心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

カウンセラーに秘密を持つ。

f:id:spica-suzuhazu:20200419153717j:plain
あっと言う間の1ヶ月でした。

1ヶ月前までは、自分のことばかり考えていた。
逆転移の彼」との別れが避けられないなら、その先、どうしよう? とか、
底なしの寂しさを紛らわせるために、あれしようこれしよう、とか。

ところが、世の中がこんな風になって、お別れどころか、「逆転移の彼」がメンタル的に参ってしまった。
こうなってみて、初めて分かったことなんだけど、どうやら自分の場合はこんな時、全般性不安障害的な不安はなりを潜め、変な底力が出てくるようだ。
誰かを守らなきゃ、と、自分から焦点が外れると、途端に冷静さが訪れた。

かくして、現在のあたくし、導眠剤が不要になり、細くなっていた食欲も戻り、心身の健やかさを取り戻しつつあるのね。
これは何なんだ?



実は、こんな場で打ち明けるのも変な話だけれども、カウンセラーに秘密ができたようだ。

自分は、今のこの気持ちを、カウンセラーに相談したくないのだ。
「できない」のではなく、「したくない」。
いつもの自分なら真っ先に先生に相談して、どうしたらいいか答えを聞き出そうとしていただろう。

今まで、これまた可笑しなことだと思うけれども、何でもカウンセラーの先生にはお話できると思っていた。
あたくしはこれまで、本当に開けっぴろげに話してきた。
実際に「いや、話さなくていい」っていうこともカミングアウトしてきた訳だし。

だけれども、今の気持ちは先生と話したくない。

なぜ彼がメンタルダウンしたら自分が元気になるのか…その気持ちに向き合いたくない。

先日、彼は、あたくしの目の前で初めて悲しみを表現したのだ。
笑いで誤魔化すことなく、怒りで武装することなく、身を投げ出して、打ちひしがれている様子を無防備にさらけ出した。
それは、彼が自分の殻を打ち破って、人や自分自身をこれまでより少しだけたくさん信じることができる様になった、成長の証だ。
そんな彼を初めて目の当たりにした時、自分は強く狼狽するとともに、妙な安心感を感じてしまったのだ。

ずっと、伴走し、見守ってきた彼。
その彼が、疑いもなく自分を信頼してくれてると分かった時、自分の中に広がった喜びには、誰かに言い訳しなくてはいけない気持ちが含まれている。
その気持ちに罪悪感を感じている。
恥ずかしさを感じているし、こんな話をしたら先生に「叱られる」と思っている。
実際に叱られるだろう。
「その気持ちを、楽しんでいるね?」と。



あたくしが全般性不安障害になったきっかけは、夫のメンタルダウンだった。
あの時、自分は、夫が死んでしまったらどうしよう…と不安になるあまり、病んでしまったのだ。
今、自分は、同じく大切な人の精神的な危機に接して、病むどころか、しっかりしなきゃ!と自らを奮い立たせることが出来ている。

あの、20年近く前の出来事と、ほぼ同じ境遇だろうに、この違いは何なのか?
先生に話したいのだけれども、きっと話せないのだ。
話したら、きっとあたくしは恥ずかしい思いをするに違いない。
こんな気持ち、持ってはいけないのだから。

そう、知っている。
問題なのは出来事ではなく、その出来事の捉え方だ。
20年前、自分は夫のメンタルダウンに、「自分はどうなってしまうのだろう?」と自分に対する不安を募らせたのだった。
今は、自分よりも、逆転移の彼のことが心配なのだ。
タイミングは最悪だけど、自分にとって自分よりも大切な存在が出来たのだ。

相談に乗ってもらった友人の中には、これを母性と呼ぶ人もいる。
でも、彼との関係を考えると、それはとても儚いものなので、あたくしは途方にくれている。
もっと確固とした関係だったら、どんなに良かっただろう。


なぜ、相談する側とされる側が、それ以外の関係を持ってはいけないのか…。
それは、双方の利益に反するからだ。
二重関係は、相談する側には混乱を生み、相談者される側としては冷静なる判断を阻害する要因となる。
いいことなんてないのだ。
彼を愛おしく思うのなら、彼を壊さぬ様、上手くやり過ごさなくてはいけない。
だけど、自分には「もう少しだけ」というイヤラシイ気持ちがある!


だから秘密にするのだ。
きっと、過去のお話

になるまで、ずっと。