心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

最近、カウンセリング帰りに何だかオカシクなる話。

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カウンセリングというのは、人によって何だか転換期を迎える段階があるようだ。
その日が来た時、「あれ、何だか、今日、違う」と思った。
いつもの部屋、いつものカウンセラーの先生、相変わらず泣きべそなあたくしなのだけど、何か違ってる。
先生との距離感が変。
ブランコに乗っているように、グッと近づいたと思ったら、遠ざかるような。
 
ものすごくビックリしたのは、途中から頭がフリーズしたようになってカウンセラーの先生の話の内容が分からなくなったことだ。
その時、「あなたはさぁ…」と先生が、恐らくあたくしの核心に触れることを言い出したのだ。
 
難しい言葉を使っているとか、内容が複雑で理解できないのではない。そして、聞きたくないような辛い指摘でもない。
何が「今は聞きたくない」と心に判断させたのだろうか?
聞こえてはいるのだけど、先生の喋る言語が理解できないような分からなさだ(笑)。
 
あたくしは真剣に先生の顔、そうして口元を見つめるのけど、全く脳まで届かないし、帰ってから思い出そうとしても、ただ口元を動かす先生の映像が浮かぶばかりだった。
その日のカウンセリングが終わった時、何があった訳でもないのに、自分の疲労困ぱいは尋常じゃなかった。
 
思わず「あぁ〜〜〜疲れたぁ〜!」と声に出して脱力した。
あたくしは、疲れても普段は「大丈夫です」とかしか言わないのだけど、正直な申告内容に少し自分にビックリした。
「あ、そう?」と先生は笑った。
 
 
 
その帰り道、歩くうちに疲れは通り越して、猛烈な睡魔が襲ってきた。
最近は、晴れた日なら帰りは体力作りも兼ね1時間ほど歩いて帰ることにしているのだけど、その日は眠すぎて歩みがノロい。
一歩が30センチぐらいしか前に出ない。
 
「おいおい!」って自分にツッコミ。
猛烈な生あくびでもって涙目、やや覚束ない足取りでユラユラと歩く不審なオバさんだ。
 
そうして、せめて何とか一歩の歩幅を通常通りにしようと、自分を頑張らせようと試みる。
だけど、身体は「疲れすぎて、実は歩きたくないのです!」と激しく主張しているのだ。
「いや、歩かないと家に着かないでしょ? 歩きなさいよ! 自分」
 
頭と身体が別々になったような感じだ。
2歳くらいの子どもが、もう疲れて歩けない〜って道端グニャグニャして、お母さんが「ほれほれ」と手を引っ張っている感じだ。
あたくしの場合は、それが一人二役なのだが。
 
自分の身体を自分の頭は背負ってあげる訳にはいかない。
叱咤激励なだめすかして自分の身体を何とか歩かせ、そうして、やっと家の近所の小川が流れているところまでたどり着いた。
 
時々、その小川にはつがいの鴨がいたりするのだ。
それで、ふと川の流れに目をやったら、表面はキラキラ流れ、水量は少なく、水は澄んでいて、川底の砂の様子もハッキリ見えるではないか。
川底の細かな砂の上に、無数の縞模様が広がっていて、「?」と目を凝らすと、タニシのような巻貝が川底にいるのだ。
タニシの歩みの跡が、砂上の細かな模様の正体なのだ。
 
なんて美しくて面白いんだろう!
あたくしの目はその水面に釘付けになった。
この界隈には、もう10年近く住んでいるのに、初めてここを訪れた子どものように新鮮な気持ちで、眺めた。
 
「ああ〜ずっと見ていたいなあ〜」と思わず、川辺の柵にたれかかる。
暖かな日の昼下がり、犬を連れて散歩する人が通り過ぎていく。
あぁ、いつまでもこの川の流れを見ていたい。今日は一日ここで、川の流れを見ていたいなぁ…。
 
もうほんの10分くらいで自宅なのに、あたくしは川のほとりで釘付けになっている。
川の流れが作る水面の模様が、その時限りの形でもって一瞬一瞬変化しながら一定のリズムをもってキラキラと動いている。
 
世界の美しさに我慢できないような多幸感に包まれている。
実は、その前回のカウンセリングの帰り道も、道端で花の蜜を吸う蝶に立ち止まり、20分ほど見とれてしまったのだ。
やばい、どうなってるんだ、自分? 
感じたままに行動し、脳の制御を聞き入れず、その時間を愛おしく味わい尽くそうとする自分の身体に、少し怖くなった。
 
「ああ、よそ見しないで真っ直ぐ家に帰ってちょうだい、お願い!」とあたくしの頭は身体に懇願し続けた。
結局、1時間半…いつもの1.5倍もかかって、やっと家に帰り着くことができたのだった。
 
 
 
「…ということで自分が怖くなりました」と、今回のカウンセリングで早速告白する。
だけど、先生は「ふん、それは良い傾向だね」とまたもやニコニコした。
 
「何が…良いのですか…?」あたくしは困っているのです。
「いいじゃん、ヒマだったら、好きなだけ川の流れを見ればいいんですよ?」
そういうのが困ると思っているのは、自分の思い込みだと先生は言うのだ。もっと、やれ、と(笑)。
「変じゃないですよ? 僕も時々しますよ、川を眺めるのなんか」
 
あたくしはどうやら、自分で勝手に自分に禁止してきたことが多いようだ。
それを解き放ったから、世界が美しく見え始めたのだ。
子どもの時は、いつも世界はこう見えていたのかなぁ? とあたくしは記憶を辿ってみる。
 
そうして少し安心し、カウンセリングが終わって外に出たら、先程までの雨が上がって晴れ上がっている。
その帰り道も大変だった!
何もかもに水滴が付いていて、それがキラキラ輝いているのだった。
雨粒に彩られた木々は、日の光になんと不思議にきらめくのだろう!
 
また、何もかも生まれて初めて見たような新鮮さで、あたくしは家路に急いだのだった。今度は小走りで。