心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

地雷を踏む。

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初の苦情を受けた。
この仕事をしていれば、いつかは来るものだと覚悟していたが…
とても凹んだ。
 
相手にとってはあたくしの掛けた何気ない言葉が、
「ウザったく」「慣れなれしく」「失礼」に感じたそうだ。
 
この仕事は、誰からも敵意を持たれずにやり過ごすのは不可能だ。
今回みたいに悪気なく発した言葉が逆鱗に触れることもあるだろうし、言わなきゃいけないことは、見過ごさずに言わなきゃいけない時もある。
 
苦情の主は、有名なクレーマーだそうだ。
その方は、気分の振れ幅が激しく、人の意見に左右されやすく、ささいなことですぐに具合が悪くなってしまう。
そうして、自分を不安定にしているのが、実は自分の世界の捉え方によるものなのだと、その人は気付かない。
どうして周囲の人は誰も彼も自分の気に触ることをしてくるのだろう? と苦しんでいる。
そう、その人が、そのことに一番苦しんでいる。
 
傍目から見ると、本格的なカウンセリングを受ければいいだろうな、と思う。
半端なカウンセラーではダメで、一緒に血みどろになってやり合ってくれるようなタフネスな人じゃないとダメだろう。
そうして本当は心理療法の心得がある医師の方が良いだろう。
 
恐らく、その人を受け入れてくれる人に巡り合うのは大変難しいことだと思う。
でも、その人の気持ちの浮き沈みは、薬物やサプリメント、ヨガや様々な哲学、手仕事系の趣味、恋愛などでは癒し切れない。根本を解決するには至らないだろう。
 
上司からは、そういうのは医療の分野であるから、こちらとしてはどうにもできない、と言われた。
医師が判断して本人に勧めるか、本人が自身の病の深さを自覚して向き合う決心ができなければ、その人はこの先もずっと生き辛さを感じ続けるのだろう。
 
「反省してもいいけど、事故みたいなものだから、あまり気落ちしないでね」
と、上司からはご指導を賜った。
それは、自分へのいたわりの言葉だろう。
だけど、事故であろうが過失だろうが、車に当たったら、痛い。
痛いのですよ。
 
 
 
あたくしが今の先生のカウンセリングを受け始めた頃のことを思い出した。
自分も、前回のカウンセリングのことをほじくり返して「先生のあの言い方には傷ついた」と憤っていた。
それから更に次のカウンセリングで「前回のあれは、怒りすぎて、すいませんでした」と謝ったりした。
 
そうなの。そのクレーマーにかつての自分を見てしまったのだ。
その時の自分も、いつからか、どうしてあたくしの行く先々に嫌な奴が出現するようになったのだろうと悩んでた。
みんな、ちっとも自分の辛さを理解してくれないと、怒っていた。
 
自分の場合は、それらの感情の浮き沈みを、カウンセラーとの関係性の中で解決していけたのが良かったんだろうな。
先生は、あたくしの憤りに「それは悪かったね」と謝った後で「でもぼくは、あなたが教えてくれない限り、あなたが何に怒るのかは知らない」と言った。
あたくしの謝罪には「あなたは、いつもそんな風にいつまでも過ぎたことを考える癖があるのか?」と、問うた。
 
それらの先生の言葉は、あたくしの心の奥に沈んでいって、そこに昔から存在する沈殿物に化学変化を引き起こした。
 
苦情の主が、第三者ではなく、あたくしに直に不満を言えたなら、それは何かが変わる瞬間なんだろう。
もちろん、それにはもう少し信頼関係を築く時間が必要だけれども。
そうして、そんな日が来るのかさえも分からない。
 
カウンセラーの先生には「あなたの言葉なんかより、ずっと凄いのをいつも投げかけられているから、僕は平気だよ」と前置きされ、「もっと思いっきり言っちゃっていいよ?」と言われたことがある。
 
「えっ、嫌ですよ! そんなの落ち込まないですか?」
あたくしは、あからさまに怒りを表現することへの恥ずかしさと、それを受けた時の相手の痛みを我が事のように感じて先生に問いかけたことがある。
「うん、そのうちに、そんなに感じなくなる。あ〜また来たなぁ〜って感じで」
そこには、何やら解離的なニュアンスが感じられて、むしろ抵抗感を覚えたのだ。
感じなくなるなんて、怖いな、と咄嗟に感じてしまった。
 
でもそれは、もちろんそんな意味ではなく、「いつしか君もそんな風に、他人の言葉に強くなる」といったニュアンスであったので、当時の自分にはにわかに信じ難かった。
たしかに感じてはいるのに、辛くなくなるってどういうことなんだろう?
 
「ものすごい肩コリの時に揉むと、痛いでしょう? でもそのうちに気持ち良くなるでしょう?」
イタ気持ちいいっての?
そんな感じ、と先生はおっしゃった。
この痛みは生きている証、というやつか?
生きている痛みを慈しめるようになったら、怖いものが減るんだろう。
 
 
 
某クレームの主には謝罪の必要があるのか、上司や先輩に聞いたのだ。
「それにとらわれないで、普通にしてて」とのことだった。
そういう人には決して振り回されないことが、大切なのだと。
 
2、3日はそのことでモヤモヤし、自分を責めたり、相手を恨めしく思ったり、嫌な気持ちが続いたが、やはりその気持ちも、ゴロゴロと彼方へと転がり小さくなりつつある。
何しろ、職場ではいろんなことがあるのだ。
というか、自分的には失敗ばかりなのだ!(笑)
 
いや、いやいや、それは極端だな。
もちろん、あたくしが、そこにいるだけで仕事になっていることがたくさんある。
時には「ありがとうございます」と言われることもある。
あたくしの「それでいいんだよ〜」の言葉にホッとした顔を見せてくれる人がいる。
 
そんなんでいいんだ、必要以上に疲れるな。
だって、夏は暑く、エアコンの効いた部屋は必要以上に寒く、ただでさえ体調崩しそうなんだもの。
皆様、ご自愛を。
完璧でない、暑さ寒さにさえ超デリケートな、この人間という繊細な存在を愛しましょう。