心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

うらみつらみの薄れる頃。

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ちょっと前、夫が入院したのだ。
しきりに「調子悪い」と言う夫にウンザリしていたあたくしは、怒りを込めて強く検査を勧めたのだった。
病院に行った結果は、即日検査入院。

「だから今日は泊まりになるからさ」
その報告を電話で聞きながらあたくしを思ったことは、こともあろうに「今日の夕飯は一人だから、適当飯にしよう…」だった。
会社の試用期間終了直前で日々の緊張はMAXだったし、仕事に追われていたのだろう。

だけど、残業を終えて一人暗い自宅に帰った時、自分は何てバカなんだろうと思った。
明日の夫の検査は、状況次第ではそのまま手術になるのだ。
夫は「付き添いとかいらないから、普通にお仕事行ってね」と言ってたけど、冷静に考えるとそれはありえないと思った。

自分は疲れていて判断が鈍くなっている…と自分は反省した。
翌朝、会社に電話一本入れて、急遽仕事を代わってもらい、検査に立ち会った。
とはいえ、自分はただ廊下のベンチに座って待つだけで、何もすることはないのだ。

検査は45分程度とのことだったが、いつまで経っても出てこない。
ああ、手術に突入だな、とボンヤリ思った。
カテーテルを使った施術だから、検査と手術の境界は曖昧に思える。
しかし、こういう時、ドラマなら医師か看護婦が出てきて家族に状況を教えてくれるものなのだが…と思いながら、悶々としながら手術室の前で待つ。

夫の検査&手術は3時間半も要したのだ。
彼は、意識こそハッキリしていたけれど、顔は真っ青で心臓カテーテルを挿入していた片腕の周辺は血まみれだった。

 

 

手術は「不成功」、と医師が見せてくれた書類に書いてあった(これ、ある意味、凄くないか?)。
ま〜いろいろやったけど、ダメだったのよ、お薬で様子みましょうということなのだ。
この言いにくいことを、互いにしょっぱい顔にならないよう、医師は感情をできるだけ込めないよう、微笑みさえ浮かべて伝えている。

それから夫は少しだけ変わった。
物事には限りがあると悟ったようだ。
彼は、薬の副作用で、すぐに青タンだらけになる自分の身体を、今までになく愛おしむ。

そして自分も悟ったのだ。
どんなに深い執着もいつか終わりが来るんだなぁ、と。

あれだけツラツラと夫への不満や恨み心をこのブログにまで書き連ねてきたのに、自分はもう「それは、もう、どうでもいいや」とか思ってしまっている。
それは、自分にとっては楽になることなのだけど、そこには寂しさが付きまとう。
こだわりを捨てたら、それはもう自分ではなくなると思っていたのに、相変わらず自分は自分でしかありえないし(笑)。

それに気が付いた時の、拍子抜けしたような、虚しいような、気持ち。

 

 

これらのことを話す、カウンセリングルームの儚さも、何もかもが夢の様でもある。
お金払ってるから、先生はあたくしの話を聞いてくれて当然! とか思っていたけど、今はなんだか違うような気がする。
何しろ、トラウマ治療から始まった自身のカウンセリングは、今は随分と変貌してしまった。

もう、カウンセラーに対して狂おしいほどの恋心は抱いていないし、お父さんやお母さんの代わりでもない。
架空の兄や理想の上司でもない。

先生は、あたくしに問いかけた。
「人のことばかりでなく、ちゃんと自分のことを考えられている?」
「自分のことを大切にできている?」

先生は「自分のやりたいことを忘れちゃダメだよ」と言う。
自分を癒す時間や、自分の夢、それからそれを実現させるための時間を、先生は大切にして欲しいと言うけれど、今のあたくしには難しい。
自分以外の、夫や仕事に関わる人々のことで頭がいっぱいいっぱいで、毎日全速力なのに全然間に合ってなくて、ちょっと諦めモードなんだよ。

ふと、思い付いたように、先生は、自身のこの夏休みの思い出を語ってくれた。
イルカがどのようにして疲れずに泳ぎ続けられるのか…そんな先生のおしゃべりをボンヤリと聞きながら、あたくしはリュック・ベッソンの映画、『グラン・ブルー』を懐かしく思い出していた。

「僕が手伝えることがあったら、何だってするから、夢を諦めないで」

先生が、あたくしのことで手伝えることは限られているんだけどさ、その気持ちは嬉しいよね?

誰も彼も、自分に繋がる全員に、あたくしは言いたい。
そのままでいいから、どうかずっと側にいて。

 

※愛と執着と狂気を扱った映画だと思うのだけれど、音楽と映像が美しくて、何故だか癒される不思議な映画。20代の頃、一時は毎晩このサントラを聴いて就寝してました。VHSビデオ版は持っていたけれど、引越しの際に処分してしまった。DVDでまた観たくなりました…。