心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

『ごんぎつね』ハッピーエンド説。

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幼少期の思い出がほとんど思い出せないという友人と、童話や童謡の話になり、これは知っているのでは?って感じで『ごんぎつね』の話をしてみた。
彼女にとっては、国民的童話(『ごんぎつね』は国語の教材の定番らしい)も新鮮だったようで、そうして数日、感動した友人と新美南吉や『ごんぎつね』の話をした。
 
限りある時間の中で、これだけ短期間に意識して『ごんぎつね』のことを考えたことがあるだろうか!(笑)
何もこんなに『ごんぎつね』のこと考えんでも…と思いながらも、困った性(さが)で一度走り出した思考を止められない。
 
『ごんぎつね』は泣ける。
自分などは、読まなくでも、ラストを想像するだけで、涙腺が緩む。
梅干しを目にするだけで口の中に唾液が湧いてくるが如く、それは何だか条件反射となっている。
 
 
 
何故にそんなに泣けるのか?
 
あたくしはずっと『ごんぎつね』は悲しい話だと思っていた。
ふとしたイタズラ心が人を傷つけてしまう。
償い続けるが、最後は誤解されて撃ち殺される。
取り返しのつかないことをしてしまって、改心しても、償っても、死ぬまで報われない話。
ちょっと怖いような気もする。
 
そうして感じる違和感…。
この物語の展開と、最後の何というか一種カタルシス的な涙と、ちょっと辻褄が合わないような気がして。
(だいたい大人はどんな意図で持って子どもにそんなに『ごんぎつね』を読ませようとするのか?)
 
そうしているうちに、突如、薄ぼんやりと「ごんぎつねの最後、幸せだったかもね」という考えが降りて来た。
天涯孤独で、始めて人と繋がりを持とうとして、その願いが達成された時っていうのは、もしかしたら死の恐怖を凌駕するほどの喜びではなかったか?
 
気になって、Wikipediaで調べると、草稿のラストシーンには“「権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました。”とあるという。
やはり! あれは結構ハッピーエンドであり、だから何とはなく爽やかな涙が流れちゃうんですよ。
 
 
 
先日、知り合いから、とある方のブログを見て欲しいと頼まれた。
そのブログの主は「読者がいなくなったら、死ぬ」と言っているのだそうだ。
自分はそんなことでは死ぬことまでは考えないけれど、その人の気持ちは分からないでもない。
 
いいでしょう、そうして自分もたまにそのブログを訪問するようになった。
そうすると、また知人からメールが届く。
「悪いけど、“いいね”もしてもらいたいの…」
彼女は、本当に友人の命を心配しているのである。
 
その是非はともかく…人と繋がりたいという欲求はどんなにか深いのだろう、強いのだろう、と思った訳です。
健やかな時には全く意識しないけれど…人と繋がりたいと願う気持ちは時として、命がけになってしまうことだってあるんだよね、きっと。
 
現在、人々に親しまれる『ごんぎつね』は、 新美南吉の草稿に児童文学の父的な鈴木三重吉が編集者として手を加えたものだ。
ラストのシーンの心理描写「うれしくなりました」の部分をザックリ削ったのも鈴木三重吉らしい。
このおかげで、『ごんぎつね』は何だか知らないけどやけに泣ける、不思議に心に残る物語に変身したのだと思う。
 
文面だけを辿ると悲しい物語なのに、行間から滲み出る緊張から解き放たれた安堵やら喜びの雰囲気。
この矛盾した感情が交錯するあたりに、えも言われぬ感情の嵐と涙があるんだわ、きっと。
そう一人納得して、バイトの昼休みにミスタードーナツで『ごんぎつね』(青空文庫経由で)で読んで、また泣いてしまったあたくし…バカだな~~~!
 
 
 
ヤバイんです、このままじゃ。
もうすぐ次のカウンセリングがやってくる。
その時あたくしは、『ごんぎつね』にインスパイアされた洞察話をしまくってしまうのだろうか?
先生は笑うだろうけど、あたくしは全然良くない。
何で大枚払って『ごんぎつね』の話をせにゃならんのじゃあ!
新美南吉童話集 (岩波文庫)

新美南吉童話集 (岩波文庫)

 

 新美南吉は早逝の童話作家なのである。結核がなかったら、どんだけ色んなお話を書いたんでしょうか? 『ごんぎつね』は彼が十代の時の作だそうです。複雑な家庭に育った新見南吉は、その寂しさを見事に作品に昇華させ永遠のものにしたんだなぁ。この文庫版は挿絵が棟方志功、気分だけちょっと豪華(笑)。

「共感」に対しての答えは出ているらしい。

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意味もなく疲れているのか、風邪でもないのに週末は身体が怠くて寝たり起きたりしてウダウダと過ごしてしまった。
そんな時はいくらでも眠れるのだけど、とてもリアルな夢を何本も見て怖くなる。
夢の中の世界の方が本当の世界のように思える恐怖心。
濃い紅茶を飲んで、これ以上眠気が来ないようにして読書する。
 
そうしてやっと読了した本。
『共感と自己愛の心理臨床』安村直己 著
副題に“コフート理論から現代自己心理学まで”とある。
専門書なのだ。だから半分くらいしか理解できなかったと思う。
 
だけど、あたくしにとっては面白い本だった。
すごく感動し、変な話だけど、読みながら何度も泣けてくる箇所があった。
何だか、自分のカウンセリング体験に重なるところがあったのだな。
 
自分がカウンセリングで体験している不思議な感覚が偶然の産物ではなく、ある程度理論的に説明がつく、というのはあたくしにとっては何だかホッとしたのだ。
 
 
 
カウンセリング入門者はまず、「来談者中心療法(傾聴)」を学ぶのだと思う。
それに加えて「精神分析」と「認知行動療法」をマスターして、やっとこさカウンセラーとしては最低限の技量、と何かで目にしたことがある。
 
とりあえず、「認知行動療法」は置いておくとして。
 
精神分析」はヨーロッパ、医師から生まれた心理療法(サイコセラピー)の先駆けであり、クライエントの人格の変化や成長を目指して積極的に介入を行う。
「来談者中心療法(傾聴)」はアメリカ、学者によって生まれたカウンセリング手法であり、助言は行うものの、基本的には非指示的(見守り型といえるかな?)。
 
だから素人的には「“共感”よりも情報収集! カウンセラーが分析して教えてあげて、どんどん気が付かせて変容を促そうぜ!」というのが「精神分析」で、「いや〜“共感”して聞いてあげれば、自ずと気付きがあり、良い変化が起こるんだよね〜♪」というのが「来談者中心療法(傾聴)」と捉えてきた。
 
“共感”に対する態度が真逆のように感じられるから、「実際のカウンセリングではこの双方のアプローチは上手く使い分けて行われている」と聞いてもピンとこなかったのね。
 
 
 
“共感”にまつわるその辺の疑問が『共感と自己愛の心理臨床』を読むと氷解する。
要するに、今の「精神分析」は“共感”に対して積極的なのがナウ、ってことです(表現古いけど)。
“共感”に関しては、「精神分析」も現在はその必要性を認めているのだ。
 
精神分析の層は厚く、有能な人が集まるところにはやはり、それまでの秩序を良い意味で崩す人が現れるのだ。
その名はハインツ・コフートさん。
この人はフロイトの正統派精神分析の後継者であり、「精神分析」の中に「自己心理学」という新しい流れを提唱した。
 
自己心理学」的アプローチは積極的に“共感”しようと試みる。
理由は明快、そうした方が「精神分析」のためのデータを収集しやすいから!
「来談者中心療法」の一派からしてみたら「そんな不純な動機で“共感”しないでっ! 共感するだけでクライエントは変わるんだから。プンプン!」なんだろうけど。
そういう訳で、今は精神分析の一派もクライエントの共感のためなら、今まではあり得なかったようなホットな自己開示もあり、と考えられるのだ。
 
そういう訳で、今は精神分析の方も「極力、クライエントには自分の情報は与えない」そうして「クライエントの心を映し出す白いスクリーンのような自分を目指す」…そんな不可能なことにトライしなくてもOKな時代になっているのだ。
ともあれ、個人的には安心しました!
ご自身のことは何も語ろうとしないカウンセラーは、あたくし非常に苦手なので。
 
そして、「自己心理学」の一派は「来談者中心療法 」からもう一歩進んだ関係性を“共感”と呼ぶ。
従来の“共感”がクライエントの心に寄り添うような形であるとしたら、新しい“共感”とは、息がピッタリ合ったダンスのような感じ、二人の関係性から生まれる独自の空気感…みたいな風に捉えられている。
 
あ〜これこれ、この“共感〜!”って感じで、あたくしは何だかジワっとなったんです。
 
コフートさんは自己愛に関する研究が御専門だそうで、個人的にも興味がある分野。
翻訳本は少ないけど、さらにそのお弟子さんやらが書いた本あたりならいつか手に取れそうだ。
 
難解な理論を、豊富な臨床例を交え、あたくしのようなど素人にも何とか伝わるような平易な文章で本を書いていただいた、著者の先生には感謝感謝大感謝なのでした。
今回、“共感”のことばかり書いてしまいましたが、“健全な自己愛”に関する記述もたくさんあり、こちらも興味深かったです。
 
いつか自分のカウンセラーの先生と、この本で知った「ダンスのような“共感”」のこと、話してみたいなぁ。
共感と自己愛の心理臨床:コフート理論から現代自己心理学まで

共感と自己愛の心理臨床:コフート理論から現代自己心理学まで

 

フロイト(古典的精神分析)やロジャーズ(来談者中心療法)との比較で理論のお話が進むので、この二人の基本的なことはまず押さえ取り掛かれるとスムーズかも。専門用語が多くて難儀する部分もあるけれど、心理学に興味がある人ならついてゆける内容と思います。共感、(健全な)自己愛…これらのテーマに興味のある方にはオススメです。2800円+税と高価な本なので、図書館にあるといいなぁ…。

 

よろしく哀愁。

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現在の先生とのカウンセリングの頻度は約2週間に一度となっている。
この間隔が今の自分には丁度良い。
 
カウンセリングが終わると、自分はすぐにその時間を反芻(はんすう)する。
先生のあれは、どういう意図だったんだろう? とか、どうして自分は咄嗟にあんな応答をしてしまったんだろう? とか。
可笑しいくらいに、グルグルとずっと考える。
 
そうして、1週間くらい経つと、だいたい「ああ、そうだったんだ〜!」みたいな一つの答えらしきものが見つかる。
だけど、それは大体はポンコツな発想(笑)。
そこからさらに1週間、その考えを弄んでいると、ポン!と新しい考えが降りてくる。
それは最初の考えよりは少しマシなような気がして、自分的にはちょっと満足する。
この、グルリと一回転考えて、さらにもう一回転考えてみる感じがイイ。
 
そうすると、その頃はもう次の面接の日が近付いている。
自分は頭の中に出来上がったものを壊さぬよう、そのままをお伝えできるよう、ソロソロ、イソイソとカウンセリングルームに足を運ぶ。
 
 
 
「あなたの心が安定するまでは暫く、2週間に1回というのはどうだろう?」
と、初回カウンセリングの際に先生から提案されて通ううちに、いつしかこの思考のリズムが生まれた。
 
それまでの自分はお恥ずかしいことに、カウンセリングは回数さえ重ねれば進むものと思い込んでいた。
 
今の先生に出会う前に、二人のカウンセラーにお世話になったことがあるのだけど、その頻度はおおよそは経済事情に依存しており、バラバラだった。
 
最初の先生に月1回の頻度で通ったのは、単にその時は無職で、それが経済的に精一杯だったからだ。
二人目の先生の時は、某大学のカウンセリングルームだったこともあり、費用は最初のクリニック併設のカウンセリング料金よりも若干手頃になったのだけど、初回面接の時、担当のカウンセラーの方から頻度について決めるように言われた時に、しばし考え込んでしまった。
 
その時の先生は「同じ曜日と時間帯で継続するのが大切」と前置きし、「毎週…せめて2週間に1回くらいの頻度が理想的」と言った。
その時も「ひと月の費用はかかるが短く済ませるか、もう少し負担を軽くして期間を長くするか」という二者択一的な発想しかなかったあたくしは、「自分は早く良くなりたい。毎週の方が2週間に1回よりも早く進みますよね?」と聞いてみた。
担当カウンセラーは「ん〜、そうなりますかねー?」と言葉を濁したのだけど、勇み足の自分はそれを「Yes」と解釈し、ちょっと経済的にはキツイけれど毎週カウンセリングに通うことを決心したのだ。
 
月に一度だろうが、毎週だろうが、自分がカウンセラーに信頼感を持てず、洞察を深めることができなければ、いずれカウンセリングは停滞期を迎え、それを超えられなければ中断に至る、と悟ることになるのは、ずっとずっと後のことだ。
しかも、カウンセリングが全何回になるのか、いつ終わるかなんて、誰にも予想なんかできないのだ!
 
最初のカウンセリングも次のカウンセリングも、奇しくも丁度24回で中断となってしまった。
 
 
 
あたくしはずっと、カウンセリングというのは、その面接時間だけが大切なのだと思っていた。
例えば50分の面接だったら、その50分間が勝負!みたいな…。
 
カウンセリングの勉強の中でも、逐語記録という対話記録の分析があって「“ここ”の部分でクライエントの気持ちに変化があったんですね!」みたいなのをやるワケです。
それで、大切な変化は全て面接時間中に起こるものだと思い込んでいた。
まぁ確かに、そういうことも多々あるのだろうけど…。
 
でも、今思うにそれはチョット違ってて、面接と次の面接の間にアレコレ考えるのが、後から効いてくるのだな。
 
昭和のアイドル郷ひろみの歌に『よろしく哀愁』という曲があって、
“会えない時間が 愛育てるのさ” というフレーズがあるんだけど、まさに、あれだ。
 
あたくしの場合は、愛を育ててるワケじゃなく、洞察を進めてるのだけど。
 
ずっと、カウンセラーの先生が何か魔法を使ってくれるものだと期待してたのだけど、そういうものは何も持っていないとようやく気付いた。
魔法みたいなものがあるのだとすれば、そういう一方的なもんじゃないのだなぁと、やっと理解してきた。
だからこそ辛いのだけど、そこのところは『よろしく哀愁』ってことで、いいんじゃないだろうか? みたいな…。

 

THE GREATEST HITS OF HIROMI GO

THE GREATEST HITS OF HIROMI GO

 

昔は西城秀樹の方が好きだった。今聞くと、ヒデキはエロすぎる(笑)。それに比べて、郷ひろみの歌は“男の純情”を歌ったものが多いような気がする。『ハリウッド・スキャンダル』とか、好き。もちろん『林檎殺人事件』も!

RICOH AUTO HALF E。

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カウンセリングで先生はあたくしに執拗に説得を試みる(…されているような気がする)。

自分が考えている世界が、観念の中にしかないこと、決して現実にはそのような形で与えられないこと。
じゃあ、それを人はどう腑に落としているのか? いや、人のことはいい、自分はどのように処理すればいいのかね?
 
イライラして、やけっぱちになって、投げやりな気持ちで家出願望の話を披露した。
離婚する前の家出願望は、持って行きたい物が多すぎて、しがらみもあって、遂行を断念したこと。
だけど、最近沸き起こった家出願望は、もう持参する物も少なく、あとはしがらみだけが引き止めているということ。
 
そうしたら、先生は「持って行きたい物が多すぎた、っていうのは?」と聞いてきた。
うん、なかなかいい質問ですね?
「カメラですよ、カメラ」
 
 
 
この流れはヤバイ、嫌な予感がすると瞬時に感じた(笑)。
だって、先生の顔がパッと輝いたから。
先生、カメラの話好きそう…話を切り出す前から、そんな気がしていたから。
 
「先生は、ハーフサイズカメラというのをご存知ですか?」
要するにクラシックカメラの話で、それも、ライカとかの高級品の話ではない。
古いカメラに、フィルムの1コマに縦に2コマ撮れるようになっている「ハーフサイズカメラ」というのがある。
一時期、これをしこたま買い集めた。
 
かつて、フィルムも現像代も高価だった時代があり、カメラを庶民に身近な物にするべく、高級なカメラとはまったく違うアプローチ、シンプルな作りであったりコストパフォーマンスを追求した、試行錯誤の末に様々な形のカメラが次々と生まれた時代があったのだ。
やがてフラッシュ内蔵のコンパクトカメラや使い捨てカメラや、そうしてデジカメ全盛の時代が来て、それらは陳腐化してしまったけど。
例えば…と、往年の名機の名前を挙げる途中にも、先生の顔にワクワクとした表情が湧き出て来る。
 
「それは、どんなのなのよ?」と促されて、あたくしのクラシックカメラ愛は炸裂する!
「あのカメラはフィルムの巻き上げがゼンマイになっているの」
「露出計の電源が乾電池ではなく太陽の光で反応する仕組みになっていたりするんですよ!」
 今のデジタルカメラとは全く異なる、中は歯車だらけのアナログの塊のようなカメラが大好きなんだ!
無骨でありながら、変なところに繊細さが宿ったあのデザインが好きなんだ!
好きなんだ、好きなんだ! 愛の告白は続く。
 
先生はニコニコして頷いている。
「先生…どんなの?って聞いておいて、全部知っているんでしょう? 本当は」
人が悪いですよ、先生? とあたくしも笑ってしまって、もう、カメラ愛は止まらないんだな。
話は国産機種からドイツとかロシアのカメラにまで及んでしまう。
 
そうして、また海外のデザインというのは、国産とは違った可愛らしさがあるんですよ、と力説しているうちに、変なことを思い出した。
あるドイツ製カメラの…と言っている間に声が震えてくる。
「ピント合わせのダイヤルがあるんですけれど…被写体までのだいたいの距離を選ぶ時に…それがアイコンになってて…遠くを撮る時はお山のマークとかで…」
一瞬でお部屋の空気が変わる。
 
「その中に、家族のアイコンがあるんですよ…集合写真を撮る時に合わせる…家族の…家族の…お父さんとお母さんの間に子供がいて…みんなで手を繋いでいるです…」
家族への執着を爆発させて、あたくしはちょっと泣いてしまった。
 
 
 
今日の自分の言動は芝居がかっていなかったか?
何であんなにいい雰囲気を自分からぶち壊しにしたのか?
カウンセリングが終わってから、そのことが猛烈にモヤモヤと引っかかった。
 
あたくしのカメラコレクションは、今は押入れの中に封印してあるのだ。
そんなに買ってどうするの? というくらい集めてしまって、老後の趣味はカメラいじりをしようとか自分に言い訳していたのだ。
でも、どうやら自分には老後というものがないらしい、と最近は気付いたのだ。
ずっと、働かなきゃなあ。
 
カウンセリングで話したカメラのことが何だか非常に気になって、久々に自分のコレクションを取り出してみた。
例のドイツカメラを出してみて、ピント合わせのダイヤルのアイコンの部分を再確認してみた。
ずっと、何だかその家族のアイコンが悲しいような怖いような気がして、取り出して見る気になれないでいたのだ。
そうしたら、大体はその通りだったんだけど、ちょっと記憶とは違っていた…。
 
そのことに驚くとともに、ああ、先生にいい加減なことを言ってしまったな、更にも、あやふやな記憶に基づいて泣いてしまったな、と反省した。
そして反省しながら、自分の記憶のいい加減さに、少しホッとした。
いい加減だな、自分。
 
他に「シャッターが下りない」と書いた付箋が付いたカメラも出てきた。
過去の自分から、未来の自分へのメッセージ。
カメラいじりは老後に取っておこうと思っていたから、実は今まで一度もカメラの分解に挑戦したことがなかったのだ。
それに分解したら、そのまま壊してしまいそうで怖かった。
 
でも、何故かその晩は我慢できなかった。
精密ドライバーを探し出し、小さなネジを無くさないように大きめのお菓子の空き箱を用意して、その上でソロソロとネジを外した。
 
中を開けて見ると、バネやゼンマイがギッチリ詰まったカメラの中身がむき出しになり、中からサビのようなオガクズのような粉がちょっとこぼれた。
シャッターが下りなかったのは、長期間の放置で油が硬くなって引っかかっていたせいらしい。
その部分を指で何度か無理くり動かしているうちに、次第に動きが滑らかになり、シャッター部分は元どおりになった。
 
カメラの分解は、元に戻せなくなったり、壊してしまうことなどなく、むしろ、楽しかった。
何よりも、こんなことが、自分に無心の時間を与えてくれると知ったのは、収穫だった。
そうして、カメラの分解は怖くないのは分かったけれど、自分はこれからクラカメオバさんになるのか?と、ちょっと怖くなった(笑)。

全て杞憂でした。

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カウンセリングにいく日の朝が来て、憂鬱でたまらない。
それでも、正直に前回の面接で感じたことや思ったことを正直に言おう、それでいいじゃないか? と自分に言い聞かせた。
ちゃんと、分かってもらえないことが悔しくて、家で泣きましたと言おう。
初めてカウンセリングに行く事が怖くなりましたと伝えよう。
 
朝、歯を磨きながら、自分が悔し涙を流すなんて、随分久しぶりのことだったと気付いた。
いい体験だったかもと少し思えたら、急激に心が楽になった。
カウンセラーの先生には自分のことをたくさんお話しているから、何でもすぐに分かってくれると思い込んでいたんだな、でも、そうではないのだな。
 
カウンセリング恐い、とか言ったら、先生はどんな顔をするだろう?
と、興味があったのだけど、人にマイナス要因を話す時、自分は伏し目がちになってしまう。
先生は「あ、そう?」とか「ふーん?」とか間の抜けた相槌を打ちながら聞いていて、最後に「僕だって、流石にあなたのこと全部分かる訳ではないよ?」と笑った。
 
「そうですよね? だからもう一度話すので、聞いてください」
前回先生はこんなことを言ってて、あたくし的にはそれは分かるけれども、自分だってそう思ったことはあるけれども、今の自分の気持ちはそうじゃない、違うんです。
なるべく正確に現在の自分の気持ちに沿うように、同じことを、言い方を変えて、何度も何度も話した。
 
 
 
先生は注意深く聞いてくれているように見えた。
そして、口を尖らせて考え込んでいる表情を作り、腑に落とそうと苦心しているようだった。
その顔がむしろおどけているように見えるので、「先生の顔、ワザとらしいよ」とあたくしは笑った。
この空間では、感じた違和感は、すぐに口にするように心掛けている。
そして「ごめんなさい、先生はふざけてないと思うけど、自分から見るとそんな風に感じるの」と言い直した。
話しながら、当たり前のことだけど、ああ先生は「自分とは違う心を持った人だ」「他人なんだ」とシミジミと思った。
 
今はもう、本当に分かってもらいたい人は目の前のカウンセラーではなくて、先生は誰かの代わりを演じてくれていることに、自分は気付いているのだ。
代わりでもいいから、理解してくれようと努力してくれる人がいないと、今の自分は辛いのだ。
自分と違っていても構わない。ただ寄り添う努力をしてもらえるだけで、とても嬉しいのだ。
 
「これまでわたしは、こちらが一生懸命伝えれば、いつか分かってもらえる日が来るのだと思ってました。
 でも、それは間違いで、限界がある、どうしても理解してもらえないことがある、って気が付いたんです」
お互い、どんなに近くて長い関係においても理解しがたいことはあるんですよね?
 
最後の方に先生は「うん、やっとあなたの気持ちが分かってきたよ」と言ってくれた。
しかし、先生にはあたくしの至った考えがとても寂しく感じるようで、賛同しかねる様子だった。
先生は「無理にそういう風に考えようとしていない?」と聞いてきたり、
「そんな風じゃあ、愛が受け取れないよ?」と諭してきた。
 
「でも、先生、今はこの段階なんです」物凄く分かって欲しい気持ちを込めて、自分は言った。
時間が経てば、今よりも、先生がホッとするような、もっとマシな考えに変わるかもしれない。
だけど、今はこうなんです。とても寂しく、途方に暮れているんです。
「うん、今は、この段階にいるんだね?」
「そうです。今はここにいるんです」
 
 
 
今日の先生は、あたくしとの間を遠すぎず、近すぎず、絶妙な距離感を保ちながら、注意深く対話をしているように思えた。
今日のは、特に内容的にも距離感を大切にしたいような、とても微妙な話だったのだ。
先生がドンドン遠くなっていくような悪い予感は、杞憂だった。
 
ふとしたキッカケで食い違いが大きくなり、そのほころびをどうすることもできずに、縁が切れてしまうときの怖さを、なぜか久々に思い出したのだ。
先生にはちゃんとお話しできたし、爆発しそうな怒りを感じることはなかった。
先生とあたくしとで、共通して好きなものをまた一つ発見したり、楽しい時間もあったのだ。
 
なんで偶然に同じものに愛着を持っていることを知ると、こんなにも嬉しいのだろう?
自分が大切にしているものを、別の人も大切に思っていることを知ると、なぜこんなに温かい気持ちになるのだろう?
不安な気持ちは、一つも解決する風もないのに。

カウンセリング恐い。

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う〜ん、もうすぐカウンセリングの日が近づいているんだけど、ちょっと困ってる。
こんな気持ち初めてなんだけど、なんか恐いんだよね。
それまでは「あと◯日でカウンセリングだ〜♪」と指折り数える勢いで、あれ話そう、これ話そうと、どちらかというと、ワクワクしていたのだ。
 
いくら先生好きっていってもさぁそれもどうだかね、と思うけれども、尻込みするというのも変だ。
あたくしのカウンセリングは誰かに無理くり行かされている訳でもないのに。
そうして、先生は1ミリも変わってないのに、急に恐くなるなんて。
 
何が起きたのかわからないけれど、変わったのは自分だ。
また、考えすぎて、いろいろ恐くなってしまったのだろうか。
先生はよく
「ハイハイ、あなたが頭イイのはよく分かったからさぁ」
とあたくしのことを笑うのであるが、それはもちろん揶揄(やゆ)である。
考えすぎということ。
今のあたくしは、不安の塊だ。
 
 
 
塊という訳だからいろんな不安があって、その集合体が恐いのだけど、その中でも大きな不安が二つある。
一つは、カウンセラーの先生の前で、落ち着いて話ができるかどうかの不安。
 
何となく、ささいなことで感情が爆発しそうな感じなのだ。
例えば、笑って欲しくない時に笑われるとか、自分にとっては大切な話をしているのにそれを軽く扱われるとか。
そういうのは、いつもカウンセリング場面で起きていて、そういうのを、先生は恐らく意図的にチョイチョイ仕掛けているのだ。
想定内なのに、なんだか今はそれに非常に触発されそうな感じ。
巷でも怒りっぽいというか、ささいなことで切れる人がいるけれど、そういう人に自分がなってしまいそうな恐怖。
 
二つ目は、そういう自分の暴力性が先生を言葉で傷つけそうな、不安。
 
昔一度だけ、怒りのあまり、気付いたらすでに人を殴っていたことがある。
殴ったことに関しては、それ相応の理由があったので(暴力はいけないが)、実は後悔も反省もしていないのだけど、自分の意識をぶっ飛ばして行動が先に出るのはよくないなぁ、と思った。
あたくしは、その時に、自分の中に得体の知れない凶暴な、怒ると何をしでかすか分からない狂犬がいることに気付かされた。
それ以来、ずっとそれを強固な檻に閉じ込めている。
 
何かの手違いで、その狂犬が口先に出てきて暴れ回ったら、さすがにカウンセラーの先生はドン引きするだろうと自分は思っているのだ。
もっとも、このことは先生にも伝えてあるのだけど、先生の方はそれを狂犬なんかとは思っていない節がある。
だから引きずり出して、「ほら、やんちゃな子犬なだけだよ? 僕にとっては」と言いたいのかもしれない。
 
 
 
あたくしの怒りの表出について、カウンセラーの先生が
「ここは安全な場所だから、ここで練習すれば大丈夫だよ」
と、言っていたことを思い出した。
一度だけでなく、何度も言っていた。
 
それをあたくしは毎度毎度、「いや、難しいです」「無理です」と言い続けて逃げ回ってきたのだ。
 
思えば、先生のことを知りすぎた。
いや、本当は何も知らないのだろうけど、分かっているような気になってしまった。
カウンセリングの途中で、もし自分が我を忘れるくらい興奮してしまったら、そういう先生のディテールを捕まえて罵倒してしまうかもしれない。
それは絶対にしたくない。
先生が自分に「自分がどんな人であるか」と語ってくれた勇気と誠実さを、あたくしは最後まで尊重したい。
そこを怒りに任せて、否定したり傷つけたりしたくない。
 
自己開示が豊かなカウンセラーに関して、あたくしは初めて「困ったなぁ」と思っている。
 
ここは乗り越えなきゃいけない部分なのにな。
今まで、自分はその攻撃性を自分に向けてきたのだ。
それを緩やかに外に出せるようになれば、自分は今よりずっとずっと楽で幸せな人になれるだろう。
変わるのが恐いから、先生を言い訳に逃げようとしているだけなのかな?
 
きっと委ねることが必要なのだろう。
力を抜いて委ねた 時、誰でも身体が水に浮かぶんだ、と体感すれば、海はきっと今より怖く無くなるはず、とか。

Nちゃんのこと。

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とても昔のこと、あたくしが 26歳の時に、当時勤めていた会社が、これはヤバイ、十中八九潰れるというので、希望退職者を募集した。
希望退職者を募るのは2回目で、次回は指名解雇にする、とのことだった。
 
「辞めちゃおうか?」と会社の先輩のNちゃんが言った。
Nちゃんは帰国子女で彩色兼備な秘書課のやり手なのだけど、ちょっと頭のネジが外れてるような、風変わりなところがあった。
そのネジの外れ加減が、あたくしとマッチしたのだろう。
3つ歳上のお姉さん、とても可愛がっていただいた。
 
今辞めたら、会社は退職金に50万円上乗せしてくれるという。
「そのお金でさあ、どっか行っちゃおうよ?」
まったく悪い先輩である。
でも、あたくし、それに乗っちゃったんだな。
「一生に一度でいい、一週間くらい…パリに行きたい」
と、あたくしが言うと、Nちゃんは、
「デッカク行こうよ、1ヶ月行っちゃうおうよ、ね?」と行ったのだ。
 
 
 
若いって素晴らしいし、恐ろしい。
当時、誰か止める人はいなかったのだろうか?(笑)
とにかく行っちゃったんだな、パリに。
スーツケースに、お湯で温めるご飯と味噌と梅干しを詰め込めるだけ詰めて、滞在中の食料の足しにした。
市内の何大学だったか忘れたけど、学生街近くの1泊2名で2000円くらいの宿に長期滞在した。
そうして、おそらくパリの美術館はほとんど行ったのではあるまいか?
 
自分は鈍臭いし海外の自由旅行なんて初めてだったので、前をサッサと歩く彼女とはぐれまいと必死だった。
彼女にとっては超足手まといだったことだろう。
だけど彼女は道中、頼もしい姐御を貫いてくれた。
 
それでも旅の緊張感と疲れからくるイライラから、最後の方は一触即発だった、
無事に成田に帰って来たときには、ホッとしたとともに、正直かなり険悪な雰囲気が漂っていた。
しかし、彼女は空港の帰り際、ニッコリ笑ってこう言った。
「楽しかった、また行きましょう」
ああ、彼女は大人だな、とあたくしは人格の違いというものを思い知った。
 
自分は子供だったらから、まだ怒っていた。
でも、時間が経ったら、またこの人と行きたくなるに違いない。
それは分かっていた。
長く寝食を、苦楽を共にする旅は、誰とだってできるもんじゃないよね。
 
 
 
残念ながら、彼女ともう一度旅行に行く夢は叶わなかった。
帰国して数ヶ月後、彼女は肝炎にかかってしまったのだ。
原因は今でも分からない。
それはどんどん悪化して、彼女はとても頑張ったのだけど、その年の秋に亡くなってしまった。
 
「なぜ、うちの娘だけが亡くなったんでしょう?」
と、彼女の母親はあたくしに問う。
それは、難しい質問だ。それに答えはあるのだろうか?
 
やりばのない怒りを、彼女の母親は、やんわりと私に向けてくる。
どう考えても、旅行と病気は関係ないし、自分だって友人を失って悲しいのに。
 
2〜3年経った頃か、共通の友人から「彼女のお墓まいりに行きたいから」と言われて、気が進まないままご実家に電話したことがある。
「あの子はね、まだウチにいるんですよ。だって、かわいそうでしょう?
 ああ、あなたは、新しい職場で働けて、いいわね。
 新しいお仕事、楽しい?」
電話口の向こうの人は泣いていた。
いたたまれず、電話を切って、それ以来連絡は取っていない。
 
 
 
あまりに遠い話なので、なんだかこの話自体がフィクションみたいだ。
共通の友人とも縁が切れてしまったので、あたくしがこれは空想上のお話、と言い切ったら、なんだか本当に作り話になってしまいそうだ。
 
人間の脳は、感情が動けば、それが現実によるものだとか、フィクションによるものだとか区別できないで、要するに全てリアルなもののとして処理するらしい。
当時はSNSスマホもデジカメさえもなかったから、彼女の笑顔が数枚の写真に残るばかりなんだな。
 
それでも、旅先の夜に話してくれた、彼女の個人的な想いとか、子供の頃の思い出とか、そんなのは一つひとつ彼女だけのオリジナルなエピソードであって、もう随分薄れてきちゃってるけど、それはまだ、自分の中に残ってる。
彼女の中のグツグツとした熱いものや 、そのエネルギーを持て余してイラついていたことなどは、確かにこの世に存在していたものなんだ。
 
正直、自分もよく分からない。
なぜ、自分がここにいて、彼女はここにいないのか。
なぜ、楽しいことの先に、とてつもない喪失が待っているのか。
 
考えてもどうしようもないことを、考えないで、とカウンセラーの先生は言う。
ただこうやって…と、両の手でその気持ちをそっと包み込むようにする。
あたくしは出来の悪い生徒なので、それがなかなか難しい。
 
心が辛い時は辛いし、痛い時は痛い。
 
いつも心を占めている訳でなく、ある時、フッと思い出すのだ。
それは懐かしくて愛おしいのだけど、辛くて痛いのだ。