心の旅のお作法

妙齢からの、己を知る道、心のお散歩(笑)

「わたしも◯◯を克服しました」というカウンセラー。

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カウンセリングの勉強では、ロールプレイングが欠かせません。いろいろな方の価値観や悩み事に触れられるので、とっても貴重な機会なのですが、この間、クライアント役の方が偶然にも自分と共通の悩み(パニック症状)を持っている人でした。

練習といえども守秘義務がありますので、詳細は省きますが、共通の悩みを持つ人にリアル世界で会ったのは、実はこの時は始めて!
同じ痛みを共有できる人と出会えたことにの嬉しさに、涙が出そうなくらい感動したのです。ですが…実はこのパターン、練習としては、かなりハードルが上がってしまうのです。

なぜかと言うに、カウンセリングの練習の課題は、
相手の感じていることを、自分の体験として感じること
なのです。
 
自分だったらこう思うだろうなぁではないですよ?
軽く憑依する感じです(笑)。
 
むちゃくちゃ相手に集中することが必要です。そうして、相手の感情を自分の感情として体験してはじめて、立場や考え方の異なる人に共感できるようになり、カウンセラーが心から共感してくれるのが分かるからこそ、クライアントが本心を語ってくれるようになるのです。
とっても大切。そしてこれがなかなか難しい。
 
そういう訳で、タダでさえ難しく集中力が必要なところに、自分と似た体験を聞いてしまうと、どうしても自分の過去を思い返し、いちいち自分の体験と比べながら聞いてしまうんですね。これがとても邪魔! そこでそのエゴを消そうとすると、本来、相手に捧げなくてはいけない集中力の一部が、エゴの滅却に使われてしまうのですよ。
 
もし「そーだよね、私も体験しました。そういうの辛いね!」とか、激しく同意してしまうと、クライアントの話をネタに、逆にカウンセラーの世界に引きずり込んでしまいます。カウンセリングの主役はあくまでもクライアント! ですので、そう言いたい気持ちを脇に押しやりながら、初めての話を聞くかのごとくに素な態度で話を聞くようにするのです。
そういう風にして、なんとか練習を終了させることにしたのですが、本当にヒヤヒヤドキドキでした。
 
そこで、です。ネットなどではよく見かける「わたしも◯◯の経験者です」「自ら◯◯を克服しました」(◯◯内は、パニック障害、鬱、強迫神経症、不安障害などが入る)と掲げて商売をされているカウンセラーは、すごいや、と思った訳です。
恐らくは、そうした方が商売上、よいと思ってワザワザ書いているのでしょう。
 
しかし、似たような体験をしたことがある、というのはカウンセラーにとっては実は諸刃の剣。例えば、自分の方が壮絶な体験をしていたりすると、相手の体験に親身になれないなど、カウンセラーがクライアントと似た体験をしていることが、時にはカウンセリングの邪魔になることもありえるのです。
また、クライアントがカウンセラーの個人的なこと(同じ病気を体験している)を予備知識として知っていることが良いことかどうかも疑問です。
カウンセリングとして難しくなっちゃうケースを扱う訳ですから、よほど自信がないとワザワザそんなこと書けないと思うのです(本当に自信があるのかもしれませんが)。
 
ある問題を自分が克服することと、他の人が克服するのをお手伝いするのは、全く異なる次元だと思います。
あたくしは、一度病んだ人ではありますが、一度病んだ人じゃないと病んだ人を癒せないとは思いません。
カウンセラーが実際に体験したことがなくても、クライアントを通じて追体験できる能力を備えていれば、いちいち全てを自分が直に経験する必要はないのです。そもそも、様々な職業、悩み、病気…全てを自分で直に体験するのなんて、不可能ですよね?
それよりも、どこまでも健全な、エゴのない、常にその瞬間を新鮮な体験として感じられるような感性が、クライアントの癒しや問題解決へのパワーとなるんじゃないかしら、と考えてます。
 
とはいえ、そうした感性を養うこと自体が、ものすごく難しいミッションなので、優れたカウンセラーに出会えると、本当に嬉しく思います。
 
同じ様な悩みを持っている人と出会えることは、時には嬉しく、孤独感から解放されて心強く思うこともあります。けれど「同病相憐れむ」的な感覚だけでは、問題からの脱却は難しいのです。