心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

アローン・アゲイン

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およそ20年も前のこと、当時の恋人と夏休みに旅行に行った。
東京から車で琵琶湖、京都とめぐり、神戸の六甲山まで行った。
彼とは結婚するつもりで、親にも紹介していた。
 
それが今までの旅で、恐らく一番“しんどい”旅だった。
というのも、明日から夏休みに入る、というその前の晩にあたくしはレストランでワインを飲みすぎて転倒、顔面に13針もの傷を負ってしまったのだ!
 
急遽、病院まで駆けつけた彼が、「二人のメモリアルな旅行の前日に飲みすぎるなんて、何てことしてくれたんだ!」と激しく嘆いた。
すでに旅行の準備はカバンに収まり、出発を待つばかりになっていた。
そうして、「この旅行の予定は変えられない」と次の日の昼頃に琵琶湖に向けて出発したのだ。
彼の自慢の外車で。
 
額と口元に貼り付けられた大きなガーゼに加え、片方の目の周りに青黒い輪が出来ていて、自分の顔は漫画みたいだった。
ビジュアル的にはまるでドメステックバイオレンスの被害者みたいだけど、実際は自分で転んで怪我をしただけなのだ。
行く先々のホテルのフロント係は、腫れ物を扱う様な微妙な顔をしていた。
 
 
あたくしは道中、無表情を貫いた。
顔面に怪我をして初めて気がついたのだけど、人間の顔の筋肉は本当に細やかに動いて、微妙な表情を作り出している。
「え? 何?」と疑問を呈する時の表情の時は、額の筋肉が動く。
口を尖らせて不満を表現する時は、口元の筋肉が動く。
それに高速道路をブッ飛ばす車はとにかく揺れた。
痛みを表現する行為自体が痛みを伴うので、あたくしは表情を消し続けた。
 
旅のクライマックスである神戸に近づくにつれ、8歳年上の彼が次第に不機嫌になっていく。
「君は、この旅でちっとも楽しそうな顔をしないね」
「これだけ僕が、素敵な宿、素敵な場所に連れて来ているのに!」
「おまけにセックスもさせてくれない!」
よくも大人気なくここまで本音をさらけ出せるな、と思うくらい、彼は自分に正直だった。
 
「あのねぇ?」と、あたくしは言った。
「顔を13針も縫ってニコニコ笑っている人がいたらさ、バカだと思うけど!」
 
 
 
帰ってきてから、その一連の出来事を友人に話したら、
開口一番、腹立たし気に言われた。
「おまえ、そういう時に旅行なんか行くなよ!」と。
「そんなの、ありえねぇだろ? そいつおかしいよ!」
その人はあたくしにもあたくしの婚約者にも怒っていた。
 
我が事のように怒っているその人を目の当たりにして、あたくしはやっと、「これは、何やら酷いことなのかも知れない」とボンヤリ思った。
それまで何が起こったのか、自分には全く分かっていなかったのだ。
自分は確かに何かを見ないようにしていた。
そうして、見ないようにしながらも、何やらボンヤリと限界を感じていた。
 
当時のあたくしの婚約者は、数年前に相次いで両親を亡くし、莫大でもないがちょっとした遺産を相続して郊外の大きな家に一人で住んでいた。
「俺の女に相応しい結婚式をしてやる」
「ノルマンディーのモンサンミッシェルが見える場所で結婚式をする」
「俺と結婚したら、俺の車コレクションは全部君のモノでもあるということだよ?」とか妙な事ばかり言っていた。
今、思うと、彼の言葉はどれも陳腐な言葉だったけど、あれが彼にとっては愛情表現の言葉だったんだろう。
最初あたくしは、孤独に生きてきた彼に優しくしてあげたい、とか思っていた。
 
でも、旅の終わりには、それは難しいかもしれないなぁ、と思っていた。
自分の意思ではないけれども、限界が来てしまったら、なすすべがないなぁ、みたいに思っていたのだ。
 
旅行の最終日だったと思う。
神戸市内を走っている時に、カーステレオからギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」が流れてきた。
それを聞きながら、あたくしは「彼はもうすぐ一人になるんだな」とボンヤリ思った。
彼が一人になるということは、自分も一人になるということだった。
それはどうしようもない。それは仕方ない、と思いながら、「アローン・アゲイン」を聞きながら、神戸の街並みを眺めた。
 
 
 
当時、自分が必死に見ないようにしていたもの。
それは“孤独”だった。
孤独に直面しないよう、孤独に直面する事を避ける為だったら、自分の中に自然に沸き起こる感情を殺してでも、何かを見ないようにしていたのだ。
 
ずっと、自分は孤独には耐えられまい、と思い込んでいた。
今でも自分は孤独に弱く、孤独への強い恐怖心がある。
 
でもちょっと、最近、その認識が変わってきたんだよね。
 
今の自分、案外、孤独に耐えられるんじゃなかろうか?
孤独でも結構平気なんじゃないだろうか?
いやさ、もしかしたら孤独を楽しめたりとかも、できるんじゃなかろうか?
孤独は人を歪めるばかりではなく、何かを醸成させてくれたりもするんじゃないだろうか?
 
こんな言葉は、何だか人間的成長の証みたいだけれど、実は少しニュアンスが異なる。
 
単に孤独よりももっと恐ろしいことに気づいたからだ。
あたくしにとって何よりも恐ろしいこと…それは、自分の本当の気持ちに向き合うことだったんだよね?
 
そういう訳なんですよ、本当にもう、あたくしったら気付くの遅い〜!
 
…てな感じに、進んじゃっているのですが、カウンセリングまで、まだちょっと日数があるのだった。
先生、ヘルプミー!