心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

ちくしょう! 思考停止。

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調子悪くなって、文章がまとめられなくなっちゃいました。
リハビリのつもりで始めたブログなので、結構、頑張ってみたのですがダメ。
書きたいことはたくさんあって、出だしはいいのだけど、こんがらがって、まとめられない。
ここ数日で、パソコンの中は書きかけの文章で一杯になった。
 
依存性があるので、薬は極力飲まないようにしていたのだけど、昨日は外出する用事があったために少し多めに飲んでしまった。
ささいなことで怒り出したり、逃げ出したりしないだろうか、そればかりが心配だったけど、誰もあたくしの不調には気づかないみたいだった。ホッとした。
 
それで、ここ数日、何か変わったことあったかしら、と巡らせてたら。
ありました! 思い出しました!
 
数日前の夜、寝つきが悪く、うつらうつら考え事していたら、ちょいと好奇心が出て、いまさらInstagramをしてみようと思いついたのだった。
世界を少しだけ広げてみる方法としても悪くないのでは、と。
 
病気になってから、自ら世界を狭めるようなことばかりしてた。
「怖い怖い」と言う自分と、「だから大丈夫だって!」と励ます自分がいて、 ここのところ、お陰様で「大丈夫」な自分の方がお元気だった。
 
世界は美しいものに溢れているし、ほとんどの人が優しい心を持っていることを、あたくしは知っている。
 
そうして、深夜に設定をしていたら、何と、フォローをお勧めする人の中にかつてのストーカーの名前が出てきたのだ!
 
何で? 何で?
 
頭、真っ白。思考停止。
 
イコン画像がFacebookと同じだったから、直感的に気付いたらしい。
らしい、というのは、パニックのあまり、すぐにアプリごと全部を消去してしまった。
 
犯人の苗字が珍しいもので、ローマ字綴りにしていても誤魔化し様がなく、すぐにヤツと分かった。
回避したいものは、ありとあらゆるパターンを想定して、脳に登録されているんだな。
 
こうして防衛機能が暴走してしまうと、いつしか、安全なものにすら危険の兆候を見出そうとしてしまう。
今読んでるトラウマのメカニズムを解説した本に書いてあったよ。
「記憶が汚染される」ってやつ、まさに、そうだな。
 
その瞬間は、怖いという感覚ではない、真っ白な感じ。
なかったことにしたい、という強烈な気持ち。
 
そうして、今朝、ここ数日のことを反芻するまで、具合の悪さとその出来事が全く繋がっていなかったのだ。
 
今は、怖いを通り越した真っ白な状態から、激しい怒りにシフトしているところ。
 
あれはまだ生きているのか! とか
ネットで探してんじゃねえよ! とか
 
腹の中にある、最上級の汚い言葉がドンドン出てきそうだ。蹴って蹴って蹴りまくりたい!
 
……参りました。ただの独り相撲なんです。反応しているだけなんです。
ただ、犯人を想起させるアイコンと文字列を目にしただけで、何も悪いことは起きていないし、これからも起きない。あたくしは安全です。
 
そうして、こうやって文字にしてみたら、少し楽になりました。
変に平静を装おうとすると混乱するんだけど、混乱そのものを表現するとかは、まだできるんだな。っていうか、結構、これ、落ち着くな。
きっと数日したら、だんだん元の調子を取り戻すと思う。
 
この場があって共有してくれる人がいて、親身に話を聞いてくれるカウンセラーの先生がいるから、大丈夫。
こんなに心がドタバタなのに、心の中の安全地帯の人々に「ありがとう」とか感謝の念が出てくるあたり、以前とは違う。
孤独感が減っているよ。
少しずつだけど、あらまほし方向に向かっていると思うんだけど。
どうかなぁ?