心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

恫喝がダメ、本当にダメ。

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ココロの安全地帯を構築中です

具合が悪いらしい。夜中に夢を見て起きちゃったよ。
モヤモヤとした雲の中から、現在お世話になってるカウンセラーの顔が浮かんできて、次第に鮮明になる。
「あ〜この顔、この顔だわ!」とホッとするという夢。
トラウマ治療のためには、まずは安全地帯作りが必要なので、あたくしの無意識領域がカウンセラーのイメージを使ってその土台を作ってるらしい。
そして、さらっと抜け出したと思っていたけど、多分、まだ、陽性転移中ですね。
 
事件に遭ってから、脳の中の記憶を記憶する部分が変になっちゃったみたいで、人の顔の記憶がものすごく曖昧になりました。
かつてのあたくしは、子供の頃からお絵描きが好きなこともあり、記憶を映像として残すことが多くて、例えば、好きな人の顔なんかは、いつもジロジロみているので、何回もスキャンされて、見ていなくても絵に描けてしまうくらいだった。
 
それが壊れちゃったもんだから、人の顔の記憶は、頭の中で想像してもボンヤリとして思い出せなくなり、会った瞬間に思い出す、という風になった。
個人的には、味覚や香りの記憶の再生の仕方に似ているような気がする。口に放り込んだ途端に「あ〜この味!」と思い出すような。
 
夢の中では出てくるのだから、カウンセラーの顔も記憶しているのだろうけど、再生に問題があるんだろうな。目が覚めて思い出そうとすると、これが難しい。
 

連続的に恫喝に晒されるとメルトダウンします

そうでした、恫喝がダメという話でした。
今は、恫喝する人が職場にいると、だいたい7ヶ月くらいしか心身の健康を維持できず、最後はパニック症状が悪化してダウンしてしまいます。「今度こそ乗り越える!」とか「せめて1年位は頑張ろうよ!」と自分に言い聞かせますが、やりきれた試しがありません。
 
中小企業の場合だと、恫喝するのはほぼ100%社長です。かなりの確率で、出社1日目にいきなり恫喝場面に遭遇してしまいます。社員が涙ぐもうが容赦なしです。
それを見て、「ああ、やってしまった」と自分の判断ミスを悟ります。
恫喝する社長のサマは、知的で冷静な経営者を装っていた面接時とはまるで別人です。本能のままに怒りをぶつけ、精神的マウンティングをしようとする醜悪な姿です。
 
恫喝グセのある人には、有名私立大学卒、 MBA取得、英語はネイティブ並みの人がいたりして、当然なことかもしれないけど、経済的な豊かさだとか頭の良さだとかは、人間性には関係なかったりします。
 
自分が怒られていなくても、怒られている人が割と平気にそうにしていても、あたくしは手が冷たくなり、頭が真っ白になって、動悸がして心臓が痛くなる。
その時の感情は、恐怖としか表現できないけど、恐怖にもいろいろございますでしょ?
あえてホラー映画に例えて言えば悪魔のいけにえ』『13日の金曜日的な怖さじゃなくて『シャイニング』的な怖さ。ミザリー的な怖さもある。一見まともそうな人が完全におかしいことに気付いた時の怖さ。
 
恐怖に加えて、怒り、嫌悪、軽蔑などの感情も混ぜこぜになって押し寄せてきて、それらの大波に半年ほど晒されているうちに、ある日、自分の堤防が決壊したことに気づく。そうなると、あとは1ヶ月くらいしか持たない。
医者が「これを飲んでいれば大丈夫」と言っていた抗不安薬も全く効かない。鍼灸、気功、リラクゼーションCDや漢方など、藁にもすがる思いでアワアワしているうちにタイムオーバーになる。

本来は鈍感力の強い人でした

こう言うと「恫喝は誰しも嫌なものだよ」だからあなたの反応も当然だよ、と慰めてくれる人がいるのですけど、ありがとう、だけどちょっと違う。惜しい。
昔は、全然平気だったの、恫喝する人。それが今、心身がおかしくなるくらい恐怖を感じるから、困っている。
 
大学卒業して入社した会社が建築内装業で、いわば工事現場が職場。結構、毎日怒号が絶えなかった。毎日何かしらトラブルが起こるというのもあったし、現場がやかましいから声が大きくなるというのもある。怒りながらじゃないと話せない偏屈な人もいた。そうした、日常茶飯事な恫喝場面で、あたくしは「何で?何で〜?」ってポカーンとしているタイプでした(自分が怒られても、ポカーンとしてました(笑))。恐るべし鈍感力! 
 
そして、上司や先輩などの中には、そうした怒りを収めるのが非常に上手い方がいたのです。そういうテクを目の当たりにして「すごいや」と感心したりしてました。
その頃は、恫喝に対して、恐怖や怒り、嫌悪や軽蔑なんか全く感じなかった。根拠もなく「ここの人達、過剰にワイルドだけど、悪い人じゃない」っていう確信していたフシさえある。そして、むしろ彼らの裏表のないところに安心していたような。
 
だから、これは重要なことなのですけれども、恫喝にさらされた時の怖さは、あくまでもあたくしの個人的な感覚ということ。
恫喝をする人がいなければ、 もう少しお仕事が続けられたと思っているので、ある意味あたくしは、恫喝グセのある人を憎んで部分がある。
でも、大概の人は「こいつムカつくな」と思ったとしても、適度に憂さを晴らして、心身の健康を保っていられるのです。
 
休日に見た映画『セッション』(恫喝グセのある音楽教師が出てくる)で具合が悪くなってしまったことさえあります(笑)。映画なのに…フィクションなのに…。
 
それを考えると、かつての鈍感力を早く取り戻したい、と思うのです。
頼むよ、カウンセリング…。頼むよ、トラウマ治療…。
 

 ※怖いけど、ものすごく面白い映画です。あたくしはもう見ないけど…というか、見れないけど。