心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

「カウンセリングを学んだら辛くなった」という人。

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カウンセリングの勉強仲間が「カウンセリングを学んだら余計に辛くなった」と、こぼしていた。
何で? と聞いてみたら、
「職場や身の回りに困った人がいると、すぐに分かるようになった」と言う。
 
そういうのは、身に覚えがある。
自分も、ストーカーに遭ったりパニック症状を何度も再発させてたりしてから、周囲の状況に敏感になった。
多分、常に交感神経バリバリで、身の回りの安全確認をしているうちに、たまたま目に入ってしまうのでしょう。
同じ病の香りを嗅ぎ取るというのか、ストレスで参りそうな人などが目に入ると構わずにはいられない。
 
しかし、自分も結構、精一杯だったりするので、他人の問題解決に積極的に関わるとすぐにクタクタになってしまう。
相手の為というより、自分がそうせずにはいられない、という衝動に駆られているだけだから、それは、独りよがりで、場合によってはおせっかいだろう。
 
なので、お悩みいつでもお聞きしますよ♪的な雰囲気だけは残しつつ、あたくし的にはもう少しフラットに世の中を見れるようにしたい。
そういう風に思って、カウンセリングを学び始めたのだ。
 
 
 
ははあ、分かった、困った人を見ると、なんとかしてあげたいと思う方でしょう? と聞いたら、
「そうなんです、どうやって解決したらいいんだろうと考えてしまいます」
「そうした人が見えてしまうことにイライラします」と言っていた。
 
基本的にその人は普段の会話から察するに、とても優しい心の持ち主だ。
だけど、人の気持ちがより解るようになった結果、辛くなったり、イライラしてしまうのはよろしくない。(ついでに、カウンセラーの態度としてもチト違う)
 
それはさあ、見えているけど何もしない、って決めることだよ。
これは、あたくしがカウンセラーの先生からいただいたアドバイスのパクリです(笑)。
 
自分が何もしなくても、放っておいたら自然に解決するかもしれないじゃない?
しばらく放っておくのがいいよ、もっと大変なことになったら真剣に考えよう〜くらいでいいんだよ。
 
ヴィパッサナー瞑想で言われる、「心の反応を止める」というやつだな(笑)。
ああ、そうだなぁ〜、辛そうだなぁ〜あの人、あの人の辛さを感じている自分がいるなぁ〜 ですな。
 
 
 
心理職の仕事は「精神的にとても疲れる」という人がいるけれども、それは「変に分かってしまう」せいではないように思う。
むしろ傾聴の技術は、そういう意味では、クライエントの気持ちに寄り添う聞き方であるだけでなく、カウンセラーの心も守ってくれる聞き方であると思うのだけど、どうだろう? そういう説はまだ聞いたことないけど…。
 
カウンセラーがシンドイと感じるとすれば、それはクライエントが一人では踏み込めない心の領域への旅に、一緒にお供する時だと思う。いつでも安全な場所に連れ戻してくれると信じているカウンセラーが側にいるから、クライエントは一人では耐えられない怖い場所に行けるのだ。そういう役割があることに、3人目のカウンセラーに会って、やっと気付いた。そりゃ大変だ。そりゃ疲れるだろう。
 
そういう訳で、あたくしのカウンセリングもまだ周辺の問題処理をしている段階で、まだ全然核心に行き着けなさそうなのだった。
「覗いても大丈夫っていう時まで、覗かないように蓋をしておくことも大切なんだよ」とカウンセラーの先生が言った。
 
カウンセリングの勉強では、クライエントの問題をカウンセラーが先回りして解決しないように、と何度も指導される。
クライエント自身だって、心の準備が出来てないのに変に焦って問題を解決しようとしなくてもいいような気がしてきた。
 
いや、まだ、実際はそこまで悟れてないのだけど、もしかしたら、そういうのもアリなのかと思えてきました。ちょっとだけ。