心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

20歳も年下の女の子に「愛している」と言った話。

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遠くに住んでいる友達から久々にメールが来た。「急遽、手術をすることになった」という内容だった。
 
以前、思うところあり、2年ほど専門学校に通ったことがある。彼女はそこで出会った。
その子は当時20代前半だったのだけど、小ちゃくって中学生にしか見えない。化学系の学校なのに計算が壊滅的に苦手でゼロが連なるとパニックになるタイプだった(計算は関数電卓で行うのだが)。
 
高校を卒業してからその歳まで、学校に通ったことも働いたこともなかったそうだ。
 
あたくしは勝手に、そして安易に「ああ、イジメに遭ったのかな?」と思っていた。
 
そうだったら、あたくしもイジメは転校した時に体験したし、優しくしたいな、と思った。おばさんとして、世の中はそんなに悪くないことを伝えたかったし、自分が楽しそうにすれば「長生きも悪くない」と思ってもらえるんじゃないかと思ってた。
 
卒業間近になって、そんなあたくしの思いは妄想に過ぎなかったと知って愕然とする。
 
彼女は脳腫瘍と闘っていたのだ。
 
彼女の病気は高校生の時に見つかったそうだ。それまでは、クラス委員をしたり、時には友達と大喧嘩する、ごく普通の活動的な女の子だったらしい。腫瘍は頭の中の深い所にあるから、とりあえずは様子を見ていくしかないということだった。専門学校に通う間も、急に頭が痛くなったり具合が悪くなったりしていたけれど、悟られないようにずっと隠していたのだと打ち明けてくれた。
 
不思議な縁で、あたくしはその子と友達になった。卒業してからは手紙のやり取りを続けた。
 
病気になってからの10年間、紆余曲折のあたくしの人生を見守ってくれたのは、なにを隠そう、彼女なのだ。
その子は、どんな時にも「わたしはそんなあなたが大好き」と言ってくれるのだった。
あたくしが何回も病気でダウンして仕事を辞めちゃっても、機嫌が悪くて邪険な対応をしても、決してあたくしに「ダメ」というレッテルを貼らないのだった。
少し驚いた。これこそ何かの才能だと思った(笑)。
助けるつもりが助けれらていたんだなあ、とつくづく思ったのは、恥ずかしながらごく最近のことだ。
 
2年前だか半年以上音信が途切れて、その間入院していたことを知った。
脳腫瘍が少し育ってしまい、放射線治療をしたのだそうだ。
手紙の中に折り紙が入っていたのだけど、鈍いあたくしには彼女の無邪気な遊び心にしか思えなかった。
 
再会した時の彼女は、長時間座っているのが辛いと言い、後遺症で手に力が入らないので、トイレのドアを開けて欲しいと言っていた。
 
そうして、早く元に戻るといいね、元気になったら東京に招待するから、一緒にディズニーランドにでも行こうよ、とあたくしは言った。
彼女は人混みは苦手…と言っていたのだけど。
 
そんな経緯があるのだから、手術は苦渋の決断だと思う。
 
放射線治療の後は、メールを打ったり手紙を書くのに時間がかかるようになったので、電話で話すことが増えた。
以前、彼女に「スマホにしなよ。LINEだったら通話料かからないんだよ?」と薦めていたのだけど、結局彼女はネットもスマホもやらなかった。
余計なことを知ってしまうのが怖いようなことを言っていた。そうだよね、ネットで検索するといろんなことが分かってしまう。
 
手術のたった三日前に突然連絡してきて、手術というのはどんなに最善を尽くしても、後遺症が出ることもある、それは言語や視覚の障害かもしれないし、半身全部が不自由になるかもしれない…。
 
「それでもお友達でいてくれますか?」と彼女は言った。
 
こういう時、何の根拠もなく「あなたなら大丈夫」みたいに励ますのはNGだとカウンセリングの講習では言われている。
「大変だね」も上から目線で、こっちの評価を押し付けている言葉なのでNG。
それは、知っている。そもそも相手はあたくしの気持ちを聞いている! じゃあ、どう言えばいいのか?
 
途端に出た言葉に、自分で仰天した。最近は自分に仰天してばかり。
 
「愛してる」
「愛し続けるから安心して」
 
「夫にも、歴代の彼氏にも一度たりとも「愛してる」と言ったことがないけど、あなたには言うよ?」
 
これは本当だ。たしかにこんな大切な言葉を、今まで誰にも言ったことがなかったのだ。
 
「愛してる」という言葉が持つ、少し押し付けがましいところや重さに、自分はずっと抵抗感があり苦手だった。
子どもにも縁がなかったので、この言葉にふさわしい気持ちが自分に訪れることはないとも思い込んでいた。
 
でも、この10年分の彼女の友情と等価交換できる言葉って、これしか思いつかなかった。
まさか、20歳も年下の女の子に言うことになるとは …。
 
状況的に変かもしれないけど、「愛している」という時、あたくしは不思議な幸福感に包まれた。
ずっと探し求めていたものが、まったく違う形だけど、ずっと自分の側にあったことに気付いた幸福感。
自分を無批判で全て受容してくれて、同じ気持ちを自分にも無邪気に求めてくれる存在。
世界は、なんて変なタイミングでこんな大切な気持ちに気づかせてくれるんだろう。
 
愛の告白に彼女はとても満足してくれて、あたくしも安心した。これが少しでも彼女の勇気を支えてくれたらと願った。
少しでも、怖い、不安な気持ちから救われただろうか?
 
「愛している」「ずっと一緒にいようね」という言葉の儚さは、半世紀近く生きていると何度も体験してるのだけど、だからこそ大切にしたい。
 
 
誰かに聞いてもらいたいけど、FBとかで披露してシェアしてくれというのとは違う、なんだか忘れたくなくて書き残した次第。