心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

幻の先生と出社。

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早いもので、働き始めて1ヶ月が経過いたしました。
緊張が解けたのか、月末の金曜日の夕方あたりからにわかに背筋がゾクゾクし始めた。
この感覚は体温計で測らなくても解るぞ、38度越え、だ!
震えながら家に帰り、30度を超える部屋の中でセーターを着込み、日本酒とカマンベールチーズという超偏食な夕飯を摂り、あたくしは力尽きてひっくり返ったのだった。
 
 
 
働き始めて最初の2週間、慣れない職場に向かう漠然とした不安と戦うために、実はカウンセラーの先生のお力を勝手に拝借していた。
オフィスのある建物に着くと、まずトイレに駆け込む。
そこで、自分はカウンセラーの先生に背負ってもらっているところをイメージする。
 
あたくしは透明な先生に負ぶってもらっているけど、職場の同僚にはあたくしが一人でオフィスに入って来ているように見えている感じだ。
かなりヤバイ妄想だと思うのだけど、「これは誰にも迷惑かけてない、かけてない」と自分に言い聞かせて幻の先生におすがりしていた。
最初は、そういうややこやしいことをして、ようやく職場の皆さんに元気で「おはようございます」が言えたのだった。
 
先生の幻は、自分が職場に慣れるに従って遠ざかり、ある時、先生がどこにいらっしゃるのか探すと、もう声も届かないような彼方におり、孫悟空みたいに雲の上に乗っかって「ちゃんとここで見ているよ〜!」と手を振っていた。←これも妄想だけど(笑)。
そうして、先生は妄想の中からも消え、見えなくなってしまった。
 
そのことを、前回のカウンセリングの時間にお恥ずかしながらカミングアウトすると、「僕を如何様に使っていただいても構わないですよ」と笑いながらおっしゃった。
まぁ、妄想の中だからな(笑)。
 
 
 
仕事を始めてからは、カウンセリングの時間の話題がガラリと変わった。
過去の話は一切しなくなった。話題はここ2週間のことだけ。
あれだけ「話しきれない!」と思っていた過去の想いは、優先順位の低いファイルを入れる方に突っ込まれてしまった。
人は一度にいろいろなことを考えられるものではないのだろう。
少なくとも自分はそんなに器用な人間ではなく、目の前のことに翻弄されてしまう人間なんだろう。
本当はもっと自分自身のことを話し続けたい気がするのに、仕事の話題が多くなった。
 
お仕事では、あたくしも先生のようなやり方で人に寄り添いたい。
だけど、今の自分は未熟すぎて、覚えなくてはいけないことも多いし、上司先輩から指示されたことをこなさなくてはいけないし、なにしろ元来トロくさい。
これでいいのかな?とか、こんなの自分はヤダなぁとか、毎日モヤっとすることがたくさんある。
あたくしは、どこまで行けるでしょうか? いつまでこのお仕事続くでしょうか?
胸が痛いです。痛いです。
 
いつもながら、くどくど、長々、ダラダラと話したあたくしへの先生のアドバイスは二つだけ。
「たくさん寝て、果物を食べなさい」
(笑)(笑)(笑)
そうですね、そうですね。
まるで(幻の)郷里の父のような温かい言葉。
あたくしは愚直に早寝早起きを心掛け、朝食には果物を欠かさないようにしている。
 
今のあたくしにはもう、若くて元気な頃のように、勢いで物事を推し進めることはできないのだ。
着実に小さなものを積んでいくことしかできないし、それでいいのだ。
「人の期待に応えようとしなくていい。ただそこに居るだけでいいんだよ」と、先生がおっしゃる。
 
 
 
本当は、もっと早くページをめくって、どんな世界が広がっているのか、先を読み進みたいのだ。
でも現実の自分は、悲しいことに過剰な情報のインプットにいとも簡単に発熱してしまう脆弱な心身しか持ちあわせていない。
 
もっと自分の知力体力にキャパシティがあったなら、本当はずっと前からフォーカシングに興味があって、本格的に勉強したかったのだ。
お仕事を始めたばかりの時、「実はフォーカシングについてもっと知りたいんですが…」と、何気を装って先生に聞いてみたことがある。
 
「え〜まだ、早いよ」
先生からは即座に却下されてしまった。
「今はまだ早いよ。もっと後がいいよ」
あたくしは、EMDRもそうやって延ばし延ばしになって、結局一度も体験できなかったことを思い出した。
フォーカシングもきっと、先生があたくしに必要ないと判断したら、教えてはもらえないのではないだろうなぁ…そうボンヤリ思った。
 
でも、その時はガックリした感じとかは微塵もなく、そうだよな〜早いよな〜せっかちだな自分、という感じ。
そうしてそれよりも、そのやりとりを通じて自分の中に生まれたちょっとした違和感の方に気を取られてそれを注視していた。
何なんだ、この感覚、決して嫌な感じでなく、懐かしいような、甘酸っぱいような感覚?
 
その日、カウンセリングルームを出て、傾きかけた陽にギラギラ照りつけられながら駅に向かって歩き出した時、あたくしは先ほどの感覚の正体を探し当てた。
 
あたくしは先生に“おねだり”したのだ。
 
先生の使う魔法の秘密を知りたいよぉと、幼稚園児の様に媚態でもっておねだりしたのだ。
(フォーカシングの技術は決して魔法ではないのだけれど)
早く先生のようになりたいと、軽くワガママを言ったのだ。
頑張って不安と戦いながら働いているあたくしに、ご褒美いただけません?と思ってしまったのだ。
 
先生は「ただそこに居るだけでいいんだよ」と言ってくださっているのに。
しょうもねえ甘えん坊だな自分!
 
人に甘えておねだりするなんてことが、あまりにも久々だったので、あたくしは懐かしさを覚えたのだ。
その無防備に求める心に甘酸っぱさを感じたのだ。
 
 
 
さぁて、明日からまた会社に行く。
微熱は残っているけど、なんとかなりそうだ。
いつまで続くのか不安はあるけれど、この日々が、あたくしが望んでいたことであり、奇跡であり、ご褒美なんだ。