心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

先生、ヘルプミー!

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カウンセラーの先生に助けを求めてしまった。
 
ゴールデンウィークを挟んでいるので、カウンセリングのスケジュールは変則的だった。
次のカウンセリングはまだ2週間も先。
 
いや、スケジュールを決めた時は、もちろん大丈夫だと思ったのだ。
最近のあたくしの精神状態は悪くないし、何かあっても自分で乗り越えられそう。
そう思っていたのだけれど…ひとたび激しい葛藤と混乱に襲われるともうダメだった。
 
とりあえず、周囲の友人にそれとなく相談したりする。
そうして、一人でいろんな角度から検討してみたり、発想の転換を試みる。
ネットを検索しまくり、答えを求めていたこともあるけれど、そこには答えがないことはもう知っている。
答えは自分の心の中にあるのだ。
 
だけど、その答えは違和感としてしか感じることができない。
その違和感が何を訴えているのか、自分には分からない。
自分の中に、泣き叫ぶ赤子を抱えているのだ。
泣き叫んでいるのは分かるけれど、自分の心が何故そんなに泣き叫ぶのかは分からない。
自分の心に対して、オムツなのかミルクなのか? と、新米ママみたいにオロオロする。
 
これまでなら、自分はそれを半錠のアルプラゾラムで鎮火してきた。
だけど、今回の辛さは、何だかそこに逃げ込もうという気持ちにはならない。
じっと、自分の違和感を見つめている。
この、誰かに傷つけられた時のようなヒリヒリとした感じは何なんだ?
 
 
 
カウンセラーの顔が思い浮かぶと、少しホッとして涙目になる。
そうだ、そうだ、と、あたくしはカウンセリングを想定して手紙を書いてみる。
この違和感は、あたくしはこういう理由だと思うんですよきっと…みたいなの。
そのバーチャルお手紙は、みるみる綴られて、結構な長文になってしまった。
 
困ったことに、こうして形にしてみると、何だかリアルに出してみたくなってきた。
 
いや、それはいかんよな。それはいかん。
先生のメールアドレスは、あくまでも連絡用として存在しているのだ。
でも、もしかしたら、先生に投げかけるだけで、自分は安心するかも知れない。
お返事はいらないから読んで欲しいって、メールしてしまおうか?
 
考えあぐねて、恐る恐る予告メールを出す。
ここに至った経緯に加え、これから長文メールを送ろうとしていること、見てもらえるだけで安心できそうなこと、などなど…。
 
週末の夜というのに、先生からは驚くほど早く返事が届いた。
「全てはカウンセリングルームで進めた方がいいですよ」と面接の提案が書かれていた。
そうだね、それがいい。何よりも先生がタダ働きしなくていい(笑)。
愚かにも、自分は次の面接までの間、何とか自分を誤魔化してやり過ごすことばかり考えて、臨時の面接をお願いする発想が思い浮かばなかったのだ。
 
映画『普通の人々』で、友人の自殺を知った主人公が取り乱し、カウンセラーに助けを求めるシーンを思い出した。
それから、以前、先生にその映画のことを「ご存知?」と話したときに、「知らないなぁ〜」と1ミリの興味もなさそうに答えた先生の間の抜けた顔を思い出す。
先生は、あたくしが理想とするカウンセラー像のことなんか知らないけれど、ちゃんとその理想をなぞっているのだ。
 
 
 
今回の自分の葛藤や混乱や違和感は、友人の死のような大きな出来事などではなくて、ほんのささいな日常のつまづきだから、そんな弱い自分に途方にくれる。
今まで、もっと大変なことだって自分一人で切り抜けたことがあるのに、ひとたび病んでからは、どうしてこんなに弱くなったのか?
違和感に包まれると、何もかもすっかり混乱して、簡単なことも決められなくなる。
これから、たくさんの矛盾がある世の中に、あたくしは戻っていけるのかなぁ?
ささいなことに傷ついたり困惑したり、いちいち憤っていては、神経が持たないのに。
 
当日、カウンセリングルームに出かけると、チャイムを鳴らしても返答がない。
不安に駆られてメールをチェックすると「予定が少し押してしまったから、待ってて!」と入っていた。
入り口でボンヤリと待つ間、「もう、泣きそう」と思う。
先生の顔を見たら、安心してワアッと泣き出しそう。
そうして、泣きながら「あのね、あのね…」と自分の混乱を先生にぶつけそうだ。
 
だけど、急ぎ足で現れた先生を目にしたら、自分は必死に謝っている。
「あっ、あの、すいません、もう少し一人で頑張れるかと思ったんですけど、ダメでした…」
先生はお部屋の鍵を開けて、「さあ、どうぞ」とあたくしをいざないながら、言った。
「いいのいいの、ここはそういう場所だから」