心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

怒りの原因を洞察してみる。

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先日、久しぶり友人と喧嘩別れをする、という出来事があった。

相手の言ったことが私の逆鱗に触れ、言い返した何がが、相手の逆鱗に触れたらしい。
双方、「こりゃしまった」と怒りを引っ込めようとしたみたいだけど、何しろ逆鱗に触れてしまっているから、なかなか怒りが鎮火しない。
一応、大人として、怒ってしまったことに対しては侘びのメールを入れておいたけど、相手の「私は間違ってないし」的な返答に、余計ハラが立ってしまった(笑)。
以来、2ヶ月音沙汰なし…
 

喧嘩のネタは、自信喪失からいかに脱却するかという話

 
で、私が何にそんなに怒ったかのかというと、つまり、何が逆鱗だったのかというと…「自己肯定感」や「自信」を高めるにはどうしたら良いか、という話で、意見が食い違ってしまったことらしい。
その友人はとても親切な人で、その日も親切心からあたくしに「こうやったら自信がつくよ」と言いたかったのだ。
あたくしが鬱状態の時に知り合った友人だから、その人は、元気なあたくしを知らない訳です。いつも、身体のどこかが痛い、気持ちが落ち込む、将来に希望が持てない等の話をしている訳ですから、そんな日が半年も続くと「なんとかしてやりたいな」と思ったに違いありません。
で、その日、その方はアドバイスしてきたのです。
 
ボランティア活動でもして人から「ありがとう」と言われたら、自信持て持てるよ(だから、ボランティアでもやりなよ)
はい、実はこの一言で「なんでやねん(怒)」とドカンときてしまいました。
 
即座にキレた訳ではないのですけど、
「いや、なんで人から「ありがとう」って言われないと、自信持てないの?」
「ボランティアって、自分に自信持つためにするんじゃないでしょ?」
と、グズグズ駄目出ししているうちに、相手も「何で、素直に聞き入れないんだ、よ!」ヒートアップしてきて口論に……(笑)
 
何にしても人というのは、自分の枠から出た思考ができないのです。
おそらく、アドバイスしてくれた方自身が、「無償の行為によって人に感謝されることを、自らの自信への糧としてきていた」んだと思います。
その方は、50代後半の初老の男性だったのですけど、おそらく、この年代の人でこうした価値観を持っている人は多いと思います。
あたくしも若くないので、親や教師からこうした価値観を刷り込まれており、そのような考えを受け入れている部分もあります。
 
では、なぜ、そのアドバイスに怒りを感じてしまったかというと、それこそ、その考え自体が自分の鬱の根本原因だったからなのです。
「人の役に立てないと自分には価値がない」
……自分には、そんな深い深い呪いがかかっているのです。(最近の過労死問題とかにも関連するように思う)
 
そこに追い打ちをかけるようなアドバイスだったので、あたくしは怒りを感じたのでしょう。言った相手というより、自分にそうした呪いをかけた親とか社会の空気感に怒りを感じたのかもしれません。相手も、自分の自己肯定感の哲学を否定されたので、ことさら立腹したのでしょう。
 

では、どうしたら、「自己肯定感」や「自信」持てるのでしょう?

 
あたくしの考えとしては、「そのままの不完全な自分で、十分存在価値があるらしい」と気がつくことだと思います。
この辺、『嫌われる勇気』的なアドラー哲学入ってますね(笑)。
恐らく、Webで『自己肯定感を高めるための方法』とかを検索しまくったり、『自信が持てるようになる本』の類を貪り読んでいる間は、「自己肯定感」や「自信」には絶対に到達できません。誰かの基準を採用しようと思っている間は、呪いがかかったままなんですから。
あたくしもそこは通り、かなりグルグルしましたが、何だか脱出できそうです。
 
また、不思議な話ですが、今振り返ると、人の話に「NO!」と言える自分に、鬱回復の兆しを見て、何だか少し嬉しいですね。
本当に酷い鬱状態なら、違うと思っても面と向かって「違います」って表現できず、モヤモヤして帰って、布団の中でシクシク泣いていたでしょう。(そして、人と会うのやだあ。また、傷つけられる…って思ってしまうでしょう)
そういう訳で、一人友人を失ったことは悲劇かもしれませんが、怒りというのは全くの無駄ではなく、何でカッとなったのか洞察することで、自分をより深く理解するツールにもなりうるのですよ。
 

この話、続きがあって…

 
この怒りが収まった頃、別の友人のことを思い出したんです。
その子は高校生の時に大病を患ったこともあり、以来、自宅療養。大人になっても完治する見込みもなく、働いた経験もない。
いつも「自信ない」とか、「働いたこともないし恥ずかしい…」とか言っていたんです。
あたくしも元気な時は、他人に言っていたんです。
「ボランティアでもしてみなよ。気軽な気持ちで!」
…ですからね〜、因果を感じました。当時の自分は、上から目線な何て嫌な奴だったんでしょう! 恥です、恥!
 
すぐにその子に、過去の無礼を詫びる手紙を書きました。
これまでの無礼にも怒らず、変わらずあたくしを肯定し続けてくれたその子は、何て心が広いのでしょうか。
自信がない人には、友人としてこう言えばいいのでした。
「今のあなたが自分には大切な人です」
 
 
最後に話それますが、ボランティアをするなら、「困っている人を助けて感謝されよう」的なヨコシマな気持ちではなく、その行為をすることの気持ち良さを素直に感じて行いたいと思います……。奉仕活動の場には、「やってあげてる」的な思い上がり野郎がそこかしこに居りますもんで。

ストーカー被害者が聞きたくない発言ベスト3

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トーカー被害の件は、自分から率先して話したいネタではありませんが、話の行きがかり上、話すことになっちゃうことがあります。そういう時に言われてムカッとする発言ベスト3を紹介します。周りに、犯罪の被害者などがいたら言葉に気をつけてあげてください。(これは事件解決後の話です。被害の渦中にいる人は、警察呼んで、一刻も避難してください。また、こういった記事で当時の記憶が再現されそうな被害者の方はご注意ください
 

1 時間が解決するよ

 
励まそうとして言ってくれてるとは思うのですが、とても無責任で、能天気な発言です。
時間が解決ですか…? 当人もそうであることを願っていました。が…残念ですが時間は万能薬ではありません
それどころか、被害直後は気が張っているので自覚がなくても、あとでジワジワくることがあります。
 
大袈裟かな?と思わずに、遠慮せずに犯罪被害者救済団体などに問い合わせてください。そして、必要となればトラウマケアを受けましょう。
残念ながら、時間が経ってトラウマ化しても犯罪被害者団体では救済していただけません。メールを出したら「電話で詳しい話を」と返事が来たので、早速電話をして40分くらい状況説明をした挙句に「ん〜、こちらでできることは何もありませんね」と言われ驚愕したことがあります。世の中、そんなもんです。とにかく、早めのお手当が大切。
 
トラウマは目に見えませんが「外傷」です。その時のお手当で、傷が化膿したり、傷跡が残ったりするのを防ぐことだってできます。
ですから、トラウマケアだけは先送りしないで、出来そうな対処は全て行ってみてください。自分だけで対処できそうにないときは、周囲に助けを呼んでください。(その際は、くれぐれも、変な霊能者、カウンセラーに引っかからないでください)
 

2 あなたに落ち度はなかったの?

 
こういうことを言う人は、自分がそこそこ「しっかり者」だと思ってます。「あたしとあなたは違うよ」「あたしなら、変な人は見分けられる」と思っているのです。実は、あたくしもそう思っていた一人です(笑)。
 
しかし実際は、犯人が捕まって、それが知人と分かっても、にわかに信じがたいのです。そして非常に、自分に…自分の判断や価値観に自信を無くします。「まぬけ」「スキがある」「お人好し」とかも思っちゃいますね〜。日頃から自分に対して厳しい人は、誰も責めなくても自分を責めています。
 
「落ち度がなかったか?」という問いかけは、実は、恐らく被害者なら一度は自問自答していることなのです。
しかし、ですね、悪いのは犯罪者に決まってます! 当たり前じゃないですか!(怒)
 
犯罪者というのは多かれ少なかれ、「やりたくてやったんじゃない」「止むを得ずやった」みたいな言い逃れをするもんです。自分のケースなんかは、犯人は「誰かにはめられた」と、最後まで人のせいにしていました(で、拘留20 日以上)。家族にも嘘ばかり話していたらしく、犯人の親族から「あなたのせいで、犯罪者になった」ぐらいのことを言われました。もちろん、「ちょいちょ〜い、何言ってるの?(怒)」って、謝罪を取り付けましたが…。
とにかく傷つくので、心の中で思ってても、言わないでください。
 

3 それだけあなたを愛してたんだよ

 
これは、自分的にはナンバーワン、腹が立つ言葉です。
こういう人は、愛さえあれば、体罰、虐待、痴漢、ストーカー行為、何でも容認できるタイプなんでしょうか?
それに、被害者だという人を目の前にして、なぜ犯人の立場を擁護するような言い方をするんでしょう?
 
もし、被害者を励ますつもりで言っているのだったら、最悪です。
この言葉、実際に、友人男性と実の母から言われました。
特に、母から言われたのは、同性としてもキツイものがありますね! 何考えてんだ!(怒)みたいな(笑)。
 
とにかく、正解は「愛があっても犯罪に走ってはいけない」です。
こういうのにイチイチ、反論したり、怒ったりするのが、またグッタリします。
「だから言いたくなかったんだよ…」と萎えるものがあります。
 
 
その他、事件が解決してホッとしている時に「刺されなくてよかったね」みたいな怖いことを平気でいう人がいますねっ!「復讐に来るんじゃない?」とか。
悪気のない人がほとんどですけど、無神経。そいういう人は、大抵、日頃から冗談がキツイ人や口が悪い人です。
ワザと、過去のおっかないストーカー事件のことを話す人がいます。他人の災難が楽しいタイプです。
まあ、ポジティブシンキングで言われた言葉だとしても、ものすごく腹が立ちます。
同様の類の発言で「その程度で済んでよかったじゃん」「捕まったからいいじゃん」とかも、「何が良かったんだよ!(怒)」って思いますね〜。
普通の人から考えるとジョークの範囲でも、被害者の立場として聞くと、精神が不安定になっちゃうことがあるので、お手柔らかにね。そして、軽い冗談のつもりで言ったのに、激しく怒り出した人がいても、ここは一つ優しい気持ちでいて欲しいです。
 
 
今回のは、あたくしの個人的な経験からまとめたものです。
現実には予測不能で、言われて初めて「あ、これ言われたくないな」って思うことが多いです。
その時、ちゃんと「それは聞きたくないです」って言えるのがが理想なんですが、なんだか変なスイッチが入って、頭が真っ白になることがほとんどです。
そういうとこ、ホント、治したい。
 
グダグダ書きましたが、ちょっとでもこういうNGワードを頭に入れておけば、傷つく被害者の方が減るんじゃないかと、そういう風に思ってます。
 
この世に散らばる、たくさんの傷ついた方、ご自愛を。

気功、瞑想、あらまほし道へのストーリー展開。

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あたくしが習ってる気功は瞑想をあまりしないんですが、一度、先生にその理由を聞いてみたら…
心だけキレイになっても身体が弱かったらしょうがない
…とおっしゃっておりました。…なるほどです。
 
気功というのは身体の気の通りを良くし、宇宙エネルギーを取り込み、身体を強靭かつ健康にしちゃおうというメソッドです。(気功を知らない人は、なんだコリャ!ですけど…気功の世界では共通の認識、ルール、世界観…となっております)
そして、その延長線上に、金運アップ、願望成就能力アップ、能力開発、アンチエイジング、人の病気や体調不良も改善させちゃったりする力の獲得、なんかもあります。
そうです、ある意味「超人化」を目指すのです。
(でも、気功の世界では「元々備わっている力を開発する」「元々の自分を発見する」みたいな文法で展開します。この辺がミソ)
 
だからですね、気功の生徒さんの中には、ごく一部なんですが、ものすごくギラギラした人が紛れています。
実際に、気功の先生に「どれくらいの域に達したら、大きな家に住めるようになるでしょうか?」と質問している人に遭遇したことがあります。
気功でどれくらいのレベルに到達したら、自分の願いが叶えられる(この人の場合は、大きな家に住むこと)のか?と直球で聞いているのです。
心の汚れたあたくしは内心「バッカじゃね〜?」とか思って聞いていたのですが、その実、そこに来ている生徒さんのほとんど全てが「自分の病気を治し、人の病気も治せる不思議な力」獲得のために来ているのですから、本当は、ベクトルは異なれど欲の深さに違いはないのです。
先生の答えといいますと…
その域に達した時、あなたの願望は大きな家ではなくなっているかもしれません
…という深いものでした。
 
という訳で、気功というのは、体の感覚を入り口にして、主に肉体的な鍛錬をしていって、その果てに精神的な気づきがあり、やがて不思議な力がやってくればいいなあ〜という感じです。まずは体という道具を積極的に使って、あらまほし方向に行きましょうというストーリー展開が期待されます。
 
その辺をふまえて、瞑想(ヴィパッサナー瞑想)をやりますと、こちらでは煩悩の滅却を目指す訳ですから、最初はものすごく戸惑います(笑)。それまでは、健康、金運、アンチエイジング〜って、ある意味、煩悩満載だったのが、瞑想の世界では「反応しない心」の獲得がミッションとなるので、「あるがままに」と(あたかも)真逆に進もうとします。
 
瞑想合宿の帰りに「不思議な力を得られるような類のヨガを長く練習してきたけど、ヴィパッサナー瞑想を知ってからは興味がなくなったので辞めた」という方とお話しする機会がありました。
「修行の末に不思議な力を獲得した人は実際にいるし、不思議な現象を目の当たりにしたこともあるけど、そういう人でエゴが抜けている人はなかなかいない。どうしても“オレ様”的な部分があり、人格を尊敬できないから」と。
「不思議な力の獲得」と「煩悩滅却して解脱」、両方は手に入らないと悟って、その人は後者を選んだ訳です。
 
 
自分は不思議体験とは無縁な全くの凡人ですけど、一見、普通のお姉さんみたいな人から、かような面白い話が聞けることが、気功や瞑想をやってて面白いな〜、と思えることです。
 
実は、瞑想も極めれば超人化しないこともなかったりして、「寝なくても平気になる」とか「能力開発」みたいなものが、瞑想によって煩悩滅却した果てに訪れるみたいなのを、チラリと聞きました。
ですから、瞑想の場でも「どれくらいの期間瞑想すれば、寝なくても平気になるんですか?」と先生に質問する、ギラついた人が存在する訳です(笑) 。(「そういうことは、考えなくていい」と言われておりました)
 
最近の瞑想ブームでは、「仕事効率アップ」「アイデアが湧き出る」「睡眠時間短縮」などが言われてますし、その辺は悲しいかな、人として食いつきやすいポイントなんですよね。
でも、それは、あくまでも瞑想の効果のおまけみたいなもので、目的とするものではありまへん。あくまでも瞑想の目的は、煩悩の滅却、です。
 
さあ、あたくしの願望は「不思議な力の獲得」と「煩悩滅却して解脱」、どちらで叶えましょうかねえ…

パニック症状を繰り返してしまうワケ。

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鬱やパニック症状を一度体験してしまうと、身体に脳にその痕跡が残され、それを消すのにはなかなか難儀なような気がします。
その痕跡は自分にとって、人や動物が行き来することで出来る“けもの道”のようなものであり、大雨が降った後にだけ出現する“川”のようなものです。元気な時は、全く見えないし気にならないけど、少しでも不調の兆しを感じてしまうと、うっすらと姿を現すような…。その時の、何とガックリとくることよ!です。
 
あたくしの場合、その後、10年以上に渡って再発を繰り返すキッカケとなった事件があります。
犯罪被害に遭ってしまったのです。ストーカー被害です。
 
どんな恐ろしい目に遭ったのかというと…それが…具体的には上手く言えません。
なぜなら、犯人が逮捕されるまで、そして実際にそいつが何を具体的にしていたのかは、知らなかったのです…。
 
そんなこと、ありえるの? →ありえるんですね〜
 
当時は独身で、某会社で派遣社員しておりました。
そうしたらですね、ある日を境に、自分の身辺に不思議なことが起こります。
「某氏が、頭のおかしい女に仕事を提供することを引き換えに、不適切な関係を迫っている」という怪メールが社内の一部の人とかに届くようになったのです。某氏は当時の上司、頭のおかしい女というのは、あたくしのことらしい。イニシャルが入っていて、誰だか推測できるようになっていました。そのうち、ネットの企業掲示板とかにも同様の投稿が出始めました。
 
当時は、社員で上司の某氏を中傷する事件として、まずは社内調査を行いました。
その社内調査が長引いて、「警察の力を借りましょうよ」と言ったのはあたくしです。
某氏が「社内に自分を憎んでいる人がいる…」と疑心暗鬼になって、メンタル的にかなり参ってきたからです。
 
そうしましたら、さすが警察! 捜査開始2〜3ヶ月で犯人逮捕です。
 
ですが、その犯人を知って驚愕!
被害者はあくまでも自分の上司で、あたくしは“ダシ”くらいに思っていたら、思いっきりの被害者だったのです。
その犯人は、あたくしの知人男性だったので…す…。
 
なぜ、犯人がそんなことをしたかといいますと、「あたくしが会社に居づらくなって、無職になって生活に困ったら、もっと自分を頼ってくれると思ってた」だそうです。
 
ひ〜〜〜クレイジー!
 
犯人は当時、上場企業にお勤めしてて、家を持ち、家族(妻、娘二人)がおりました。これで犯罪者になることを選べる神経が理解できません…。
それとも、これくらいの嫌がらせはバレないとでも思っていたのでしょうか? 半年も陰湿なメールを送り続けといて…。
 
ともかく、犯人は捕まったものの、罪をなかなか認めず、20日間以上も拘留されたそうです。
「20日間 以上ってね、殺人犯並みですよ」と、刑事さんは申しておりました。
 
で、「もうちょっと拘留期間延ばしますから、家を変えて下さい」と言われました(はしょりましたが、犯人は誹謗中傷メールだけでなく、いろんなことをやらかしてました)。
 
もう、これは警察からの「お願い」というか「指示」ですね。当時はオートロック付きのちょっと上等なマンションに住んでいましたが、そんなの、何の意味もないみたいですよ?
 
夜逃げみたいな引っ越しを、生まれて初めて体験しましたよ。
(当時、夜逃げみたいな引っ越しを手伝ってくれたのも、ご迷惑をかけた会社の仲間でした)
 
そうして、引っ越しをして、事件解決、メデタシメデタシ、元通り…♪とはなりません…
あたくしは激しく体調を崩しました。
しかし、当時は、周囲の人と同じく、時が解決するものと思っていたのです。
 
「恫喝」場面で自分が体験する、あの、ザーっと冷水をあびるような恐怖感が、この当時の一連の体験とつながっていると分かったのは、ここ最近のことです。恐怖の元をたどるのに、10年近くもかかってしまいました。
 
犯人は、小心者で一見人当たりが良い反面、プライドが高く、フトしたことでキレるタイプでした。
直に、というよりメールのやりとりなどでよく「恫喝」してました。
メールで恫喝って変ですかね? 「ふざけるな!」「馬鹿にしやがって!」みたいな文章の書き込みです。
それは、あたくしに対してだったり、他人に対してだったりで、当時は「キレ芸人かよ?」程度に考えてました。ですから、直に恫喝を食らった記憶は薄いのですが、その辺りの記憶から、恫喝 ≒ 犯人&事件 といったインプットがされちゃったんでしょうね。
 
そして、恫喝が怖いのではなく、本当に怖いのは、「表向きは善人を装いながら、影で陰湿なことをしても平気な精神性」なのでしょう。拘留されても自分のやったことを認めず、「俺は人に落とし入れられた」と言えるような歪んだ性格に、心の闇の深さを感じるのでしょう。
 
この話、オチがあります。
事件から5年ほど経って、犯人からFacebookの申請があったのです!何事もなかったように!(笑)
無視してたら、メールも来ました…。で、「あ、こりゃヤバいな」と思って、「警察に連絡します」って返したら、「それだけは止めてください」って…バカですよね? それからは何事もないのですが、要するにそういうことです。
 
逮捕されても、会社クビになっても、時間が経っても、反省しない人は、反省しません。おバカさんも治りません。
 
そこが、ものすごく、怖いのです。
 
ですから、ココをなんとか乗り越えなくてはいけません。

カウンセリングで怒りが止まらなくなっちゃう時。

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心の平安を求めて足を運んだカウンセリング中、正直、怒りが沸き起こり、止まらなくなる時があります。

怒ってスッキリするのならそれもアリ、なのでしょうけど、本当は怒りたくなかったりするので、モヤモヤとして帰途につくことがありました。
何が起こっていたのでしょう? いろいろ自分経験を振り返り、当時の原因を探ってみました。
 

怒りの感情を受け止めてもらえてない。

過去に怒りを感じた体験を話している時、カウンセラーからの共感がもらえないと、あら不思議、怒りがさらに募ります。うまく共感してもらえないと、怒りの炎は鎮火されないのです。
自分の怒りに対して、カウンセラーからの共感が感じられないと、クライエントは「私の話、通じてない?」とある程度「盛る」と申しますか、怒りのボリュームをアップさせてみるのです。無意識にです。
 
ですので、カウンセラーとしては、当然ちゃんと感情を受け止めてなくてはならないのですが、分かっているだけでは出来ないんですね〜。それなりの訓練が必要です。
何しろ、普通の人だったら、レアな怒りの感情には、とっさに嫌悪感を感じたり、何かしら心の動揺を感じてしまうもの。そのまま受け止めること自体がとても難しいのです。動揺を隠そうと「怒りの感情に対して冷静に対処しなきゃ」と考えてしまうと、クライアントの心に寄り添うことに集中できなくなってしまうのです。そして、その不安定な状態は、なんとなくクライアントに伝わってしまうのです。
 
自分の中の黒い感情を赤の他人に正直に言うのは、とても勇気のいることです。
一度でも自分の感情を否定されようものなら、その人に本音を話すのはとても難しくなります。
カウンセラーを志す人は、その勇気に報いるような技術を習得して欲しいものです。
最初から、小さなことを大袈裟に怒るような人がいますが、その人は、これまでの人生から多少盛らないと共感してもらえないと思い込んでいるのかもしれません。
 
 

お門違いな意見で心が乱れる

実際にカウンセリングの途中で夫との関係を話している時の先生のコメント(そう、あたくしは既婚者です)。
「旦那さんは、ADHDかもね」
考えてもいなかったことなので、ビックリしちゃいました。
そして、「そおんなワケねえだろお〜」と内心に強い怒りが…先生の前では引っ込めましたけど。
いやいや、臨床心理士だからって、私からの聞き取りだけで、会ってもいない人の診断しないでよ、と。
悪気はないのは分かるのです。「問題は、あなたのせいではないよ」と先生むしろ私を励まそうとしているのは分かるのですが、しかし、その先生は、リラックス法の指導はお上手だったのですが、フリートークとなるとその辺のオジさんオバさんレベルだったのです(笑)。
 
その他、「迷っているならやっちゃいなよ」←鬱状態で決められないのです。
「ダメだったら、また頑張ればいいよ」←極度に失敗が怖いのです。
「そんな会社辞めちゃえよ」←え、そんなこと言ってないよ!
こっちの不安に、超楽観的な態度で迫られると、自分なんかは腹が立つタイプ。
当時はよくわからなかったけど、傾聴をかじった今なら、まずは、迷っている気持ち、不安な気持ちに寄り添って欲しかったなあ。
40分7000円の費用で「チャレンジしろ」というご指導だと、萎えてしまうのです…。もちろん、心が健康な時なら、背中を押してくれる意見もウェルカムかもしれないのですが…。
あたくしが比較的症状が安定していたので、そんな風に言われたのかもしれません。でも、「何で行動に移さないの?」と言われてしまうと、何だか責められているようで、全くもって辛くなってしまいます。
「試してみる」「ダメなら辞める」「またチャレンジする」…健康な人ならむしろ直感的にできる、こんな簡単なことも、心がヘコタレている時には、とっても精神力を必要とするのです。
 

カウンセラーに陰性転移が起きている。

転移とは、クライアントが親子関係など、他の人間関係をカウンセラーとの関係において再現してしまう現象です(フロイトが発見しました)。プラスの感情を持つのを陽性転移、マイナスの感情を持つのを陰性転移といいます。
「何だかこの先生の前では素直になれないわ」「この人の言うことイチイチ腹たつわ〜」という時、そのカウンセラー自体を見ているのではなく、その陰に父親や母親との関係を重ね合わせている、こともあるのです。
 
この現象、結構簡単に起こります。カウンセラーが転移の現象を利用して治療することすらあります。
なので、カウンセラーに怒りを感じる時、前述のように、カウンセラーの技術不足ではなく実は「こっちの事情」だったりするわけです。
 
実は私自身、女性のカウンセラーが苦手です。どうしても母親との関係が再現されてしまうからです。私の母親は共感能力があまり高くなかったので、共感技術が下手なカウンセラーにはムチャクチャ腹が立ちました。この怒りは、未熟なカウンセラーへの怒りでもあるのですが、根本は、自分に対してものすごく淡白だった母親に対して怒りを再燃させているのです。
 
 
だからして、怒りは着目するべき感情です。「なぜ、怒っちゃってるのだろう、ワタシ…」と深く洞察する時、自分をバージョンアップさせるヒントが隠されているのです。怒りは「誰かがオレ様を怒らせる」体で沸き起こりますが、実は、冷静に考えれば、自分の内側の問題、ということが多いのです。
 
怒るなら、冷静に怒りましょう。そして健やかになりましょう。

カウンセリングに対して私が抱いていた幻想、失敗の原因。

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実は、カウンセリングを学ぶ前は、「カウンセリングが何なのか」をイマイチ知らない状態でカウンセリングを受けていました。これは、今思えば、「パソコンで何ができるか分からないままパソコンを買うようなもの」ですね(笑)。
 
自分がカウンセリングできるほど研鑽する必要はないとは思いますが(もちろん興味があったらやればよろしい)、カウンセリングを受けるのって結構な費用がかかりますから、予め「基本的なカウンセリングってどんなものなのか」を頭に入れておけば、自分の担当のカウンセラーの技術力が分かるってもんです。あたくしの経験のように、回を重ねても一向にスッキリ感が得られない、停滞感から抜けらない、しまいには毎回、ここ数週間の行動をネタに世間話…みたいにルーティン化してしまった時にも、カウンセリング何ぞや、ということを知っていれば、どこに問題点があるか分かります。
 
また、カウンセラーと会う時間が楽しい♪状態に陥りながら、人生には一向に前向きになれない場合も注意が必要です。悲しいことですがクライエントに対し「治らなくてもいいや」と思っている風なカウンセラーも少なくないと思います。この辺は、精神科医も同じ。そういう人は、癒す人ではなくてただの商売人ですから、どんなにその時間が楽しくても「カネだけの関係」と自覚して、今後の自分の行動を考えるべきです。
 
以下、自分が最近まで勘違いしていた数々。
 

カウンセラーに心を開けない自分はおかしい。

そもそもが、こんなことで悩むなんて本末転倒だとは思うのですが、 自身の体験を含めて、有り得る話です。
カウンセラーの時間は、高額な費用と大切な時間を捻出して作り出した「あなたのための時間」です。
何回もセッションを重ねているのに、どうにもカウンセラーに信頼感、親近感が感じられないのは、もしかしたらカウンセラーの技術不足かもしれません。
例えば、毎回私が話してばかり…と思っていたとしましょう…しかし、有能なカウンセラーであれば、多分、あなたに語らせっぱなしにはしないのです。少なくとも共感しているという何らかのサインを出してくれるハズです。また、あなたが語ったことに対し、即座に「良い」「悪い」といった評価を下さないハズです。そういう訓練をカウンセラーを志す人は行っています。
カウンセリングのごく初期の段階で一番大切なのは、実は信頼関係作りなのです。もしカウンセラーに対して、「こんなことを言ったら軽蔑されるだろうな」などと気兼ねしてしまったら、本心に至ることができません。普段は周囲に言えないような、自分の中の黒い部分、こだわっている過去、悲しいこと辛いことも、自分の一部として語れる場になるのがカウンセリングの理想だと思います。無理に自己開示する必要はなく、信頼関係が出来上がれば、自然に話を聞いてもらいたい気持ちになったり、自分の気持ちにピッタリな言葉が出るようになると思います。信頼関係が築かれないまま進行したカウンセリングは悲惨です。
 

全てをできるだけ詳細に語れば、すみやかに解決に繋がる。

これは、カウンセラーが何か原因やら解決法を教えてくれる人だと考えていると、ウッカリ陥ってしまいます。
先生が考える為にも情報はたくさんあったほうが良いだろう…と思っているそこのあなた、完全に勘違いです。
自分の問題の解決法は自分が考えて見出すものであり、自分で自分の問題を解決できるように助けてくれるのがカウンセラーなのです。
私は、この詳細に語るのを何回にも渡って行ってしまいました。はっきり言って、時間の無駄。
カウンセリングを辞める際に、「私が話してばかりで何をやっている時間なのか分からない」と伝えた際に先生に言われたのは、「最初は喋りたさそうだったから、お話させておいた」←!という驚愕の事実。その間、先生は会話を一生懸命メモ取ってるだけでした。ご苦労さん、自分(笑)。
自分がとりあえず「この鬱憤を聞いてもらいたい」と思っているのなら、気の済むまで語るのもありです。でも、カウンセラーは何も解決してくれません。そもそも、そんなこと考えていません。問題の解決は別アプローチで行います。
 

カウンセラーは私の質問に回答してくれるもの。

あなたが絶対にカウンセラーは答えを知っているハズ、と思い込んでいたなら、質問に答えてくれないカウンセラーにはイラつくでしょう。私がそうでした!

しかし、カウンセリングとはクライエントの質問にそのまま答えたりはしないものなのです。焦らしてモヤモヤさせるプレイとかじゃないですよ? 先ほども申しましたように、カウンセリングの目的は「自分で自分の問題を解決できるようにする」なので、その成長を妨げるようなことはしないんです。律儀に答えると、何でもカウンセラーに聞こう!ってなっちゃいますからね。それは、今まであなたに命令を下していた誰かさんの役を、今度はカウンセラーに委ねてしまうことになります。
その辺をカウンセラーは当然知っているので、質問には答えてくれません。しかし、熟練したカウンセラーなら、上手い質問返しをしてくれるかもしれません。そしてその問いに答えようとする時、自分の中に気づきやひらめきが起こるかもしれません。やはり、問題は自分で解けた方が嬉しいのです。
そんな訳ですから、質問しないのにあれこれアドバイスしてきたり、あなたの代わりに判断を下そうというカウンセラーは全くダメです。コンサルタントコーチングならアリかもしれませんが、カウンセラーとしてはダメです。そういうカウンセラーは臨床は止めて、心理系の実用書でも書けば良いのです。
 
カウンセリングの時間は、日常とは違う不思議な世界です。
あなたの話はとても真剣に聞いてもらえるし、共感もしてくれる。
評価を下さず、そのままを受け入れてくれる。
質問には何一つ答えてくれないかもしれないけど、自分で答えが見つかることがある。
 
じゃあ、カウンセリングを勉強したら、少なくとも上記のことはスグ出来るんですか?っていうと残念ながらNO!なんですね〜(笑)
頭で分かっていてもダメで、これは武道の型を学ぶのにも似て、何度も練習を重ねる必要があるのです。カウンセリングは剣道、柔道、合気道的な、「道」の要素があるように思えます(技術の高さだけでなく、精神的な研鑽も必要なあたり)。
この能力は、恐らく学力とかは関係ないのです。だからこそ、大学院を出た臨床心理士の中にも、肝心のセッションが苦手という方がおられるのでしょう。
 
未熟な方も現場に駆り出されているのは世の常です。しかし、こっちがある程度分かれば、泥沼化は避けられるかと思います。

いろいろなものを補うために瞑想合宿に行く。

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あたくしの瞑想体験は、昨年の2016年秋、ヴィパッサナー瞑想の京都10日間合宿に参加から始まります。

瞑想は以下の理由から興味を持ちました。

  1. 気功が伸び悩み感があり、それは瞑想が足りないからかも。
  2. 鬱、パニックに瞑想が効くという説がある。

なので、もし効果があれば一挙両得です。

 

ご存知の方もおられるかと思いますが、ヴィパッサナー瞑想の10日間コースというのは、その間はスマホは預けて外界との接触を断ち、お喋りも禁止、読書や筆記も禁止、朝4時起床、夜21時就寝、完全菜食…という、完全に浮世とは異なる環境で行われるものです。

 

最初は、瞑想でももっとマイルドな「マインドフルネス瞑想」なんかがブームもあってやりやすいかな? と思ったのですが、瞑想教えてもらうのも、結構お高いんですね。あれは何なんでしょう? ただ、座っているだけなのに…。

また、禅寺での座禅なども考えましたが、パニック持ちとしては、警策(きょうさく)で叩かれるんじゃないかと思うと、とても自分に集中できそうにはない…と思いました。(※実際は、事前に一言持病のことを相談すると、その辺は考慮していただけた、という体験者もおり、バシバシやられる訳ではないそうです(笑))

 

鬱でパニックで半ば引きこもりなので、外界との接触を絶たれるのはそんなに抵抗ありませんでしたが、集団生活なので、体力持つのか?とか、瞑想中にあまりにも面白いものを見すぎて精神的に疲れるのでは?といった杞憂はありました。←あくまでも杞憂でしたけど。そんなことより、予想外のことが一番辛かったです(これから参加するかもしれない人のために、それが何かは言いませんが)。

 

で、実際、期待していた効果が得られたか、と申しますと。これは、ありましたよ!

まず、自分の場合、瞑想は気功やっている時より集中できるらしく、1日目から「面白いもの」を見ることができました。いわゆる白昼夢みたいなものですかね?

気功を始めたばかりの時、先生から「站椿功(タントウコウ)の練功中、面白いものが見えても平静を保つように」と言われました。具体的には、男性だと女神様とか観音様とかを見るらしい。先生は、あたかも不思議体験のように語るのですが、どうやら、脳がある状態に入ると、瞼の裏に色々見える現象が起こるらしい。站椿功(タントウコウ)は立禅の一種らしいので、集中して行うと瞑想状態に入るのでしょう。周囲で「こんなこと、あんなこと」が起こった発言がある中、私には全くそのようなことは起きず、心中悲しく思っておりました。

要するに、集中した結果、脳がある状態になると、面白い体験ができます。でも、それがヴィパッサナー瞑想の目的は煩悩の滅却なので、面白体験は軽く流すようにします。私は不覚にも「面白いなあ〜」とやや執着してしまいましたが、視覚的な面白いものは1日目だけで終わり、その後は、節目節目で体感的な面白体験があったりしました(でも、重ねて言いますが、真の目的は煩悩の滅却、です)。人によっては面白体験ではなく、恐怖心を覚えるような体験があったりするらしいと聞いていたので、少し心配していたのですが、自分にも周囲の人にもそんなことはなかったみたいですね。

合宿から帰って来たら、練功が辛くなくなりました。瞑想を1日10時間近くやるより、気功の練習を1〜2時間やる方が全然楽!なんです。しかし、辛さが薄くなるのが気功的によいことなのか…は分かりません。また、瞑想から帰ってきてからは気功への考えも少し変わりました。この、気功と瞑想の関係は、また後ほど書きたいと思っています。

 

鬱・パニックは、合宿中は全く忘れてしまうくらいで、これで治っちゃったらスゴイかも、くらいは思っていたんですけど、帰ってきてだんだん日常に戻るにつれて、元のドヨ〜ンとした空気が戻ってきてしまいました。やはり、あの、浮世とは異なる環境がミソなのでしょう。本来、この瞑想法は浮世で健やかな心で暮らしていくためのものなのです(それゆえ、日常でも瞑想を続けなさいと言われます)が、この浮世離れした生活に惹かれて、本格的な瞑想者への道を歩む方もいるそうです。自分の場合は本来浮世が好きなので戻ってまいりましたが…。

鬱・パニックに関わらずメンタル的な健康につながるかな?と思った一番の出来事は、瞑想中、恥ずかしいほど煩悩が爆走するのを体験することです。

あたくしの場合は、怒りと暴力的なエロチックシーンが妄想として湧いて参りました。とにかく、怒りの感情はものすごく出てきて、こんなに溜め込んでいたのか!と驚かされました。

瞑想中は基本的にご飯は奉仕者が作ってくださるし、自分のことだけ考えていれば良いのですが、こんな時に至っても、「私のサンダルを履いていったやつがいる」「シャワーが長いんだよ」「イビキがうるさい」「スープの具がデカすぎる!」と、瞑想の合間の自由時間にプンプンしてばかり。怒りが、外的な刺激から出てくるのではなく、煩悩まみれの自分の中から湧いてくるものなのだと、改めて実感いたしました。自分が腹を立てているのは、他人の、世の中のせい、と思っている人は、瞑想をまとめて行うこの機会は良いかもしれませんよ。自分の心の健康のために。

一方、暴力的なエロチックシーンの妄想は、瞑想を邪魔する煩悩として頻繁に出てきました。過去に読んだマンガや映画の暴力的なエロチックシーン「だけ」が編集され、集められて、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストシーンのごとくに展開しました(笑)。秘めた性癖なんでしょうか? あくまでも暴力的なのがポイントなのかもしれません。この妄想は合宿の中盤頃、2〜3日間激しく湧き起こり、その後パッタリと無くなりました。

 

その後、下界に戻ってからも瞑想は続けてます。満足するような集中には至らないので、1回1時間半くらい行うようにしてます。毎日は…すみません…ちょっと無理。

 

当時お世話になっていたカウンセラーの方に、瞑想合宿の感想を興奮気味に「本来の自分に少し出会えました!」伝えましたら、非常にガッカリした顔をされて、「それが、カウンセリングを通じてあなたに感じてもらいたいことなんですよ?」と返されてしまいました。あ、そうか、そうですよね? そんなこと言われたら、カウンセラーとしては立場がなかったでしょう。でも、その言葉にはすでに答えが出ていたらしく、その一ヶ月後にそのカウンセリングは24回で中断…と相成った訳なのです…。

 

ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法

ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法

 

 ※紹介しておいてナンだけど、瞑想合宿に行く予定の人は読まない方がいい(笑)。合宿の講話の効果が半減しちゃうから!「合宿のために10日も休めないわ」という方にはオススメ。