心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

怖いものにではなく、怖がっている自分に焦点を当てて。

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前回、スマホにて偶然にかつてのストーカーの名前を見てしまい、具合が悪くなった件をカウンセラーの先生に報告した。

布のテーブルクロスにワインをこぼしちゃった時のように、怒りと怖さがドンドン心の中を汚染していく 感覚を、必死に箱に入れて見ないようにした。

箱を閉じたものの、中の強いものがドンドン膨れ上がってくるので、箱の上に重いものを置き、それでも蓋がパカパカしているので、上から長いネジでもって固定した。これ、全部妄想の中での話ね。それで、妄想の電気ドライバーでもって、何個もネジ止めした。

 

怖かったです。と、申しましたら、先生は間髪「違いますね」と言う。

「そんなことしろと教えてないでしょう?」と。

はい、そうですね。これは、これまで長年あたくしがしてきた対処法です。

「ぼくはね、イメージに逃げるのは好きではない」

それはあたくしも誤魔化しているみたいで好きじゃない。それに、どんなに過小評価しようとしても、怖いものは怖い。

頭では「そんなに怖がらなくていい」って分かってるのに、過剰に反応するところが問題なんだ。

 

俺サマがこれまで言ってきたこと全然、分かってねえな、って感じで、先生からは穏やかな中にも少し怒気が感じられる(笑)。←怖いと何故か笑いが出てしまうあたくし。

すみません、すみません的に申し訳ない気持ちを感じながらも、別メモリーが「え? 飴ムチ派ですか? 怒るカウンセラーですか?」とビックリしているのを感じる。

 

「カワイイと思えなければダメなんですよ」と先生はいう。

「いや、あれをカワイイとはとても…」

「怖がっている自分のことをですよ?」

「………。」

いえ、もう、何度も言われているのです。自分の中の弱さにもっと寛容にならなければ、と。

ビクビクとおびえ続ける自分の心の中の一部分はまるで臆病な森の小動物のようで、優しく優しくしてあげなくてはいけないのだ。

自分の一部だからね。

だけど、どうしても他人の弱さも自分の弱さも心の底からは認めがたい。

根性叩き直したらどうにかなるのではと、つい竹刀片手に、その弱いものをビシバシいじめようとする。

 

「怖いものにではなく、怖がっている自分に注意を向けるんですよ?」

「怖がってる時、どう思うかではなく、身体がどう感じているかを見るんですよ?」

はい、復習~という感じで先生が言う。

「はい~」

「もう、恫喝する人、近くにいないんでしょう?」

「はい~」

「今日はずいぶん元気がないね?」

「はい~」

 

また、さめざめと泣いた。もうイヤ、泣き癖が付いているのではないだろうか?

自分が泣けている意味が分からない。ホッとしてるのか、自分の不甲斐なさがなさけないのか。

 

精神科医の先生が言っていたけど、精神に同じ負荷がかかっても、病気になる人とならない人がいるそうだ。

それは決して、病気になった人が特に弱いというわけではなく、それまで抱えてきた個人的問題の差であったり、たまたまいろんな出来事が重なったというタイミングだけで、結構ギリギリの状態で抱えながらやり過ごしている人は多いんですよ、と。

先生としては、だからあなたは全体的に弱い訳でなく、強い部分も持ち合わせていると、と言いたいらしい。自信をもってちょうだい、とね。

う~ん、ここでこんなこと言ってもしかたがないけど、あたくしもやり過ごしたかった。諸処の問題は、墓場まで持って行きたかったよ。

 

しかし、ここまで来てしまうと、自分の感情を真正面から受け止められるようになるか、それともやっぱり怖いから諦めちゃうかは、自分で決めなくちゃね。

 

こうした問題解決の先に、どんな景色が広がるのか全く分からない。せめてあと10歳若かったら、人生も変わるような気がするのだけど。

でも、もう少し頑張ってみます…。

 

「かつてのイヤな記憶はなくならないけど、見ても平気になるようには絶対になります」

先生の言葉に本当? と、今でもちょっぴり半信半疑だったりするのだけど、そうなったらどんなに幸せだろうと思う。そして自分が珍しく他人に対して感じた信頼感も大切にしたい。

 

それにしても、カウンセラーの先生は大変なお仕事です。

おばさんがさめざめと涙を流しても、冷静さを保って飴やムチを繰り出して、あらまほし方向に導かなくてはいけないのだから。

 

あ、先生は、言葉選びは本当に穏やかな方です。でも、多分ドSな一面があるのでは?と…(笑)。妄想ばかりしていると、また怒られそうだけど!