心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

「もっと話を聞いて欲しい」というサイン。

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カウンセリングの勉強では、クライエントのこんな反応は「もっと話を聞いて欲しい」っていう意味ですよ、っていう例を教わったりする。
当然、カウンセラーなら、こういうサインを素早く察知してクライントの気持ちを受け止めなくてはいけないのですけど(それが仕事だしね)、自分の体験から判断するに、どうやらプロのカウンセラーでも、これがあまり上手くない人がいる。
 
カウンセラーはクライント側のそうしたサインに気付いていないかもしれないし、気付いてはいるものの対処できていないのかもしれない。
ともかく、運悪くそういう未熟カウンセラーに当たってしまうことも現実的に、ある。
 
だから今日は、カウンセリングで何か違和感や停滞感を感じた時は、まずは自分で自分の会話パターンを振り返って、「あ〜自分、もっと真剣に話を聞いて欲しいって思ってるんだ」と自覚できると何かと便利です、って話です。
 

話を盛りがちになっている時

聞き手の反応が薄かったりすると、あれ?話、通じてない?とついつい話を盛ってしまう傾向があるそうです。
カウンセリングの場面だと「自分はとっても可哀想なんです」とか「今、無茶苦茶大変なんです」多少オーバーに状況説明をしたりする。大声になっちゃうのも、盛りの一種。
本当に大変だとしても、カウンセラーがきちんと気持ちを受け止めてくれていたら、話を盛ることはないのです。必要ないからね。
 
自身の体験では、「あれ? 何でこんなに大袈裟に話すんだろう」と自分に対して違和感を感じたことがあります。
その時は、理由が分からなかったのですけど、カウンセリングを少しでも勉強すると、自分がカウンセラーの淡白な応答に不満を持っていたことに気付きます。
それはあたくしの「かまってちゃん」サインだったのですね。

同じ話を何度も繰り返す時

何度も同じ話を繰り返すのも「真剣に話を聞いてくれ」の合図。
カウンセラーから丁寧にその都度、共感が行われていれば、クライントだって、時間がもったいないし同じ話を何度もしようとは思わないものなのです。
しかし、未熟なカウンセラーだと、その時の気持ちに触れないで、事実関係に関する質問をしてしまいます。
感情面にノータッチのままだと、クライントは話が伝わっていないような気がして、さらにも“くどく”話してしまうというワケ。
 
あたくしの場合は、カウンセリング場面で、幼少期の母親への不満を何度も繰り返した経験あり。
その時、カウンセラーはずっとメモを取りながらフムフムと聞いていたのですが、そこはやはり、メモはさておき、当時の感情をジックリ聞いてもらいたい部分だったのです。
 
カウンセラーからの反応が薄いと、話した直後はスッキリ感があっても、次のカウンセリングになると、やっぱり幼少期の母親の不満を語ってしまい、自己嫌悪になって帰るのです。時間の無駄。自己嫌悪も無駄。
 
カウンセリングの勉強では、「感情を吐き出させる」みたいな表現が出てきますが、これは決して、怒涛のように話すクライントを放置プレイすることではありません。カウンセラーが拾ってくれない感情は、回転寿しの残り物みたいに、グルッと一周して、ふたたび目の前に流れてくるのです。 

意味のなさげな質問をする時

カウンセリングでは、クライントからの質問にカウンセラーは直には答えない、というのは基礎中の基礎。問題を解決するのは、あくまでもクライント。カウンセラーが問題解決をしてしまうと、クライントが依存的になるだけで、いつまでも自分で問題を解決することができないからです。
 
だから、少しでもカウンセリングを学ぶと「カウンセラーに質問するのは虚しい」と頭では理解している…にも関わらず、カウンセラーに対して問いかけをしてしまうことはあるんです。自分でも「何でだろう???」と思いながら。
 
これも、やっぱり、相手の反応が薄いから起こることなんだわ、というのに最近気がついた。
カウンセリングの練習中、クライント役をやっていたあたくしは、ひとしきり話したあとで「で、わたしは、これからどうすればいいでしょうか?」と言ってしまい、自分でビックリしたことがある。
 
どうやら、カウンセラー役の共感が薄いので、どう感じているのか探りたくなったらしい(もちろん、クライントとしは共感が欲しい)
 
そこで相手に、いわば「どうでもいい質問」を投げかけて、相手の反応を得ようとする。もっと言うと、興味を引こうとしている節がある。
 
過去に、「心理学の本ばかり読んでしまう私は、心配しすぎでしょうか?」とか、「恫喝場面がたくさん出てくる映画を観たら、恫喝に慣れて平気になると思いますか?」とか、自分でも「何を聞いているんだよ?」と思うような質問をカウンセラーしてしまった経験があります。
 
そんな時、カウンセラーの応答が虚しく「さあ、どうでしょうか?」の繰り返しだったことが思い出されるのですが…
 
模範的応答は「どうしてそんなこと考えたの?」と、相手に興味を示す、です(笑)!
 

最後に… 

カウンセリングに入る前に、カウンセラーからこんな常套句が出てくる。
「この時間は、あなたのための時間なので、何でも話してくださいね」
 
しかし、現実には、何でも話せる状況ではないことも、往々にしてある(笑)。
 
人に話を真剣に聞いてもらえないのはただでさえ辛いのに、ましてや、お金を払っているカウンセラーに聞いてもらえないのは、もっと辛い!
 
自分で自分の「もっと話を聞いて欲しい」サインに気がつくことができれば、思考はとてもシンプルになります。
カウンセラーに言葉で本音を伝えるか、そのカウンセラーとのお付き合いを辞めるか、二つに一つ、自分で決めるだけです。
 
カウンセリングを必要としている方が、良いカウンセラーに出会えますように…。