心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

愛は止められない。

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例の逆転移による恋心に似た激しい気持ちにあたくしはすっかり困り果て、様々な人に相談しているのだ。

相談者への気持ちが、本当に邪魔…。

 
相談してみてわかったことだけれど、「その気持ち分かるよ」と、共感を示してくれる人が少なからずいること。
特定の相談者に個人的に思い入れてしまう経験は、人の悩みに寄り添う仕事をすれば、多かれ少なかれ通る道なんだと。
相当な経験者でも「そんな感情は通り過ぎて、すぐに何も感じなくなる」と言う人もいれば、「その気持ちは無くならない。それを無くしたらお終い」と言う人に分かれる。
あたくしの場合は、後者のような気がしないでもない。
要するに、これが始まりで、終わりはないんだな。トホホだな。

ビックリしたのは「相談者でなくなった時に、付き合えばいいんだよ」と涼やかな顔で言った方。
「そういうのは、倫理的には問題ない」と。
何という割り切りの良い方なんだろう。
とても知的な雰囲気のその方は「親子ほどの年の差があっても、もし、お互いが好意を持っていたら、恋愛は成り立つ」とも言った。
そうかもしれない。
魂だけの触れ合いなら、そういうこともあるかもしれない。

だけど、それを受け入れるには自分には抵抗感がある。
それは、職権乱用とか、相談者への性的虐待に当たらないのか?
いや、まず、この気持ちが恋愛感情というのが怪しい。
 
あたくしが誰かを愛したいという欲求を相談者で満たすんじゃなく、あたくしの本当の願いは、相談者が自分自身を大好きになって、自分のように大切にしたい他者と出会えることだ。
相談者はあたくしの愛を引っ掛ける「釘」なんかじゃない。
生身の人間であり、未来ある若者であり、意思をもった男性だ。
 


実は、最近のあたくしは、毎朝鏡を見ながら自分にこう言い聞かせている。
「あなたは、白髪のおばあさんだから、恋心は相応しくない」
不覚にもね、「今日、あの相談者に会えるんだ♪」と思うと、朝からウキウキしてしまう自分がいるのね。

パニック症状に襲われてから約10年間、あたくしは苦痛から逃れるために向精神薬を飲み続けて、それは希死念慮が出るまで続いたのだ。
そうして、我を忘れているうちに、自分の髪は真っ白になっていた。
定期的に染めていたから気づくのが遅れてしまったのだけれど、もし、染めるのをやめたら、きっとあたくしはまぎれもなく白髪の初老の女性だ。
それを思い出せ、自分。それを自覚しろ、自分。

そんな話をしていたら「何でそんな風に、こう考えてはダメ!って思い込むの?」カウンセリングの先生が口を挟んだ。
「その考えの方が、よっぽとイケナイと思うけど?」
ありゃ、前回は「絶対ダメ」って言ってたのに、今度は「なんでダメって考えるの?」と聞いてくる。
厄介だな(笑)。

久々にカウンセリングで涙を見せてしまった。
「もう人を愛したくないの…」
心からの叫び。これが本音なんだな。
「だって、面倒くさいんだもの!」

相手の些細な言動で自分の心は一喜一憂し、その度に自分の気持ちは掻き乱される。
ルンルンした良い気分になることなどホンの一瞬で、ほとんどはまるで10代の時の心細い不安な気持ちばっかりだ。
「いい年して、なんだそのザマは!」と、怒る自分がいる。
この年になれば、自分も性的な対象に見られないし、自分も相手をそんな目で見ない「ハズ」。
心がいたずらに波立つことのない平和な日々…。
それでいいじゃない? 年を取ることはいいことだ!
心が疲れるのは勘弁だ。
 
 

だけど先生は、それはそれは静かに言ったのだ。
「愛することは、止められないよ? それは一生続くよ?」
それは、厳しくもあり、優しくもあった。
きっと、それは真理なんだろう。
そういうこと、全てを受け入れろというのだろう。
抗うなというのだろう。

それは難しい。全くもって、どうしたらいいのか分からない。