心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

「もらい上手になる」というミッション。

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ある日のこと、カウンセラーの先生からの指摘。
「あなたの話に頻出する、自虐的な表現が気になるんだよね」
ふむ、痛いところを突きますね。
たしかに昔からあたくしにはそうした思考の癖があります。
そうしてそれは事件後さらに顕著になりました。
 
例えば、外形にせよ内面にせよ少しでも褒められたとしましょうや。
そんな時は「いやいや、そんな立派なもんじゃあござんせん!」と激しく否定。
そして「なんという褒め上手な方なんでしょう!」と思う。
「何か思うところがあって持ち上げているのでは?」と疑う。
相手が率直な気持ちを語っているかもしれない可能性はハナから否定しているのだ。
 
そこで、人の好意は素直に受け取るように…
すなわち「もらい上手になりなさい」とご指導賜ったのだ。
 
無条件に受け取るのよ? これが難しい!
 
しかも、褒め言葉ならまだ素直に受け取れるかもしれないが、あたくしには他にもっと困難な場面がある。
 
「大丈夫?」「あなたのことが心配」みたいに心配されると、無性に腹が立つのだ。
それが善意から出ている言葉だとどうしても実感できない。
マウンティングの一種くらいに思っているから、反射的に「上から目線でムカつく」と感じてしまう。
そうして最大の問題は、本当に困っていたとしても、弱みを見せることの恐怖の方が強くて激しく否定してしまうことだ。
「大丈夫です」「大きなお世話です」「あたくしのことより自分の心配しなさいよ」
どうしても素直に「ありがとう」と言えない。「放っておいておくれ」になっちゃう。
 
 
 
現在の先生との初回のカウンセリングでも、自分の症状を説明しながら、ついつい「いや、とはいえ、働かなくても今は何とか暮らしていけるから、気楽なもんです。あはは」と言ってしまった。
即座に「気楽じゃないでしょう?」と返され、あまりにも鋭い指摘に、うっかりジワっと来た記憶がある。
 
この、決して安くはないカウンセリングに足を運んでおきながら「気楽な自分」を醸し出そうと無意識に四苦八苦している自分って、どんだけプライドが高いのでしょう? 素直じゃないんでしょう? 
思えばこんなあたくしの複雑さを、先生は最初からお見通しだったんだわ。
 
「もらい上手になりなさい」は、実は幾度も再確認されるミッションである。
先生にしてみれば、「全然進歩してないじゃあないの? あ〜た?」と言いたところだろう。
 
しかし、難しいものは難しい。
激しい劣等感と、素直に求めるのが苦手な思考の癖が、なぜここまでこじれてしまったのかは自分には分からない。
 
 
 
そんなある日、カウンセリングのお勉強の帰りのこと、とある学友とお茶することになった。
誘ってくれたのは相手の方だったのだけど、なんとなく話の流れから、あたくしの現在のカウンセリングの話になった。
彼女は自称「あたしはカウンセリングとは無縁」=クライエントにはならない派の人なので、あたくしの陽性転移やフォーカシングでの不思議な体験などを、「うそ、信じられない!」と面白おかしく聞いていた。
しかし、次第に真顔になり、最後には「大丈夫?」と聞いてきた。
 
心から「大丈夫?」という顔だった。
 
悪い人に洗脳されて搾取されている、くらいは思っている感じだった。←実際にそうだったらどうしましょう?(笑)
 
その時にも、「あたくしを愚かな人間だと思っているのですね?」とか、少しムッときたんだけど、先生の顔と言葉を思い出して実践してみた。
 
「心配してくれて、ありがとう〜」
 
そうしたら、本当はどうだか知らないよ? 相手は本当に心からあたくしを「バカだな〜〜〜」って思ってるのかもしれないよ?
だけど、何だか、心がホッコリして、何だか今までよりも相手のことを心理的に近くて好ましい人のように感じられた。
何より、自分が楽になったのだ。
これは不思議な心の動きだ。相手は1ミリも変わっていないというのに…。
 
最初「もらい上手になる」ってミッションは、あたくしのトラウマ治療に何の関係があるんだろう?って思ってた。
先生はあたくしの困難について、親がこうだったからとか、あんな目にあったからとか、一言も分析しない。
ただ「もらい上手になりなさい」「自分の中の嫌な感情を認めなさい」と言うばかり。
今は、何となくそれらの関連性が分からないでもない。
あたくしの読みは合っているのか、「もらい上手」レッスンはこんな方向性でいいのか、今度、先生に確認してみよう。