心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

ボルダリング。

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ボルダリングを始めたのだ。
あの、壁に取り付けられた色とりどりのプラスチックの岩を登っていくやつね。
ずっと前からやってみたかったんだけど、なかなかその機会がなかった。
でも、ずっと願い続けていれば、風が向いてくるものなんだな。
 
ボルダリングは筋力勝負のスポーツと思っていたのだけれど、実際やってみるとそうではないらしいことに気付いた。
腕の筋肉だけ使っていると、筋肉疲労ですぐに手がプルプルになってしまい1時間と持たない。
子供の方が、ずっと上手だ。大人の上手い人も、決して筋骨隆々という感じではない。
あれは体重移動を使ったバランス芸なのだ。
 
単純にガシガシ登っていけば良いわけではなく、スタートとゴールの岩、そこまでに行き着くのに使って良い岩が決まっているのがこの遊びの醍醐味だ。足は自由にどこの岩でも足場にして良い場合と、これも決められている場合がある。
ゴールの高さは初心者だと3メートル程度に設定されている。ちょっと怖いかも…程度の高さ。
下にはフカフカのマットがあるので、途中で力尽きて落ちても大怪我をすることはない。
 
壁にへばり着いている間、余計な事は一切考えず(考えられないで)自分の身体のことだけに集中できるのが素晴らしい。
なんというかマインドフルネス瞑想につながる境地が広がる。
そうして、ゴールにたどり着き、無事に降りてきた達成感と爽快感!
人間とは、なんと面白い遊びを考えるのであろう…。
 
見ている小学生に「その隣の岩に足をおいた方がいいよ」とか、教えてもらいながら、妙齢女性はいつになく必死になるのだ。
多分、お仕事の時より、必死になっているのだ。それは楽しい。
 
 
 
現在のお仕事をするにあたって、仕事上の疑問点やモヤっとしたことは、できるかぎりその日のうちに職場の人に質問なり相談なりして、次の日に持ち越さないようにしている。
 
現在の職場は何重にも相談できる仕組みがあり、当事者に言いにくいことは、さらにその上に気軽に相談できるように整えられている。あとは自分の勇気だけだ。
今度の職場では安易に「大丈夫です」と言わないように心掛けている。
 
そして、週末や休日は意識的にストレス解消に繋がることを行うようにしている。
休日はスポーツ…ボルダリングもその一つだし、走ったりとかお散歩とか、とにかく身体を動かすようにしたり、1日中眠りこけたり、友人と食事をしたり飲んで少しばかりはっちゃけたり。
そうして、カウンセリングもね。
 
そんな風に、とても気をつけていたのだけれど、週末に久々に会う知人と食事をした時、意見の相違から軽い口論になってしまった。
相手は、自分でも「知らずに意地悪な物言いになってしまう」と言っていたけれど、たしかにそんな態度だった。
あたくしはそれを上手く流すこともできずに、相手から「なんだあんた、仕事では人の相談乗っているくせに幼稚だな」と言われたのをトドメに爆発してしまった。
 
「ばかやろう! そりゃあ仕事だから必死にやってるんだよ!
 普段のわたしは幼稚です!」
口論は収束したが、あたくしは怒りのあまり、その後は大人気なく貝のように口を閉ざしてしまった。
そうして、この一週間、週末を楽しみに必死に仕事をしたのに、ガックリとして家路に着いた。
 
 
 
…そういう話、あたくしが怒った話を、カウンセラーの先生は本当にワクワクした顔で楽しそうに聞く。
なんでやねん(なぜか関西弁)。
 
でも、今日の自分は、カウンセリングで愚痴を垂れたくてこうした話をしたのではないのだ。
「あのですね。気付いたことがありまして、それをお伝えしたかったのです」
 
これまでは、人と喧嘩をしてしまうと、自分はいつまでも根に持っていた。
怒りを抑えられない自分を恥じたり、次にその人に会うのを恐れる気持ちもあった。
そのことはいつまでも自分の傍らに居座り、ずうっと嫌な気持ちにさせ続けたのだ。
 
相手は案外すぐに忘れてしまっているかもしれないし、こうしている間にも相手の人間そのものが刻々と変わっていくだろう。
でも、自分は忘れられない。自分だけ変われずに、ずっと怒っている。
それが、自分が執念深く、了見が狭く、器の小さな人間の証の様で、これがまた自分を責め、嫌な気持ちにさせていた。
 
その嫌な気持ちが、今回は3日しか持たなかったのだ!
その後は、その嫌な出来事が、急流に流されてゴロンゴロンと流されていく石のように、日々次第に遠ざかっていくのを不思議な気持ちで感じていた。
「時間が流れていることを、ちゃんと感じられたのですよ」
そのことに気がついたのは、喧嘩した日からさらに一週間経った、仕事帰りの電車の中だった。
あたくしは喜びのあまり落涙をした。
 
それからもう一つ、先生には伝えたいことがあった。
「あのですね、実は、ボルダリング、夫も乗り気なんですよ。
 これまで、ハイキングに連れ出したり、一緒に走ろうと誘った時も、ただ辛そうにしたいたのに、ボルダリングは楽しいんですって。
 ボルダリングが夫婦初の共通言語になりそうです」
 
先日の知人との口論では、こんなやり取りもあったんだ。
「なんだよ、夫とうまくいってないとか、離婚した俺からしたら“ノロケ”なんだよ!」
「そんなこと言ったら、あんたの子どもの話だって“ただの親バカ”でしょう?」
あたくしは、人の悩みってえのは相手への共感がなければ、自分の視点からしか見れないもんなんだと力説したんだっけ(「あんたの言っていることは難しすぎる」と却下されたんだけど…泣)。
 
でも、ボルダリングの件なら“ノロケ”と言われても否定はしないだろう。
これは自分でも嬉しいし、他人からも羨ましいと思ってもらいたい出来事なのだから。