2020年、夏の終焉。
1ヶ月振りのカウンセリングは新鮮だった。
先生も新鮮に感じたし、先生の前に座る自分も何だか新鮮だった。
「ええと、いろいろありまして…」
あたくしはそう口を開いたのだけど、いつもの様に詳細を語り出すのではなく結果からお伝えする。
「でも、先生なしで乗り越えられたので、カウンセリングの頻度を減らしたいのです」と。
異動の話があり、自分は「そんなら辞めます」と言ったのだ。
一見、何て傲慢で無責任な態度なんだろう!
でも、これが自分に出来る精一杯なのだ。
上司は人間が出来た素晴らしい方なので、薄っすらと怒りを露わにしただけで「上に伝えます」と答えた。それからやや長めにいろんな話をした。あたくしの考えを聞かれたり、先々を心配されたり。
しかし、結局のところ、今回の異動話はあっけなく白紙となったのだ。
だけど、あたくしのモヤモヤやドキドキはおさまらなかった。
なぜなら悟ってしまったのだ。
何と儚い、日常であることか!と。
考えあぐねた挙句に、逆転移の彼に聞いてみた。
「あなたは、自分の身に何かが起きる時、直前まで知らない方がhappyな人か?
それとも、早く知って、前もって対策を立てたい方か?」
彼は何だか眩しそうな顔をして少し考え、「前もってですかね?」と答えたので、あたくしはそれを嬉しく思い、彼に話を続けた。
「すみません。“ずっとあなたの味方”みたいなことを言ってましたが、その約束は守れません。自分はいつ居なくなるか分からない存在です。その時のあなたの心理的衝撃に備えたい。どうしたらいいか、正直に答えて?」
ここであたくしは二つの人体実験プランを出す。
A. あたくしが近くにいるうちに、担当を変えてどうなるか実験。
B. このまま二人三脚を進めていくが、徐々に紐を長くしていく実験。
前回「人の気持ちを弄んでいる!」と怒って喚いてあたくしを責めてきた彼は、今度は「話してくれて、ありがとうございます」とペコリと頭を下げた。
彼が選択したのはBプラン。
あたくしは、嬉しくて不安で泣きそうで充分満足で、あまりにも感情を使いすぎた末の疲労感でとてもヤバイ感じだわ、と思いつつも口をギュッと閉じてニッコリ笑った。
カウンセラーの先生は、「仕事の話以外に、もっと話したいこともあるし、頻度を減らすのは…」と難色を示した。
「でも、やってみたいんです」と、あたくしは自身のチャレンジ精神をアピールする。
「君の依存に関しての話だってまだ行う必要があるし…」と、先生は呟く。
と、あたくしはそれを聴きながらボンヤリと思う。
「君の不安についてだって…」先生の話は続く。
(あぁ、そうだ、自分、全般性不安障害だったのだわ)
ここまで逞しく育ててくれた先生に、あたくしは感謝の念しかない。
しかし、引き止められている様だから、あたくしにはまだ、あたくしの気付かない課題があるのかもしれない…とボンヤリと思った。
「先生、この1ヶ月、怖い思いは、したんですよ」と、あたくしは言う。
それは、本当だ。足元がガラガラと崩れていく様な恐怖を味わった。自分の存在価値が揺らぐ様な強烈な不安を。
「だけど、それって…理由のある不安って、病気ではないでしょう?」
先生は、「まぁ、そうだね」と言った。
今回の一連の出来事であたくしが体験した、えもいわれぬ様な多幸感に関しては、ついに先生には話さないままカウンセリングの時間は終了した。
なぜなら、今のあたくしは、他の人と共有できない自分だけの感情が存在すること、それはそれでいいのだ、と理解出来ているのだから。