「共感」に対しての答えは出ているらしい。
意味もなく疲れているのか、風邪でもないのに週末は身体が怠くて寝たり起きたりしてウダウダと過ごしてしまった。
そんな時はいくらでも眠れるのだけど、とてもリアルな夢を何本も見て怖くなる。
夢の中の世界の方が本当の世界のように思える恐怖心。
濃い紅茶を飲んで、これ以上眠気が来ないようにして読書する。
そうしてやっと読了した本。
『共感と自己愛の心理臨床』安村直己 著
専門書なのだ。だから半分くらいしか理解できなかったと思う。
だけど、あたくしにとっては面白い本だった。
すごく感動し、変な話だけど、読みながら何度も泣けてくる箇所があった。
何だか、自分のカウンセリング体験に重なるところがあったのだな。
自分がカウンセリングで体験している不思議な感覚が偶然の産物ではなく、ある程度理論的に説明がつく、というのはあたくしにとっては何だかホッとしたのだ。
カウンセリング入門者はまず、「来談者中心療法(傾聴)」を学ぶのだと思う。
とりあえず、「認知行動療法」は置いておくとして。
「来談者中心療法(傾聴)」はアメリカ、学者によって生まれたカウンセリング手法であり、助言は行うものの、基本的には非指示的(見守り型といえるかな?)。
だから素人的には「“共感”よりも情報収集! カウンセラーが分析して教えてあげて、どんどん気が付かせて変容を促そうぜ!」というのが「精神分析」で、「いや〜“共感”して聞いてあげれば、自ずと気付きがあり、良い変化が起こるんだよね〜♪」というのが「来談者中心療法(傾聴)」と捉えてきた。
“共感”に対する態度が真逆のように感じられるから、「実際のカウンセリングではこの双方のアプローチは上手く使い分けて行われている」と聞いてもピンとこなかったのね。
“共感”にまつわるその辺の疑問が『共感と自己愛の心理臨床』を読むと氷解する。
要するに、今の「精神分析」は“共感”に対して積極的なのがナウ、ってことです(表現古いけど)。
“共感”に関しては、「精神分析」も現在はその必要性を認めているのだ。
精神分析の層は厚く、有能な人が集まるところにはやはり、それまでの秩序を良い意味で崩す人が現れるのだ。
その名はハインツ・コフートさん。
「自己心理学」的アプローチは積極的に“共感”しようと試みる。
理由は明快、そうした方が「精神分析」のためのデータを収集しやすいから!
「来談者中心療法」の一派からしてみたら「そんな不純な動機で“共感”しないでっ! 共感するだけでクライエントは変わるんだから。プンプン!」なんだろうけど。
そういう訳で、今は精神分析の一派もクライエントの共感のためなら、今まではあり得なかったようなホットな自己開示もあり、と考えられるのだ。
そういう訳で、今は精神分析の方も「極力、クライエントには自分の情報は与えない」そうして「クライエントの心を映し出す白いスクリーンのような自分を目指す」…そんな不可能なことにトライしなくてもOKな時代になっているのだ。
ともあれ、個人的には安心しました!
ご自身のことは何も語ろうとしないカウンセラーは、あたくし非常に苦手なので。
そして、「自己心理学」の一派は「来談者中心療法 」からもう一歩進んだ関係性を“共感”と呼ぶ。
従来の“共感”がクライエントの心に寄り添うような形であるとしたら、新しい“共感”とは、息がピッタリ合ったダンスのような感じ、二人の関係性から生まれる独自の空気感…みたいな風に捉えられている。
あ〜これこれ、この“共感〜!”って感じで、あたくしは何だかジワっとなったんです。
コフートさんは自己愛に関する研究が御専門だそうで、個人的にも興味がある分野。
翻訳本は少ないけど、さらにそのお弟子さんやらが書いた本あたりならいつか手に取れそうだ。
難解な理論を、豊富な臨床例を交え、あたくしのようなど素人にも何とか伝わるような平易な文章で本を書いていただいた、著者の先生には感謝感謝大感謝なのでした。
今回、“共感”のことばかり書いてしまいましたが、“健全な自己愛”に関する記述もたくさんあり、こちらも興味深かったです。
今回、“共感”のことばかり書いてしまいましたが、“健全な自己愛”に関する記述もたくさんあり、こちらも興味深かったです。
いつか自分のカウンセラーの先生と、この本で知った「ダンスのような“共感”」のこと、話してみたいなぁ。