心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

「陽性転移」の気持はまず人に伝わらない。

f:id:spica-suzuhazu:20171025190732j:plain昨今の急激な気温の下降に身体がまだ慣れてません。

先週末に外出した疲労も重なって、あたくしの不安センサーはまたもや暴走しています。
何もない、何もないちゅうてるのに…
そんな日は心臓バクバクしながらも、抗不安剤の頓服飲んで、ブログに取り掛かります。
 
 
 
同じ体験をしたとしても、わたしとあなたが感じることは違う。
自分の世界を100%他人に理解してもらうのは不可能だし、相手の世界も100%理解することは不可能だ。
人と自分の境界線を自覚することが、人間的な成熟につながるのだ…と、心理学の本に書いてある。
他人も自分も尊重できるようなエレガントな人間になるには、このことを常に心に留めておかなくてはいけない。
 
とはいえ、あたくしを含め、それが腑に落ちてない人はけっこう存在するのではないだろうか。
「一生懸命伝えれば、限りなく100%に近づくのでは?」愚かにも期待してしまう。
これだけは分かってもらいたい!と思うことには関しては異常に執着し、うかつにも不可能に挑んでしまう。
 
 
 
気心知れた友人には自身のカウンセリング通いを話しているんだけど、心が健康な人には「陽性転移」はまず理解されない。
 
「トラウマでカウンセリング」というくだりは割とあっさりと「大変だったねえ!」と共感がいただける。
恐らく、多くの人にとってストーカー話はリアルさに欠ける話だから、ここはスンナリ受け入れてもらえるんだろうな。
しかし「そのカウンセラーに好意を感じている」となると、即座に「なんでやねん!」となる。
その反応から、「陽性転移」は「不思議な出来事」というよりは「嫌な出来事」というカテゴリーに入るらしい。
 
いやさ、よく知らないくせに、なぜとっさに「嫌な出来事」と決めつけるのか?
自分はこれを(素敵で、愉快な)「不思議な出来事」としてお伝えしたいのに!
そこで、あたくしは「陽性転移」がいかにカウンセリングの世界では起こりがちなことであるか、またカウンセリングを進める上でも使える現象なのだと、熱く説明する。
 
1)人間不信に陥っているあたくしに心を開いてもらうために、先生は「陽性転移」が起きそうなアレコレをしかける(多分)
2)「陽性転移」したあたくしは、先生に理解してもらいたいので普段喋らないことも喋るし、感情もオープンになる ←今、ココ
3)結果、先生はあたくしの抱える問題が分かり、これは解決できそうだなと思った時点で、ゆっくりと「陽性転移」を解く
4)あたくし、正気に戻る
 
こういう、閉じられた空間で生まれるバーチャルな(しかし非常にリアルな)体験の面白さを、あたくしは知ってもらいたい。
 
が、この説明が功を奏すことはなく、相手はますます胡散なものを見る目になる。
それは、いい年してアイドルに血道を上げているオバさんを見る時の呆れ顔だ。
そうして、「そのカウンセラーは、そんなにカッコイイのか?」と聞いてくる。
「いや。一見、だだのオジさん」
多分、カウンセラーがジョージ・クルーニー(このツボ個人差あるけど)みたいだったら理解してもらえるのでしょう。
見た目はただのオジさんなのに、初恋の人に再会した時のようなトキメキが感じられるところも、あたくしとしては「面白ポイント」なんだけど、これも悲しいくらい全く伝わらない。
 
あたくしが平凡なオジさんカウンセラーに恋心を抱いていると判明した時点で、友人は「大丈夫?」と言う。
カルトの教祖に洗脳されまくった信者を見るが如き、憐れみの目だ。
 
ある友人は「この年になって、恋なんかしたくないわ」と、言い放った。
 
きっと「陽性転移」の話への嫌悪感はこの辺の生々しい気持を避けたいところから来ているんだろうとあたくしは予測する。
「自分で制御できないほど心を乱したくない」と、いうことなんだろう。
 
「ただ愚痴を聞いてもらうだけならまだしも、そんな風になるなら、カウンセリングは絶対にイヤ」というのが多くの人の感想だった。
 
 
 
この件、「世間のカウンセリングに対する偏見が激しすぎる」と、一度カウンセリングで話題にしてみた。
「催眠術で操られてるんじゃない? くらいは言われるんですよ、酷いでしょ?」
「まあ、転移を悪用する人もいるけどね」
(え? 今、何て言った? とは思ったけど、本題から外れるのでそれはスルーした)
 
「あたくしはねぇ、陽性転移に陥った時の、あの不思議な感覚を人にも分かってもらいたいんです」
「不思議って?」
そして、カウンセラーという存在をスクリーンにして、どんなに懐かしく甘酸っぱい気持ちがリアルに再現されるのか、自分の体験談を総動員して説明した。
そういえば、こんなに細やかに自分の「陽性転移」の話をするのは「先生=タオルケット説」の話をして以来だ。
だって、恥ずかしいじゃないですか? それはあたくしの何やら根源的なものに触れる話だ。
その間、先生はあたくしの言葉を聞き漏らさないよう注意深く聞いている。
しかしそれはやや覚束ない表情なのだ。次第にあたくしはモヤッと焦れったくなる。
この気持ちは先生が引き起こしたのに、分からんですか? という焦ったさだ。
 
そうして、もどかしく思いながら話していると、やにわに悟りの神が降りてきた。
「これが自分と他人の境界線なんだわ」と。
何故、今まで気づかなかったのか?
何もかも思いの全てを限りなく100%共有したい、というのは煩悩であり、深い欲なんだ。
いくら一生懸命伝えても他人に自身の「陽性転移」を正確にお伝えできないのは当然のことなのだと。
 
「陽性転移」を引き起こした本人→プロのカウンセラーとさえ、あたくしが陥った感情を共有できないんですものねぇ。
100人「陽性転移」に陥った人がいたならば、100通りの「陽性転移」があるだろうし、中には、そんな甘美なもんじゃなくて、ただただ辛いだけの「陽性転移」ってのもあるかもしれない。
 
ただ不思議なことに、その時の気持ちは失望じゃなかったのね。
誰にも「それは違う」「間違っている」と言われない世界が、自分の中に確固として存在してるってことなんだと理解した。
分かり合えない領域があることは、ただ悲しい寂しい訳じゃなくて、きっとそれはいいことなんだと。
 

 

だから「陽性転移」が理解されないのはいいとして…
「その上、ただのオジさんにキュンキュンしたと言うとバカにされます」
「え、そこで僕の話になる?」
どんなに熟練したカウンセラーでも、水を向けられると目が泳ぐものらしい(笑)。
 
カウンセリングの勉強を始めてから知ったことだけど、ちゃんとしたカウンセラーはプロとなってからも自身のカウンセングを怠らないらしい。
そうして、自分の心の癖を理解したり、心のお掃除をしたりと、良い精神状態でクライエントの相談を受けられるよう定期的にメンテナンスしているそうですよ。
その中できっとカウンセラーの先生も、あたくしのとは全く違うだろうけど、きっとイロイロな感情を体験しているに違いない。その面白話を聞くことができないのは残念だけどね。
 
「いや、カウンセリングってそんなに悪いもんじゃないよね〜」
「いいよね〜」
ってその日は和やかに終わったのだった。