悲しい話を聞いている時に笑う人。
自分を変える前に、まず受け容れよ。
今回のカウンセリングは、先週末の夕食時に起こった夫婦喧嘩の話で始まった。
きっかけは、あたくしがバイト先での出来事を夫に話したこと。
あたくしの精神はせいぜい小・中学生なので、家に帰ったら外で何があったのか、家族に聞いてもらいたいのだな。
ところが、話の途中で夫はあたくしの言葉を遮ってこう宣った。
「週末の夜なんだから、もっと楽しい話をしない?」
その晩は、ちょっと遠くの美味しいパンを買ってきてて、生ハムとかも仕入れて、取って置きのワインも空けていた。
だから、夫は世知辛い話など聞きたくなかったのだろう。
「話がつまらない」と言外に言われたら、いろんな切り返しが想定できるだろう。
甘えて「や~ん、そんなこと言わないで聞いてよぉ」とか言うこともできる。
逆に「じゃあ、あなたが面白い話してよ? ねえ、ねえ」と迫ることもできよう。
「あたしが一番聞いて欲しいのは、この話なの! 楽しくなくても聞いて!」と主張するのもありかな?
だがしかし、自分はこともあろうに、ムッとして
「じゃあ、こういう話は、全部カウンセラーにしろ、ってことね?」
「愚痴はアウトソーシングって訳ね?」
と、言い放ってしまった。
実際は、カウンセリングでは愚痴めいた話なんか一度だってしていないのに!(そんなことに大切な時間を使えるか!)
そうして、その後、何を話していいか分からず、その晩はとうとう一言も喋ることができなかった。
こういうのは初めてではなく、これに似たパターンで会話が途切れたことは数限りなくあるのだ。
熱いバトルなら、雨降って地固まる的なことも期待できるのだけど、我が家の喧嘩は1980年代のアメリカとソ連の冷戦状態みたいなもので、ものすごく寒い。
自分は、ずっと前から夫に「お前の話、オチがないからつまらん」「ダラダラ長い」と言われてきている。聴く価値がないということだな。
「仕事先の文句言うなら、それくらいのお金あげるから働きに出るの辞めたら?」とまで言われたことがある(笑)。
「旦那さん、金持ちじゃん」とカウンセラーの先生は笑う。
「それにあなたの話は、僕はけっこう面白いと思うんだけど?」と先生はフォローも怠らない。
「先生、あたくしの旦那の稼ぎは極めて平均的であり、怒って突発的にそう言っているだけなのですよ」
その時に一番強く思ったのは…とあたくしは続けた。
「何度も同じパターンの喧嘩をやらかしているのに、回避できない自分に心からウンザリしたってことです」
「自分は変わりたいのです!」とあたくしは言った。
「たとえ拒否されたとしても、素直に“私の話を聞いて欲しい”と直球で言えるようになりたいのです」
だって、あたくしの発言は、質問という形式を取ってはいるが、自由回答は許されてないタイプだ。
「じゃあ、カウンセラーに話すよ?」なんて「私の話を聞け」という脅迫と同意である。
そんな嫌味ったらしい言い方するのだったら、ズバッと素直に脅迫できた方がいい(笑)。
表面上は穏やかな質問形なのに、内容が脅迫めいているところが寒くなるのだ。
「正直な物言いが出来る人に変わりたいのです」
相手は変わってくれなくてもいい。
以前はどんな言い方をしたら興味もってくれるのか? とか考えていたりもしたけど、本当にくたびれた。
よく考えたら、外の世界には、あたくしの話に興味を持って聞いてくれる人がいるのだもの。
夫と両親だけが、あたくしの話に面白みを見出さない。
夫と両親だけが、不満を持っている自分、弱っている自分、思ったことをそのまま言う自由な自分を認めないだけなのだから。
「他人を変えることに比べたら、自分を変える方が簡単でマシな考えじゃあないですか?」 と、言ったら、先生はソフトであるがピシャリとこう言った。
「いや、違うね。まずは受け容れるんだよ」
いつものトホホなパターンだ。あたくしが自分で捻り出した解決策は、先生にいとも簡単に却下されてしまうのだった(笑)。
「夫を? …いや、違いますね、自分をですね?」
「そう。先に自分を受け容れないと、変わらないんだよ?」
認知行動療法などの短期療法で失敗しちゃう人っていうのは、そういう療法は「自分を受け容れる」プロセスがすっ飛ばされているからだそうだ。
短期療法で効果を感じた人は、その表面的な変化が功を奏して上手く適応できた場合や、元々が健全な方のケースなのではないかしら? とあたくし的には思う。
そのままの自分を愛すること…あたくしの場合だと、「今日のお話」を聞いてもらいたい自分、話を聞いてもらえないとムクれる自分、甘え下手の自分などなど…を認めるところから始めないとダメなのだな。
そうして「可愛いな、そんな子供っぽい自分」くらいに思う。本心から思う。
それから、自分を受け入れてくれている人の存在を思い出して、すでに「このままの自分が受け容れられてる」ことを実感することが大切なんだと。
今回のバイトは初めて3週間目くらいなんだけど、緊張しすぎて胸痛がして、すでにかなり低空飛行なんである。
バイト先はこじんまりとした静かな事務所で、幸いなことに怒って突然奇声を発したり恫喝したりする人が一人もいない。
(おいおい、今までどんな会社で働いていたんだよ? と思う方もいるかもしれないが、これは中小企業あるあるだったりする)
仕事も単純作業が主で、黙々とやっていれば良し。仕事が途切れたら、15分くらいボ~っと茶を飲むこともできる、夢の様に長閑なバイト先である。
いくつもの会社を渡り歩いているから分かる、この会社の人は皆、まともでいい人!
それなのに、意味もなく「どデカイ失敗」をしでかす様な恐怖が常にあり、失敗しないように集中しようと頑張ると、帰る頃にはグッタリと疲れている。
今の自分の仕事内容から言っても、取り返しのつかない状況って、仮にやろうと思ってもできないのは頭では分かっているんだけど…。
安定剤のアルプラゾラムという薬を半錠に割って個別包装したものを持ち歩いていて、頓服としてコッソリ飲んでいるのである。
飲みすぎると睡魔が来るので、胸痛が治まって任務を滞りなく遂行できる程度にちょっとだけ飲むのである。
「そのままの自分を受け容れてくれている人を思い出しなさい。それがあなたを外の世界から守ってくれる力になるから」と先生は仰った
「自分を受け容れるのは辛いけどさぁ、こうして僕も手伝っているし、大丈夫だよ?」
先生は、「僕“も”」と言ったのだ。
先生は、あなたの味方は、僕だけじゃあないよ? と言ってくれているのだ。
今の短期アルバイトが、最後まで続けられるのかは分からないのだけど、実は、カウンセラーの先生や身近な友人や、そうしてまだお顔も拝見していないような友達までも…みんなが、今の自分を助けてくれて、そうして支えになってくれているのですよ。
これは凄いことだよね? 「ありがとう」と一人一人に言いたい。
それくらい勇気付けないと、こじらかした人が自分を「受け入れること」は難しいのだろう。そうしてそれは、「変わること」よりも大事なことなんだろう。
「その辺が解決したらさぁ、そこにメモリー取られなくなるから、もっと未来の楽しいことがいっぱい考えられるよ」と先生は言ってくれた。
本当ならどんなに素晴らしいことだろう!
ああ、今回のカウンセリングは一瞬たりとも泣かずに済んだのに、こうしてブログを書きながら反芻(はんすう)してたら、やっぱり泣けてきてしまった。
少し早いけど「今年は良い年でした」とカウンセラーの先生にお伝えしたのである。
問題は一つも解決していないけれど、生きててよかったわぁ〜と、思えるのは皆様のおかげなのです。
懐かしき街に立つ。
実は少し前から、アルバイトをしているのである。
たまに会う飲み友達に「いゃ、そろそろ働こうと思っているのよ?」と、適当なことを言っていたら、気を利かしてその子が知人の会社の短期バイトを紹介してくれたのだ。
「知人は古い友人だから、心配しないで」とメールに添えてあった。
その方には、自分の病についてはほとんど話してないのだけど、聡明な彼女は何か察していたのかもしれない。
そこまでお膳立てしてもらいながら、あたくしは怖くて10日ばかり悩んだのだった。
かろうじてバイト先に問い合わせの電話が掛けられたのは、ひとえに彼女の友情に報いるためで、かなり勇気を出した。
面接のために事務所に足を運ぶと、「じゃあ、すぐ来てよ」となった。
あたくしは猫の手として割とすんなり雇用されたのだった。
ところが、そのバイト先の場所がですね…運命というのは何という悪戯をするのだろう…かつてあたくしが一人暮らしをしていた街の界隈なのである。
その街で暮らしている時に、あたくしは事件に遭ったのだ。
意を決して最寄駅に降り立つと、何とも言えず、懐かしい気持ちがした。
変でしょ?
事件の最中、あたくしは向かいのマンションの踊り場から部屋の様子を窺われていたらしい。
犯人の職場と自宅の間、その通勤経路の途中にあたくしの住まいは位置していたのだな。
それを知ったのは犯人が逮捕されてからのことだったので、当時はピンと来なかった。
どっちかっていうと、あれは、後からジワジワ来る類いの怖さだな(笑)
それはさておき、あたくしがその界隈に暮らしたのにはきっかけがある。
離婚して、生まれて初めて「自分で住む場所を、自分だけで決めてよい境遇」になった。
その時に、大学時代からの友人が「あたしンちの界隈なんかどう?」とプレゼンテーションしてきたのだ。
下町風情を残しながらも駅の近くは商業施設が充実、家賃の幅も広いし、交通アクセスも各路線が乗り入れていていいよっ!
何より、近くだからスグに会えるじゃーん?
昔みたいにたくさん呑もうよ。
彼女は軽い気持ちで言ったのかもしれないけれど、真に受けてしまったのだな。
しかし、あたくしが近所に引越しした頃から、仕事が軌道に乗ったのか、彼女は急に忙しくなった。
土日返上で地方に出張しているらしく、全く予定が合わなくなり、返事も途切れがちになった。
そうこうしているうちに、事件に遭ってしまったのだ。
事件のせいで、さらに夜逃げ同然の引越しをしたのだけど、何しろ3日くらいしか猶予がなかったので、まだ界隈に暮らしていた。
まだ割とまともに働けていたけど、夜なんか、何となく犯人が訪ねて来そうで怖かったな。
奴は家族に罰金を払って貰いシャバに放たれているので、もしかしたら自分の行方を捜しているかもしれぬ。
会社の人から貰った男物の革靴を玄関に置いて、宅急便の人にすら構えるのだ。
「田舎に仕事なんかねぇから」と、親は暗に帰って来たりするなよ、と言っているし、いろいろ悪いことを考えてしまうワケです。
だんだん極限状態というか、求めるように何度も近所に住むという友人に電話とメールする。
しまいには自宅にまで電話して「妻はまだ仕事から戻りません」って彼女の旦那さんに言われても、それが信じられないくらいにオカシクなっていた。
いや〜これじゃ、自分がストーカーだよなっ(笑)…と今は、思う。
そうして、結局はそんなに友人に執着する自分の間違いに気付き、諦めたワケです。
あたくしは、その街に4年も暮らしたけれど、とうとう一度も彼女と会うことはなかった。
しばらくして、引越し先に「何と高齢出産で子どもを授かりましたぁ」とルンルンの年賀状が来た。
また遊ぼうね、とある。きっと暇になったんだろう。
「ですから、今、わたしが一番恐れているのは、その街でバッタリ友人に出くわすことなんです」
普通は、古い友人に偶然会ったら、凄く嬉しいし懐かしいでしょう?
あたくしも、そうありたい。
だけど、執念深いことに、まだ怒っているんですよ。
「きっと、わたしが先に見かけたら、スーッと会わないように通り過ぎると思います。
運悪く先に見つかって声を掛けられたら、忙しいからまたね、って逃げるようにすぐ別れると思います」
「あなたが怒るのも無理ないと思うのだけど?」
と、カウンセラーの先生はフォローしてくれた。
「でも、彼女は、その間に何がわたしに起こったのか知らないの。
なぜあの時、わたしが彼女にとても会いたがったか、今も知らないでしょう。
なぜ、疎遠になったのか、今も彼女は知らないし、考えもしてないでしょう。
あたくしがこの街に住んだことと、事件はほとんど関係ないだろう。だけど、いろんな思いが噴出する。
「無視するんだったらさ…
声掛けておいて、存在を無視するなんて酷いよ」
そう、話は微妙に揺れていた。