心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

真っ白になる。

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失敗して怒られて、頭の中が真っ白になってしまったのだ。
 
現在の職場では研修期間中の新人には教育係の方がついて指導をしてくれることになっている。
それはありがたいことなのだが、奇しくも、ぶっちゃけ「この人だけからは教わりたくたいなぁ」というような方があたくしの教育係になってしまった(笑)。
 
その方は客観的にはとても有能な方だと思う。
昨日来たような自分から見ても、仕事は正確で早く、とても精力的だ。
 
だけれども…どんなところが嫌だったのかというと…言っちゃうよ?…まず、指導が否定の言葉から入るのが嫌だった。
「分かってない」「違う」「駄目」
 
それに、新人というものは、経験を積んだなら決してやらかさないような突飛な失敗をしてしまうものだと思うのだけど、その教育係はいつも同じボリュームで怒るのだった。
自分としては、事の大きさでボリュームを変えて欲しいと思うのだけど、その人にとってはどんなことでも重大なミスらしい。
 
その人が意地悪な気持ちから言っているのではなく、真剣に教えたい気持ちからヒートアップしているのは理解していた。
だからこの数ヶ月、メモを取りつつ必死で追いかけていたが、覚えの悪い自分に次第にイラつき呆れているのが、こちら側にも手に取るように伝わってきた。
 
そんな日々の、トドメのような出来事だった。
 
これは本当に自分のせいなのか? 自分だけが悪いのか?
というのも、今回の件は自分の判断で勝手にやったのではなく、他の先輩社員に指示を仰いでやった結果だ。
だから、その日ばかりは黙っていられなかった。
 
ところが教育係は、あんた“だけ”が悪い、一を聞いて十を知れ、とばかりに畳み掛けてきた。
要はあたくしの察しが悪いということなのだ。
自分の弁解は火に油を注いでしまったようで、今回のミスがそのまま大事になったら最悪こんな結果に…という話に発展した。
 
失敗なんか誰もやりたくてやっている訳じゃない。
地雷を踏んでから「そこ地雷が埋まってるよ」と言うのなんて簡単だ。
地雷を踏まない方法を教えてくれるのが、教育というものではないのか(笑)?
そうしてこの研修期間、自分の仕事への前向きな気持ちは少しずつ萎み、不安感や自信のなさはどんどん膨らんでいったのだ。
 
 
 
「まあまあ〜、大事に至らなかったのだから、次から気をつけるってことでいいじゃないですか?」
と、見かねた他の社員が間に割って入ってくれた。
 
しかし、興奮した教育係はその方の言葉を遮ってまで怒り続けた。
そうして怒り終えると、その教育係はまるで憑き物が取れたように平素の状態に戻り、自分を置き去りにして、仕事を続けた。
 
実はその時まで、自分が客観的にどうなってしまっていたかの自覚がなかった。
「あの時、葉月さんの顔色がみるみる変わったことに相手が気付いてなかったみたいだから、声掛けたんだよ」
と、助け舟を出してくれた社員が教えてくれた。
 
そうか、自分はそんな風になっちゃってたんだ。
大丈夫なのか? 自分、このままここにいて大丈夫なのだろうか?
今回はともかく、こんなに我を忘れている自分が、今後、本当に大変な間違いをやらかしたりしないのか?
 
 
 
カウンセリングで、あたくしはその不安をカウンセラーの先生にぶつけた。
「あの、また、再発しそうなんです…けど…」
「え、何がですか〜?」先生はすっとぼけてそう聞き返す。
 
「何って…“全般性不安障害”が! ですよ」
「あはは!」よりによって先生は笑う。
 
先生はしつこい。「“全般性不安障害”って何ですか〜?」と再び問う。
先生は臨床心理士だから、“全般性不安障害”を知らないハズはないじゃない?
あたくしは意図を計りかね、「んとに(怒)」と思いながら、
「失敗するんじゃないかと不安になって、一歩も動けなくなりそうです!」と訴えた。
そうして、かくかくしかじか…とあたくしは事の顛末を話したのだ。
 
いつしか、久々にあたくしは己の弱さをさらけ出し、先生の前で泣いていた。
 
先生は話を聞き終えるとあたくしに優しく笑いかけた。
「助けてくれる人がいて、良かったね」
 
「…はい、自分もそう思いました」
そう、割って入ってくれた人が現れたのは、新しいパターン。
これがなかったら、次の日の朝にも自分は突如、布団から起き上がれなくなっていたかもしれない。
それは、自分の最も恐れる事態だった。
 
でも、そうはならず、自分はその助けてくれた人のアドバイスに従って、後日、ちょっと上の方に助けを求めてみたのだ。
朝、突然布団から出られなくなる恐怖を再現するくらいなら、もう何でもやってやれ、という半ばヤケクソな気分で。
あたくしが助けを求めたその方は、自分からしたらだいぶん偉い人なのだけれど、その日のうちに時間を作ってくれたのだった。
 
だから、自分はほんの僅かだけれども進歩できているのだと思う。
助けを求められる人になっていると思う。
先生も、その行動ができて、そうして受け入れてもらったことに、再度「良かったね」と言った。
 
「それでも何といいますか、ソワソワ感というか焦燥感が止まらないといいますか…」
心の中で、ブルブル震えている存在があるのだ。
それは、自分がいくらなだめても聞き入れず、縮こまって震え続ける。
 
ここのところのカウンセリングは、先生はただひたすら聞き役に徹してくれていたのだけれど、今日はミッションがたくさん出た。
ミッションというより、これまでのおさらいだな。
 
1)自分の中の恐怖心を無理に押さえ込もうとしない
    ←今はそうなんだな、と認めてあげる
 
2)人からの親切に対してもらい上手になる
    ←シンプルに感謝をし、変にお返しをしようと焦らない
 
3)人の怒りと真の自分の間にはクッションがあって、いかなる時も真の自分は直撃を食らって損なわれたりしないと理解する。
 
う〜ん、確かにどれもかつて教えてもらったことなのだけど、難しいな!
 
今回は、最後に課題図書まで出た(笑)。
「人には間違える権利があるんだよ? それは基本的人権なんだから!」
それが、真っ白になってしまった自分に対する先生の教えなのだ。
ありがたや、ありがたや。