心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

腎臓を温める。

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自分的には、カウンセリングと気功はとても被る部分があって、カウンセリングが面白くなってきた頃から、次第に気功のレッスンからは遠のいてしまった。
どうやら、あたくしにとっての先生は一人で充分らしい。
 
気功の先生は、人の気を見る際は「ちゃんとその人に挨拶をして、玄関で靴を脱いで、静かにその人の中に入るように」と言っていた。
下手な人は、バアンと乱暴にドアを開けて、土足でドタドタ入り込むが如く、こちらの心の準備もおかまいなしに、乱暴に気を送るという。
そうでなくって、ソっとね、と気功の先生は何度も繰り返していた。
凡人のあたくしにとっては「なんのこっちゃ?」だったのだけど。
 
しかし、カウンセリングであれば、その例えは非常に腑に落ちるのだ。
あたくしのカウンセラーの先生は、とても礼儀正しい。
驚かせないように、静かに入ってくる感じがよく分かる。
何でも最初に「◯◯していい?」と、こちらの許可を求めてくれる。
「メモを取っていい?」とか「もっと詳しく聞いてもいい?」とか。
そうして気が付いたら、心のリビングの中央に鎮座しているのだけど…。
 
 
 
今日は、身体の痛みの話になった。
あたくしは、ここ5年程、ずうっと身体がガッチガチだ。
パニック発作が起こりにくくなり、予期不安も随分マイルドになった頃から、その苦痛を補うように身体が硬く痛むようになった。
イメージ的には、炙られたスルメが縮んでグルンと丸まる感じ。
マッサージに行って身体を伸ばしてもらったりすると、意外に自分の身体は柔らかいそうだ。
…なのだけど、マッサージの帰り道にはもう、あれほど揉みほぐしてもらった背中の筋肉がピキピキと硬直していくのを感じる。
自分の中の何かが、常に身体を緊張させ強張らせてようと頑張っているのだ。
 
「どこが痛い感じですか?」とカウンセラーの先生が聞いてくる。
以前「身体がガチガチです」と訴えたところ、「湯船に浸かってよく温まりなよ」と親戚のオジさんのようなアドバイスをいただいたことがあるので、特に期待はせずにあたくしは取り止めもなく答える。
「心臓の後ろが痛い。そこが痛くなかったら、心臓がもっと楽になりそうなのに…」とか
「あ! あと腎臓の辺り、硬いですね〜 バンバン叩いたりします」とか。
 
そうしたら、腎臓という言葉に先生が反応した。
何でも、腎臓のあたりに手を当てて温めるのが、癒し業界のトレンドらしい。
それがストレス軽減に繋がるんだとか。
「本当に効くかどうか分かんないけどさ」と先生があはっ、と笑う。
ほらやっぱり、親戚のオジさん的な会話だわ、と思いつつも、自分は両の手を後ろに回して腎臓の辺りに当ててみる。
やっぱり似ているな、気功とカウンセリング。
気功でも、腎臓は生命の泉がある大切な場所とされていて、やはり手を当ててナデナデしなさいと言われたりする。
 
自分の手は、ヒンヤリとして冷たかった。
「…なんか、腎臓が寒い〜と言ってます」
あまりにも手が冷え冷えとしていて、腎臓がキュッと身を縮こまらせたのが分かった。
「ええ? そのうちに温かくなってきませんか?」と先生は聞く。
「ならない」
 
「自分の手、すごく冷たいから…」と、子どもがピアノを弾くような感じで、あたくしは両手を先生の前に差し出した。
先生は「ちょっと…いいですか?」と前置きして、右の手のひらを自分の左手の甲の上にソっと重ねた。
「!」
 
「本当だ、冷たい。僕の手、温かいでしょう?」
先生はそんなことも、どこか自慢気に言う(笑)。
すっかり忘れてたけど、先生はボディワークの先生でもありクライエントに触れる人なんである。
あたくしはカウンセラーは絶対にクライエントには触れないと思い込んでいたので、虚を突かれた。
 
 
 
実は前から先生の手がとても温かいことを知っている。
 
いつだったか帰り際にカウンセリングの代金をお支払いする時、ウッカリ手に触れてしまったことがあるのだ。
最初に温度が接近してきて、指先自体が触れたのは瞬きほどの時間だったと思う。
自分はそんなことも、潔癖な女子学生のように罪深く考えていた。
 
「ホントだ、先生の手から何か出てるね!」
「何にも出してないって(笑)」
手を離すと、そのぬくもりは淡雪のように消えていく。
 
実は陽性転移が最も激しかった頃、帰り際に先生にカウンセリング代をお支払いする時、その手を掴んで思い切り引っ張りたい誘惑に、何度も駆られていた。
きっと先生は驚いて手を素早く振り払うだろうし、自分はそれでとても冷静になれるだろう。
いや、冷静になるどころか、ムキになって力いっぱい腕にしがみ付くかもしれないな、と心配もしていた(全てのカウンセラーはこの辺のリスクに対し、どのように心得ているんだろう?)。
 
だけど、そういう試みをしないで済んで良かったなぁ、とホッとしていたのだ。
自分から信頼関係をぶち壊すような真似をしなくて良かった。
相手の誠実さを疑って、試すようなことをしなくて良かった。
 
その後、話は「痛いところばかり見つめないで、心地よいところにも目を向けるように」といった重要な…この日のカウンセリングの最も大切なアドバイスに繋がるのだけど、自分はハイハイと聞きながらも、ずっと先ほどの出来事の儚さを考えていたように思う。
 
先生に触れることがあるとすれば、このカウンセリングが最終回を迎える時の別れの握手だろうと思っていたのだ。
その時しかチャンスはない! と思い込んでいたのですよ(笑)。
妄想なんかは絶対その通りにならないのだから、そんな先のこと考えなきゃいいのになぁ!
 
そうして、この、人のぬくもりを求める気持ちは、どちらに流していけば健全と言えるのだろう?