心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

傾聴講座で「肝心な話が後回し」と思った件。

f:id:spica-suzuhazu:20170628170152j:plainカウンセリングを学ぶ前に、「傾聴講座」を受けたことがある。一般市民向けのボランティア講座なので、傾聴の対象者はいずれも高齢者を想定していた。最初の講座では何か腑に落ちず、その後、同様の傾聴講座をもう一つ受けた。
 

あたくしが傾聴講座を受けたきっかけ

随分熱心な話ではなるが、あたくしが傾聴に興味を持ったのはボランティア精神ではない。人から相談されたり、それが単なる愚痴だったとしても、ただ聞き流すということができない、自身の「聞き下手」にあった。恐らく話している当の本人より「何とかしなくては」「何とかする方法はないか」と考え込んで、疲れてしまう。それは、自分の問題を棚に上げて人の問題に取り掛かろうとする「逃避」のように思えるし、自分の悪い思考の癖「完璧主義」な思考回路をいたずらに刺激してしまう。
一番の問題は、「あたくしは愚痴聞きや相談には全く不向きな人間です」と正直に言えず、取り繕って頑張ろうとしてしまうところ。
 
そういう訳でボランティア精神とは全く関係のない心持ちで、講座に参加したのだ。ただ、自分の苦痛が取り除かれて、適度な距離を持って人の話が聞けるようになりたかったのだ
 

傾聴講座の本当の存在理由とは?

とはいえ、ほとんどの参加者は、「助けられる側よりも助ける側に立ちたい」と考える、ボランティア精神溢れる人たちで、多くの人が「私は話し下手だが、聞き上手にはなれると思って」と受講動機を語っていた。
 
ところが、傾聴を少しでも理解すると、「聞く」=「話さない」ことではないと気付かされる。そして、聞き上手というのは、実は話し上手なのだ、と悟ることになる。言葉数は少ないけれども、その言葉の一つ一つが洗練され、超効率的、無駄のない返しが、話し手に満足感を与える「よい傾聴」の条件なのだった。
 
到底数回の講座でマスターできるような技術ではないと理解できる人はまだいい方で、最期まで各ワークのルールを守って会話を進めるのにすら必死な参加者も少なくない。あたくしも傾聴の真髄は、もう少し腰を据えてカウンセリングの勉強をしてみてやっとこさボヤッと見えて来た。
 
でもおそらく、そうした不完全な傾聴でも必要とされているのが介護の現場なんだ、ということは伝わってくる。なんでも、こうした傾聴講座が多くなったのも、福祉に対する予算削減が大きく関わっているらしい。以前はプロのお仕事の範疇だったものが、切り離されて無料の奉仕になりつつあるということ。

傾聴講座終了間際に知る真実

世の中はそういう流れであるらしいのだけど、それならそうしたことを踏まえて、巷の「傾聴講座」でもっと丁寧に教えて欲しい、なのに最後までほとんど触れられない部分がある。
それは“認知症”のこと。
 
なにしろ、最初に受けた講座では、それまでずっと受講者に傾聴のロールプレイングをさせておきながら、全5回講習の最終日のラスト30分のところでやっと、「実際、皆さんがボランティアで高齢者と接した時には、会話が成立しないことも多いでしょう」と真実の世界を教えてくれた!
 
会話が成立しないこと、とは 
1)お喋りはするけれども、話の内容が混乱している状態 
2)全く喋らない
などの状態を指す。
 
そして、そうした高齢者しかいない施設にも傾聴ボランティアの要請はあるらしい。
傾聴とは、高齢者の思い出話や愚痴に共感して「うんうん」と相槌を打つものだとばかり思っていた講座の参加者は、この講座の最終日の最後の最後で「傾聴、使えないんかい!」と驚愕するのだった…(笑)。
それなら、ボランティア講座としては、そうした高齢者に対応する方法も詳しく教えてもらいたいじゃあない?とあたくしは激しく思う。
 
因みに、訪問先の高齢者からモノを貰ってはいけません(プレゼントしたことを忘れてトラブルになるリスク)なども、結構ありがちなケースらしく、これはちゃんとレクチャーがある。前述の2パターンよりも軽いけど、これも認知症に関するルール。
また、全く喋らない高齢者の場合はどうするか? 40分なら40分の持ち時間いっぱい、その人の隣に寄り添い、座り続けてあげるそう。ある意味傾聴よりも愛と根性が要る行為と思う。
まあ、あまりに現実をリアルに語ると、ボランティア自体が敬遠されてしまうだろうし、かと言って肝心なことを言わないと、せっかくの講座(無料ではないのよ?)が陳腐化する。難しい。
 
恐らく、傾聴技術はとても汎用性が高いので、講座の募集時、「傾聴って、高齢者だけでなく、被災者、病気や怪我で長く外出できない人に対しても行われるし、その技術は営業や相談業務といったビジネス場面でも使えるし、平素のコミュニケーションでも活用できるし、とにかく受講してみて〜!」みたいな雰囲気で受講生を集めちゃうと、逆にカリキュラムから「非常に肝心なことが抜ける」ことになってしまうんだな(笑)。
 
そういう訳で、あたくしは結局、二つの傾聴講座に通った挙句、人の話を聞く練習は傾聴講座ではできない…と悟り、さらにカウンセリングの勉強も始めてしまった道楽者なのだ。