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心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

あの日、助けてくれなかった親。

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以前、あたくしがストーカー被害に遭った時の話は、パニック症状を繰り返してしまうワケ。 にある通りで、最近、やっと当時のことを思い出したりできるようになりました。
その方がトラウマ治療には良いのでしょうけど、一方で、できるだけ思い出したくないという気持ちもあります。
それだけ強い、不愉快な体験だったと思うのですが、その他にも理由があります。
 
親が助けてくれなかったんですね。
 
犯人の拘留期間が切れる前に、あたくしは住居を移す必要があったので、夜逃げのような引っ越しをする必要がありました。
 
迅速な引っ越しのために、恥を承知で不動産屋さんにも事情を話しました。まともに取り合ってくれるのだろうか?との不安があったのですが、当時の不動産屋さんがとても良い方で、すぐに事情を理解してくれ、とてもスムーズに賃貸契約を進めてくれました。
 
徹夜で荷物を作って、引っ越し当日は、当時の会社の仲間が手伝ってくれました。事件は会社が舞台だったので、みんな被害者みたいなものです。でも、まるで楽しいイベントをするみたいに、快く手伝ってくれたのです。
 
運びきれない荷物や、その後のゴミの処理などが残りました。
で、それを親にお願いすると。「協力したくない」と。
 
男関係で警察の厄介になる娘の手伝いはしたくなかったそうです。
 
いや、自分、ストーカーの被害者なんですけど…。
でも、親にしたら被害者とか関係ないんです。とにかく恥。恥ずかしいので関わりたくないと。
 
途方に暮れていると、当時の上司(被害者の一人)が父親にメールを打ってくれました。
「どんな娘さんでも、あなたのたった一人の娘さんではないでしょうか?」
そんな内容だったと思います。
 
そのメールで、父親は、残った部屋の荷物を片付けるのを手伝ってくれることになりました。
 
嬉しかったかって?
正直、「いや、手伝うんかい!(怒)」と思いました。
恥ずかしいなら、誰に説得されようが、手伝わなきゃいいじゃないか!
娘の上司からのメールで態度を変える親が、たまらなく嫌でしたね。
 
それから、なんだか親を見る目が変わってしまったのです。
 
あたくしの親は、どちらかというと仕事に熱中して、子どもに対しては放任だったかと思います。
 
しかしですね、イザという時は助けてくれるのだと思っていました。
 
イザという時が、どんな時かは想定してなかったんですけど…。
 
いや、犯罪被害に遭って、速やかに引っ越ししなきゃいけない時…とか、それに当てはまるんじゃないかと…? と思いました。
 
10年経って、当時のことは、実家ではタブーです。
両親は離れて暮らしていて、たまの盆や正月に帰れば、ご馳走を振舞ってくれますし、季節の折々には野菜や果物を送ってくれます。
「どうしてる?」とハガキや電話やメールをくれることもあるし、いい年をした娘にお小遣いをくれようとすることすらある。
 
でも、あの時、助けを求めて拒まれたことは忘れられません。
 
父のことばかり書きましたが、母はもっと強烈で…。
 
先日、母と電話で話していたら、こんな風に聞いてきたのです。
「で、何であんた、カウンセリングなんか通ってるの?」と。
事件の存在を忘れていたんですよ!(笑)
 
「10年前にストーカーに遭ったからです(怒)」
笑ってごまかしたりできませんでした…。
 
母は、あたくしの好物とかも知らないんですけど、そんなことはどうでもいいと思ってました。
でも、娘が犯罪被害に遭ったことは、たとえ何の感情も伴わなくても、憶えてて欲しかったです。
 
あたくしは子どもには縁がなくって、親の気持ちが全て分かる訳ではないと思うのですが、自分の子どもが他所の人に傷つけられたら、怒ったりとか…っていうか、ものすごく怒ったりしないのでしょうか? 
それとも、それはあたくしの思い込みで、恥を感じたり、取るに足らないこととして忘れてしまうというのも、割とあり得ることなんでしょうかね? 
 
テレビで、犯罪やパワハラやいじめに遭った被害者の親が、テレビで訴えているのを見ると、その事件は本当に悲惨なことで、それと自分とはとても比べものにならないと思っても、不覚にも「羨ましい」と思ってしまいます。その辺が、あたくしは少しおかしくなっているにちがいありません。
 
あの時、親が助けてくれなかったことは寂しいことです。あの時の親の態度は、あの人達の一部分の表現に過ぎないと頭では分かっています。今も親に対して感謝している部分はそのまま、消えていないと思います。しかし、あれ以来、「自分は価値がない人間」「助けるに値しない人間」という考えが、以前より明確に浮かぶようになってしまいました。呪いですね。たった一つの出来事にも関わらず、何かが変わったのです。
 
いやいや、それは違うよ、と、呪いを解かなくてはいけません。
 
当時も今も、不自由で不安定な自分を理解して、無条件に受け入れてくれる友人・知人の存在があることも確かです。ですから、そっちを向いて生きていくべきなんでしょう。早く元気になりたいです。
 
こんな文章を、最後まで読んでいただいた方へも深く感謝しています。
 
頑張ります。
またね♪

3人目のカウンセラーにトラウマ治療をゆだねる。

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またしてもカウンセリングにチャレンジの理由

現在、性懲りもなく3人目のカウンセラーにお世話になってます…。

もう、カウンセリングなんか効かない! お金と時間の無駄! …と懲りたはずなんですが…自身でカウンセリングの勉強をしているうちに、
「いや、傾聴の基礎がシッカリしているカウンセラーなら、大丈夫なんじゃないか?」
 ←「その辺、どうなのか試してみたい!」
と気持ちが変化したというのがあります。
 
と、いうのも、自分が通うカウンセリング教室の先生は、ものすごく傾聴がうまいのです。その方は、臨床心理士さんではなく、シニア産業カウンセラーの方なのですけれども、かつてお世話になった2人の臨床心理士さんよりも、ずっと「鋭い」そして「優しい」。尊敬です。(いや、先生だから当然なのでは? と思う方もいらっしゃるかもしれないけど、そうでないことも…あるんですよ?(笑)最近知りました)
 

トラウマ治療のカウンセラーを探してみる

そんな体験があり、「あたくしにはカウンセリングは効果ない!」という信念が揺らいだ訳です。(この例ばかりでなく、素晴らしい傾聴技術は、聴いてもらうだけで、自然に、柔軟に自分の考えや行動が変わります。無理に変えようとしなくても変わります)本当は、その先生にお願いしたいくらいなのですが、それは叶わないので…。
 
探しました。
条件は…比較的近隣で、かつ臨床心理士であり、トラウマ治療に詳しく、自分の希望する療法ができる先生。そして、絶対条件ではないのですが、どうやら自分は男性のカウンセラーの方が良いらしい。
やはり便利なWebを利用したのですが、あたくしがお願いしようと思ったカウンセラーの方のHPは全くそっけないもので、場所と、主なカウンセリング対象者、使用する療法と、先生の名前しか書いていない。
あたくしの場合、実は、それが良くって、そこに決めたのですけどね。
 

カウンセラー、どんな基準で選びますか? 

いかがでしょうか? ご自身が探すとしたら、もっとどんな先生か分かるような情報があった方がよいでしょうか?
あたくし自身は、あまりにも自分の趣味、家族構成、ペットの有無(笑)なんかをHPで晒しているカウンセラーは、逆に深いエゴを感じてしまい苦手です…親近感を持ってもらうための自己開示だとは分かっているんですが…。
 
しかし、日頃の愚痴、仕事上の悩みなどを聴いてもらいたいとしたら、予め「こんな人に聞いてもらいたい」といった人物像があるかもしれません。介護の話、中間管理職の悩みなどは、若い方よりある程度の年齢が上の人が良いだろうな、とか。逆に、若い恋人の気持ちが分からない!といった悩みの場合は、若いカウンセラーに相談に乗ってもらいたいと思うかもしれません。
実際は、カウンセラーに対する予備知識はどこまであった方がよいのかは、その相談内容に依ると思います。
 

今度は長期泥沼化は避けよう!と思いました。

自分の場合は、トラウマ治療が目的なので、ぶっちゃけトラウマ治療が得意技なカウンセラーだったら、どんな方でも良いのですが、さすがに人間ですから、好みや相性があるというのも否めません。(その代わり、使用する療法と、そのトレーニングはどのくらいのレベルなのかは、とてもジロジロと拝見させていただきました)
そういうわけで、ピンとこなかったら、前回のカウンセラーの時のように「???」と思いつつも24回もセッションを重ねるという愚かなことはせず、直感でスパッと、辞めようと思っていたのです。
 
カウンセリングの1回目はとても大切です。
おそらく、カウンセラーにとっても大切だと思います。
ここで、何だか本音が言いにくいような違和感を感じたら、そのあなたの感覚を大切にした方が良いです。
3〜5回目くらいまでに、その違和感が解消されなかったら、恐らく、残念ながら、カウンセリングの良い効果は得られないと思います。
熟練したカウンセラーなら、この最初の数回は、問題の解決よりもまず、あなた自身を理解し、受容することに集中しているはずですしね。
 
最終目標は、あなたの問題を解決することですから、カウンセラーとの信頼関係を作るのに、そんなに時間はかけていられません。比較的速やかに信頼関係を作る…その辺の瞬発力は、カウンセリングの腕の見せ所でしょう。カウンセリングは、あなたが、あなたの問題を解決するためにお金を払って作った、あなたのための時間なのですから、信頼関係はスムーズに構築されたいものです。
 

3人目のカウンセラーの初回カウンセリングは…

メールにてカウンセラーの方に、自分のややこしい状況を説明して、治療を依頼。めでたく受け入れられて、4月吉日に訪れたのでした。
 
そして、第1回目のカウンセリングはどうだったかと言いますと…
本当に素晴らしい先生だったのです。
 
カウンセリング齧っておいて良かったと思いました。
なぜかというに、あたくしはボヤッとした人間なので、良いな〜と思っても、ボヤッとしか感じることができないのです。しかし、ちょっとでも勉強していると、ボヤッとじゃなく「ここが良かったのです」と具体的に振り返ることができるからです。普段からシャキッとした人は、勉強なんかしてなくても、自分の気持ちがどの部分で動いたか分かるのかと思いますが、あたくしのようにボヤッとしていると、何にしろ多少の訓練が必要なのです、よ(笑)。
 
具体的にどんな部分があたくしに信頼感と安心感を与えてくれたのか、書き出しておきます。
人のどんな部分に好感を持つのかは、人それぞれかと思いますが、参考までに。
 
1.「メモを取っていいですか?」などと、何か行う時、承諾を求めてくれる。
  (一言もなく、目も合わせず、当然のようにメモをガシガシ書き始めるカウンセラーもいる)
 
ユニークな発言に笑顔を見せる。言葉でポジティブな反応をする。
  (「変だね」「変わってるね」ではなく、自分の個性が尊重される感じがする)
 
目標とする問題解決までの、現段階での治療計画の説明があった。
  (具体的にはカウンセリングの頻度、予測されるプロセスなど、どのように治療を進めていくか、など。ここに触れずにカウンセリングが進んで長期泥沼化した経験を持つあたくしにとっては、信頼感アップの場面でした)
 
ポイントはどれも、作為的な感じがせず、洗練されていて、とっても自然。
もちろん、傾聴の素晴らしさは、あたくしが何か言える立場にないくらいです。
いや、プロなんだからこんなの当たり前では?と思われる方がいるかもしれません。
そうでもないんですよ。人間には誰にでも、本心から出た言葉ではないものに違和感を感じる力が備わっているんです。で、表面上だけで心が伴っていない言葉っていうのはどこか寒いのです。カウンセリングの練習をすると、言葉に心を伴わせる難しさに直面できます(笑)。
 

初対面の人に自分の悩みを話すのは緊張するものです

とにかく、カウンセリングの1回目というのは緊張します。誰しも、初対面の人に会う時は緊張するものですが、カウンセリングはその後に自分の悩み事…弱点を語る場面が控えています。
 
自分のように、その悩み事がトラウマ体験にまつわるものだと、恥ずかしさ、怒り、悲しみ…と負の感情がいっぱい詰まっているのです。そうでなくたって、どんな悩みでも、個人的な、デリケートな、大っぴらに言えない部分があるかと思います。だからカウンセリングに来たんですよね?
 
「この時間は、あたくしがお金を払って作った時間だから、負の感情をダダ漏れさせても、そんなの当然さっ!」なんて、開き直ってカウンセリング受ける人はいないと思います。
 
だから、世のカウンセラーの方、クライアントがどんなに平静を装ってカウンセラーの前に現れたとしても、怯えたり緊張しているってことを忘れないでくださいね〜。
 
(実は、カウンセリングの練習をすると、カウンセラーも初対面の時にはかなり緊張する、ということが分かるのですが、ここを乗り越えないと、クライアントの緊張は当然、解くことができないので、必死に乗り越えようとします(笑))
 
そういうことで、ここしばらく、時々トラウマ治療、ということに相成ったのであります。
恫喝が平気になるといいな。
そうして、急にお仕事を辞めたりしなくても良い、健やかな心身になったら、いいなあ〜。
 
全ての人が、自分の中に安全地帯を持てますように…。

頑張っているのに変わらない。何もしなくても変わる。

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2〜3年位前になるのかな? 一時期、パニック症状や鬱を自力で解決しようと、かなり認知行動療法の本を読み漁っていたことがあります。
 
最も近年のあたくしの診断名は全般性不安障害 (GAD)」で、文字通り、全てが!何となくモヤっと怖いという状態。(似たのに「社会不安障害( SAD)」というのがあって、こっちは人前で喋ったり、意見を述べることに異常に緊張する症状が主)外が怖い訳ではなく、家に居ても布団の中でも何となく怖い。酷くなると、生きていることが怖い。動悸がして、息苦しくなる。
ストレスによって、脳の機能が故障して、暴走しちゃってるんだな〜。
勝手に「恐怖心」や「嫌な予感」が膨らみ、過剰防衛で神経を酷使。結果、ささいなことでイライラしたり、異常に細かいところが気になったり、予想外のことが起こるのが極端に怖くなってしまう。
 
医師は当然、薬物中心の治療を勧めてくるけど、パニックを10年も患ってしまうと、薬物への期待感は薄い。そういう訳で、まずは比較的費用的にも負担の少ない「読書療法」をしてみたわけ。
 
自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』メラニー・フェネル著 とかね
あとは、
いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法』デビッド・D・バーンズ著
この本は、かなり分厚い本なんだけど、懲りずに、
不安もパニックも、さようなら 不安障害の認知行動療法:薬を使うことなくあなたの人生を変化させるために』デビッド・D・バーンズ著
も、購入して、ワークをかなりガシガシやった。
 
どれも、名著であり、巷の評判も良く、読むと「なるほど」の連続で、自分の弱点、病気を維持している考え方が良く分かるような気がする。
例えば自分は、「結論を急ぎすぎる」「完璧であることを自分に求める」「他人に優しく自分に厳しいダブルスタンダードを使っている」「『白か黒か』的思考におちいりがち」な傾向があるんだな〜とか分かる。
で、それを修正するためのワークもある。一生懸命やる。
 
だがしかし、なかなか「嫌な気分よさようなら!」ってならないんだなっ。
 
当然、「不安もパニックも、さようなら!」とも、ならない。
 
本には、「たゆまず努力すれば克服できる!」といった根性論が書いてある。根性論ではなく、単に我々を励まし、慰めてくれているのかもしれないけど…。
「再燃しかけたら、何度でも自分の認知の歪みを発見して、(自分に)反論しましょう」と書いてある。
 
う〜ん。理屈っぽい自分には、認知行動療法はピッタリだと思ったのだけど、なんだかシックリこない。思考に行動が伴わないような違和感…。
 
で、「毒を喰わば皿まで」(←?)とばかりに、「論理療法」にも手をつけてみた。
例えば性格は変えられない、それでも人生は変えられるアルバート・エリス著 とかね。
どんなことがあっても自分をみじめにしないためには―論理療法のすすめアルバート・エリス著 も、読んだ。
実は、デビッド・D・バーンズの認知療法より、アルバート・エリスの論理療法の方が、その説得方法というか論法が自分の気持ちにピッタリした。
(双方は認知行動療法とひとくくりにされることが多いのだけど、考え方に若干の違いがある)
この2冊は、理屈っぽい人には非常に面白く読めると思う。実際私もとても興味深く読んだ。
 
だけど、症状の軽減にはまったく至らないんだな。
 
結局のところ、無意識の部分に触れない療法は、自分には合わないらしい。自分で自分を説得とか、論駁とか、できないもん!
意識だけで物事を変えようとか、いわゆる左脳的な思考だけで問題を乗り越えるというのは、あたくしダメらしい。
 
Amazon認知行動療法の本のレビューで「すごく気分がよくなりました!」とか書いている人、スゴイよ!
そういう人は、意識主導で自分の行動を変える能力がものすごく高いと思います。それは一種の才能です。尊敬です。
 
そこで、あたくしが思考と行動を変えようとしておすがりしたのが無意識様のお力です。
自分の思考の力に限界を見て、諦めの境地、一種の悟りのようなものが訪れたのでしょう。
そうして、自分の思考の歪みの頑固さ、不安を強固に回避しようとする自我に、白旗を上げたのです。
 
いや実は、とどめにというか懲りずに「スキーマ療法」も試してみたんだよね。
でも結局、これも自分には全くダメでした。いや、療法自体は悪くないです。今までの様々な療法を幕内弁当的に合わせたような感じで、幼少期の心の傷の癒し、みたいな要素もあるので、「スキーマ療法は、認知行動療法を発展させた療法」という説明もよく分かります。そういうわけで幕内弁当的なので全く新しくないですけれどね(笑)。しかも「一生かけて取り組みましょう」みたいなことが書いてあって、ワークブックも2冊にわたっているので、もう人生の後半に入っているあたくしは「それは無理」と思いました。
 
とにかく、あたくしは「自分の意識を理詰めで説得する」とか「地道に文章を書いていくワーク」の類は全然だめでした!
頭で分かっていても止められないタイプ!
読書により認知行動療法の行脚は、星和書店(数々の心理療法の本を出版)さんにかなりのお布施を払っただけで終了(笑)。
 
そうして、もう、考えすぎて何だか頭フラフラだよ…ってなって挑んだヴィパッサナー瞑想が、なんだかジワーッと…。
ジワーッと効いてくるもんだから、人生って面白いですね。
 
「北風と太陽」の話を思い出しました…。
 
自らに左脳的説得を試みて失敗した方は、右脳からのアプローチも試してみてください。
自分は理論派な人間だと思い込んでいたら、案外、イイ感性をお持ちだったりするんですから!

 

*敢えてオススメするとしたら、以下の2冊あたりなど。 

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

 
性格は変えられない、それでも人生は変えられる―エリス博士のセルフ・セラピー

性格は変えられない、それでも人生は変えられる―エリス博士のセルフ・セラピー

 
※エリス先生のは、古本になっちゃうけど(か、図書館で)。 

「わたしも◯◯を克服しました」というカウンセラー。

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カウンセリングの勉強では、ロールプレイングが欠かせません。いろいろな方の価値観や悩み事に触れられるので、とっても貴重な機会なのですが、この間、クライアント役の方が偶然にも自分と共通の悩み(パニック症状)を持っている人でした。

練習といえども守秘義務がありますので、詳細は省きますが、共通の悩みを持つ人にリアル世界で会ったのは、実はこの時は始めて!
同じ痛みを共有できる人と出会えたことにの嬉しさに、涙が出そうなくらい感動したのです。ですが…実はこのパターン、練習としては、かなりハードルが上がってしまうのです。

なぜかと言うに、カウンセリングの練習の課題は、
相手の感じていることを、自分の体験として感じること
なのです。
 
自分だったらこう思うだろうなぁではないですよ?
軽く憑依する感じです(笑)。
 
むちゃくちゃ相手に集中することが必要です。そうして、相手の感情を自分の感情として体験してはじめて、立場や考え方の異なる人に共感できるようになり、カウンセラーが心から共感してくれるのが分かるからこそ、クライアントが本心を語ってくれるようになるのです。
とっても大切。そしてこれがなかなか難しい。
 
そういう訳で、タダでさえ難しく集中力が必要なところに、自分と似た体験を聞いてしまうと、どうしても自分の過去を思い返し、いちいち自分の体験と比べながら聞いてしまうんですね。これがとても邪魔! そこでそのエゴを消そうとすると、本来、相手に捧げなくてはいけない集中力の一部が、エゴの滅却に使われてしまうのですよ。
 
もし「そーだよね、私も体験しました。そういうの辛いね!」とか、激しく同意してしまうと、クライアントの話をネタに、逆にカウンセラーの世界に引きずり込んでしまいます。カウンセリングの主役はあくまでもクライアント! ですので、そう言いたい気持ちを脇に押しやりながら、初めての話を聞くかのごとくに素な態度で話を聞くようにするのです。
そういう風にして、なんとか練習を終了させることにしたのですが、本当にヒヤヒヤドキドキでした。
 
そこで、です。ネットなどではよく見かける「わたしも◯◯の経験者です」「自ら◯◯を克服しました」(◯◯内は、パニック障害、鬱、強迫神経症、不安障害などが入る)と掲げて商売をされているカウンセラーは、すごいや、と思った訳です。
恐らくは、そうした方が商売上、よいと思ってワザワザ書いているのでしょう。
 
しかし、似たような体験をしたことがある、というのはカウンセラーにとっては実は諸刃の剣。例えば、自分の方が壮絶な体験をしていたりすると、相手の体験に親身になれないなど、カウンセラーがクライアントと似た体験をしていることが、時にはカウンセリングの邪魔になることもありえるのです。
また、クライアントがカウンセラーの個人的なこと(同じ病気を体験している)を予備知識として知っていることが良いことかどうかも疑問です。
カウンセリングとして難しくなっちゃうケースを扱う訳ですから、よほど自信がないとワザワザそんなこと書けないと思うのです(本当に自信があるのかもしれませんが)。
 
ある問題を自分が克服することと、他の人が克服するのをお手伝いするのは、全く異なる次元だと思います。
あたくしは、一度病んだ人ではありますが、一度病んだ人じゃないと病んだ人を癒せないとは思いません。
カウンセラーが実際に体験したことがなくても、クライアントを通じて追体験できる能力を備えていれば、いちいち全てを自分が直に経験する必要はないのです。そもそも、様々な職業、悩み、病気…全てを自分で直に体験するのなんて、不可能ですよね?
それよりも、どこまでも健全な、エゴのない、常にその瞬間を新鮮な体験として感じられるような感性が、クライアントの癒しや問題解決へのパワーとなるんじゃないかしら、と考えてます。
 
とはいえ、そうした感性を養うこと自体が、ものすごく難しいミッションなので、優れたカウンセラーに出会えると、本当に嬉しく思います。
 
同じ様な悩みを持っている人と出会えることは、時には嬉しく、孤独感から解放されて心強く思うこともあります。けれど「同病相憐れむ」的な感覚だけでは、問題からの脱却は難しいのです。
 

自分が分からない時はまず、心と身体感覚をつなげてみる。

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不思議なことがありまして、昨日のブログに書いた本人から2ヶ月振りに連絡が来ました。何だか縁が繋がってゆけそうで、嬉しいです。

先日の喧嘩の話が再び出るかどうか分かりませんが、ふとした弾みにそんな流れになったなら、今度は友人にも分かりやすいように自分の気持ちをお喋りできればいいなと思います。

「分かってくれて当然といった傲慢な気持ちを減らす」だけでも、怒りも喧嘩も減るハズです。

 

ところで、「子どもの幼少期に親がオノマトペを使って話しかけると、情操教育に良い」という話題をフト目にしました。オノマトペというのは、キラキラ、ワクワクといった擬音・擬態語のことですよね。

幼児教育を考える時、お勉強の前に、まず心を育てましょう〜というのが、最近の「頭の良い子どもを育てたい」人達の間では定説らしい。ちょいと調べたら、育児関連ではこれが結構話題になっているようで、その効果といったら教育にとどまらず、スポーツや医療の分野でも注目されているとか…。

 

で、これを読んで、「ほーほーほー」と深く納得です。

なぜなら、自分の今の気持ちや行動を正確に描写できる表現力は、心と身体感覚をつなげてくれるので、精神の健やかさを保つのに非常に役立つと感じるからです。子どもだけでなく、むしろ大人に大切なスキルと思われます。

 

人は無意識に他人の顔色を伺うあまりに、自分の気持ちの変化に伴う身体感覚は案外無視してしまっているのですよ。大人になるにつれ、自分がどう思っているかより、他人がどう思っているか考え、判断や行動をするようになりますよね。空気を読むってやつですか? それも社会的にはとても大切なスキルなんではあるのですが、あまりにも外界からの反応を重視して判断する癖がしみついてしまうと、直接、自分の気持ちを観察する機会が減ってしまいます。

人は自分の体の微妙の変化から「あ〜自分、嫌なんだわ」とか心の動きを測ったりしているところがあります。実は、思考よりも反応の方が早くて、思考はその反応に対する理由付けを行っているだけ、という説もあるくらい。そうした身体の反応にあまり気を配らないで、どう立ち回るのが良いか思考優先で物事を処理していると、本来の感情というのは無視されているだけで依然、存在はしているので、何かの折に体調に現れてくるのですよ。

 

心理療法の手法で「フォーカシング」というのがあります。

その中に、喜怒哀楽を感じた時の体感を表現するトレーニングというものがあって、

例えば、「怒りが胃の上のあたりで、グツグツしてます」とか

    「熱い鉄の玉がグルグルしている感じです」

などと、体感にピッタリの言葉を探し、表現するのです。

感情が生まれた原因を分析するのではなく、感情そのものを体感として捉えるトレーニングってのがミソです。

これなんかは、分断された心と身体感覚を、再びつなぎ直す行為。

そんな風に自分の体感を言葉を使って追っていくと、その体感が変わったり、うっすらと消えていったりするのを目の当たりにすることができて、なかなか面白い。

 

「ありのまま見る」「心の移ろいを感じる」あたりは、瞑想にも共通するエッセンスだと思います。瞑想よりフォーカシングの方が想像力を使うという点と、どうやら覗いている場所が違うあたりが、双方の異なる部分かな。

フォーカシングは、練習すれば自分一人で行うこともできるそうなのですが、やはり最初は熟練した方にガイドしてもらった方がよさそう。良い指導者を見つけるのが容易でないところがネックかな? (あたくし自身は、たまたま現在のカウンセラーさんの得意技だったようで、偶然、体験しました)

 

あたくしはどうも認知行動療法のような自らを合理的に納得させるような方法はダメみたいで、本は何冊も買ったのですが、全く効果を得ることができませんでした。理屈っぽいから認知行動療法は当然効果あるだろうという思い込みは、どうやら正しくないらしい。認知行動療法の本を読むと、自分にはどういった思考の偏りがあるかはよ〜く分かるのだけど、肝心の行動が変わんないんだよね。分かってもなかなか変わらないので、余計イライラします(笑)。

 

そういう訳で、イマイチ自分の感情をコントロールしづらいとお考えの方は、脳の説得はいったん置いておいて、厄介な感情がどんな身体感覚をもたらしているのか…と、心と身体感覚の繋がりに注目するといいかもしれません。

 

 

怒りの原因を洞察してみる。

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先日、久しぶり友人と喧嘩別れをする、という出来事があった。

相手の言ったことが私の逆鱗に触れ、言い返した何がが、相手の逆鱗に触れたらしい。
双方、「こりゃしまった」と怒りを引っ込めようとしたみたいだけど、何しろ逆鱗に触れてしまっているから、なかなか怒りが鎮火しない。
一応、大人として、怒ってしまったことに対しては侘びのメールを入れておいたけど、相手の「私は間違ってないし」的な返答に、余計ハラが立ってしまった(笑)。
以来、2ヶ月音沙汰なし…
 

喧嘩のネタは、自信喪失からいかに脱却するかという話

 
で、私が何にそんなに怒ったかのかというと、つまり、何が逆鱗だったのかというと…「自己肯定感」や「自信」を高めるにはどうしたら良いか、という話で、意見が食い違ってしまったことらしい。
その友人はとても親切な人で、その日も親切心からあたくしに「こうやったら自信がつくよ」と言いたかったのだ。
あたくしが鬱状態の時に知り合った友人だから、その人は、元気なあたくしを知らない訳です。いつも、身体のどこかが痛い、気持ちが落ち込む、将来に希望が持てない等の話をしている訳ですから、そんな日が半年も続くと「なんとかしてやりたいな」と思ったに違いありません。
で、その日、その方はアドバイスしてきたのです。
 
「人から「ありがとう」と言われるようなボランティア活動をしたら、自信が持てるんじゃない?」
はい、実はこの一言で「なんでやねん(怒)」とドカンときてしまいました。
 
即座にキレた訳ではないのですけど、
「いや、なんで人から「ありがとう」って言われないと、自信持てないの?」
「ボランティアって、自分に自信持つためにするんじゃないでしょ?」
と、グズグズ駄目出ししているうちに、相手も「何で、素直に聞き入れないんだ、よ!」ヒートアップしてきて口論に……(笑)
 
何にしても人というのは、自分の枠から出た思考ができないのです。
おそらく、アドバイスしてくれた方自身が、「無償の行為によって人に感謝されることを、自らの自信への糧としてきていた」んだと思います。
その方は、50代後半の初老の男性だったのですけど、おそらく、この年代の人でこうした価値観を持っている人は多いと思います。
あたくしも若くないので、親や教師からこうした価値観を刷り込まれており、そのような考えを受け入れている部分もあります。
 
では、なぜ、そのアドバイスに怒りを感じてしまったかというと、それこそ、その考え自体が自分の鬱の根本原因だったからなのです。
「人の役に立てないと自分には価値がない」
……自分には、そんな深い深い呪いがかかっているのです。(最近の過労死問題とかにも関連するように思う)
 
そこに追い打ちをかけるようなアドバイスだったので、あたくしは怒りを感じたのでしょう。言った相手というより、自分にそうした呪いをかけた親とか社会の空気感に怒りを感じたのかもしれません。相手も、自分の自己肯定感の哲学を否定されたので、ことさら立腹したのでしょう。
 

では、どうしたら、「自己肯定感」や「自信」持てるのでしょう?

 
あたくしの考えとしては、「そのままの不完全な自分で、十分存在価値があるらしい」と気がつくことだと思います。
この辺、『嫌われる勇気』的なアドラー哲学入ってますね(笑)。
恐らく、Webで『自己肯定感を高めるための方法』とかを検索しまくったり、『自信が持てるようになる本』の類を貪り読んでいる間は、「自己肯定感」や「自信」には絶対に到達できません。誰かの基準を採用しようと思っている間は、呪いがかかったままなんですから。
あたくしもそこは通り、かなりグルグルしましたが、何だか脱出できそうです。
 
また、不思議な話ですが、今振り返ると、人の話に「NO!」と言える自分に、鬱回復の兆しを見て、何だか少し嬉しいですね。
本当に酷い鬱状態なら、違うと思っても面と向かって「違います」って表現できず、モヤモヤして帰って、布団の中でシクシク泣いていたでしょう。(そして、人と会うのやだあ。また、傷つけらる…って思ってしまうでしょう)
そういう訳で、一人友人を失ったことは悲劇かもしれませんが、怒りというのは全くの無駄ではなく、何でカッとなったのか洞察することで、自分をより深く理解するツールにもなりうるのですよ。
 

この話、続きがあって…

 
この怒りが収まった頃、別の友人のことを思い出したんです。
その子は高校生の時に大病を患ったこともあり、以来、自宅療養。大人になっても完治する見込みもなく、働いた経験もない。
いつも「自信ない」とか、「働いたこともないし恥ずかしい…」とか言っていたんです。
あたくしも元気な時は、他人に言っていたんです。
「ボランティアでもしてみなよ。気軽な気持ちで!」
…ですからね〜、因果を感じました。当時の自分は、上から目線な何て嫌な奴だったんでしょう! 恥です、恥!
 
すぐにその子に、過去の無礼を詫びる手紙を書きました。
これまでの無礼にも怒らず、変わらずあたくしを肯定し続けてくれたその子は、何て心が広いのでしょうか。
自信がない人には、友人としてこう言えばいいのでした。
「今のあなたが自分には大切な人です」
 
 
最後に話それますが、ボランティアをするなら、「困っている人を助けて感謝されよう」的なヨコシマな気持ちではなく、その行為をすることの気持ち良さを素直に感じて行いたいと思います……。奉仕活動の場には、「やってあげてる」的な思い上がり野郎がそこかしこに居りますもんで。

ストーカー被害者が聞きたくない発言ベスト3

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トーカー被害の件は、自分から率先して話したいネタではありませんが、話の行きがかり上、話すことになっちゃうことがあります。そういう時に言われてムカッとする発言ベスト3を紹介します。周りに、犯罪の被害者などがいたら言葉に気をつけてあげてください。(これは事件解決後の話です。被害の渦中にいる人は、警察呼んで、一刻も避難してください。また、こういった記事で当時の記憶が再現されそうな被害者の方はご注意ください
 

1 時間が解決するよ

 
励まそうとして言ってくれてるとは思うのですが、とても無責任で、能天気な発言です。
時間が解決ですか…? 当人もそうであることを願っていました。が…残念ですが時間は万能薬ではありません
それどころか、被害直後は気が張っているので自覚がなくても、あとでジワジワくることがあります。
 
大袈裟かな?と思わずに、遠慮せずに犯罪被害者救済団体などに問い合わせてください。そして、必要となればトラウマケアを受けましょう。
残念ながら、時間が経ってトラウマ化しても犯罪被害者団体では救済していただけません。メールを出したら「電話で詳しい話を」と返事が来たので、早速電話をして40分くらい状況説明をした挙句に「ん〜、こちらでできることは何もありませんね」と言われ驚愕したことがあります。世の中、そんなもんです。とにかく、早めのお手当が大切。
 
トラウマは目に見えませんが「外傷」です。その時のお手当で、傷が化膿したり、傷跡が残ったりするのを防ぐことだってできます。
ですから、トラウマケアだけは先送りしないで、出来そうな対処は全て行ってみてください。自分だけで対処できそうにないときは、周囲に助けを呼んでください。(その際は、くれぐれも、変な霊能者、カウンセラーに引っかからないでください)
 

2 あなたに落ち度はなかったの?

 
こういうことを言う人は、自分がそこそこ「しっかり者」だと思ってます。「あたしとあなたは違うよ」「あたしなら、変な人は見分けられる」と思っているのです。実は、あたくしもそう思っていた一人です(笑)。
 
しかし実際は、犯人が捕まって、それが知人と分かっても、にわかに信じがたいのです。そして非常に、自分に…自分の判断や価値観に自信を無くします。「まぬけ」「スキがある」「お人好し」とかも思っちゃいますね〜。日頃から自分に対して厳しい人は、誰も責めなくても自分を責めています。
 
「落ち度がなかったか?」という問いかけは、実は、恐らく被害者なら一度は自問自答していることなのです。
しかし、ですね、悪いのは犯罪者に決まってます! 当たり前じゃないですか!(怒)
 
犯罪者というのは多かれ少なかれ、「やりたくてやったんじゃない」「止むを得ずやった」みたいな言い逃れをするもんです。自分のケースなんかは、犯人は「誰かにはめられた」と、最後まで人のせいにしていました(で、拘留20 日以上)。家族にも嘘ばかり話していたらしく、犯人の親族から「あなたのせいで、犯罪者になった」ぐらいのことを言われました。もちろん、「ちょいちょ〜い、何言ってるの?(怒)」って、謝罪を取り付けましたが…。
とにかく傷つくので、心の中で思ってても、言わないでください。
 

3 それだけあなたを愛してたんだよ

 
これは、自分的にはナンバーワン、腹が立つ言葉です。
こういう人は、愛さえあれば、体罰、虐待、痴漢、ストーカー行為、何でも容認できるタイプなんでしょうか?
それに、被害者だという人を目の前にして、なぜ犯人の立場を擁護するような言い方をするんでしょう?
 
もし、被害者を励ますつもりで言っているのだったら、最悪です。
この言葉、実際に、友人男性と実の母から言われました。
特に、母から言われたのは、同性としてもキツイものがありますね! 何考えてんだ!(怒)みたいな(笑)。
 
とにかく、正解は「愛があっても犯罪に走ってはいけない」です。
こういうのにイチイチ、反論したり、怒ったりするのが、またグッタリします。
「だから言いたくなかったんだよ…」と萎えるものがあります。
 
 
その他、事件が解決してホッとしている時に「刺されなくてよかったね」みたいな怖いことを平気でいう人がいますねっ!「復讐に来るんじゃない?」とか。
悪気のない人がほとんどですけど、無神経。そいういう人は、大抵、日頃から冗談がキツイ人や口が悪い人です。
ワザと、過去のおっかないストーカー事件のことを話す人がいます。他人の災難が楽しいタイプです。
まあ、ポジティブシンキングで言われた言葉だとしても、ものすごく腹が立ちます。
同様の類の発言で「その程度で済んでよかったじゃん」「捕まったからいいじゃん」とかも、「何が良かったんだよ!(怒)」って思いますね〜。
普通の人から考えるとジョークの範囲でも、被害者の立場として聞くと、精神が不安定になっちゃうことがあるので、お手柔らかにね。そして、軽い冗談のつもりで言ったのに、激しく怒り出した人がいても、ここは一つ優しい気持ちでいて欲しいです。
 
 
今回のは、あたくしの個人的な経験からまとめたものです。
現実には予測不能で、言われて初めて「あ、これ言われたくないな」って思うことが多いです。
その時、ちゃんと「それは聞きたくないです」って言えるのがが理想なんですが、なんだか変なスイッチが入って、頭が真っ白になることがほとんどです。
そういうとこ、ホント、治したい。
 
グダグダ書きましたが、ちょっとでもこういうNGワードを頭に入れておけば、傷つく被害者の方が減るんじゃないかと、そういう風に思ってます。
 
この世に散らばる、たくさんの傷ついた方、ご自愛を。