心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

陽性転移その後…先生、お気に入りのタオルケットと化す。

f:id:spica-suzuhazu:20170828123251j:plain

3〜4歳の頃、お気に入りのタオルケットがあった。厳密に言うとバスタオルだ。
赤ちゃんの頃からそれはいつも自分を包んでくれていたので、物心付いた頃には相当馴染んで、それはまるで自分の一部のようになっていた。
あたくしは、それを激しく愛した。
 
愛するあまり、角っちょをクチャクチャ齧り、まるで犬のように、そのまま眠ったりした。
齧ったところからタオルはほつれて、少しずつ失われた。
よだれまみれで汚いからと母が洗濯すると、タオルはまた少し失われ、日に当たってゴワ付いたそれを元に戻すべく、またも齧って執着した。
そのうち、成長に従って、手足を曲げないとそのタオルケットに包まれることが難しくなり、物理的にもタオルは少しずつ失われ、小さくなった。
 
そのタオルケットといつお別れしたのか覚えていない。
くたびれきってすでに自分を包み込むことが難しくなったタオルケットに一生懸命手足を縮こませようとしていたときの、「もうちょっとだけ」な気持ちだけが残ってる。
 
懐かしい。40ウン年振りに思い出しました。自分のお気に入りのタオルケット。
しかし、問題は、思い出したタイミングである。
 
 
 
ある日のカウンセリングの終わり際、カウンセラーの先生はこうおっしゃった。
「この時間、役に立ってます?」
 
これまでこうした場でフィードバックを求められるのは想定外だったので、言葉の持ち合わせがなかった。
瞬時に様々な考えや憶測が次々と浮かんだのだけど、一番無難なコメントを残してその日は退出した。
「役に立っていると思います」
いや、そうでしょ? 当然でしょ? そうでなかったら来ないし。
 
しかし、具体的に「前はこうだったけど、カウンセラーに通いだした今はこんな感じに良いです」みたいな言葉がどうしても出てこない。
 
だって実際に考えていたことは、こうなの。
「役に立っているか分からない」「役に立っていないかも」って言ったら→先生が悲しむ。困る。腹を立てる→面接辞めたら?ってなるよね…。
 
相手の気持ちばかり深読みして、全然自分の気持ちに焦点が合ってない。
自分がどう考えているかを正直に話すより、相手が気を悪くしない言葉を選ぼうとする臆病者。
カウンセリングというこんな安全な空間を作っても、自分は本心を言うことが難しい。
 
そうやって、嫌悪感に包まれ、自宅でモヤモヤとそして少々メソメソと考えている時に、「タオルケットの思い出」が降臨したのある。
 
最初は、何で何で?と思っていたけれど、次第に合点が行きましたよ。そういうことなのですね。
自分の不安を自覚したあたくしは、それから数日、思い出しては涙した。
 
 
 
自分の一部が傷ついたために、ものすごく疑り深くなっていることは自覚してる。
常に「本当に安全なのか?」と疑ってばかりなので、常に身体はいつも緊張している。
そこから回復するには、仮にでも誰かを信じる体験が必要なのだろう。
 
「要するに今は、このカウンセリングの時間が幼少時のお気に入りのタオルケットなんですよ」
あまりにも浅はかでド素人な分析だが、思っていることを正直にカウンセラーの前で披露した。
 
「そうして始末の悪いことに、今はもう少し包まれていたい気持ちなので、このタオルケットを失うのが不安で不安でたまらないんです」
 
カウンセリングを受けたのは、とっとと恐怖心を克服して働きたかったからなのに。
5ヶ月のカウンセリングで出てきた自分の本心が、まだこうしてたい…って …不覚ではある。
 
「先生〜、このカウンセリングの時間=お気に入りのタオルケット、ですよ? 気持ち悪くないですか?」
あたくしの本心は、ずっとこの時間を齧り倒していたい気持ちなのだ。
この幼児的な執着と根本にある「見捨てられ不安」を正直に他人に語るのは、おばさんには勇気がいる。
 
「いいんじゃない? 実際にボクが齧られるわけじゃないし」
そう、先生はプロだから怯まない。それより、心から人の本音を聞くのが満足そうな顔をしていらっしゃる。
そうして先生は、あたくしがどんな汚ならしい思い出やブラックな腹の内をさらけ出しても、決して先生からドン引きして面接を中断することはないからご安心を、と言ってくれた。
「聞いてて辛い話だったら、“辛いから、ちょっと待って”って言うかもしれないけれど」
カウンセラーは辛い話は必死に精神力で対応するのだと思い込んでいたあたくしは、その言葉に非常に安心した。
 
このトラウマ治療の最初のミッションは、「自分の中に安全地帯を作る」なんだけど、一体、今はどの辺まで来ているんだろう? 思ってたより、長い。
 
とりあえず、数日続いたメソメソは、爽やかに去っていったのである。