心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

カウンセリング恐い。

f:id:spica-suzuhazu:20180209075756j:plain

う〜ん、もうすぐカウンセリングの日が近づいているんだけど、ちょっと困ってる。
こんな気持ち初めてなんだけど、なんか恐いんだよね。
それまでは「あと◯日でカウンセリングだ〜♪」と指折り数える勢いで、あれ話そう、これ話そうと、どちらかというと、ワクワクしていたのだ。
 
いくら先生好きっていってもさぁそれもどうだかね、と思うけれども、尻込みするというのも変だ。
あたくしのカウンセリングは誰かに無理くり行かされている訳でもないのに。
そうして、先生は1ミリも変わってないのに、急に恐くなるなんて。
 
何が起きたのかわからないけれど、変わったのは自分だ。
また、考えすぎて、いろいろ恐くなってしまったのだろうか。
先生はよく
「ハイハイ、あなたが頭イイのはよく分かったからさぁ」
とあたくしのことを笑うのであるが、それはもちろん揶揄(やゆ)である。
考えすぎということ。
今のあたくしは、不安の塊だ。
 
 
 
塊という訳だからいろんな不安があって、その集合体が恐いのだけど、その中でも大きな不安が二つある。
一つは、カウンセラーの先生の前で、落ち着いて話ができるかどうかの不安。
 
何となく、ささいなことで感情が爆発しそうな感じなのだ。
例えば、笑って欲しくない時に笑われるとか、自分にとっては大切な話をしているのにそれを軽く扱われるとか。
そういうのは、いつもカウンセリング場面で起きていて、そういうのを、先生は恐らく意図的にチョイチョイ仕掛けているのだ。
想定内なのに、なんだか今はそれに非常に触発されそうな感じ。
巷でも怒りっぽいというか、ささいなことで切れる人がいるけれど、そういう人に自分がなってしまいそうな恐怖。
 
二つ目は、そういう自分の暴力性が先生を言葉で傷つけそうな、不安。
 
昔一度だけ、怒りのあまり、気付いたらすでに人を殴っていたことがある。
殴ったことに関しては、それ相応の理由があったので(暴力はいけないが)、実は後悔も反省もしていないのだけど、自分の意識をぶっ飛ばして行動が先に出るのはよくないなぁ、と思った。
あたくしは、その時に、自分の中に得体の知れない凶暴な、怒ると何をしでかすか分からない狂犬がいることに気付かされた。
それ以来、ずっとそれを強固な檻に閉じ込めている。
 
何かの手違いで、その狂犬が口先に出てきて暴れ回ったら、さすがにカウンセラーの先生はドン引きするだろうと自分は思っているのだ。
もっとも、このことは先生にも伝えてあるのだけど、先生の方はそれを狂犬なんかとは思っていない節がある。
だから引きずり出して、「ほら、やんちゃな子犬なだけだよ? 僕にとっては」と言いたいのかもしれない。
 
 
 
あたくしの怒りの表出について、カウンセラーの先生が
「ここは安全な場所だから、ここで練習すれば大丈夫だよ」
と、言っていたことを思い出した。
一度だけでなく、何度も言っていた。
 
それをあたくしは毎度毎度、「いや、難しいです」「無理です」と言い続けて逃げ回ってきたのだ。
 
思えば、先生のことを知りすぎた。
いや、本当は何も知らないのだろうけど、分かっているような気になってしまった。
カウンセリングの途中で、もし自分が我を忘れるくらい興奮してしまったら、そういう先生のディテールを捕まえて罵倒してしまうかもしれない。
それは絶対にしたくない。
先生が自分に「自分がどんな人であるか」と語ってくれた勇気と誠実さを、あたくしは最後まで尊重したい。
そこを怒りに任せて、否定したり傷つけたりしたくない。
 
自己開示が豊かなカウンセラーに関して、あたくしは初めて「困ったなぁ」と思っている。
 
ここは乗り越えなきゃいけない部分なのにな。
今まで、自分はその攻撃性を自分に向けてきたのだ。
それを緩やかに外に出せるようになれば、自分は今よりずっとずっと楽で幸せな人になれるだろう。
変わるのが恐いから、先生を言い訳に逃げようとしているだけなのかな?
 
きっと委ねることが必要なのだろう。
力を抜いて委ねた 時、誰でも身体が水に浮かぶんだ、と体感すれば、海はきっと今より怖く無くなるはず、とか。