心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

何度も「変わるな」と言われる。

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今年最後のカウンセリングが終了。
ギリギリまで「あれ言おう」「これ言おう」と考えていたのだけど、結局は今回は出たとこ勝負で行こうと決心した。
そうして、カウンセリングに来ているクセに、「今年最後だから、楽しい話にしよう」と思った。
なるべく楽しい話。泣かないで済む話題。
そうして笑って今年最後のカウンセリングを締めましょう、と。
 
いつになく、楽しい話題で盛り上がった。
好きな映画とか、音楽とか、とりとめのない最近あった出来事とか。
いつになく和やかで、平和で、いいぞ、いいぞ、いつも泣いているのは嫌だ、本当はこんな風に笑って話をしたていたいんだ、と心から思った。
 
そうして、本当に軽い感じで、先日参加した講座で傾聴のロールプレイングをしている時に「悲しい話を聞いている時に笑ってしまう」自分の癖の話に気付いた話をした。
ちゃんと辛い人の気持ちを聞ける人になりたいと思っていたのに、ショックでしたねぇ」
分かってても直せない癖って、どうしたらいいでしょうかね? 困っちゃいました、えへへ、って感じで。
 
カウンセラーの先生は「そんなのは練習すれば、そのうち出来るようになる。誰でもそうだよ?」ってなことを言ってくれるものと予想していた。
だって、その講座の講師やインストラクターは、みんなそう言ってくれたもんね。
「私たちも最初は出来なかったのよ。なかなか直せなかったのよ。でも大丈夫、何度も練習すれば、いつかきっと直るから」
 
でも、あたくしの先生はやはり、あたくしが勝手にの心の師(マスター)と呼ぶくらいの人だから、切れ味が違う。
 
すぐに「うわ、やだなぁ〜。そういうの嫌い!」と顔をしかめた。
先生はカウンセラーの表情トレーニングなんて無駄!と言いたいのですよ。
そういう時の先生は確信犯的に強く否定する。
「変えなくていいよ、そんなの」と言い放った。
 
 
 
でも、その時は「はあ?」である。
実際に、「はあ?」と言った(笑)。
「だからさ、そんなの変えようと考えなくてもいいんだよ」
何やらこのカウンセリングタイムは禅問答の様相を呈して来ているような気がする。
 
「何で悲しい話を聞いている時に笑っちゃうか、分かればそれでいいんだよ」
いや、分かるだけじゃダメでしょ、できなきゃダメでしょ? とあたくしの意識は激しく抵抗する。
「何でかって、理由は分かってますよっ! 自分が悲しい話をしている時にだって、わたしは笑ってしまっているからです」
「何故?」
「誰も自分の悲しい話なんか聞きたがらないからです」
 
あたくしは子供の頃、泣いていると親に「そうやって泣いていればいいんだよ」とよく放置された。
下の子に手がかかるのに、お姉ちゃんであるあたくしがささいなことでシクシク泣くので、母親はウンザリしていたのだろう。
でも、子供にとって「泣」は強力な武器であってもらいたい。
ある程度の年齢になれば泣くことに「恥」の感覚も出てくるし、泣くことに何のアピール力もなし、となれば、他に話を聞いて貰う方法を考えても無理はないだろう。
 
あたくしは、悲しい話も面白い話や珍しい話にアレンジすれば聞いてもらえると、どこかで覚えてしまったんだな。
そうして「人にとっては凄い話かもしれないけど、あたくしにとっては何でもないことだけど?」という風に装って、とりあえず誰かと共有したかったのだ。
これは方法としては間違っているのだろうけど、一生懸命、自分なりに適応を試みた結果だ。
そうそう、間違いに気付いたら変えなきゃいけないのでは?
 
前々々回のブログのオチとしては「正直でいるように心掛ける」だったような気が…
 
 
 
「そんなのは直そうとしなくてもいいの」
そうだ、先生は頭で考えて意図的に行動を変えようとする、そういう認知行動療法的な考えは「大嫌い」なのだ。
心を自然にしたら、行動だって自然になるだろうという考えなんだ。
 
「ここで、あなたの悲しい話をぼくが全部聞くから」
そうして、手で「お話、おいで、おいで」のジェスチャーをした。
ああ、そうなんだ、カウンセリングって、そういう場なんだ。
いきなり世界を舞台に本番やらなくてもいいように、練習する場所なんだよね。
 
「そうですか先生、実は…」
それならば…と、あたくしはその日の朝の出来事を話し出した。
 
「起きた時に今まで考えたこともなかったのに、
 何だかふと、“夫は私の病名知っているのかな?”と思ってしまって。
 いや、夫は私の病名を知らないことは既に知っているんです。
 聞かれたことも、自分から言ったこともないですから。
 
 それでもね、朝、コーヒーを煎れる時に、夫に何気なく聞いてみたの。
 “あなた、突然つかぬことを聞くけど、私の病気の名前知ってる?”って。
 そうしたら、“そう言えば、知らないな…、で、何?”って言うんです。
 
 だから、“私の病気は、全般性不安障害だよ”って伝えて、
 夫は、“全般性不安障害…”って、初めて聞くその言葉を復唱してました。
 “社会不安障害っていうのもあるけど、全般性不安障害の方だよ”って、
 そうしてご丁寧に“随分難しい名前だけどさ、病気自体はシンプルだから”って言い添えちゃったの。
 嫌味ったらしいでしょ?
 
 だって…
(カウンセリング的には、ここから本音が炸裂する部分だ)
 突然お仕事辞めてから、2年経つんですよ?
 それからカウンセリングに行きだして、程なく失敗して、
 こりゃあダメだ、自分でカウンセリング勉強しに行く!って騒ぎ出して、
 やっぱり自分で自分のカウンセリングは無理だぁ!って、また新しいカウンセラーに通い出して、
 それを全部、側で見ていて、わたしがこれだけ苦しんでいるのを知っていて、
 家族の病気が何なのか興味がないってどういうこと?
 
 アルバイトから帰ってくると、夕飯の支度してくれてたりするんです。
 でも、そこじゃない! そこじゃないんだよ、私が欲しい優しさは!って。
 多分、誰にも共感されないんですけど…」
 
傾聴講座では、こういう時には心を込めて「それはお辛いですねぇ」と言いなさい、と指導されると思う(笑)。
しかし、先生は、こういう時は大抵黙って聞いている。
それで寂しいかというとそうではなく、今日は涙も出ず、腹の中の黒い物を出し切った後のシミジミとした安堵感がやってきた。
 
「そのうち、悲しい話で笑っちゃう癖も、自然に無くなるのでしょうか?」
「うん、あなたは変わらなくていい。
 そのままのあなたが、どうやったらもっと幸せになれるか一緒に考えよう」
 
瞬殺の愛の言葉だと思うけれど、皆様はどう思われる?(笑)
 
もちろん先生はあたくしの恋人なんかではない。
我が心の師は本当に素晴らしい人なんである。
 
Merry Christmas. ちと早いけど、皆様に愛を込めて。