って、黙り込んだ。
 
え? 何もコメント無いですか? 先生?
 
先生のありがたいアドバイスを聞きたくて、あたくしはここに来ている。
何かにすがりつきたくて、ここに来ている。
 
「何て、言おうかな〜って…」
そうして、先生は塩っぱい顔をして見せた。
 
塩っぱい顔で誤魔化されても困る。
でも、自分も笑ってしまった。
 
あはは、先生でも難しいのですね?
 
人生ではしょうがないことがたくさんあるなぁ。
それでも、一緒に塩っぱく笑ってくる人の存在に、あたくしは感謝した。
 
先生は、もう何も言わない。
「僕もそうだったよ」とか「そういう時はこうすればいい」とか、気の利いたことは何も。
ただ、ジンワリと共感してくれるだけだ。
 
 
 
ただ、たくさん寝て、果物を食べろという(笑)。
そうして、今までの自分の仕事のやり方…一字一句聞き逃さないように集中し、言葉にならない部分までも予測しようと神経を働かせることを「辞めなさい」と言った。
自分をすり減らさないようなやり方でやりなさい、と。
 
理想は、猫のようにリラックスする。
そうして獲物を見つけたら、驚くような瞬発力を発揮できるくらい、緩みなさいと。
 
難しいな、言ってることが難しいんだよ。
 
とにかく、とにかく、あたくしはくたびれて、休日は寝たきりになってるし、リラックスには遠い。
せめて本だけでも読みたい。
でも、休日はもう目が何も見たくない、と言っている。
それどころか、耳も何も聞きたくないと言う。
 
でもね、自分には読みたい本がたくさんあるのですよ。
 
「何の本です?」
「何って…心理学ですよ』
「どんなジャンルの心理学ですか?」
「やだなぁ! 臨床心理士さんにそんな話できるわけないじゃないですか?」
 
そうしたら、それまでボヨヨ〜んとした風情で話を聞いていた先生の目つきが変わり、しきりに何なの何なの?と聞いてくる。
あ〜これだな。
猫のようにリラックスしていて、獲物見つけた時の顔。
 
「………」あたくしは、それを口ごもりながら小さな声でコッソリと教えた。
カウンセリングルームは二人きりだからコッソリも何もないんだけど!
言いたくないのよ、分かるでしょう?
まず、それを明かすことに、自分は不必要に恥ずかしさとか感じるでしょう?
だって、とってもプライベートなことだから。
それに先生は、それが自分の趣味じゃないとあからさまに不満気になるし(笑)!
 
でも、それは先生の趣味に叶ったようだ。
 
そりゃそうだろう。
それは、先生がやっていることだと思っているから、読んでいるのだもの。
先生のやっていることに名前があるのなら知りたいと思い、その本を読んでいるだ。
そういうことを知られるのが恥ずかしいから嫌なのだ。
 
 
 
「休みたいといっているのは、あなたの何処ですか?」
と、先生は尋ねた。
「本を読みたいと思うのは、頭ですよね?
 でも、身体は休みたいと言っているのですよね?
 身体の意見も聞いてあげてください」
 
その時の先生の言葉は、「そうしたらいいね」とかいうものではなく、「絶対にそうしなさい」という類のものだ。
 
あぁ、そうですよね?
 
こんな時でも、自分は頭の希望を優先させようとしてしまう。
以前、先生はあたくしのことを「頭が良いタイプ」と表現したけれど、それは決して褒め言葉ではないのだ。
頭と身体が違うことを言ったら、頭の言うことを優先して聞いてしまうタイプ、と言いたかったのだ。
 
「ああ、本が読みたいなぁ〜と思いながら、ゆっくり休みなさい」と先生は言った。
 
自分には、辿り着きたい場所があるけれど、もう無理かなあ〜とボンヤリ思った。
身体を労わりながらだったら、きっとタイムオーバーを迎えてしまう。
来世で…とかいうことになるのだろうか。
 
それとも、辿り着きたい場所がある、というだけで、それは素晴らしいことなのか?