心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

先生、あたくし浅慮でございました。

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インフルエンザで外出禁止、熱も下がらないから、布団で一人、ずっと先だってのカウンセリングを反芻していたのであった。
そうして思い返しては憤り、先生の気持ちをおもんばかっては、やっぱりあれは酷かろう?とか、涙していたのだった。
インフルエンザによる高熱は、少しも自動思考を衰えさせてくれない。
 
何故か夫は、高熱で食欲の落ちたあたくしに、プリンと玉子豆腐を買ってきた。
あたくしは病気の時はここ何年も、ヨーグルトかゼリー派なのだ。
熱が出た時、玉子は気持ち悪くて食べられない。
何年一緒にいるんだよ? と、ここで怒りが湧く。
夫の善意だということは分かっている。ありがたいんだよね? 結局、甘えてるんだよね?
とても弱っているので、説明も面倒臭くて手をつけないでいたら、いつの間にか夫が自分で食べていた。
 
弱っている上に、食はさらに細く、考えは後ろ向きに、一層バカになるばかりだ、と自分にダメ出し。
 
 
 
実はあたくしにはカウンセリング友達というか、全く違うカウンセラーさんから違う療法を受けている友人がいて、時々お互いの先生のことを話し合ったりする訳。
そこで、改めて、人がカウンセラーに対して求めていることは十人十色だと思い知るのだ。
友人も自身のカウンセラーには信頼を寄せているけれども、そのやり方を聞いてみると、自分の先生とは何から何まで全く違う。
良いカウンセラーというのも千差万別なのだ。
 
そうして、先日のカウンセリング出来事を友人に話したら、彼女は「何、それ、プロっぽくない!」と我が事のように憤った。
プロっぽくない、というのは、先だってのカウンセリングで自分の意見を押しつけてきた先生の態度のことだ。
そうして、「ちゃんとデータに基づいた話をしてくれなきゃ、困るよねぇ?」と言った。
 
でも、ここが面白いところで、あたくしはちっともそう思わなかったのだ。
「いやさ、先生は感性の人だから、統計学的なことは重きを置いてないんだよ(笑)」と言ったら。
「だって、ちゃんと勉強してもらわなきゃ困るじゃない?」
「クライエントから苦手分野の話が出たからって、適当なこと言ってちゃダメじゃないのよ?」
でもそれは、彼女にとっての理想のカウンセラー像なのだ。
彼女はあたくしよりも10歳以上年下なのだけど、こういうところに若さを感じるんだな。
 
そうして、彼女は親切心からたくさんのアドバイスをくれた。
「もっと専門性の高いカウンセラーに相談してみては?」とか
「男性には分からない話もあるだろうから、女性のカウンセラーはどうだろうか?」とか。
 
でも先生がその日の気分や体調から、あたくしに対して適当していたとはどうしても思えないの。
だだ、その意図を計りかねてオロオロしているだけだ。
「ありがとう。だけどね、自分が限界を感じるまで、今の先生にお願いしようと思う」
よき友に、あたくしはそう伝えられたのだった。
 
 
 
そうして通常よりも更に劣化している思考能力でもって、シツコク考え続けて、一つ思い出した。
 
先日のカウンセリングの時に、あたくしはこんなことを言ったのだ。
「言葉とは裏腹な、相手の本心が伝わってきてしまうことがある。
 この人はこんなこと言ってるけど、私のことなんか大切に思ってないなぁ、とかが分かってしまう時が」とね。
それに対して、カウンセラーの先生はこうおっしゃった。
「分かった時、そのことについてあなたは何も言わないの?」
「言わないです」
「大切にしてよ、とか?」
「言えないです。自分に自信がないから。
 分かるだけでいいんです。後は、こっちで決めますから」
 
あはは、きっとカウンセラーなら、そこに山を見ちゃうよね?(笑)
 
で、あたくしの読み取った先生からのメッセージはこれ!
「僕にあなたの権利を主張して来い!」です。
どうだろう?
まあ、かなり的外れだとしても、このまま考えが変わらなければ、自分は次のカウンセリングでそうしてみるつもりなの。
 
ぶつかり稽古ってやつ?
「分かってくれ」「分かってくれ」「分かってくれ〜〜〜!」って感じで、何度も飛びつく。
その都度、先生に軽く放り投げられるに違いないので憂鬱だ。
それは疑似恋愛からチビッ子相撲への変遷…先生、疲れるよね? ご苦労かけます。
 
陽性転移が終わっても泣きべそなんだな。
だけど泣きの質が違って悔し涙なんだな。
これ陰性転移? それともインフルエンザで弱ってるだけ?
とりあえずインフルエンザだけでも早く回復しよう、そうしよう。

陽性転移、本当に終わり。

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まずは、インフルエンザになってしまいました。
高熱で辛いです。病院で調べたらB型でした。
流行っていることは知っていたのですが、中学生以来インフルエンザには無縁で、自分はならないものだと勘違いしていました(笑)。
皆さんもお気をつけください。
すでにかかってしまった人は、どうかご自愛を。
 
 
 
陽性転移に関しては、いつ終わるんだろうと思っていた。
陽性転移の後に陰性転移が来る場合もあり(カンセラーが仕掛ける場合もあるそうです)、カウンセラーを嫌いになったり、憎くなったり、怖くなったりするみたいで、それは嫌だなあとも思っていた。
あたくしはかつて夫に怒りを露わにしていた時みたいに、負の感情を先生にぶつけるのだろうか?
自分の弱い面を晒すのには抵抗がなくても、激しく荒々しい部分は、何とか見せずに済みたいものだ。
うわぁ、先生大嫌い!とかなるんだろうか?
でも、その時が来たなら、思う存分した方がいいんだろうなぁ、と考えていたのだ。
 
少しカウンセリングの感覚が空いてしまったので、今回はとても辛かったのだ。
正直に「大丈夫だと思っていたけれど、実際はとても辛かったです」と告白したら、
先生は「ごめんね、忙しくて」と言った。
精神的には結構フラフラで、先生に思い切りもたれかかってやろう、くらいに思っていた。
とってもフッカフカな大きくて白いお布団みたいな先生にダイブして、甘えたいと思っていたのだ。
 
 
 
ここ数週間で考えたこと、気付いたことを先生に話す。
思い切り泣いてやろうと思い、そういう時にはあたしは予めフェイスタオルを膝の上に置く。
それだけで、気が落ち着くこともあれば、本当にタオルを活用する時もある。
でも、今日は何となく、いつもと違う。
 
感極まって泣きそうになると、先生が笑いを挟む。
「何でここで笑うんですか?」といつもより強い違和感を感じる。
私が到達した思いを話すと、先生は「それは、違うと思う」と遮る。
何だか、そんなの全然お門違いだよ、そんなのお話にならないよとばかりに鼻先で笑う。
「人の気持ちはそんなに浅いもんじゃないよ?」
 
先生は、ちょっと憤っているように見える。
あたくしの導き出した洞察があまりにも子供じみているからだろうか?
それよりも、あたくしにではなく、何かもっと大きなものに対して腹を立てているようにも思える。
とにかく、ことごとく否定されて、当惑する自分。
どうして先生、今日は自分の考えを押し付けてくるの?
 
ムクムクと夏の入道雲のように沸き起こる反発心。
今まであたくしの何を聞いてきたんだよ! 全然分かってない!
今日の先生のトンチンカンさが受け入れられない。
 
ほんじゃあ、カウンセリング辞めちゃう?と問われれば、そうではないのだ。
不思議と、分かってもらうまで、食いついて、何度でも話そうと思っているのだ。
今日は飲まれてしまったけど、何度でも落ち着いて話せるようになろうと。
「先生はこう思って言ったのかもしれないけれど、私が本当に分かってもらいたいことはこうなのです」と。
このカウンセリングを始めた時、最初に先生を見た時の自分の直感を限界が来るまで信じてみようと思っているのだ。
今の現実世界では難しい、誰かに理解してもらう感覚を、ここでは体感したい。
 
 
 
ともするとやけっぱちなことばかり言うあたくしを、落ち着かせようとする先生の想いは伝わってきた。
先生の突き放すような言葉には、あたくしの幸せを願う愛が含まれているんだろう。
でもそれは、何だか、親戚のお兄さんとかおじさんの言葉みたいなんだよね(笑)。
先生がスーパーな存在から、タダの人間になっちゃった…。
 
人間になった先生は、自分の傷つき体験を話してくれる。
そうか、今日のあたしくしの話、先生の心の琴線に触れちゃってる?
あたくしは先生のこと大好きだから、先生の個人的な話を聞くのは嬉しいよ?
だけど、これはあたくしのカウンセリング。
あたくしの話、聞いてる?
今日の先生、変だよ? どうしちゃったの?
 
カウンセラーといえども何かしら弱点があるのだ。
この手の話は我が身の古傷に触れて辛い…というのが誰にせよあるのだ。
それを克服するのがカウンセラー道なのだ。
…と勉強したよ? あたくしは知っているよ?
 
今日の先生、これは意図的にやっているのだろうか、それとも、そうなっちゃったのか?
と、帰途に考える。
あたくしがあまりにも毎度甘えてくるので、急遽人間宣言をされたのだろうか?
先生の不完全さを知ることは、自分の成長過程においても大切なことだよね?
なんとなく、親がちっとも理想的な人間ではなかったことを悟る時に似ているような気がする。
それをやったということだろうか?
次にそれとなくこのこと聞いてみよう、とか思ってる。
 
人間になった先生はウリ坊を思わせるようなかわいい男の子(オジさんだけど)なのだ。
喜怒哀楽が豊かで、カウンセラーらしからぬ落ち着きのなさだけど(笑)、あたくしはまだ先生を信じてるよ?
そうしてひとまずは、先生のことを嫌いにならなくて良かった。
完璧でなくても愛するに価するのだと、何度も教えてくれたのは先生なのだから。

アローン・アゲイン

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およそ20年も前のこと、当時の恋人と夏休みに旅行に行った。
東京から車で琵琶湖、京都とめぐり、神戸の六甲山まで行った。
彼とは結婚するつもりで、親にも紹介していた。
 
それが今までの旅で、恐らく一番“しんどい”旅だった。
というのも、明日から夏休みに入る、というその前の晩にあたくしはレストランでワインを飲みすぎて転倒、顔面に13針もの傷を負ってしまったのだ!
 
急遽、病院まで駆けつけた彼が、「二人のメモリアルな旅行の前日に飲みすぎるなんて、何てことしてくれたんだ!」と激しく嘆いた。
すでに旅行の準備はカバンに収まり、出発を待つばかりになっていた。
そうして、「この旅行の予定は変えられない」と次の日の昼頃に琵琶湖に向けて出発したのだ。
彼の自慢の外車で。
 
額と口元に貼り付けられた大きなガーゼに加え、片方の目の周りに青黒い輪が出来ていて、自分の顔は漫画みたいだった。
ビジュアル的にはまるでドメステックバイオレンスの被害者みたいだけど、実際は自分で転んで怪我をしただけなのだ。
行く先々のホテルのフロント係は、腫れ物を扱う様な微妙な顔をしていた。
 
 
あたくしは道中、無表情を貫いた。
顔面に怪我をして初めて気がついたのだけど、人間の顔の筋肉は本当に細やかに動いて、微妙な表情を作り出している。
「え? 何?」と疑問を呈する時の表情の時は、額の筋肉が動く。
口を尖らせて不満を表現する時は、口元の筋肉が動く。
それに高速道路をブッ飛ばす車はとにかく揺れた。
痛みを表現する行為自体が痛みを伴うので、あたくしは表情を消し続けた。
 
旅のクライマックスである神戸に近づくにつれ、8歳年上の彼が次第に不機嫌になっていく。
「君は、この旅でちっとも楽しそうな顔をしないね」
「これだけ僕が、素敵な宿、素敵な場所に連れて来ているのに!」
「おまけにセックスもさせてくれない!」
よくも大人気なくここまで本音をさらけ出せるな、と思うくらい、彼は自分に正直だった。
 
「あのねぇ?」と、あたくしは言った。
「顔を13針も縫ってニコニコ笑っている人がいたらさ、バカだと思うけど!」
 
 
 
帰ってきてから、その一連の出来事を友人に話したら、
開口一番、腹立たし気に言われた。
「おまえ、そういう時に旅行なんか行くなよ!」と。
「そんなの、ありえねぇだろ? そいつおかしいよ!」
その人はあたくしにもあたくしの婚約者にも怒っていた。
 
我が事のように怒っているその人を目の当たりにして、あたくしはやっと、「これは、何やら酷いことなのかも知れない」とボンヤリ思った。
それまで何が起こったのか、自分には全く分かっていなかったのだ。
自分は確かに何かを見ないようにしていた。
そうして、見ないようにしながらも、何やらボンヤリと限界を感じていた。
 
当時のあたくしの婚約者は、数年前に相次いで両親を亡くし、莫大でもないがちょっとした遺産を相続して郊外の大きな家に一人で住んでいた。
「俺の女に相応しい結婚式をしてやる」
「ノルマンディーのモンサンミッシェルが見える場所で結婚式をする」
「俺と結婚したら、俺の車コレクションは全部君のモノでもあるということだよ?」とか妙な事ばかり言っていた。
今、思うと、彼の言葉はどれも陳腐な言葉だったけど、あれが彼にとっては愛情表現の言葉だったんだろう。
最初あたくしは、孤独に生きてきた彼に優しくしてあげたい、とか思っていた。
 
でも、旅の終わりには、それは難しいかもしれないなぁ、と思っていた。
自分の意思ではないけれども、限界が来てしまったら、なすすべがないなぁ、みたいに思っていたのだ。
 
旅行の最終日だったと思う。
神戸市内を走っている時に、カーステレオからギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」が流れてきた。
それを聞きながら、あたくしは「彼はもうすぐ一人になるんだな」とボンヤリ思った。
彼が一人になるということは、自分も一人になるということだった。
それはどうしようもない。それは仕方ない、と思いながら、「アローン・アゲイン」を聞きながら、神戸の街並みを眺めた。
 
 
 
当時、自分が必死に見ないようにしていたもの。
それは“孤独”だった。
孤独に直面しないよう、孤独に直面する事を避ける為だったら、自分の中に自然に沸き起こる感情を殺してでも、何かを見ないようにしていたのだ。
 
ずっと、自分は孤独には耐えられまい、と思い込んでいた。
今でも自分は孤独に弱く、孤独への強い恐怖心がある。
 
でもちょっと、最近、その認識が変わってきたんだよね。
 
今の自分、案外、孤独に耐えられるんじゃなかろうか?
孤独でも結構平気なんじゃないだろうか?
いやさ、もしかしたら孤独を楽しめたりとかも、できるんじゃなかろうか?
孤独は人を歪めるばかりではなく、何かを醸成させてくれたりもするんじゃないだろうか?
 
こんな言葉は、何だか人間的成長の証みたいだけれど、実は少しニュアンスが異なる。
 
単に孤独よりももっと恐ろしいことに気づいたからだ。
あたくしにとって何よりも恐ろしいこと…それは、自分の本当の気持ちに向き合うことだったんだよね?
 
そういう訳なんですよ、本当にもう、あたくしったら気付くの遅い〜!
 
…てな感じに、進んじゃっているのですが、カウンセリングまで、まだちょっと日数があるのだった。
先生、ヘルプミー!

先生、何故に世間話するのですか?(笑)

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現在のカウンセラーの先生との面接は、最初はほとんど自分が喋りっぱなしだったのだけれど、最近ではあたくしがカウンセリングの先生から話を聞く時間が増えた。不思議な話だけど。
随分前から、先生の語り…自己開示の多さにはビックリしていたのだけれど、最近は、本当に様々な話をする。
自己開示というと、何だか大仰だけど、その多くは、まあ何というか、世間話ですね(笑)。
 
それは大概、あたくしの話から派生した、何気ない脱線のようにして始まる。
そういうのが楽しい時もあれば、いやむしろこっちは喋りたいことではち切れそうで、話の流れがドンドン明後日の方向に行ってしまい、不覚にもイラッとしてしまったことがある。
で、ある時、「先生の話は置いておいてですね」と話を遮って、自分の不平不満の話に強引に戻して喋りまくったことがある。
 
この時間はあたくしはお金を払って設けた時間なのだから、当然、あたくしが喋くる時間なのよ、と思っていたとフシがある。
でも、今思えば、それはちょっと違うような気がする。
どんな形であれ、自己洞察を深める会話がなされれば、結果、それは良いカウンセリングの時間なのだ。
自分だって、先生には愚痴聞き以外のものをお求めしているのだ。
 
帰ってから、あの先生の超個人的な語りが、どこかひっかかる。とても気になる。
「あの話は何のためにしたのだろう?」まさか、先生が根っからのお喋り好きでカウンセリングの場であることを忘れて自分のことを喋りまくるハズはないのだ、
何か意図があるのだ、計算されている話なのだ、さあて何だろう…?と考えた。
もちろん、まさか先生があたくしの先生への興味を満たすために話しているとは思えない(笑)。
 
 
 
その次の週の面接で、あたくしはその際のことを正直に先生にお伝えした。
「あの、わたし、先週、先生の話を途中で遮っちゃったでしょう? あれが、後でナゼだか分からないけれど、気になって」
「あ、そう? それは良い傾向だね」と先生は非常に満足そうなお顔で、ニコリとする。
ほら、やっぱり、作戦なんだ。
それでもあたくしには、何が“良い傾向”なのかはちっとも分からない。
そうして、その日の面接は、前回あたくしが遮った先生のお話の続きから始まったのだ。
 
でもちょっと奇妙でしょ? そもそも先生の方はあたくしの話をよく遮ってくれる!(笑)
貴重な50分間を有益な時間にするための交通整理だ。
「そんな話、しなくていいよ」とか「そんなの考えてもしょうがないでしょう?」とか「それはさぁ、終わった過去の話だよ?」とか「そっから先は考えなくていいよ」とか「まだ、心の準備ができてないなら言わなくていいよ」とかね。
これらの言葉だけを取り上げたら、もし互いの信頼関係がなかったら、ちょっと冷たい言葉に感じることもございましょう?
でも、それらにも恐らく、ちゃんと意味があるのだ。
 
そうして、最近やっと…というか、ある日突然にフト気が付いた。
先生が何気なく繰り出す世間話は、もちろん嘘偽りのない先生のこれまでの経験や最近感じた率直な気持ちを話しているに違いない。
でもそれは、現在のあたくしが意識から追いやっている、遠い昔の記憶や、抑圧している気持ち、消え入りそうな希望にことごとくリンクしているのだ。
先生は、先生の個人的なお話という形を取った、あたくしの話をしているのだ!
そりゃ、後から気になりだすハズだよね。参りました。
 
 
 
それで、もうすでに、カウンセラーの先生とそのことを話したくてしょうがないのに、今回は、先生のスケジュールの関係で、一週間ほど余計に次のカウンセリングとの間隔が空いてしまったのだ。
日程を決める時には、少しくらい余分に間隔が空いても、最近は調子が良いので全く大丈夫だと思っていたのだ。
でも、それは気のせいで、正直全然ダメな感じ(笑)。
ずっと約2週間おきに面接を重ねてきて、すでに自分の中にリズムが定着しているのだ。
 
話したところで、先生は「そんなこと僕は少しも意図してない。あなたはいつも考えすぎなんだから!」と、笑うかもしれない。
先生には何を言っても一笑に付されてしまう。
あたくしが真剣に怒りながら喋っていても「真剣に怒っている感じが、生き生きとしてていい!」とか笑う。
こんなに笑うカウンセラーは想定外だったので、最初は正直、そのことにビックリしていた。
そうして、意図しない自分の言動で人に笑われることに慣れていなかったので、バカにされてるようで、いちいち防衛本能を発動していた。
 
先生が不意に笑い出しても、最近はやっとこさ驚きも防衛本能も出なくなった。
どうやらバカにはされていないようだ、とやっとあたくしは心の底から理解できたらしい。
 
目の前の人が微笑んでいて、自分も微笑み返していて、そこに温かい何かが広がるような感じ。
もちろん初めてではないのだけれど、随分と久しぶりに感じる、それはそれは懐かしい感覚だ。
 
もしかしたら、先生の他愛もない世間話は、その瞬間を生み出すためだけにしているのかもしれない。

改めてEMDRはしないと決める。

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かつて、あたくしの背中には大きなホクロがあって、身体測定の時などに、友達に「これなあに?」と見咎められるのが苦痛だった。
10代の後半になって、背中の開いた水着を着る際には絆創膏を貼ってそれを隠した。
20代になって、男の子と親密になることを考えた時、そのホクロを思い出すと憂鬱だった。
30代になるちょっと前、結婚まで考えていた、当時付き合っていた男性が何気に言った。
「おまえ、親に愛されてないんだなぁ。ちゃんとした親だったらさぁ、こんなの子供のうちに取ってるよ」
“こんなの”というのは背中のホクロのことである。
その時、あたくしは泣きながら抗議した。
「わたしは、親のおかげで、今まで飢えたこともないし、学校にも行くことができた。
 わたしは親に感謝している。あなたなんかに、わたしの親のことを言われたくない!」
 
でも「親に愛されていない」という言葉は正直こたえた。
自分も薄々そう思っているから、烈火のごとく怒ったのだ。図星なのだ。
 
その後、しばらく考えあぐねた挙句にあたくしは皮膚科に行き、医師の前でシャツをめくって背中のホクロを披露した。
医師は、資料にすると言って、一眼レフであたくしの背中を撮影し、「来週、取りましょう」と言った。
何だかんだ言われるものだと思っていたのに、あっけなくあたくしの背中のホクロは除去されることになった。
 
隣で別の患者の診察が行われているような、カーテンをサッと引いただけの場所に、不似合いな手術用のライトが据え付けられて、自分の背中に麻酔がかけられた。
切り取る際の痛みは全くなく、ボールペンでなぞっているような感覚だった。
医師は「う〜ん、切りにくいな…」とこぼしていた。
 
手術後、小さなガラス瓶の保存液の中に、自分のホクロが背中のお肉の一部と共に浮かんでいるのを見せてもらった。
カヌーに乗った黒豆みたいだった。
「ずっと、厄介者として扱われて、こうして捨てられちゃうなんて、ごめんねホクロ」と、すまない気持ちだった。
もっと、自分が強かったら、こんなことをしなくても済んだのかもしれない、と少し後悔の気持ちがあったのだと思う。
あたくしは、医師にその切り取ったホクロの瓶を「いただけませんか?」と言ったのだ。
 
医師は「これは生検したりなんだりで使うから、あげられない」と言った。
もう、自分から切り離されたそれは、自分のものではないのだなぁ、と思った。
その病院は移転してしまったのだけど、あれは、写真やカルテなんかと一緒にファイリングされて、今もどこかにあるのだろうか。
いやいや、もう処分されているに違いない。
健康保険が効いて手術費は約3000円、背中の傷跡は今まで忘れていたくらい。
 
 
 
年明け第1回目のカウンセリング。
途中まで、ずっと年末からお正月の話をしていたのだけど、何かの折に、カウンセラーの先生が、
「…だからEMDRはやらない方がいいと思う」と切り出した。
 
そうそう、昨年の10月に自分から「もうEMDRはやらなくていいです」って言ったくせに、その後、よく考えたら不安になり、「あの〜、希望したら、もう一度EMDRを検討していただけますか?」と聞いたのだった。
せっかくEMDRができる先生を探したんだし、一度、EMDRというものを体験してみたい、といった好奇心もなきにしもあらずで。
 
その時の答えは「あなたがやりたいのならかまわないけど、今のあなたは不安定だから、もう少し待ったほうがいい」とのことだった。
 
不安定というのはどういうことなんだろう? いつもカウンセリングで泣いてしまうからだろうか? それなら、なるべく泣かないようにしなきゃあね…くらいは考えていた。
 
でも、どうやらそうではなかったらしい。先生としての考えはずっと前に決まっていたのだろう。
 
EMDRやったら、あなたの大切なところも無くなっちゃう…」と先生はおっしゃった。
 
ああ、この書き方はきっと誤解を生むかな? EMDRに対して危険な印象を持たれる方があるかもしれない。
EMDRは万能ではないと思うけれど、きちんとした訓練と経験を積んだ施術者が行うのなら安全な治療法だとあたくし個人は思っている。
ここでの話は、あたくしの人格が変わるとかいう話ではないことだけはお断りしておこう。
そうして、これはあたくしの話なのだから、決して自身の治療の参考にはせず、EMDRをご検討の方は、主治医やあなたの臨床心理師さんとよく相談して欲しい。
 
先生は、あたくし自身がずっと厄介払いしてやろうと邪険にしてきた、あたくしの中の「繊細さ」を愛してくれてるのだ。
あたくしにとって不要なものを取ろうとした時に、あたくしのいい部分まで損なわれそうで、先生はそれを心配しているのだ。
…とあたくしは理解した。
 
じゃあ、ダメだな、とあたくしは諦めた。EMDRはナシ、永遠にナシ。
 
 
 
いろいろなことを想うと胸がシンシンと痛くて、「胸が痛いです」と言ってみた。
だけど、そういう時の先生は「ふうん、そう?」って感じなんだよね。
 
「胸にカタマリがあって、これがスポッと取れると思ってたんですよ」
EMDRをやってトラウマを取り除いたなら、そんな風に胸の痛みが消えると思っていたのだ。
 
「そのカタマリね、そんな風には取れないよ?」と先生は言った。
そういう時の先生は、滅茶“クール”だ。
 
でもそれは、最近では自分でも薄々理解しつつあったから、そんなに驚きはしなかった。
 
「先生、わたし、最初は、胸が痛くて家から出られなかったんですよ。
 でも今は、胸が痛くても、出歩けるんですよね。
 これ、大きな違いですよね?
 胸の痛みは、もうわたしの行動を制限しないのだから…」
 
今のあたくしから、何も切り取らなくても大丈夫ということだ。
何も変えなくても大丈夫だということだ。
 
安心しろ、安心しろ、とあたくしは自分に言い聞かせる。
だけどもさぁ、やっぱり不安で、バクバクしちゃうワケ。

自分の大切な気持ちを尊重する。

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正月の帰省から、我が家に帰ってきた。
いつものように慌ただしく、そうして、いつもよりも少し疲れたらしい。
 
しかし、表向きはよい正月にまとめることが出来たように思う。
術後の経過が思わしくなく母の足の調子がイマイチなので、旅館での年越しは止めて、今年は実家で過ごした。
お取り寄せお節に、鍋や刺身の盛り。集まったみんなでビデオ鑑賞した。
母にはスマホをプレゼントした。
 
父や母は、もうdocomoauに行って、自分でスマホを契約することができない。
お金を持っていても、もう、店員が喋っている内容を理解することができないのだ。
でも、スマホは欲しい。
入院したら、他の人がみんなスマホを持っていたから、欲しくなったというのだ。
 
それはいい。それはいいのだが…。
母にスマホの文字の打ち方と電話の取り方を教えるだけで、お正月は終わってしまったよ!(笑)
「これはねぇ、いつもやっているゲームの“脳トレ”よりも、ずっと本格的に“脳トレ”だからね。真面目にね?」
健康維持、ボケ防止とさえ言えば、高齢者のモチベーションは上げられる。
 
 
 
そうして、あたくしはいささか鬼軍曹すぎる。
どんなに押さえ込もうとしても、ついウッカリ、ゆらりと怒気が出る。
「もう少し優しく教えられないのか?」と自分に問う自分に、
「優しく教えられたことなどないから分からん!」と言い訳する自分がいる。
 
他人にだったら冷静に優しく何度だって言えることが、どうして身近な人に対すると、こうなってしまうのか。
自分で言うのもナンだけど、お仕事してた時は、結構優しい先輩してたのに。
 
この正月は不思議なことに、母に辛く当たる度に、自分が子供の頃に叱られた時の、気持ちだけを思い出していた。
どういう状況なのか、ディテールは思い出せないのだけど、例えばお漏らししてしまった時とか、晴れ着を汚した時の、あの穴があったら入りたいような、逃げ場のない辛い気持ちを思い出していた。
怒りを感じているのは自分の方なのに、怒られている時の気持ちを味わうのも自分なのだ。
これ、カウンセリングの効果なのかなぁ?
 
未だにあたくしの好物を知らない母、自分らで準備するから正月の買い物はしないでおいてくれと、あれだけ頼んだのに聞き入れず、いろいろと買い込んでいた父。
「何を買ったか正直に全部言って!」(田舎の家だから、隠し場所がたくさんある)
「ナマモノはもう、持ち帰らないからね!」(例年、食べきれなかった食材を帰り際に持ち帰らせようとする)
「私は、純米酒しか飲まないんだ! 醸造アルコールが入った酒は頭が痛くなるんだ!」(いくら言っても、スーパーで買った安酒が出てくる)
 
些細なことでワアワア言い出すあたくしを、両親は扱いかねている。
不幸中の幸いは、エキセントリックなのはあたくしだけで、弟夫婦もあたくしの夫も白鳥の如く優雅に振舞い、楽しい正月としてその場を盛り上げてくれた。
 
 
 
しかし、わたしの怒りはそれだけでは終わらない。
皆が寝静まってから、カウンセリングの教科書を開いて試験対策をしていたら、母が「あなたはお勉強が好きなのねぇ」と言う。
この言葉が地雷なのだ。
 
「お母さんさぁ、わたしのこと“頭が悪い”って言ったの覚えてる?」
「何で、そんなこと言ったんだろうねぇ?」
「高校に入って最初の成績が45人中40番だったんだよ。それでね、“それじゃあ、バカだね”って言ったんだよ?」
「全く覚えていない。本当にそんなこと言ったのかい?」
 
「うん、その時、“わたしは絶対に忘れないから、今のうちに謝っておいて”って言ったんだよ?
 だけど、お母さんは“わたしは間違ったことは言ってない。クラスで40番は頭が悪いってことだよ”って、また言ったの」
 
ずっと以前からそうなんだけど、母は都合の悪いことは聞こえなくなってしまうし、本当に忘れてしまう。
この話だって、告白するのは初めてではないのだけど、何度話しても初めて聞いた話のように心からビックリする。
 
「間違えて傷つけてしまうことは、誰にでもあるじゃない?
 誰しも不完全なんだからさ。
 大切なのはさぁ、間違えたと思ったら、素直に謝ることだと思うの。そう思わない?」
 
したり顔で何十年も前の話をネタに、母に説教するイヤラシイ自分。
自分ではあまり自覚がないけれど、これは復讐のつもりなのか?
毒親」という大嫌いな言葉があるけれど、あたくしは「毒娘」じゃなかろうか?
 
自分の好きなこと、嫌いなこと、過去の悲しい出来事…何度言っても、理解してもらえないわけだし、記憶にさえ残らないのだから、もう諦めちゃえよ自分、という声がする。
分かってもらおうと思うの辞めちゃえよ、大人になれよ、という声がする。
 
でも、怒りの奥底には悲しみがあることに、今のあたくしは気が付いている。
それは「あなたにとっては大切な気持ちだから」と、カウンセラーの先生は言うだろう。
その悲しみを味わいなさい、と言うだろう。
 
この情けない気持ち、いい年こいての涙に何の意味があるのかは分からないのだけど、素直に味わおうと思った。
もうすぐ、いろいろなことがタイムアップを迎えようとしていることに、気が付いているのだ。
残された時間で何とか自分を分かってもらおうと、焦っているのだ。
 
どうしてこんなに理解されたいのか分からない。
「だけれども、決して否定しないように、あなたの大切な気持ちを」
正月から泣いてしまっているのだ。大切な気持ちを尊重すると、こうなってしまうのだ。

 

ハリーとトント [DVD]
 

 ※正月に持参して皆で観た映画。誰もさしたる興味を示さなかったので、どうしようかな…と迷ったものの、「わたしは皆さんとこれが観たいのです」と無理やり上映した。おじいさんが老猫と旅をする話。あえて「老い」をテーマにした名画をぶつけてみたのだけど、なかなか好評で、勇気を出してよかった。他の人がこの映画を忘れても、自分だけはこの思い出をずっと忘れないだろう。こんな風に人生の黄昏を生きてみたい。

年賀状。

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何年か前の正月明け、あたくしはメンタルクリニックの先生の前で泣きじゃくったのだった。
「先生、今年は、一枚も年賀状が書けなかったんですっ!」と。
 
今でこそ、ほとんど毎回のことカウンセリングでウルウルしているが、当時は、先生の顔を見た途端に泣いてしまうなんて、自分でもかなりヤバイと思ったし、正直恥ずかしかった。
 
当時の主治医だった女医さんは、ちょっとウンザリ顔で言った。
「来年書けばいいじゃないですか」
 
…そうそう、そうね。でもそれは健康な人の感覚だ。健康だったら、自分もそう考えられるだろう。
来年まで待たずに、寒中見舞いやら、暑中見舞いやら、旅先からの手紙やらで「わたしは元気。わたしは生きてます」と発信できる。
 
しかしその年は、年賀状を買うところまでしか行けなかった。
絵柄を考え、宛名を書き、そこに自分の近況を一言添える。
そんな簡単なことすら出来なくなっていた。
 
年賀状が届いても、「みんな1年分、一歩ずつ進んでる」と、思うと、見るのさえ怖かった。
人の幸せそうな家族写真、子供の成長の報告なんかを見るのが怖かった。
「絵は描いてますか?」とか「お仕事頑張ってる?」という自分への問いかけも怖かった。
この一年、自分は何の成長もなく、年だけ取って、むしろ劣化していると思うと、いたたまれなかった。
 
酷い鬱状態だったのだと思う。
 
 
 
その年、成人式の頃、一人だけハガキをくれた人がいた。
「いつもマメにお手紙をくれるあなたが、年賀状を寄越さないなんてどうしました?」
 
その子は、本当に素朴な疑問から、何気に連絡をくれただけらしいのだけど、あたくしは心から彼女の存在に感謝した。
それから、何かの折に一度だけ彼女に会う機会があったけど、その時の彼女は男の子の母になっていてテンテコ舞いしてたので、ゆっくり話すことは叶わなかった。
恐らくもう直に会ってお話する機会には恵まれないとは思うけど、今もその子に感謝している。
 
本当に些細なことが、自分にとってはとても大切な出来事になったりする。
 
今年はお陰様で、何とか、年がめくれる前に年賀状を出すことができた。
何度も年賀状を書くことができない年があり、段々減って、もうあんまり枚数は書かないんだけれどもね。
 
その、数少ない年賀状の何枚かには、一年に一回というのもあり、随分と小さな字でコチョコチョ書かせていただいた。
自分の問題は何一つ解決してないのだけど、「旧年は良い年でした」としたためた。
会いたい人には「今年こそ会いましょう」と正直にリクエストしてみた。
 
 
 
このブログ、実は、当初考えていたタイトルは『反芻(はんすう)だけで生きてます』というもので、とにかく、日々の鬱憤を晴らしてやろうとか、昔日の恨みをブチまけてやろうとか、どっちかっていうと黒い、超マイナス思考から始めたものだった。
だけど幸せなことに、予想以上にいろんな人に読んでもらえて、スターやら温かいコメントなどをいただくことができた。
お陰様で、底なしのような孤独感から救い出されて、何やら棘が一本ずつ取れるような感じでありましたよ。
 
こうして、今年が始まった頃には思ってもみなかった人と繋がることができ、新しい年に少しだけ期待している自分がいる。
それはとてもとても不思議な気分だ。
 
そういうわけで、この年末、年賀状を書けなかった人、楽しく書けなかった人、新しい年が何やら怖いような気がする人もいるやもしれぬ。
けれど、なんの根拠もなく、きっと大丈夫、と、あたくしとしては言いたいのです。
 
 
 
あ、そうこうしているうちに年を越して…しまったぁ!
 
本年もよろしくお願い申し上げます。(深々と礼)