心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

怖いものにではなく、怖がっている自分に焦点を当てて。

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前回、スマホにて偶然にかつてのストーカーの名前を見てしまい、具合が悪くなった件をカウンセラーの先生に報告した。

布のテーブルクロスにワインをこぼしちゃった時のように、怒りと怖さがドンドン心の中を汚染していく 感覚を、必死に箱に入れて見ないようにした。

箱を閉じたものの、中の強いものがドンドン膨れ上がってくるので、箱の上に重いものを置き、それでも蓋がパカパカしているので、上から長いネジでもって固定した。これ、全部妄想の中での話ね。それで、妄想の電気ドライバーでもって、何個もネジ止めした。

 

怖かったです。と、申しましたら、先生は間髪「違いますね」と言う。

「そんなことしろと教えてないでしょう?」と。

はい、そうですね。これは、これまで長年あたくしがしてきた対処法です。

「ぼくはね、イメージに逃げるのは好きではない」

それはあたくしも誤魔化しているみたいで好きじゃない。それに、どんなに過小評価しようとしても、怖いものは怖い。

頭では「そんなに怖がらなくていい」って分かってるのに、過剰に反応するところが問題なんだ。

 

俺サマがこれまで言ってきたこと全然、分かってねえな、って感じで、先生からは穏やかな中にも少し怒気が感じられる(笑)。←怖いと何故か笑いが出てしまうあたくし。

すみません、すみません的に申し訳ない気持ちを感じながらも、別メモリーが「え? 飴ムチ派ですか? 怒るカウンセラーですか?」とビックリしているのを感じる。

 

「カワイイと思えなければダメなんですよ」と先生はいう。

「いや、あれをカワイイとはとても…」

「怖がっている自分のことをですよ?」

「………。」

いえ、もう、何度も言われているのです。自分の中の弱さにもっと寛容にならなければ、と。

ビクビクとおびえ続ける自分の心の中の一部分はまるで臆病な森の小動物のようで、優しく優しくしてあげなくてはいけないのだ。

自分の一部だからね。

だけど、どうしても他人の弱さも自分の弱さも心の底からは認めがたい。

根性叩き直したらどうにかなるのではと、つい竹刀片手に、その弱いものをビシバシいじめようとする。

 

「怖いものにではなく、怖がっている自分に注意を向けるんですよ?」

「怖がってる時、どう思うかではなく、身体がどう感じているかを見るんですよ?」

はい、復習~という感じで先生が言う。

「はい~」

「もう、恫喝する人、近くにいないんでしょう?」

「はい~」

「今日はずいぶん元気がないね?」

「はい~」

 

また、さめざめと泣いた。もうイヤ、泣き癖が付いているのではないだろうか?

自分が泣けている意味が分からない。ホッとしてるのか、自分の不甲斐なさがなさけないのか。

 

精神科医の先生が言っていたけど、精神に同じ負荷がかかっても、病気になる人とならない人がいるそうだ。

それは決して、病気になった人が特に弱いというわけではなく、それまで抱えてきた個人的問題の差であったり、たまたまいろんな出来事が重なったというタイミングだけで、結構ギリギリの状態で抱えながらやり過ごしている人は多いんですよ、と。

先生としては、だからあなたは全体的に弱い訳でなく、強い部分も持ち合わせていると、と言いたいらしい。自信をもってちょうだい、とね。

う~ん、ここでこんなこと言ってもしかたがないけど、あたくしもやり過ごしたかった。諸処の問題は、墓場まで持って行きたかったよ。

 

しかし、ここまで来てしまうと、自分の感情を真正面から受け止められるようになるか、それともやっぱり怖いから諦めちゃうかは、自分で決めなくちゃね。

 

こうした問題解決の先に、どんな景色が広がるのか全く分からない。せめてあと10歳若かったら、人生も変わるような気がするのだけど。

でも、もう少し頑張ってみます…。

 

「かつてのイヤな記憶はなくならないけど、見ても平気になるようには絶対になります」

先生の言葉に本当? と、今でもちょっぴり半信半疑だったりするのだけど、そうなったらどんなに幸せだろうと思う。そして自分が珍しく他人に対して感じた信頼感も大切にしたい。

 

それにしても、カウンセラーの先生は大変なお仕事です。

おばさんがさめざめと涙を流しても、冷静さを保って飴やムチを繰り出して、あらまほし方向に導かなくてはいけないのだから。

 

あ、先生は、言葉選びは本当に穏やかな方です。でも、多分ドSな一面があるのでは?と…(笑)。妄想ばかりしていると、また怒られそうだけど!

 

ちくしょう! 思考停止。

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調子悪くなって、文章がまとめられなくなっちゃいました。
リハビリのつもりで始めたブログなので、結構、頑張ってみたのですがダメ。
書きたいことはたくさんあって、出だしはいいのだけど、こんがらがって、まとめられない。
ここ数日で、パソコンの中は書きかけの文章で一杯になった。
 
依存性があるので、薬は極力飲まないようにしていたのだけど、昨日は外出する用事があったために少し多めに飲んでしまった。
ささいなことで怒り出したり、逃げ出したりしないだろうか、そればかりが心配だったけど、誰もあたくしの不調には気づかないみたいだった。ホッとした。
 
それで、ここ数日、何か変わったことあったかしら、と巡らせてたら。
ありました! 思い出しました!
 
数日前の夜、寝つきが悪く、うつらうつら考え事していたら、ちょいと好奇心が出て、いまさらInstagramをしてみようと思いついたのだった。
世界を少しだけ広げてみる方法としても悪くないのでは、と。
 
病気になってから、自ら世界を狭めるようなことばかりしてた。
「怖い怖い」と言う自分と、「だから大丈夫だって!」と励ます自分がいて、 ここのところ、お陰様で「大丈夫」な自分の方がお元気だった。
 
世界は美しいものに溢れているし、ほとんどの人が優しい心を持っていることを、あたくしは知っている。
 
そうして、深夜に設定をしていたら、何と、フォローをお勧めする人の中にかつてのストーカーの名前が出てきたのだ!
 
何で? 何で?
 
頭、真っ白。思考停止。
 
イコン画像がFacebookと同じだったから、直感的に気付いたらしい。
らしい、というのは、パニックのあまり、すぐにアプリごと全部を消去してしまった。
 
犯人の苗字が珍しいもので、ローマ字綴りにしていても誤魔化し様がなく、すぐにヤツと分かった。
回避したいものは、ありとあらゆるパターンを想定して、脳に登録されているんだな。
 
こうして防衛機能が暴走してしまうと、いつしか、安全なものにすら危険の兆候を見出そうとしてしまう。
今読んでるトラウマのメカニズムを解説した本に書いてあったよ。
「記憶が汚染される」ってやつ、まさに、そうだな。
 
その瞬間は、怖いという感覚ではない、真っ白な感じ。
なかったことにしたい、という強烈な気持ち。
 
そうして、今朝、ここ数日のことを反芻するまで、具合の悪さとその出来事が全く繋がっていなかったのだ。
 
今は、怖いを通り越した真っ白な状態から、激しい怒りにシフトしているところ。
 
あれはまだ生きているのか! とか
ネットで探してんじゃねえよ! とか
 
腹の中にある、最上級の汚い言葉がドンドン出てきそうだ。蹴って蹴って蹴りまくりたい!
 
……参りました。ただの独り相撲なんです。反応しているだけなんです。
ただ、犯人を想起させるアイコンと文字列を目にしただけで、何も悪いことは起きていないし、これからも起きない。あたくしは安全です。
 
そうして、こうやって文字にしてみたら、少し楽になりました。
変に平静を装おうとすると混乱するんだけど、混乱そのものを表現するとかは、まだできるんだな。っていうか、結構、これ、落ち着くな。
きっと数日したら、だんだん元の調子を取り戻すと思う。
 
この場があって共有してくれる人がいて、親身に話を聞いてくれるカウンセラーの先生がいるから、大丈夫。
こんなに心がドタバタなのに、心の中の安全地帯の人々に「ありがとう」とか感謝の念が出てくるあたり、以前とは違う。
孤独感が減っているよ。
少しずつだけど、あらまほし方向に向かっていると思うんだけど。
どうかなぁ?

トラウマ経験者、ヨガへの偏見を克服する。

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ヨガがストレスの軽減に良いらしい、ということは知識的には知っている。
ヨガで鬱を解消して、今は嘘のように元気だよ〜!というブログとかも読んだことがある。
だがしかし、これまでの経験から不幸なことに、あたくしはヨガにむちゃくちゃ偏見を持ってる。
 
身近で「ヨガいいよ〜♪ ハマってるよ〜♪」っていう人に詳しく話を聞くと、
「え? 瞑想とか宗教的なことは一切しないよ!」
と、明るく言う。え? ヨガなのに瞑想しないの? とここで疑問が生じる。
その人の、瞑想=宗教的というの捉え方も引っかかる。何を教わっているのだろう?
それで、ヨガの何がいいのか根掘り葉掘り聞くと、海辺や古民家、スタジアムにお洒落な格好をして集い、帰りに仲間とビールを飲むのが楽しいらしい。
そうですか、ビールは楽しそうだけれど、それはあたくしが求めてる類のヨガではない…と、以来、深くは突っ込んでいない。
 
 
 
あと、人から「このヨガの先生は、いい」と紹介されたこともある。
あたくしが具合悪そうなんで、あくまでも善意で教えてくれたんである。
せっかくだし、と足を運んでみる気になった。
 
その時の先生のヨガが、あたくしにとっての最初(で最後になるかも)のヨガ体験となる。
会場をグルッと見回すと、気張ったヨガファッションで来ている人もいるけど、ジャージの人もいて、気が楽。
基礎的なポーズから始まり、どんな風に呼吸をすればいいかも丁寧に説明してくれて好感が持てた。これなら大丈夫かも…。
 
しかし、その後がいけませんや。
先生は、病気を治癒させる不思議な力があるらしく、来場者ももちろんご存知なので、そこはかとなく何か面白いものを期待している雰囲気がお教室に充満しているのだった。もちろんあたくしもその件は耳に入れてるので、やるなら早く見せて!とは思っていた(笑)。
 
先生が前の方に立っている生徒の手首をやにわにグイっと掴むと、その人はピョンコピョンコと飛び跳ね始めた。
どうやら、先生のエネルギーを生徒に注入したために、生徒さんは不随意運動をしているらしい。
 
あちゃあ〜〜〜〜!
 
そうして、さあ皆さん、隣の人と手の平を合わせて、エネルギーを感じ合いましょう! とかいうことになった。
 
あたくしという人が悪いのは、事前に予約を入れていたとはいえ、また同じ人がピョンコピョンコするかどうか確かめに、後日、もう一度足を運んでしまったこと(ちゃんと違う人がピョンコピョンコしてましたとも(笑))。
 
ああ、もう絶対にダメ、無理! と、あたくしはヨガマットを押入れに封印した。
 
 
 
そうして、失意のどん底に落ちたあたくしが、まだヨガへの期待を捨てきれなくって手に取った本が、これ…。
『トラウマをヨーガで克服する』ディビッド・エマーソン著 
 
トラウマを持った人がヨガでリラクゼーションを試みるときの注意点、ポイントなどが書かれている。
これを読んで、ヨガ教室で感じた居心地の悪さ(超能力披露は別としても)が何だったのか良く分かった。
 
どうやらトラウマ経験者がヨガを行う時には、身体の安全に関する特別な配慮が必要らしい。
パーソナルスペースを十分取るとか、他者からの接触をコントロールするとかね。
(あたくしの場合は、見知らぬ人とペアになるとか、手を添えてもらうとかがダメだった)
 
この本の素晴らしいところは、トラウマの当事者のみならず、ヨガインストラクターに向けて「トラウマを持つ人がセラピー目的でヨガをする時はこうしたらいい」と具体例を挙げて解説しているあたりだろう。
 
軽々しく「癒し」とか言っているヨガインストラクター全員に読んでもらいたいくらいだ。
 
とはいえ、この本はあくまでもアメリカのトラウマ治療の最前線が書かれたもので、残念ながら日本でこんなヨガができる教室は皆無っぽい。
本で紹介されるトラウマケアの講習を受けたヨガインストラクターは日本にもいるみたいなんだけど、実践している教室が見当たらない。
資格取った人たちはみんなどうしてるのか? 持ってるだけで満足?
 
今の一大ビジネス的ヨガブームには全く興味ないんだけど、これが落ち着いた頃にでも、トラウマサバイバーが気軽に参加できるような優しいヨガ教室がでてくるといいなあ〜と、今日も一人、布団の上で三点倒立の練習をやるあたくしなのです。 
トラウマをヨーガで克服する

トラウマをヨーガで克服する

 

 

カウンセング講座を受けながら「あたしはカウンセリングとは無縁」と言い切る人の弱点。

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「自分自身はカウンセリング受けようなんて考えないよ?」
一緒に講座でカウンセリングを学んでいる人がこう言った。
「だって悩み事は自分で解決できるもの」だとか。
 
そうだね。カウンセリングを学ぼうとする人は2種類いると思う。
自分もカウンセリングを必要とする人と、自分にはカウンセリングとは縁がないと思っている人と。
見回すと、現在の講座では圧倒的に後者の人が多いみたい。
 
そういう人は、部下が鬱で休職しないようにとか、職場の離職率を下げようとか、公共の福祉に寄与したいという意欲に溢れた、とても精神が健全な感じの人々だ。
カウンセリングの練習の時も、カウンセラー役は嬉々としてやるけれど、クライエント役は「ネタがない」と言って苦手そうだ。二度同じネタを出してくる人もいる。
あたくしはそういうのを間近で見てて、「本当に悩み事ないんだ!」といつも内心驚嘆している(笑)。(悩み事を自覚していない、というのも考えられるが)
 
人生における諸問題に対して自己完結できるのは結構なことだけど、そういう人にありがちな、致命的な欠点が一つある。
人前で弱みを晒す恥ずかしさを理解できてない人が多い、ってこと。
 
カウンセラーがカウンセリングを始める時の常套句で、
「これはあなたの時間です。守秘義務は守られるし、あなたは思ったことを何でも言っていいんですよ」
みたいなのがあって、これさえ言っておけば、クライエントは安心して何でも話せると思い込んでいる人がいる。
 
わざわざ自分から相談に来て話していることなんだから、平気なんだろう、と捉えているようなフシがある。
 
こんな個人的なことを今日会った人に話すなんて、ものすごい恥や情けなさを感じてるかもしれないなんて、想像すらしない人がいる。
 
クライエントが、勇気を振り絞って告白しているかもしれないなんて、考えもしていない人がいる。
 
まあ、しょうがない。今まで問題は自分で解決してきて、そんな境遇に陥ったことがないのだから。
 
以前、カウンセリングの練習で、あたくしがクライエント役の時、自分がストレスで精神的にメルトダウンして退職しなくてはいけなかった話をしたことがある。
その時に、心が健全な人は、「それで精神的に参ってしまったんですね?」と何度も事実確認してくるのだった。
事実確認や、カウンセラーが話の途中でそれまでの話をまとめたりするのはよくあることで、技法的には特に問題がないと思う。
 
…のではあるけれど、あたくしは言わずにはおれなかった。
「自分にとって、精神的に参って会社を辞めなくてはいけなかったことは、とても恥ずかしいことなんです」
「その恥ずかしいことを、何度も確認されることに苦痛を感じました」
 
その時のカウンセラー役の「ああ、そうなんですか」「言われて初めて気付きました」という反応に、やっぱりね、そこからだよね? とあたくしは軽く失望し、「こういう話を振っておいて良かった」と一人満足したのだった。(もっとも、カウンセリングの練習では、あまり重い話はよしときましょう、ということになっている)
 
カウンセラーが話をただ聞いてあげさえすればクライエントの心が軽くなる、と思っているとしたら、大間違いだ。
話す前にはものすごく緊張するし、カウンセラーがその気持ちを分かってくれていないと、その時間は苦痛でしかなかったりする。
 
だから、クライエントとしてカウンセラーと接していて「こいつ分かってねーな」と思った時は、率直に指摘してあげるのが親切ってものだと思う(笑)。
「これ言うの、恥ずかしいんですから」って。
こんなことすら、言わないと伝わらなかったりするけど、一度言えば分かってもらえると思うしね。
 
自分は単なる弱者ではなく、勇気ある人なんだと知ってもらうためにも是非!

「カウンセリングを学んだら辛くなった」という人。

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カウンセリングの勉強仲間が「カウンセリングを学んだら余計に辛くなった」と、こぼしていた。
何で? と聞いてみたら、
「職場や身の回りに困った人がいると、すぐに分かるようになった」と言う。
 
そういうのは、身に覚えがある。
自分も、ストーカーに遭ったりパニック症状を何度も再発させてたりしてから、周囲の状況に敏感になった。
多分、常に交感神経バリバリで、身の回りの安全確認をしているうちに、たまたま目に入ってしまうのでしょう。
同じ病の香りを嗅ぎ取るというのか、ストレスで参りそうな人などが目に入ると構わずにはいられない。
 
しかし、自分も結構、精一杯だったりするので、他人の問題解決に積極的に関わるとすぐにクタクタになってしまう。
相手の為というより、自分がそうせずにはいられない、という衝動に駆られているだけだから、それは、独りよがりで、場合によってはおせっかいだろう。
 
なので、お悩みいつでもお聞きしますよ♪的な雰囲気だけは残しつつ、あたくし的にはもう少しフラットに世の中を見れるようにしたい。
そういう風に思って、カウンセリングを学び始めたのだ。
 
 
 
ははあ、分かった、困った人を見ると、なんとかしてあげたいと思う方でしょう? と聞いたら、
「そうなんです、どうやって解決したらいいんだろうと考えてしまいます」
「そうした人が見えてしまうことにイライラします」と言っていた。
 
基本的にその人は普段の会話から察するに、とても優しい心の持ち主だ。
だけど、人の気持ちがより解るようになった結果、辛くなったり、イライラしてしまうのはよろしくない。(ついでに、カウンセラーの態度としてもチト違う)
 
それはさあ、見えているけど何もしない、って決めることだよ。
これは、あたくしがカウンセラーの先生からいただいたアドバイスのパクリです(笑)。
 
自分が何もしなくても、放っておいたら自然に解決するかもしれないじゃない?
しばらく放っておくのがいいよ、もっと大変なことになったら真剣に考えよう〜くらいでいいんだよ。
 
ヴィパッサナー瞑想で言われる、「心の反応を止める」というやつだな(笑)。
ああ、そうだなぁ〜、辛そうだなぁ〜あの人、あの人の辛さを感じている自分がいるなぁ〜 ですな。
 
 
 
心理職の仕事は「精神的にとても疲れる」という人がいるけれども、それは「変に分かってしまう」せいではないように思う。
むしろ傾聴の技術は、そういう意味では、クライエントの気持ちに寄り添う聞き方であるだけでなく、カウンセラーの心も守ってくれる聞き方であると思うのだけど、どうだろう? そういう説はまだ聞いたことないけど…。
 
カウンセラーがシンドイと感じるとすれば、それはクライエントが一人では踏み込めない心の領域への旅に、一緒にお供する時だと思う。いつでも安全な場所に連れ戻してくれると信じているカウンセラーが側にいるから、クライエントは一人では耐えられない怖い場所に行けるのだ。そういう役割があることに、3人目のカウンセラーに会って、やっと気付いた。そりゃ大変だ。そりゃ疲れるだろう。
 
そういう訳で、あたくしのカウンセリングもまだ周辺の問題処理をしている段階で、まだ全然核心に行き着けなさそうなのだった。
「覗いても大丈夫っていう時まで、覗かないように蓋をしておくことも大切なんだよ」とカウンセラーの先生が言った。
 
カウンセリングの勉強では、クライエントの問題をカウンセラーが先回りして解決しないように、と何度も指導される。
クライエント自身だって、心の準備が出来てないのに変に焦って問題を解決しようとしなくてもいいような気がしてきた。
 
いや、まだ、実際はそこまで悟れてないのだけど、もしかしたら、そういうのもアリなのかと思えてきました。ちょっとだけ。

自分に優しい他人と、自分に厳しい自分と。

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ここのところいろいろあってその存在を忘れていた、胸痛と筋肉のこわばりが戻ってきました。
何かに集中しているときは、胸痛も筋肉のこわばりも全く感じないんだけどな。
少しでも、ゆっくりノンビリしようとすると、それは「待ってました」とばかりに戻ってきやがる。
 
その上、図書館から借りてきた分厚いトラウマ関係の本の、触りの部分を読んでいるうちに涙腺もゆるくなってきた。
その前の、自衛隊の特殊部隊に関する本の時は集中して読めたのになあ(笑)。
トラウマがあるからかどうか分からないけど、戦争中や各種遭難系のサバイバル本を割と読む。
自分の体験など到底及ばないような極限状態に陥った人の振る舞いに興味があるのだな。
どんな人がサバイバルできるのか、とても気になるのだろう。
 
それはさておき、
先日、20年振りに会った友人と、さらにその友人達と飲んだ。
この年になると、油断すると35年振りとか20年振りとかになっちゃうんだな。
怖くもあり、面白くもある。
 
飲み会は、年齢も境遇もバラバラのメンバーが好き勝手に喋る、とても楽しい宴でした。
そういう時、アルコールのせいではなく楽しさから、一瞬、人に対する恐怖心も病気も忘却の彼方。
彼女はなかなかのナンパ師で人脈が広いく、その日集まった人も、彼女以外は初対面の他人同士だった。
彼女は、そうして人間同士の化学反応を見るのが好きらしい。
 
その帰り際、たまたま帰り道に二人きりになった。
その時、彼女はポツリと、しかしキッパリと言った。
「あまり自分のこと、無職、無職、言わなくていいですよ」
「休めるんだったら、とことん休んだ方がいいんです」
 
もしかしたら、飲み会の間、あたくしは言葉の端々で自虐的な「無職アピール」をしていたらしい。
少しは嫌悪感を感じさせてしまったかもしれない。ごめんよ。
 
◯◯できてなくてスミマセン…←そういうの、あたくしだって好きではない。
そういう「世の中に申し訳ない感じ」に何の意味があるんだろう?
病気なんだから、しょうがないじゃん。
あたしくしだって自分の友達に対してならそう言うだろう。
 
彼女は今までのあたくしの経緯を知らない。現在の精神状態についても、会社を何度も辞めていることも。
知っているのは、あたくしが今、無職であることだけ。だけど、苦労人で聡明な彼女は何か感じたのだろう。
 
20年振りに会ったあたくしに、とっても自然で優しい言葉を投げかけてくれる、その透明な心に、とても慰められた。
目の前でハッキリと、意地悪な感じなど微塵もなく、率直に自分の感じたことを言ってくれる、彼女の誠実さに感謝した。
 
それに引き換え、自分はなんて自分に対して意地悪なのだろう!
20年振りに会った友人の前で、暗に自分を辱めようとする嫌なヤツ。
 
他人ですら自分を大切にしてくれてるんだから、自分も自分をもっと大切にするべきかな? なんて考えてしまうなんて間抜けだよね?
間抜けすぎる…と思いましたよ。反省。

カウンセラーの逆転移について理解を深める本。

f:id:spica-suzuhazu:20170704130058j:plain逆転移とは、クライエントがカウンセラーに対してではなく、「逆」にカウンセラーがクライエントに対してある種の感情を抱くことです。そして、“ある種の感情”というのは転移の現象同様、親や配偶者など身近な人と感じている気持ちの投影であることが多いです。
 
カウンセラーは当然、知識としての転移や逆転移は知っている。だけれども、頭で知っていても体験がなければ、なかなか適切な対処ができるものではありません。そして、そんな初心者カウンセラーの失敗は、いちいち悩んでいたら前に進めないぜ、どんどん経験積めば大丈夫だから! というのがかつてのカウンセリング界の常識だったらしい(もしかして今も?)。
 
そういう流れに対して、「いや、多くの人が陥りやすい失敗だったらその情報を共有して学ぶべきでは?」てな感じでまとめられた本がある。
『転んで学ぶ心理療法 初心者のための逆転移入門』遠藤祐乃著
 
この本は臨床心理士を目指す学生さんや新米カウンセラーに向けて書かれた本なのだけど、一般書のような平易な文章で書かれていて、カウンセリングを受ける側の立場で読んでもなかなか興味深い。カウンセラーがカウンセリング中にどんな風に考えているのかを垣間見ることができるし、どんな応答が失敗であり模範解答なのか知ることができる。かつてカウンセリングを受けて失敗した経験を持つ人は、どうして上手くいかなかったのかヒントが得られるかもしれない。逆転移だけで一冊書けちゃんだ!と驚いてしまうくらい内容は深いです。
 
面白ポイントはいろいろあって、
1)著者の自己開示が素晴らしい 
2)カウンセラー側の心理的葛藤が良く分かる 
3)失敗に対して、どんな応答なら良かったのか具体的に解説 
…あたりが挙げられる。
 
カウンセラーに対して、ある種、完璧な人間像を持ってしまう人は多いのではないだろうか? 少なくとも人の心に関してはエキスパートなんだと。
でも、この本からはそうではない「全然教科書通りにすすまない!」とオロオロする人間らしいカウンセラー像が垣間見えて「カウンセラーもやっぱり人の子なんだわ」と好感が持てます。
 
経験の浅いカウンセラーの気持ちを丁寧に拾っている本って、他には見当たらないと思うので、カウンセリングを勉強している人にもきっと多くのヒントを与えてくれるかと。
 
この本の魅力の一つは、著者が感じたことを、あまり人に知られたくないような思いまで包み隠さず披露しているところにある。
未熟なカウンセラーの心を表現した部分で、この先生、正直だなーと感じられる一節がある。
 
初心者は経験がないのだから、当然、うまくやれる自信などない。毎回の面接で「果たして自分はクライエントの役に立っているのだろうか」と不安になるのが当たり前である。しかしその一方、心のどこかではクライエントから「先生にお話を聴いてもらうと、なんだか安心します」、「先生のおかげで、今まで気づかなかった本当の気持ちに気づき、心の整理ができて落ち着きました」と評価され、感謝されたいと思っているものである。
 
ね? ホントに正直でしょ(笑)? これが「人の役に立つ仕事」を志す人の最初の心持ちだと思う。
 
もちろん、人からの評価なんか気にしてちゃあダメで、もっとクライエントに集中しなきゃ! とかは、その後の道すがら、気づくことになると思う。クライエントに集中さえできれば、策に溺れずともカウンセリングはある程度は進むものだったりすることにも…。
 
感謝される仕事だと思ってたのに全然感謝されないどころか、軽く恨まれたりして、思っていたようなイイ仕事と全然違うよ〜とかなんとか、ガッカリ感やら怒りやらの先に、何かとてつもなく楽しげなものを見つけられるような人が、熟練カウンセラーへの道を歩めるのだろう。
 
それに、熟練したカウンセラーほど自己洞察を促すのが上手い。クライアントは教えてもらったのではなく、自分一人で気付いたという実感を持つことができ、これが自分で問題解決できるんだという自信に繋がる。…だからカウンセリング技術が上達すればするほど「先生のおかげで〜感謝」とはならないような気がします(笑)。感謝があるとすれば、全く異なる種類の感謝になるんじゃないかな?
 
この本を読んでいてホッとしたのは、中断したカウンセリングに対して「どこが悪かったんだろう?」と思い返すカウンセラーの存在だ。自分の失敗を(しかも複数!)さらけ出すのはかなりの勇気を必要としたと思う。そんな著者の勇気が、今後のカウンセリングの世界で報われることを切に願います。
 
昨年お世話になり「何も変わらない!」と24回目にカウンセリングを中断してしまったあの臨床心理士の先生も、あたくしとのセッションを思い出すことがあるのだろうか? とフト考えた。
少しでも我が事と考えて、今後の芸の肥やしにしてくれてたらなあ、と思う。
ころんで学ぶ心理療法―初心者のための逆転移入門

ころんで学ぶ心理療法―初心者のための逆転移入門

 

※ちょっと前まで品切れだったのですが、重版された模様です。こういう本は長く刷り続けて欲しいなあ…