心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

曲がったキュウリ。

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今日のバイトの現場は、某所の大きな公園だった。
この寒空の下、公園に植えられている樹木の調査をするのだ。おお、寒い!
現在の短期バイトのメインの仕事は、実はフィールドワークなのだ。
現場で収集した情報を事務所でデータにまとめる、そうして依頼主に納品する、というお仕事なのだ。
世の中、いろいろなお仕事があるんだなあ。  

夏場は夏場で、暑さと虫対策が必要で大変だったそうだけど、冬の調査に至っては、あまりに過酷そうなのでバイトの応募すらなかったらしい(笑)。

で、引きこもりのオバさんの登場である。
実は、オフィスでの事務仕事なんかより、こっちに仕事内容に惹かれたのだ。
この地味でニッチなお仕事に興味があったから、勇気を出してお仕事してみる気になったのだ。
腰には貼るカイロ、手がかじかまないように手袋とハクキンカイロ。魔法瓶の中に熱いハイビスカスティー。 ユニクロヒートテック関係、防寒グッズオールスター総出演で万全の寒さ対策をして挑む。

初めて知ったのだけど、公園の樹木には一つ一つ番号が付けられていて、管理されている。
どれくらい成長したのか、枯れかけているとか、枯れたので撤去したとか、以前の記録と比較しながらチェックしていくのだ。

このお仕事の楽しみは、同行する方が造園設計と農業の経験がある植物のプロフェッショナルなので、ずっとそれらの話が聞けることだ。
この時期の樹木は葉が落ちているものが多いので、見た目的には寂しく、一見、樹木名の確認も難しい。

「そういう時には、木の芽を見て種類を判別するのです」と、その道のプロは教えてくれた。
なるほど、木の芽はすでに次の春に向けて芽を膨らませている。
「木の芽は、葉が落ちてからじゃないと見えないですけど、実は次の春の木の芽の準備が終わってから、落葉するのですよ」と伺った。

「木って、とても忙しいんです。
 春になったら花を咲かせて虫を呼んで受粉させなきゃいけないし、
 光合成するために、葉っぱも急いで茂らさなきゃいけない。
 実を大きくするために栄養分を吸って、その後はすぐに冬の準備」

あたくしは、今やっと、春までのしばしのお休み、ホッとしてくつろいでいる樹木を見ているのだ。
この「木は忙しい」「木はいつも一生懸命」というのは、とても新鮮な感覚だった。
もっと、木は、ソヨソヨと気楽に生きていると思っていたのですよ。

なにしろ、疲れ果てるとあたくしは「来世は木になりたい」「ナマコに生まれ変わりたい」「ボルボックス(藻の一種)になって勝手に増えていたい」だのと思っていたのだ。
いや、失礼。
楽な生き物なんてなくて、 みんなにとって生きるのは大事(おおごと)なんだ。



このアルバイトを始めるにあたっては、ものすごく迷って勇気が必要だったのは、以前にも書いた通り。
自分では決めかねて、夫や主治医やカウンセラーの先生などにも「大丈夫かどうか」お伺いを立てた。

大抵の人は「いいじゃないの? まずやってみて、失敗したら、またチャレンジすればいい!」みたいに励ましてくれたのだけど、実は、自分のような全般性不安障害とかパニック持ちの人には、失敗こそが一番恐ろしく、避けたいことなのである(笑)。
だからずうっと、失敗は無様なことだ、また失敗するなんて耐えられないと考え、失敗するくらいなら家に篭ってた方がマシ…という精神状態に陥っていたのである。
失敗したらまた挑戦すればいい、みたいなのは正論ではあるけれど、ある程度健全な人向けの励ましの言葉なのだ。

その中で、カウンセラーの先生だけが、「何で迷っているの? すごく面白そうじゃん、やってみなよ!」的な、楽しさ基準で背中を押す、というアプローチをしてくれた。
もちろん、先生がそのバイトの内容を詳細に知っていて勧めてくれた訳でない。
その時は「先生、また何をいい加減なことを(笑)」とか内心思っていた。
でも、この「楽しそうだから、やらないのはもったいない」的な押しが、何だか後からジワジワ効いてきたのだな。
 
先生はこれまでの面接の中で、あたくしが田舎の人で、本来は自然や生き物への興味が深いことを、あたくし自身よりも理解していて勧めてくれたらしい。
先生の療法は、今も何だかよく分からないけど、とにかく「今の心地良さを味わうだけ療法」なのである。

そうして、カウンセラーの先生も自然や生き物が大好きなので、「バイト、どんな風?」と興味津々の様子で聞いてくれる。
「僕はさぁ、こんな仕事は辞めて畑を耕したりとかしたいなぁ、とか思うことあるよ」と先生が冗談交じりに言ったことがある。
あたくしとしては先生が突然農家に転業されたら困るので、慌てて「冗談はよしてください」と言ったのだけど。



さてバイト中、樹木の話ではないけど、公園のベンチでコンビニ弁当の昼食を食べながら、何とはなしにキュウリの話になったことがある。
「キュウリって曲がっているのと真っ直ぐなのと、どっちが自然だと思います?」とクイズを出題された。
あたくしの子供の頃、母親が家庭菜園をやっていて、採れたキュウリはどれもこれも曲がっていた。
だから、スーパーで売られる真っ直ぐなキュウリというのは、どこか作られた感じがして、曲がったキュウリが自然なんだと思い込んでいた。

でも実は、キュウリというのは、何の問題もなくスクスクと成長できたなら、本来は真っ直ぐな野菜なんですと!  

自分は子供の頃、「おまえは家族の誰にも似ていない」「どうしておまえはそうなんだ」「他の人のように普通にできないのか」と言われてきたから、それは仕方ない、他の人のご期待に添えないのはどうしようもない、生まれつきなんだもん、と思っていた。 (今なら、親に似ていないと言われても全然動じない。だって、自分の嫌な部分はすべからく親譲りであるのだから!(笑))

でも、何だか、そのキュウリの話を聞いて、全ての生き物には本来、生まれながらの健全さが備わっていているような気がして、あたくしはちょっぴり救われたような気がしたのだ。

さぁ、自分が曲がったキュウリだと洗脳されてきた実は真っ直ぐなキュウリなのか、 はたまた、曲がってはいるが、それは本来の姿ではなく、本来は真っ直ぐに育つはずだったキュウリなのか…。
人の心は見えないから、それは分からないのだけど、きっと、命というものは本来は皆、健やかさを秘めているのだろう。

キュウリをネタに、そんな風に脇のメモリーでずっとアレコレ考えながら、「はぁい、幹の太さ2メートルですね?」と、復唱しながら一生懸命に記録用紙に書き込んでいる時間が、何だか、無性に和む。
本当に寒いんだけどさ!
そうして家路につけばグッタリバッタリで、一日中、山をうろつき回った獣のように、ただ身体の休息を求めて深い眠りにつくのだ。