心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

カウンセラーに分かってもらうのが難しい気持ち。

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先日のこと、約10ヶ月に渡って月1〜2回通っていたカウンセリングのお勉強がひとまず終了した。
あとは、年明けに試験があるので、各自お勉強となる。
 
最終日なので、各自のカウンセラーとしての目標や理想を語り合う時間が設けられた。
このクラスは企業の中間管理職の方が多く、公共の福祉にも興味を持つ「意識高い系」な人々が集まっていた。
彼らのキラキラとした夢を聞きながら、クラスでただひとり、無職かつメンタルの病気療養中の自分は感心するばかり…。
 
自分はそんな壮大な夢はとても語れないので、自分のカウンセリング修行のきっかけ、週一で半年間、全24回で中断したカウンセリングの経験を告白してみた。
自分のような失敗をする人を減らしたいという思いを込めてね。
 
カウンセラーが守秘義務を約束したとしても、カウンセリングで自分の弱みや黒い負の感情を語ることは、クライエントにとってはとても勇気がいることだ。
いまいち効果が感じられないままに続けば不安は募るし、その停滞感に耐えられずにカウンセリングが中断という形で終わった時にはどんなにかガッカリして、さらに自信を失うことか。
…あたくしは、そういう気持ちを分かっているカウンセラーになりたいと。
 
まあ、語ってみて改めて、あたくしのお喋りレベルは小・中学生並みだと気付いた(笑)。
だけど、少しは伝わっただろうか?
彼らの中には「自分はクライエントの立場にはならないだろう」と思っている人たちもいるので、だからこそ、自分のような体験や気持ちを知ってもらいたい気はする。
 
 
 
後ほど皆様のご意見ご感想を伺うことができた。
どうです? 分かってくれましたか?
 
そうしたら、ほぼ全員一致の感想が「24回は長過ぎる!」でした。
担当講師も同意見で、「自分の場合は長くても平均8回くらいで終結する」と言っていた。
「現代は忙しいから、そんな悠長にやってられない」ですと。
「よく24回もやったねぇ〜?」と言われましたよ(笑)。
 
講座で教えていただいた方法は産業場面でのカウンセリングだから精神医療面のそれとは少し捉え方が異なるかもしれないけれど、同じ話が繰り返されたり、クライエントの意識に全く変化が見られないような停滞した面接が続くのは、カウンセラーの力不足と判断される。
では、当時の臨床心理士さんは、下手くそだったんだろうか?
正直、クライエントの立場であったあたくしは、やはり技術不足な人だったと思っているのだが、この点においては、クラスメイトの判断は慎重だ。
 
身内に臨床心理士さんを持つ精神医療の知識を持つクラスメイトが「そのカウンセラーは長期療法が専門だったのかもしれない」という意見を出す。
なるほど、長期療法ですか!…そういう考えもあるのねぇ。
なれば、クライエント側としては他の身体の部分の治療と同様、予め、どれくらいの期間を想定していて、使う療法は何なのか確認する必要がありそうですね。
 
そんなわけで皆様の忌憚のないご意見を拝聴できて大変参考になりましたが、あたくしが一番伝えたかったことが分かってもらえたかは微妙。
その場の全体的な結論としては、
「そのカウンセラーは凄くいい勉強ができたに違いない」ってことでまとまってましたね!
やはり全員カウンセラー(の卵)だと、カウンセラー目線の話になってしまうらしい(笑)。
「24回も、いや〜(そのカウンセラーが)羨ましい」みたいな。
どうやらあたくしの失敗体験は、そのカウンセラーの芸の肥やしとなってしまったらしい。
カウンセラー側としては、カウンセリングに失敗したクライエントの悲しみや辛さや恥辱の念に寄り添うよりも、やはりカウンセラーにとって良い経験だったとかそういう方向に思考が行ってしまうものなのだ(涙目)。
 
 
 
 
…そういうワケで、やはり何となくクライエントとカウンセラーの間には意識のズレは否めないのだなあと再確認。
 
カウンセラー側としては、すでにカウンセリングルームで対面しているクライエントが、カウンセリングの効果を疑っているとは考えてないのかもしれない。
クライエントの中には、半信半疑だけど藁をも掴む思いで来ている人とか、本人は気が進まないけど家族や上司に勧められた人なんかもいるのにね。
 
ただ一つ、効果が感じられないカウンセリングをいつ見切るかどうかってのは、あくまでもクライエント側の問題なのだなあと深く理解しましたよ。
 
もちろん、いきなり「止めます」ではなく、まずは「どうも、効果が感じられない」というのをカウンセラーに正直に伝えてみることが前提ではあります。
自分もそういう段階を踏んでから中断と相成ったのですが、そもそもトラウマ治療のために時間を割いてカウンセリングルームに足を運んでいるのに、「この時間意味ある?」って話を、あたくしのお金を使って話し合う羽目になってしまったワケで、もう、その時点である意味、カウンセリングは終わっていたような気がします…。
 
メンタルダウンしている人にとって決断するのはとても難しいことなんですけど、自分にとって有益ではない時間、居心地の悪い時間は自分で減らしていく勇気と努力が必要、っていう話になるのかな? 今日の話は…。
 
 
 
※余談
ちなみに、現在お世話になっているカウンセラーの先生は、
「 “このカウンセリング、何の意味があるワケ?”とかは、クライエントに言われ慣れてるよ! あはは!」って仰ってましたね。
 
この先生の場合、意図的に予定調和を崩すような会話を時々しかけて、「カウンセリングの進め方、これで良い?」とよく確認してきます。
「怒らないから何でも言ってね」のサインを随所で出してくるといいますか。
あたくしは現在のカウンセラーに対しては不満や要望を特に感じていないけれど、こういうのは有難い。
 
早期に信頼関係が構築されて、クライエントがカウンセラーに不満や疑問を率直に伝えられるような雰囲気作りができれば、随時修正されながら面接自体は継続される…ということでしょうか。
自分のカウンセリングに対する意見を聞いておいて不愉快になっちゃったらお終いでしょうから、やはり、カウンセラー側の精神面のタフさは必要でしょうけどね。