心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

RICOH AUTO HALF E。

f:id:spica-suzuhazu:20180212134502j:plain

カウンセリングで先生はあたくしに執拗に説得を試みる(…されているような気がする)。

自分が考えている世界が、観念の中にしかないこと、決して現実にはそのような形で与えられないこと。
じゃあ、それを人はどう腑に落としているのか? いや、人のことはいい、自分はどのように処理すればいいのかね?
 
イライラして、やけっぱちになって、投げやりな気持ちで家出願望の話を披露した。
離婚する前の家出願望は、持って行きたい物が多すぎて、しがらみもあって、遂行を断念したこと。
だけど、最近沸き起こった家出願望は、もう持参する物も少なく、あとはしがらみだけが引き止めているということ。
 
そうしたら、先生は「持って行きたい物が多すぎた、っていうのは?」と聞いてきた。
うん、なかなかいい質問ですね?
「カメラですよ、カメラ」
 
 
 
この流れはヤバイ、嫌な予感がすると瞬時に感じた(笑)。
だって、先生の顔がパッと輝いたから。
先生、カメラの話好きそう…話を切り出す前から、そんな気がしていたから。
 
「先生は、ハーフサイズカメラというのをご存知ですか?」
要するにクラシックカメラの話で、それも、ライカとかの高級品の話ではない。
古いカメラに、フィルムの1コマに縦に2コマ撮れるようになっている「ハーフサイズカメラ」というのがある。
一時期、これをしこたま買い集めた。
 
かつて、フィルムも現像代も高価だった時代があり、カメラを庶民に身近な物にするべく、高級なカメラとはまったく違うアプローチ、シンプルな作りであったりコストパフォーマンスを追求した、試行錯誤の末に様々な形のカメラが次々と生まれた時代があったのだ。
やがてフラッシュ内蔵のコンパクトカメラや使い捨てカメラや、そうしてデジカメ全盛の時代が来て、それらは陳腐化してしまったけど。
例えば…と、往年の名機の名前を挙げる途中にも、先生の顔にワクワクとした表情が湧き出て来る。
 
「それは、どんなのなのよ?」と促されて、あたくしのクラシックカメラ愛は炸裂する!
「あのカメラはフィルムの巻き上げがゼンマイになっているの」
「露出計の電源が乾電池ではなく太陽の光で反応する仕組みになっていたりするんですよ!」
 今のデジタルカメラとは全く異なる、中は歯車だらけのアナログの塊のようなカメラが大好きなんだ!
無骨でありながら、変なところに繊細さが宿ったあのデザインが好きなんだ!
好きなんだ、好きなんだ! 愛の告白は続く。
 
先生はニコニコして頷いている。
「先生…どんなの?って聞いておいて、全部知っているんでしょう? 本当は」
人が悪いですよ、先生? とあたくしも笑ってしまって、もう、カメラ愛は止まらないんだな。
話は国産機種からドイツとかロシアのカメラにまで及んでしまう。
 
そうして、また海外のデザインというのは、国産とは違った可愛らしさがあるんですよ、と力説しているうちに、変なことを思い出した。
あるドイツ製カメラの…と言っている間に声が震えてくる。
「ピント合わせのダイヤルがあるんですけれど…被写体までのだいたいの距離を選ぶ時に…それがアイコンになってて…遠くを撮る時はお山のマークとかで…」
一瞬でお部屋の空気が変わる。
 
「その中に、家族のアイコンがあるんですよ…集合写真を撮る時に合わせる…家族の…家族の…お父さんとお母さんの間に子供がいて…みんなで手を繋いでいるです…」
家族への執着を爆発させて、あたくしはちょっと泣いてしまった。
 
 
 
今日の自分の言動は芝居がかっていなかったか?
何であんなにいい雰囲気を自分からぶち壊しにしたのか?
カウンセリングが終わってから、そのことが猛烈にモヤモヤと引っかかった。
 
あたくしのカメラコレクションは、今は押入れの中に封印してあるのだ。
そんなに買ってどうするの? というくらい集めてしまって、老後の趣味はカメラいじりをしようとか自分に言い訳していたのだ。
でも、どうやら自分には老後というものがないらしい、と最近は気付いたのだ。
ずっと、働かなきゃなあ。
 
カウンセリングで話したカメラのことが何だか非常に気になって、久々に自分のコレクションを取り出してみた。
例のドイツカメラを出してみて、ピント合わせのダイヤルのアイコンの部分を再確認してみた。
ずっと、何だかその家族のアイコンが悲しいような怖いような気がして、取り出して見る気になれないでいたのだ。
そうしたら、大体はその通りだったんだけど、ちょっと記憶とは違っていた…。
 
そのことに驚くとともに、ああ、先生にいい加減なことを言ってしまったな、更にも、あやふやな記憶に基づいて泣いてしまったな、と反省した。
そして反省しながら、自分の記憶のいい加減さに、少しホッとした。
いい加減だな、自分。
 
他に「シャッターが下りない」と書いた付箋が付いたカメラも出てきた。
過去の自分から、未来の自分へのメッセージ。
カメラいじりは老後に取っておこうと思っていたから、実は今まで一度もカメラの分解に挑戦したことがなかったのだ。
それに分解したら、そのまま壊してしまいそうで怖かった。
 
でも、何故かその晩は我慢できなかった。
精密ドライバーを探し出し、小さなネジを無くさないように大きめのお菓子の空き箱を用意して、その上でソロソロとネジを外した。
 
中を開けて見ると、バネやゼンマイがギッチリ詰まったカメラの中身がむき出しになり、中からサビのようなオガクズのような粉がちょっとこぼれた。
シャッターが下りなかったのは、長期間の放置で油が硬くなって引っかかっていたせいらしい。
その部分を指で何度か無理くり動かしているうちに、次第に動きが滑らかになり、シャッター部分は元どおりになった。
 
カメラの分解は、元に戻せなくなったり、壊してしまうことなどなく、むしろ、楽しかった。
何よりも、こんなことが、自分に無心の時間を与えてくれると知ったのは、収穫だった。
そうして、カメラの分解は怖くないのは分かったけれど、自分はこれからクラカメオバさんになるのか?と、ちょっと怖くなった(笑)。